からくり箪笥と恋文(3)
ジョエルの話を聞くために、ユウリたちは都の中心部へ戻る。そして、勝手に取りまとめ役なったエルネストは、気兼ねなく相談できる場所として、伯爵邸に二人を連れていった。
エルネストの屋敷、セルデン伯爵邸は美しい薔薇園のある趣深い邸宅だ。
普段、比較的質素な暮らしをしているユウリだが、これでもハイラントで五本の指に入る貿易商の娘だ。だから、貴族の屋敷での立ち振る舞いに、困るようなことはなかった。
「まったく! 今日はユウリ殿と二人で、まったりと喫茶店で甘いものを食べて、楽しく過ごす予定だったのに。ジョエルは寛大な私に、感謝するべきだよ?」
エルネストは、まるでデートを邪魔されたような口ぶりで午後の予定をねつ造する。
「それは、悪いことをしてしまいました」
「……そのような約束はしていませんから、お気になさらないでください」
ユウリが冷たく言うと、エルネストはわざとらしく首をかしげ、ジョエルは困った顔をする。
伯爵邸に着いたのが、ちょうど昼の時間だったため、三人で昼食をとったあと、お茶を飲みながら本題に入る。
「一年ほど前、私の養父が亡くなったんですが……」
「養父?」
ジョエルの養父というのが、誰を指すのかユウリはすぐにわからなかった。
「ええ、先代のウェラー男爵夫妻は子供に恵まれなかったので、私は養子なんです。母親を失ってすぐ引き取ってもらえた私は、幸運なのでしょうけれど、突然貴族になって寄宿学校に入れと言われ、ずいぶん混乱したものです」
「ああ、そう言えば昔の君は、今より尖って生意気そうだったよね?」
ジョエルがエルネストの同級生ならば、二十七歳のはずだ。ユウリの印象では、優しい風貌の好青年に見える。けれど話の内容から、ジョエルは生まれながらの貴族ではないのだと知る。
「大人になれば自然といろいろと学習して、丸くなるものですから。……エルネストは怖いくらいに変わらないんですよ? 貴族らしくない私を、興味津々な目でジロジロと見ていました」
ユウリは、そんな少年時代のエルネストの姿を、簡単に想像することができた。はじめて彼が魔女の店を訪れたときも、ユウリの顔や羽織を食い入るように見つめていたからだ。好奇心旺盛な少年のような顔だ。
それで人を不快にさせないのが不思議だと、彼女は思う。彼にはそういうよくわからない魅力があるのだ。
「すみません、依頼とは関係のない話でした」
「いえ。今度ゆっくりお聞かせいただきたいです」
「それで、相談したいことなんですが。……あなたは“船箪笥”をご存じですか?」
「また、唐突だね? はじめて聞く名前だ」
答えたのはユウリではなく、エルネストだった。わからないのなら口を挟まないでほしいと、ユウリはため息をつく。
少々面倒に思いながら、彼女は船箪笥についてエルネストに教える。
「東国の、金庫のようなものです。船の中で、貴重品を入れる箪笥で、万が一のときに備えて水に浮くように木製なんですが、とても丈夫なんだそうです」
「私の義父も外交官で、東国に大使として赴任中に、船箪笥をいただいたんです」
ジョエルの話によれば、ウェラー男爵家は代々、外交官をしているとのことだった。
東国で日用品のような位置づけの工芸品が、西国では芸術品のような扱いで、もてはやされることはよくある。船箪笥は頑丈で気密性に優れていて、金具の装飾が美しい。とくにヒノモトの職人が作ったものは、人気があり、ワトー商会でも取り扱っている。
シンカ国の高官から贈られたという、ウェラー男爵邸にある箪笥も、ヒノモトの職人が作ったものだった。
「病の床で、養父は何度も、船箪笥の中にしまってある手紙を処分してくれと私に懇願しました。ですが、いくら調べてもそんなものは出てきませんでした。その頃は、もう言動があやふやになっていたので、結局よく調べなかったんです。贈られたものを壊すわけにもいきませんから」
「でも、船箪笥には……」
「なにかな? ユウリ殿はもうなにかわかってしまったのかな?」
また余計なところで口を挟むエルネストを、ユウリがにらみつける。
「伯爵様は少し、黙っていていただけませんか? ……船箪笥には、からくりというか、隠し棚があるかもしれないんです」
「義母が、最近になって隠し棚の話をどこからか聞きつけたんです。それでいろいろと試したのですが、よくわからなくて。東国に詳しいあなたならばと思ったんですが……」
ジョエルは、隠し棚がある可能性まですでにわかっている。わかっていても、どこにあるのかはっきりしないのだ。ユウリも、一般的に船箪笥にそういうからくりがあることは知っているが、ただそれだけだ。
ユウリとジョエルの知識に大きな差はなかった。
「……私は、申し訳ありませんが専門外です」
「そうですか」
ジョエルががっくりと肩を落とす。
「でも、詳しそうな人物には心当たりがあります」
祖母から習ったことが、今回は役立ちそうにないことを、彼女は残念に思う。けれど、東国の工芸品に詳しい人物には心当たりがある。
「へぇ、誰かな?」
依頼人のジョエルよりも、エルネストのほうが目を輝かせている。
「私の兄、サイモン・ワトーです」
「兄君? それは、ぜひお会いしないとね」
エルネストはキラキラの笑顔だ。ユウリはなんとなく、ろくなことにならない予感がして、悪寒がした。
彼女としては、紹介だけして終わりにしたいと思っていた。ユウリにとって兄は、積極的に会いたいとは思えない人物だからだ。
そして、名前を出してしまったら、好奇心の塊であるエルネストは、絶対についてくることもわかっていた。
ユウリは大きなため息をついてから、兄がいるはずのワトー商会本店へ向かうことにした。
§
ワトー商会の本店は、都の大通りの一等地にある。ユウリは日頃、母のいる本宅には絶対に近寄らないが、商会には時々出入りしている。
ユウリの調合したお茶は、「東国の職人の技術を受け継いだ者が国内で調合している」というふれ込みで売られていて、人気商品の一つだ。
まったく同じお茶を、魔女の店でも買えるのに、客が来ないのだから売れたためしがない。唯一の客であるエルネストは、いつも茉莉花茶ばかり飲んでいる。
商会の入り口にはドアマンが立っていて、ユウリの姿を確認すると、すっと扉を開けてくれる。
エントランスは、豪華なシャンデリアの吊された広い空間だ。飾られているのは、東国の壺や掛け軸。連れの二人はそれらを物珍しいそうに眺めている。
「お嬢様、お帰りなさいませ。お客様、ようこそおいで下さいました」
しばらくすると兄の指導役を務めている年嵩の従業員が、三人のもとへやってくる。お帰りなさいませ、という挨拶は彼なりの気遣いだ。ユウリは曖昧に頷いた。
「お仕事の邪魔をしてごめんなさい。サイモンお兄様は今、どちらにいらっしゃいますか?」
「サイモン様でしたら、執務室にいらっしゃいます」
「お兄様の今日のご予定は?」
約束もなしに突然訪れたのだ。ほかに来客があるのなら、待つか、日をあらためてということになる。
「確認して参りますので、お部屋でお待ちください」
年嵩の従業員は、商談用の個室に三人を案内してから、サイモンのところへ行く。少し待つと、まずは東国の茶と菓子が運ばれてくる。
魔女の店を喫茶店代わりに使っているエルネストも、外交官のジョエルも、慣れた手つきで取っ手のないカップを口もとに運ぶ。
「ユウリ!」
突然バンっとドアが開き、小柄な青年が入ってくる。ユウリの兄、サイモンだった。