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ひとりぼっちの牡丹(2)



 ようやく訪れた休日、エルネストはもちろん魔女の店に向かう。

 いつもは予告なしで行っていたが、この先もしばらくは忙しいことが予想される。万が一、彼女に会えなかったら大変だ。

 だから彼にしてはめずらしく、事前に今日が休日であることを手紙で知らせた。


 幸いにして、ユウリを外に連れ出せる曇り空だ。

 彼女の店を望める場所まで歩いてくると、細い通りに面した二階の窓の奥に、人影がちらついて、さっと消えた。

 ユウリがエルネストの訪問を待ちわびて、窓越しに何度も外の様子を確認していたのではないか。そんな想像で、彼の口もとはだらしなくほころぶ。


「ユウリ殿! 待たせたね」


 エルネストの予想では、彼女はつい先ほどまで、二階に居たはずだ。それなのに、今は商品棚の前でなにやら作業をしている。急いで下に降りてきて、エルネストのことなど考えていなかったというアピールをしているようだ。


 暑い日が続くので、いつもの羽織は着ていない。首もとを涼しくするために、高い位置で髪をまとめている。そこに着けられているのは、先日サイモンから贈られた髪飾りだ。


 ゆっくりと振り向いた彼女を、エルネストは思いっきり抱きしめる。


「とくに、待っていません。……離してください」


「いいじゃないか。ここのところ忙しくて、すごく疲れているんだから」


 エルネストは彼女が本気で押しのけようとすれば、いつでも解放するつもりだ。彼女の抵抗する力は弱々しく、ただ真っ赤になっているだけだから、これは許されているのだと判断する。


「なら、お屋敷で休まれたらよかったのに。こんなに朝早く来なくてもいいのに」


 つまりユウリは、エルネストの疲労と睡眠不足を心配しているのだ。彼はそう都合よく解釈した。


「好きなことをして、楽しく過ごすのが私にとって一番の疲労回復方法なんだ。久しぶりに君のいれたお茶が飲みたい」


「……じゃあ、離してください」


 今度はすんなりと彼女を離して、エルネストは彼の特等席に座る。しばらく待つとふんわりと優しい花の香りが運ばれてくる。


「このカップ、新しいんだね? 椿の花かな?」


 屋敷でいれたものとは違う、本物の茉莉花茶ジャスミンティーを飲み干したあと、彼は茶器が新しくなっていることに気がついた。

 気をつけて取り扱わないと壊れてしまいそうな、繊細な茶碗だ。内側は茶の色がよくわかる白。外側は鮮やかな瑠璃色で、赤と白の花が描かれている。


 この花は、エルネストがはじめてユウリの店を訪れた日に、彼女が着ていた羽織にも描かれていた。最初に会ったときの印象が強いせいか、なんとなく彼女に一番似合う色合いだと、エルネストは思っている。


「とてもよい品物なんです。だから、割らないでくださいね」


「これもサイモン殿からの贈り物かな?」


 エルネストがたずねると、ユウリの眉間にしわができる。


「違います。ワトー商会で取り扱っているものですけど、私が選んで買ったものです!」


 なぜ、今の会話で彼女が不機嫌になるのか、エルネストには本気でわからない。兄からいろいろなものを買い与えられているのが子供っぽい、ということだろうか。


「……あの、エルネスト様にお願いがあります」


「めずらしいね? というか、はじめてかもしれない。さぁ、遠慮はいらない」


 エルネストは大きく両手を広げてみせる。私の胸に飛び込んで、存分に甘えなさい、というつもりだが、当然彼女はそんなことはしない。


「そういうのは、いりません」


 ジロリと漆黒の双眸がエルネストをにらむ。彼女を素直にするためには、痛みを伴う代償が必要で、今はそのときではないらしい。


「あ、そう。残念だ……。で、なにかな?」


「お兄様に、髪飾りをいただいたので、たまには……その、お礼を。……なにがいいか、男性の好きなものが……よく、わからなくて……」


 エルネストは先月、サイモンの髪飾りをユウリに届けた。血の繋がった兄妹きょうだいだというのに、お互いに遠慮がある、不思議な関係の二人だ。

 もじもじと恥ずかしそうにしながらユウリが言いたいのは、お礼の品物を一緒に選んでほしい、ということだった。


 お安いご用だ、と彼は思う。けれどどこか納得がいかないのは、エルネストも彼女に贈り物をしているからかもしれない。

 先日の夜会でユウリが着ていたドレスや宝飾品は、すべてエルネストが彼女のために用意したものだ。魔女の店にあんなものを置いておくのは邪魔だろうから、伯爵邸で管理しているが、あれはユウリのもの。

 彼女は平均的なハイラントの女性よりも背が低いのだから、既製品ではないことくらいわかっているはずだ。

 別に見返りを期待しての行動でなくても、サイモンがもらえるのならば、自分だってもらいたい。エルネストがそう考えるのは当然だった。


「だめですか?」


「いや、もちろんいいよ。これってデートみたいなものだしね。でも、嫉妬してしまうな。サイモン殿に」


 エルネストが素直な感想を口にすると、ユウリはなぜかまた不機嫌になる。そして、ちらりとテーブルの上に視線を動かした。


「……ん?」


 テーブルの上には、買ったばかりだという椿の茶器が置いてある。

 高級品で、ユウリの羽織と同じ花、エルネストが彼女によく似合うとほめた花だ。

 エルネストがじっとその茶器を見つめていると、ユウリの様子がおかしくなる。先ほどのまでは不機嫌だったのに、今度はなぜか顔を赤らめ、うつむいている。



(ん? もしかして、これって私が悪いのかな?)



 つまり、新しい茶器は彼女がエルネストのために用意したのではないか。それを彼が察してあげられなかっただけではないか、ということだ。


「ニヤニヤ、意味ありげに笑うの……嫌いです」


 エルネストがユウリと茶器を交互に見比べていると、彼女が消えそうな声で文句をつける。それで予想はだいたい当たっているのだとわかった。


「ニヤニヤしていないよ。ほら、よく見て? 心から嬉しいと思っているという顔だ」


「そんなふうに見えません」


 仕える主からは「見た目と言動がいい加減」と評価され、好きな女性からは「ニヤニヤしている」と思われてしまう。


「おかしい……」


 エルネストにはどうにも納得がいかないことだった。


「なにがおかしいのですか?」


「毎朝身だしなみを整えるとき、鏡の中に映る私は、どう考えても誠実そうな好青年にしか見えないんだ。……最近、上司にも同じような指摘をされてね。ユウリ殿、どこが悪いのかわかる?」


「……目? かもしれません」


 ユウリは滅多に冗談を言わない。そして、目の前にいる彼女は真面目な顔をして、一生懸命考えて答えている。エルネストはうなだれることしかできなかった。



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