敬愛すべき最愛の友、メイスン君へ
さて、これを読むにあたって読者諸君らにはひとつ教えておかなければならないことがある。
それは語り手である私が、虚言癖と呼ばれるようなクセがあると常日頃から言われていることだ。
虚言癖というと現実が区別つかない妄想症や記憶に残らない解離症とは違う分類だったはずだが、それでいて虚言を盲信していることもあるらしい曖昧な用語である。それから他に反社会性パーソナリティ障碍などと言われたこともあったが、そもそも私としてはこれを治す気も直す気もないのでわざわざ名前を付ける必要も無かろうと思う。
友人のメイスン君――おっとこれは徒名だ――、彼は私のこれを悪癖と呼ぶが私には必要なエッセンスなのだから多目に見て欲しいものだ。
前置きが長くなってしまったね。何を話そうとしていたんだったか……そうそう、私がメイスン君に言わせてみるところの
「信用ならない語り手」
であるという話だ。
故に諸君ら読者は、これを厳格な推理小説とでも思って手に取ったならば可及的速やかに手放すといい。これは、私が尊敬すべき唯一無二の友人たるメイスン君に送りつけた与太事に過ぎないのだから。
さて、或る晴れた某月某日。これを1日目としよう。
この日、私はメイスン君の家に押し掛けて茶をしばいていた。そこで私の手土産を彼の幼馴染が好きそうだと言うので、共に持っていくことになったのだ。この幼馴染の女史を仮にエラリーと呼ぶ。エラリーとは私もそれなりに面識があるので、多少は気安い仲と言えよう。
彼女は我々が家に2人で訪れたとき、たいそう笑顔で迎え入れてくれた。
「エラリー、何か愉快なことでもあったのかい」
メイスン君がそう聞くと、エラリーは実に妖艶に微笑んで沈黙を返した。当然、彼女に気のあるメイスン君は真っ赤になっていたとも。
結局その日はメイスン君が動揺して、お菓子を渡してからそう時間を置かずに帰ったのさ。帰りの挨拶のときもエラリーは変わらず浮かれた調子で、我々2人に対しこう言った。
「明日は用事があるの。来るのだったら夕方以降にしてね」
成る程その用事とやらがエラリーに艶を与えたのかと察した私は、メイスン君を気の毒に思った。彼は給料3ヶ月ぶんの花を贈ったときでさえ、エラリーにこんな艶を与えられなかったからね。そのうえ彼ときたら。
「そうかい。お気遣いありがとう、エラリー。ぜひお邪魔させていただくよ」
なんて言ってまるで気づいてないのだから、憐れとしか言いようがない!
あまりに可哀相なものだから、一人になってから彼の好きな茶葉と酒を山々買ったほどさ。彼が失恋したら慰めてやろうとね。
それで2日目の夕方だ。
この日は午後から生憎の雨だったが、私とメイスン君はやはり菓子など持ってエラリーの家に行ったわけだ。
ところが、だ。夕方以降と言ったにも関わらず、呼び鈴を鳴らしても彼女は出迎えてはくれなかった。
「おや、用事が長引いてしまったのかな」
何処かで彼女が見ているのではと思っているのか、メイスン君はキョロキョロしながら言った。しかしほんとうのところは居ないらしいと断定したらしく、残念そうに腕を組んでいた。
そんな彼よりも目敏い私はというと、玄関脇の明かり取り窓から覗く彼女の傘が昨日と違う位置に置かれている事実に辿り着いていた。
彼女はとある理由から特殊な傘を使わなければならないので、出先で買うこともない筈だ。ならば居留守か、それとも帰ったあと誰かの車に乗って出掛けたか。
どちらにせよ、メイスン君に教えるのは酷だろう。
「メイスン君の言う通り、オトモダチとのお喋りでも長引いたのかもしれないな。女性というやつはよく喋ると、昔はよく言ったものだ。エラリーもまた社交的な女性だからね、きっと話が弾んだのだろう」
「ああそうだ、エラリーはとても聞くのが上手い。彼女と話せばキャベンディッシュだって、とくとくと話し出すさ」
メイスン君の機嫌は目に見えてよくなったので、私は安心して彼をパーラーに連れ込むことにした。
こんなときくらいは聊か肥え気味の彼だって、甘いものを幾らか摂っても構わない筈だ。私の懐にもまた余裕はある。
そうして我々は3日目を迎えた。
3日目もミーイズムなところのあるメイスン君がどうしてもというので、2人でエラリー女史宅へと向かった。
どうにも座りの悪い腹の虫を堪えて行ってみれば、そこでは警官らしき人々が家を取り囲んでいた。
「何かあったのですか! 」
血相を変えて尋ねた彼に警官は顔を見合わせると、その場を離れて責任者らしき人に確認を取ってから戻ってきた。
連れられてエラリー宅の中に入ると、どうにも血生臭い。どういうことかと問えば、返ってきたのは彼女が死んだという事実。
嘘だと叫んだ彼だが、遺体を見せてもらった直後に愕然としていた。無理もない、眠っているとは到底思えない有様だったのだから。
彼女は首をぐるりと一周して刃物か何かで執拗に刺されたらしく、凄絶な光景を作り上げていた。しかし、検死では窒息死の可能性が高いそうだ。
手形を消すために刺したのかもしれないが、詳しくは解剖を終えたあとになるだろうと警官は言った。恐らくは、知人であり現場に戻ってきた我々の反応を見るためだ。
暫くしてもう1人、現場に現れた男がいた。
その男、ここではデュパンと名付けることにしよう。
彼も我々とは知らない仲ではなく、メイスン君とは所謂犬猿之仲というやつだ。しかし、その不仲の原因が亡くなってしまった。
メイスン君にはまだ彼に突っ掛かるだけの気力は無いようだ。デュパンの方も落ち着きはなく、物音がする度に肩を跳ね上げている。
メイスン君に掛ける言葉も見つからないので、再び遺体を見に行くと鑑識らしき人が毛髪から何かを刷毛で採取していた。ここで聞いても仕事なのだから教えられないだろうし、他を観察する。
彼女はレギュラーブラウスとリネンのボトムスをきっちりと着込んでいて、特に乱れた様子はない。足元は素足で、何も履いていなかった。また、別の鑑識が天井の梁を調べている。それくらいだ。
切り上げてメイスン君の元に戻ると、彼は警官に何かを訴えかけているところだった。
「あのおんながやったに違いないと思います」
どうやらメイスン君は、エラリーと同じ職場の女――ジェシカとでもしておく――が犯人だと言いたいらしい。
「あのおんなはいつもエラリーの邪魔ばかりしていた。妬んでいたんでしょう」
いかにもありそうな動機を挙げて訴えているが、警官は冷静に1つの意見として聞いている。エラリーの死に事件性が認められれば、事情聴取のひとつでもするかもしれない。
デュパンの方はまだ落ち着かないようで、私が近づくとびくりと後退りして逃げる。
「彼女のことは残念だったね」
死を悼んで見えるように努めて声を掛けると、少しは落ち着いたのか彼もやや遅れて頷いた。
「ああ……ほんとうに。彼女は素晴らしいひとだったから、神様が連れていってしまったのだろう」
「そうだね。しかし、彼女はなにを考えてああしたんだろうね」
「……エラリーは、ぼくと愛し合っていたんだ。死ぬはずなんてなかった」
先程の同調よりもよっぽど強い感情を見せて、彼はそう言った。
「私はジェシカさんとのことを聞いたのだがね。しかし、君とエラリーは恋仲だったのか」
「愛し合っていたんだ。プロポーズもして、もうじき結婚する予定だった」
「……失礼だが、いつプロポーズを? 」
聞けばその日付は、1日目の前日だった。1日目に彼女が浮かれていたのは、そういうことだったのだ。
「重ねて失礼するが、昨日は彼女と約束していたのかい」
「……昨日はぼくの仕事が長引くから、夜に会おうと」
なるほど、と頷く。
そこで喚き立てるような大声がしたので振り向くと、メイスン君が感情を昂らせて声を上げていた。
「あのおんなです! あのおんななんです! 」
それはまるで罪を擦り付けようとする真犯人のようだったので、すぐさま彼の目を覆ってから耳元で語りかけた。
「落ち着くといい、メイスン君。エラリーは自殺だ。殺した犯人など居やしないさ」
「ど、どういうことだ」
暗闇に少し落ち着いたらしいメイスン君は、私の言葉が聞こえたようだ。
「居るとしたら、死体損壊の罪を背負う犯人さ。彼女が自殺したという証拠を消してしまいたかった悪いひとだよ」
「なんで、そう言い切れるんだ」
あまりに驚いたのか聞く姿勢に入った彼に、目は隠したまま背を擦ってやりながら説明する。
「エラリーが刃物を一切合切持っていなかったのは、君も知っているだろう」
「ああ、彼女は露先も隠れた傘を使うほど身の回りのものに気を付けていた。それが何かあるのか」
「だから、彼女を傷つけた犯人は刃物を持ちこんだことになる。しかし彼女の死因は窒息だ。刃物を持っているのにわざわざ首を締めて窒息させるのは可笑しいだろう」
それを聞いて、メイスン君は少し考える。
「殺してしまってから隠さないと不味いと考えて取りに帰ったのかもしれないだろう」
「手の跡がついてしまったのなら、焼いた方が早い。エラリーも、バーナーは持っているしコンロもある。表面を焼けば、ある程度の大きさしか分からなくなるだろう。窒息させるのに凶器を使ったのなら、そちらを処分する方がずっと容易い。敢えてリスクを冒してまで、刃物を取りに帰るメリットがない」
言葉通りに想像してしまったのか、私が被せた手の下でメイスン君の顔が歪んだ。
「……それだけで断定する材料にはならないだろう」
「そうだね。だが彼女の服は不自然過ぎるほど整えられている。彼女を恨んでいる人間ならそんなことはしないだろう」
私の推論に彼はまだ反論を思い付かない様子であるので、加えて畳み掛けることにする。
「先程、警察は彼女の毛髪に何らかの粉が付いているのを発見していた。それは、誰かが凶器から彼女を下ろす際に出来た灰の可能性がある。彼女を助けたいと思って吊っているロープを燃やし切ったときのね。そもそも彼女の死因は首吊りの可能性が高いのか、警察は梁も調べていた。採取した粉を調べ解剖する頃にはもっと彼女が死んだ状況が分かるだろう」
「そうなのか。だがおとといはあんなに楽しそうだったのに」
「そうだね、何か辛いことがあったんだろう。そして君も今、とても辛い思いをしている。とてもね。だから少し外の空気を吸って、落ち着いてくるといい。……ああ、そこのひと。彼に外の空気を吸わせてあげてくれるかい、ありがとう」
メイスン君の訴えを聞いてくれていた警官に彼を任せたあと、今度はデュパンに向き直る。
「さて、もう1度聞こうか。彼女はなにを考えてああしたんたんだい」
「……なんでぼくが知っていると思うんだ」
「君が答えなかったからさ」
その答えに歯噛みする彼を一瞥して、窓の外にいるメイスン君を眺める。
「君は彼女の死を目撃して助け出そうとして助けられなくて、彼女が自ら死を選んだ事実を認められなかった臆病者だ。だが彼女と愛し合っていたなら、彼女は君に遺書を残すだろう。君が心の整理を付けられるように。そして君はそれを捨てられないし、読まずにはいられない」
「ああ……そうだ。捨てるなんて出来ない。これを処分しなければ、彼女が自死した事実と向き合わなければならないのに。どうしても出来ないんだ」
彼の方から、くしゃりと紙の鳴る音がする。ポケットに入れているのだろうか。
「そりゃあ、当然さ。彼女が最期に書いた、君へのラブレターなんだからね」
「そうだな……。ぼくたちは確かに間違いなく愛し合っていた。……たとえ半分の血が繋がっていたとしても」
自嘲するかのように笑うデュパンは、徐々に現実と向き合いはじめたようだ。
「彼女は昨日、戸籍を取りに行ったらしい。そこで俺と異母兄妹であることを知った。……彼女は手紙で謝っていたよ。もっと早くに見に行っていれば愛し合う前に気づけただろうに、と。そのうえで、書いていたんだ。私はあなたと愛し合えたことを今生で1番の幸福だと思う、と。……俺が。幸せな家庭でこどもを育てるのが夢だと言わなかったら。彼女は絶望せずに済んだかもしれないというのに」
自分の中を整理するように淡々と話していた彼だったが、そこまで言うとぽろぽろと涙を落とし始めた。
遺書も残っている以上、警察が真相を知るのも時間の問題だろう。この事件は、これでおしまいだ。
「最後に、私は君にこう聞いておこう。君は、彼女と愛し合えたことを後悔しているかい」
「そこに後悔なんてない。ぼくにとっても今生で1番の幸福だったよ」
さて、ここまで読んだ読者諸君らは相当に好き者と見える。
私が冒頭であんな前置きをしたにも関わらず、こんなところまで来てしまったのだから。
そして、覚えのいい諸君らなら違和感を覚えているだろう。
信用ならない語り手と言ったからにはそれを利用した叙述トリックを身構えていたがそれらしきものが見当たらないぞ、といったところだろうか。
殺人事件が起こった以上は推理ができる、というのは定番王道予定調和だろうしね。
しかし、私は言った筈だ。これはメイスン君に送りつけた与太事だと。
メールを受け取ったメイスン君の返信を載せてみよう。
「おいこりゃあなんだってんだ、なんでエラリーが死んでやがる。おまけにデュパンと恋仲だと? ふざけるんじゃあない、俺はアイツに負ける気なんかないぜ。あんな凡人にエラリーをやるくらいなら、死んだ方がマシってものだ。しかもエラリーが死んでるなら尚更だ。俺にとっちゃエラリーは、生きる理由そのものなんだからな。まったく貴様は碌なことをしないぜ。こんな荒唐無稽な文章を読ませて、俺をどうしたいって言うんだ。だいたい、なんだこのメイスンとやらは。こんな友人は貴様なんぞにいた覚えがないが、まさか俺だと言うんじゃあないだろうな」
このように、私の親愛なる心の友であるメイスン君はケチョンケチョンに扱き下ろしている。
まったく、我が友ながら実に狭量なことだと思わないかね?
しかし私が綴ってきたメイスン君の様子と、メールでのメイスン君が違うことは明白な事実だ。そこを突かれると流石の私も、艱難辛苦してしまう。メイスン君の言う通りの「信用ならない語り手」だと言われても、何も反論できまい。
こうして与太事の結末を知ってしまった諸君らも、今度こそ私を見限ってくれたかと思う。
そう、それが私に相応しい対応だ。
唯一無二の友にこんな風に言われてしまう私など、相手にしないのがたったひとつの真実といえよう。
そうしてくれれば、私も心置きなく自由を手に入れられる。
さあ、付き合ってくれた諸君らには悪いが与太事は終わりにしようか。
私はこれからやらなければならない、ちょっとした用事が出来たのでね。
なぁに、ただ親友の自殺を止めるだけの簡単なお仕事さ。