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「しっ。今、音がしませんでした?」
「音って……。別になにも聞こえなかったけど」
「ほら、あそこの鏡に女の子の姿が——」
僕は堪らず叫び声を上げて、如月の肩を掴んだ。
彼女は僕の手を振り払い、笑い声をあげる。
「冗談すよ。マジ受けしないで下さい」
「脅かすのは勘弁してくれ……」
僕が睨みつけても、チトセは悪びれた様子もなく、ニヤニヤと笑みをたたえながら、唇に人差し指を当てた。
「あまり大きな声を出さないで。幽霊さんが怖がって逃げちゃうんで」
「逃げるって……。普通は逆だろ」
耳を疑い、彼女に問い直す。
「いや、ほんとですって。幽霊、厳密には霊魂ですが一部を除いて、みんなとても繊細で臆病なんです。だから騒いだりしたらビックリしていなくなっちゃう可能性があるんですよ」
——ホントかよ。僕が想像している心霊現象と、まるで真逆のことをチトセは語る。
階段を上がり屋上へ出た瞬間、横風が吹き、前髪を軽く揺らした。転落防止のフェンス付近に、制服を着た少女が立っている。
後ずさろうとした僕をいさめながら、如月は貯水タンクの影に隠れるように指示した。
「この携帯で私達を撮影しといて下さい」
「なんで、そんなこと僕がしないといけないんだ!」
携帯を差し出す彼女に、僕は反論した。
「言ったじゃないですか。例の動画を削除する条件は、私のスピリチュアル活動を手伝うことだって」
チトセはそう言って携帯を僕に預け、少女の方に向かって歩き出した。ずっと暗闇の中にいたせいか、ほのかな月明かりでも周りの様子は視認出来る。
如月は少女と会話を始めた。僅かだが内容は、僕がいる場所からでも聞き取れた。どうやら少女は友達との関係に悩み、自殺を図ろうとしているようだった。
なんだ、ただの人間じゃないか。そうだ。幽霊なんている訳がない。居てたまるか。僕は、自分にそう言い聞かせる。
だが、そんな想いは、僕が見ている前で、少女が煙のように消えたことで砕かれた。
そしてチトセは、隠れている僕に向かって呼びかける。
「いつまで、そこに隠れてるつもりっすか。カンニング魔さん」
自宅に戻り、僕は自室のベットに倒れこんだ。時計を見ると、針が二十三時を指していた。とてつもなく長い一日だった気がする。今日、経験した出来事は、僕の人生観を丸ごとひっくり返した。カルチャーショックというのだろうか。突っ伏していた身体を仰向けにして、白い天井を当て所なく見つめる。
学校を出た後、例の少女の親友宅に行こうとしたチトセを、僕は必死になって引き止めた。
こんな時間に、知らない他人の家を訪問するなど、非常識だと——。
彼女は、あっさり納得し、後日、日を改めて聞き込みしようということになった。無論、僕は行きたくなかったが、如月の除霊ことスピリチュアル活動とやらに付き合わないと、動画が世界中を飛び回ることになるので、拒否は出来ない。
そもそも、なぜ突然、僕が霊を視認する事が出来たのか、という疑問に彼女は「私の傍にいるせいです」と答えた。チトセ自身、生まれつき強力な霊感を持っていたらしいが、その力が強すぎるあまり、近辺にいる人間にも影響を与えてしまう、と。
疲労感のせいか、徐々に意識が遠のき僕はいつの間にか眠りに落ちる。
その晩、夢を見た。バスに乗っている場面が、まるでテレビから投射される光波のように、映し出される。
隣に誰か座っているようだが、世界全てが一面もやもやしていて、人物を確認できない。
目覚まし時計のけたたましいアラーム音が鼓膜を叩き、僕は目覚めた。カーテンからうっすらと朝日が差し込み、死者を呼び起こすような元気を部屋に送り込んでくる。
僕は時計のスイッチを叩き、耳障りなアラームを消した。窓ガラスを貫通して、スズメのさえずりが響いてくる。
枕に顔を埋めて、僕は「学校行きたくない。学校行きたくない。学校行きたくない。学校行きたくない
学校行きたくないぃ!」と呪文のように呟いた後、寝転んだ拍子にベッドから転がり落ちた。
「痛っ」
よろよろと立ち上がると、勉強机に置かれた、携帯の電源を入れた。メールの着信が入っている。誰からだろうと、僕は不思議に思った。高校に入ってからというもの、携帯に連絡してくるのは両親くらいだった。