103.望む在り処
松明の火は落ち、今は燻りの香りが残るのみ。
もう少しで陽が昇る。
不夜の長い時間も、ようやく終わりわ告げる。
大樹のもと、寄り添い深い眠りの中にいる二人の傍で夜を明かしたタクラは、深呼吸を何度か繰り返して差し入れられたカップに口をつけた。
同じく夜を明かした見張りたちも 交代の者とのやり取りを交し、休息を得ているようだった。
マオが戻って良かった
ライルがマオと一緒に 精霊の加護に包まれて現れたときは驚いた。
一体、何があったのだろう。
精霊の癒しを受けていたマオ。この世界が嫌になったのか、望郷の念か、真実の心を 渡りの樹は叶えたのだろう。
見たことのない様式の服、艶のある黒髪に首筋のロープのあと。
元の世界で生命を脅かすような何かが起こったのだ。
そして、マオは心の底からライルを求めた。
それにライルが応えた。
穏やかな顔で眠りの中にいる二人を包む光の粒子は勢いを弱め、朝日に照らされ 輝きを放つものは僅かだ。
男に追いつかれ、首にロープがかかった。
走馬灯のように駆け巡る エストニルの記憶。
ライルの記憶。
こんなときまで思い出せなかったなんて…
でも、死ぬ前に もう一度逢たい…
世界が違っても どんなに離れていても
心はライルの元へ帰るから━━━
━━駄目、そんなの イヤだ!
苦しい 死にたくない!
助けて! 助けて ライル!
意識を失う一瞬前、
懐かしい温かさに包まれて名前を呼ばれた…気がした
あぁ…最後のとき、幸せな夢を見るってホントだったんだね
もう一度だけ
貴方に逢いたかったな…名前を呼ばれたかったな…
目を開けたら光の中だった。
上下左右も分からない白い空間に 意識だけが存在する
『マオ』
意識に直接語りかけられる声
『望む在り処はどこだ?』
真緒に浮かぶのはただひとりの ひと
あの人の傍へ あの人の腕の中へ
「ライルと共にありたい」
真緒は迷いなく答える
小さな光の粒子はやがて集まり、大きな球体を成し、そして 輝きをましてゆく。
眩しいくらいの輝きが意識を飲み込んでいく━━━
あたたかい…
手に触れる何かを失いたくなくて 己の手に力を込めると、確かな感触が意識を呼び戻した。
真緒の瞼が震え、僅かに開く。
再び閉じられると、繋ぐ手がピクリと動いた。
それに反応したライルの肩が揺れ、頭を上げて真緒の顔を覗き込んだ。
「…マオ…?」
掠れた声で名を呼べば、真緒の瞼が再び震えた。
ゆっくりと開かれた瞳にライルが映ると、蕾が綻びるように微笑んだ。それは愛しいものへの微笑み。
「…逢えた…」
真緒の瞳に浮かぶ雫は、どんな宝石よりも輝き美しかった。頬を伝い零れる雫を指ですくい、瞳を唇で塞いだ。
「…生きていた、それだけでいい」
ライルの言葉に真緒は何度も頷いて応えた。ライルに向かって伸ばした腕を広げた。いつもは抱かれる真緒がライルを抱く。震える肩に嗚咽を堪えるライルをただ抱き締めた。私はここに居るよ、貴方の傍でちゃんと生きている。
震える背中を撫でなら、慈愛に満ちた微笑みでライルを包む。
ライルの髪をすくたび、愛おしさが溢れていく。
「ライル…私、生きてるのね…」
言葉にすれば胸の深いところが熱くなる。それは瞼に伝わって、落ちる雫が頬を濡らした。
自分の居場所はこの世界にちゃんとあった。もう迷うことはない。この人と生きてゆく。
たとえ離れることがあっても、この人と同じ世界で、同じ時間を重ねたい。
私は、お母さんと同じ選択は選ばない。
それは、自分の心に誓う静かな決意。
己の中で灯った決意の焔。
「ずっと あなたと共に」
ライルの耳元で囁く。ライルは真央の胸で頷く。
勢いを弱めていた光は、眩い光となって再び二人を包みこんだ。
その様を、離れたところから見守っていたタクラは引き寄せられるように二人に近ずいていく。
精霊の気配が歓びに溢れていて、心地よい気がこの空間を満たしていた。
「おかえり、マオ」
タクラの声に、恥ずかしげに頬を染めて微笑む。
「私の居場所はここにありました」
静かな声で決意を告げる。
「ライルと共に生きていきたい」
強い意志を秘めた黒曜の瞳は、凛として美しかった。
タクラはその瞳を見つめ 微笑んだ。
タクラはそっと その場を離れた。
二人にはもっと、今 を分かち合う時間が必要だ。
話はそれからだ。
望む在り処に辿り着いたマオに 心からの祝福を
タクラは大樹をみつめ、精霊の気配を感じとりながら、心の中で強く願ったのだった。




