4話:周りを見れば
窓から、冬の細い光が射し込む朝。僕はぬっと目を覚ました。枕元が少し冷たい。
首をもたげてみると、穏やかなエリーの寝顔が。睫毛が長い。本人はとても強いはずなのに、その見た目からは儚さを感じる。
今日は仲直りしたいな……。
アイも、まだ起きていない。まだ子どもだから当たり前だけど、アイはよく寝る子だ。
エリーとアイを起こさないように、そっと布団から抜け出て、パジャマを着替える。
朝ごはんを注文しに行こうかと思ったけど、僕の足元に転がる残骸がそれを阻んだ。
一人で出るなって、言ってたしな……。
仕方なく硬い椅子に腰掛け、エリーが起きるのを待った。
椅子、冷たいな……。
しばらくすると、もぞもぞと布団の中から出てくるエリー。水色のネグリジェに細い陽が射して、とても寒そうに見える。
「んん……。おはよ〜」
まだ眠そうに目を擦っている。昨日は夜更かししたんだろうか。
「うん、おはよう」
エリーは起きるや否や「ふぁぁぁ」と、大きな欠伸を一つして、ネグリジェを脱ぎだした。
僕はそっと背を向け、着替え終わるのを待つ。
すると、パサ、パサリと背中に暖かくて軽いものが掛けられた。ネグリジェだ。しかも上下。ふわりと、甘い香りが舞う。
「……僕はポールハンガーじゃないよ。どうしたの?」
背中を向けて語り掛ける。
「寒そうに見えたから。あったかいでしょ?」
エリーの声は正面の壁に反射して耳に届く。
確かに、エリーの体温が残っていて、あったかい。寒そうどころか、あったかいじゃん。それに、いつもの匂いもする。
エリーがするすると服を着る、衣摺れの音が聞こえてくる。
「ありがとう、寒かった」
「よかった」
僕もよかった。これなら仲直りできそう。
衣擦れの音がしなくなったので、振り返る。
「ねぇ、エリー」
「ん?」
いつもと変わらない笑顔だ。
「昨日はごめん。これからはちゃんと考えて行動するよ」
「なんだ、そんなこと?別にあなたはもう気にしなくていいよ〜」
そんなこと、か。
足元が冷えるな……。急に、夢から覚めたように身体も重くなった。
「……うん、わかったよ」
声が低くなってしまったことに、彼女は気付いただろうか。
「あ、アイちゃん」
その答えはわからなかった。
僕たちの話し声が聞こえたのか、アイも布団から出てきたからだ。
三角の耳がぴょこぴょこと動いている。目は細められていて、眠たげだ。
「おはよ〜、アイちゃん」
「アイ、おはよう」
アイはくわぁ〜っと大きい欠伸をして、挨拶に代える。
「んじゃあ、みんな起きてきたし、朝ごはん頼んでくるね〜」
「うん、一昨日みたいに寄り道しないようにね」
「わかってるよ〜」
彼女はそう言って黒い外套を羽織り、外に出ていった。カコカコと音を立てて。
扉が閉まったのを見届けた後、僕は席を立って、床に正座する。そして、もうすっかり温もりが消えてしまった彼女のネグリジェを畳む。
畳み終わったと同時に、アイがとことこと寄ってくる。
「アイはあったかいな……」
膝に乗せてやり、その毛並みを撫でる。まるで絹のように滑らかな毛皮は、触っていると心が安らぐ。
それに、温まる。
しばらくそうしていると、ガチャリと扉が開いて彼女が帰ってきた。今日は早めだ。
「おかえり」
「ただいま〜。朝ごはん、もうちょっとしたら運んできてくれるって」
「わかった」
膝の上のアイも頷く。
彼女のことだから朝から重たいものがやってくるんだろうな……。
そう思っていたけど、やってきたの予想に反して、朝ごはんに最適なものだった。僕にとって。
お椀に注がれた汁物、鮮やかなサラダ。少食の僕にはちょうどいいけど、彼女には少ないだろう。それらを囲み、席に着く。
「どうしたの?量少なくない?」
「足りなかった?私の分あげよっか?」
いや、そういうわけじゃないんだけどな……。
「いいよ、僕はこれで十分」
「だよね」
彼女はそう言って机の角の方に置いてあった帳簿と鉛筆を手に取る。そしておもむろにそれを開き、慣れない手つきで記帳し始めた。
「それ、僕の仕事だよ?」
「いいでしょ?減るもんじゃないし」
いや、減るよ。物凄く……。
そんな思いを濃いめの出し汁で流し込み、見つめるだけにとどめる。空だった胃のあたりがキリキリと痛む。そういえば昨日はろくに食べてなかったな。急に塩分を摂ったことで、胃がビックリしたのかもしれない。
彼女は記帳を終えた後、ペロリと朝食を––––少し早めに食べ始めた僕を遥かに超える速さで––––完食した。あぁ、悲しそうな顔でお椀を見つめてる……。絶対足りてない。なんでこんな朝食にしたんだろう。
「やっぱり足りてないんでしょ?僕のいる?」
お葬式のような目でお椀を見つめる彼女に、僕のサラダを差し出す。
「いらないよ。それはあなたのだから」
「そう……」
ごちゃごちゃとした足元が冷える。せっかくアイに温めて貰ったのに。僕の頭の上……は見えないけど目を向ける。真っ白いあごひげが見えた。
足が冷たくて仕方ないので、少し急いで朝食を食べ終わった。胃が痛い。
「ごちそうさまでした」
「ごちそ〜さまでした……」
食事を済ませてすぐに、ベッドの真ん中に座り、布団に包まる。ちょっとあったかい。
「どうしたの?眠いの?」
空になったお盆を手に、彼女が立ち上がる。
「いや、そうじゃないよ」
「ならいいけど、今日はルクを迎えに行くんだから、もうここを出るよ?」
ルク……ルクシオンか。ということはもう別の街に移動するのか。
「次はどこにいくの?」
「ん〜。寒くなってきたから、南側に行こうかなって」
南側……。リュレンか。思いついた街は食べ物が美味しい街。まったく、彼女らしい選択だ。
「……いいね」
「よかった!じゃあ、行こっか」
「うん」
頭に乗っているアイも頷いた。
僕らは宿をチェックアウトして、街の馬小屋に向かった。そこにルクシオンを預けている。彼女が荷物引きとして契約を交わしているから、とても大人しい奴だ。嫌いな奴でも襲ったりしない。それに、僕より何十倍も働くし、何百倍も役に立つ。
通る道は昨日いった商店街とは反対側の、道。商店街を象徴する石畳の道ではなく、交通に便利な茶色い土だ。硬い地面で馬が蹄を痛めないよう、わざと石より柔らかい土を使っているらしい。
コレはあちこちで見られる。
別に珍しいことでもないのに、
「ん〜!私、土の匂いって好き!」
彼女ははしゃいでいる。
「土の匂いなんかする?」
僕には馬の匂いしかわからない。
「あなたは鼻が弱いからね。土と馬の匂いを嗅ぎ分けられてないんだよ」
手を引く彼女の僕を見る顔はイタズラめいた、あまり見ない笑顔だ。これは楽しくなっている証拠。
でも、何が楽しいのか、鼻が効かない僕にはわからなかった。
馬車を引く馬とすれ違う。
立派に仕事ができる彼らは、幸せなんだろうか。心なしか生き生きとした顔をしているように見える。
それに比べて、僕はどうだろうか。
今朝、唯一の仕事を無くしたばかりだ。彼女の左手にある帳簿をちらりと見る。
この目はきっと、死人のような目をしていることだろう。
だんだん重くなっていく身体を彼女に引かれ、僕は歩いた。
そしてついに、
「あ、いたよ!おーい!ルクー!」
到着した馬小屋から顔を出す、七匹の馬と、黒い鬣を猛々しくまとったルクシオンが見えた。ルクシオンはもうすでに馬車に繋がれていて、いつでも出発できるように準備してあった。多分、自分で準備したんだろう……。
ルクシオンは彼女を見ると、甘えるように喉を鳴らす。その猛々しい姿からは想像もできない声。
彼女は僕の手を離し、少し駆け足気味にルクシオンへ駆け寄り、その鬣をわしゃわしゃと撫でる。
そのはしゃぎようは、まるで何年かぶりに飼い主とペットが再会したかのようだ。そこだけ、とてもあったかそうに見えるのは、気のせいだろうか。
「おぉ、おぉ、元気だね!」
笑顔を咲かすエリー。がうがう!とルクシオンが嬉しそうに吠える。
「こらこら、くすぐったいよ〜」
ぺろぺろと、表面がザラザラした舌で頬を舐められるエリーも嬉しそう。
エリーが手を止めたその合間に、ルクシオンは僕を一睨みした。
そりゃそうだよな……。
ルクシオンと僕では、ルクシオンの方が先輩だ。なのに、いつの間にか僕の方がより確固たる契約を結んでいるときた。
それに、どちらの方が有能か、と言われれば千人中千人がルクシオンに軍配を上げるだろう。
なんで、僕なんだろうか……。
その時に、頭の上のアイが、上から僕の顔を覗いてきた。
この子もそうだ、僕よりも……。
アイは僕と彼女が契約を結んだ際に生まれた神獣。それでも大人になれば、僕より圧倒的に彼女の役に立ってくれるだろう。
「どうしたの?アイがルクのところに行きたがってるよ?」
そう言って彼女がアイを抱き上げる。
そしてアイはルクシオンの背中へ。
「私はちょっとルクの宿泊費を払ってくるから、みんなで仲良く待っててね〜!」
そう言い残して彼女は建物の影に歩いて行った。
受付だろう。僕はその姿を目で追う。建物の角で彼女が曲がり、見えなくなると、下を向いた。
がおがお、や、きゅ〜といった楽しそうな声が聞こえる。
アイとルクシオンは、二人で仲良く語らっているようだ。僕と二匹との距離は四メートルほどなのに、何を言っているのか、僕にはわからない。
温度差がありすぎる。距離がありすぎる。
……寒い。
今わかった。僕の顔は幸せな顔じゃなかった。ちょっと周りを見ればすぐにわかる。僕は、エリー以外に盲目になっていたようだ。
なんだか、身体が重たい、冷たい、胃が痛い。街を歩く度に、目を覚ます度に、息をする度に、自分の無力や価値の無さを実感していく。まるで海に沈んでいくようじゃないか。
物思いに沈んでいると、急にくらくなった。ほんとに深海に沈んだのかと思い、見上げた。
そこには昨日見た巨漢が。
なんだよ、また昨日の奴隷かよ!しかもそんな気持ちわりぃ顔してよ!
彼の声がどこか違う世界からのものであるかのように、僕の脳は処理を放棄した。
彼は腕を振りかぶる。
周りに彼を止める人間は、誰一人としていない。
読んで下さり、ありがとうございます。




