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素直になれる魔女の秘薬(7)



 閉店の看板が吊された扉。「東方より来たりし魔女の店」は臨時休業になっていた。店の中は昼間だというのにカーテンで閉ざされ、様子をうかがい知ることはできない。


「さあ、魔女殿。……報酬をどうぞ」


「エルネスト様。結局、今回はあなたの考えたお芝居の中で“魔女役”をやっただけでしょう? 報酬はいりません」


 ユウリは少し怒っていた。レナルドが本音を話しているところを聞かせるという台本シナリオなら、わざわざ魔女が登場する必要性などなかった。登場人物はレナルドとリシュー、そしておせっかいな伯爵だけでも成り立ったはず。

 台本ができあがっている芝居のなかで、役者だと知らされないまま行動するのは、まるで道化のようだ。ユウリの魔女としてのプライドが、ひどく傷ついた。


 彼女としては、レナルドに偽薬を渡すという考えは、自分で考えたことだと思いたかった。けれど、本当はそうではない。

 エルネストは、ユウリならこうするだろうと予想していて、わざわざ相談に来たのだ。それが、彼女にとってはひどく腹立たしい。


「魔女の力は借りなかったけれど、君の時間を借りたのだから、私には支払いの義務がある。……たくさんあげるから、許してほしい」


 一つしかない長いすに深く腰をかけるエルネスト。ユウリがエルネストの前に立つと、彼は引き寄せるように腰の当たりに手を回してくる。


 彼女はその手を振りほどかない。


「じゃあ、首もとをゆるめてください」


「君がすればいい。吸血鬼なのに、そんなこともできないのかい?」


 ずいぶんと意地の悪い言葉だった。


 ユウリはエルネストのタイに手をかけて、するりとそれをほどく。シャツのボタンを外そうとするが、自分の服とは勝手が違って上手くできない。


「むきになって……。そんなに私の血が欲しいのかい?」


 彼の挑発的な言葉を無視して、四苦八苦しながらシャツのボタンを外していく。上から四つまで外したところで、襟の部分を引っ張り、シャツをはだけさせる。

 女性のものとは違う太い首。鎖骨や引き締まった胸元まであらわになる。ユウリが少し視線を上げると、エルネストが嬉しそうにしていた。


「……怖くないのですか?」


 ユウリは怖かった。いつかエルネストに嫌われてしまうかもしれないと、いつも怯えている。


「どうかな? これは君への報酬なのだから遠慮はいらないよ。どうぞ召し上がれ、かわいい吸血鬼殿」


「……はい、いただきます」


 ユウリは吸血鬼の末裔で、本物の吸血鬼とは違う。きっとご先祖様はもっと尖った犬歯を持っていたのだろう。ユウリの歯は“人にしては尖っている”程度。あまり鋭くない歯で、血が出るほど噛まれるのだ。エルネストが誇り高い貴族の青年だとしても、痛いものは痛いはず。

 それを笑顔で受け入れてしまう彼の気持ちが、彼女には理解できない。理解できないから、恐ろしいと思う。


 けれど彼が与えてくれる報酬が、欲しくて、欲しくて、たまらない。


 誰かを傷つけてしまう自分自身のことが嫌なのに、彼女の行動は止まらない。だって、彼が嫌がらないのだから。

 ユウリは彼の首すじに、だらしなく半開きになったくちびるを近づけて、ためらわずにガブリと噛んだ。その瞬間、エルネストの身体が強ばる。

 きっと痛いのだろう。そうだとわかっても、ユウリはもう首筋からあふれ出すごちそうの香りに狂わされて、どうすることもできない。


 甘い果物をかじるのと一緒だ。一度果物の甘い汁が流れ出したら、それをこぼさないように、舌でからめ取ろうと必死になる。

 エルネストの血が舌に触れると、どんなお菓子よりも甘い。その香りは高級な茶よりもずっとずっとかぐわしい。ユウリにとって最高のごちそうだった。


 息を荒くして、熱い吐息を男性の首筋に吹きかけるのも、獣のように舌を使って食事をすることも、たまらなく恥ずかしいことだ。

 浅ましいユウリの姿を目の当たりにしたエルネストは、いったい彼女をどう思うだろう。

 エルネストの血がもたらす強い刺激になれてきたユウリは、突然我に返り、もう終わりにしようと顔を上げる。


「もったいないだろう? 血が完全に止まるまで、そうしていていいよ」


 エルネストの大きな手が、ユウリの頭を撫でる。軽く押されてさっきまであった場所に戻される。

 彼が許してくれるのだから、これはやっていいこと。彼の望んでいること。そう思うと、おいしいごはんを食べているときに感じる気持ちとは、まったく別の感情で心が満たされていく。


 いつのまにかエルネストのひざに座るように身を預け、彼の背中に手を回していた。彼も頭を撫でる手を止めないのだから、この行動も許されている。


 やがて血が止まると、ユウリはそのまま乱れたシャツに顔をうずめた。おいしいごはんを食べた満足感、それだけでは説明できない多幸感。このまま少しこうしていられたら、と彼女はつい考えてしまう。


「お腹がいっぱいになって、眠くなったのかい?」


「…………」


 そんなことはないと答えたら、彼から離れなければならないだろう。だからユウリはなにも答えず、眠くなったふりをした。


「そう。……また二ヶ月くらいは血を飲まなくても大丈夫かい? お腹がすいたら、君はほかの誰かから血を貰ってしまうのかな?」


 ほかの人の血なんていらない。たぶん飲めない。それを告げたら、彼はどう思うのだろうか。あるいは二ヶ月後にはユウリに興味がなくなっているかもしれない。依頼がこなくなったらどうしようと思う一方で、依頼もないのに飲ませてほしいと頼む勇気がない。ユウリはとても臆病だった。


「エルネスト様には、関係のない話です。……私の勝手です」


 二ヶ月も待てない。あなたの血しかいらない。彼女の心の中にある想いはいつも声にならずに、別の言葉が紡がれる。

 素直ではないあの青年と、同じような呪いをかけられているのかもしれない。


「君は本当に悪い魔女だね。そうだ、今度は私のために本物の“素直になれる薬”をお願いしようかな。……作ってくれたら、また報酬を支払おう。どうだい?」


「いや」


「拒否するということは、その薬を誰が飲むのか予想がついている、ということだよね? それって、君が素直ではないと認めることだってわかっているのかな? 不幸を食べる魔女殿は」


 不幸を食べる魔女。それは彼女の祖母のあだ名だった。もともとの意味は「食べられたら、幸福だけが残る」という祖母に対し親しみを持っていた人々がつけた名だった。時が流れ、名前だけが残り、つけられた意味が忘れられてしまった。だから彼女はその名が嫌いだ。

 嫌いなはずだった。けれど、エルネストは皆に親しまれた正しい意味で、その名を口にしている。


「この町の不幸を君が食べ尽くしてしまったら、いくら私でも依頼を探してこられない。その前に、素直な君を見せてくれ……」


 そうして彼は一月ひとつきも経たないうちに、また新たな依頼をたずさえて、魔女の店の扉を開けるのだろう。

 彼は、どこからか厄介ごと、困りごとを探してきては、魔女に会いに行く、変わり者の伯爵だから。



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