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僕らは夫婦で魔王になります。  作者: 九里 睦美
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1話:香水

 僕とエリーが出逢ってから、どれくらいの月日が経っただろうか。この帳簿の感触も、だいぶ手に馴染んだ。


「ねぇー、アイちゃんそっち行ったよ〜」

 愛しいエリーの声が部屋に響く。

「わかったー!」


 僕は付けていた帳簿をテーブルの上に置き、バスタオルを手に取る。お風呂場とこの部屋は廊下を隔てずに繋がっているから、ここまでの距離はほとんどない。

 ちょっとだけ自分で歩かせてみようかな。


「アイ、こっちだよ〜」


 両手を広げて名前を呼ぶと、ちゃんと反応して、なんとかこっちに来ようとしてくれる。

 木の板を並べてできたような床をよたよたと初々しく歩いてくるアイ。その可愛さときたら。


「よーしよし。拭き拭きしようね〜」


 アイをバスタオルに包んで、わしゃわしゃと水分を拭き取る。湯冷めしたら大変だから、ささっと。


 そのままアイと戯れていると、お風呂場からてちてちと素足で歩いてくる音が聞こえてきた。


「はぁ〜!いいお湯だった〜!」

「あ、またそんな格好で……。ちゃんと服着てっていつも言ってるじゃんか」


 エリーはいつもバスタオル一枚で風呂上がりを過ごす。計算されたように官能的な身体でそれはやめてほしいんだけどなぁ。

 僕は一瞬だけエリーに向けた目をそらし、着る物を探す。


「別にいーじゃんかぁ〜」

「ダメだよ。風邪ひくよ?ほら、これ着て」


 顔を背けながら、畳んで傍に置いておいたエリーの寝巻きを取り出して手渡す。

 まったく……。契りを交わしたとは言え、僕が男であることに変わりはないんだから。


「ん、ありがと」

「どういたしまして」


 まったく。

 直後、パサリとバスタオルが落ちる音がした。


「ちょ、ちょっと隠してよ!」

「え?なんで?」

「もー!」


 僕は慌てて膝の上のアイに目を戻した。

 少しは意識して欲しいな。いや、逆に言えば、それだけ僕に心を許してくれているってことかもしれない。


 ふぅーと長い息を吐くと、アイが可愛らしく首を傾げた。

「ん?なんでもないよ」

 僕は別に怒っているわけじゃないんだ。

 それを伝えてアイを撫でる。


 アイは僕が体を拭いてあげている間、気持ちよさそうに左右で色の違う目を細めていた。神々しいまでに綺麗な碧眼と赤眼は、見ていると吸い込まれそうになる……。


 手を止めて見つめていると、瞼に隠れていた全てが明らかになった。くりっとした瞳。これまた可愛い。それに見惚れていると、まだ喋れないアイは、どうしたの?と首を傾げるジェスチャーで意思を伝えてきた。


「あ、ごめんね。もう乾いたよ」


 そう言って頭を撫でると、また嬉しそうに眼を細めるアイ。可愛いなぁ。親バカって言うのかもしれないけど、アイは将来が今から楽しみになるくらい可愛い。これから、どれだけ綺麗になっていくのかな。

 ぽあぽあと、その姿を想像する。


「着替え終わったよー」


 おっと、すっかり自分の世界に入ってしまっていた。

 少し頭を振った後、顔を上げると、お風呂上がりの少しだけ湿った茶髪をかき上げながら、エリーがにっこりと微笑んでこちらを見ていた。薄桃色のネグリジェがよく似合っている。


「ねぇ、今すごく幸せそうな顔してたよ?」

「幸せそうな顔?僕が?」

「うん、目がとろんとしてて幸せそぉ〜だった」


 エリーの言葉は『幸せそぉ〜』っていうところが強調されている。

 そうかな……。自分ではまったく自覚してなかった。


「なんか恥ずかしいな。僕だけ見られるのはなんだから、エリーの幸せなこと顔も見ようか。ご飯にする?」

「ご飯!?するする!」

 

 エリーはご飯に反応して、パッと僕の方に向き直り、笑顔を咲かせる。

 まったく、欲求に素直な人だよ。こういうところはわかりやすくて好きだな。


「じゃあ今から宿屋の人にお願いしてくるね」

「あ、待って!それは私がやる!」

「いいよ、白紙も一緒に貰ってくるつもりだから」

「ダメ、あなたは部屋で大人しくしてて。絶対に一人で出ちゃダメ」


 どうしたんだろう。エリーの言葉にはいつもとは違って少し、強制力が含まれていた。そうされると僕は反論できなくなるんだよな。元々反論するつもりなんてさらさらないけど。


「わかったよ。じゃあ、お願いね」

「……うん!」


 ホッとしたような表情の後に、パッと笑顔を開花させたエリー。

 もしかして、この宿屋に嫌いな料理でもあったのかな?


「じゃあちょっとアイちゃんをお願いね〜」

「はーい」


 エリーはネグリジェ姿のまま、玄関で黒のハイヒールを履き、「行ってきまーす」と出て行った。

「……行ってらっしゃい」

 そんな格好のままで外に出られるんだ。僕は玄関が見えるワンルームで、服装をまったく気にしないエリーに、少し危機感を感じた。そのうち危ない格好で外に出るんじゃないかな、と。いくら『仮の姿』とはいえ、それはやめて欲しいなぁ。


 そのまましばらく玄関を見つめていると、腕の中でアイが身体を揺すって存在をアピールしてきた。


「あ、ごめんよ。遊びの続きしよっか」


 エリーがしていたように高い高いをして遊ぶことにする。最近のブームみたいで、アイは何回やっても喜んでくれる。

 きゃっきゃと楽しそうにはしゃがれると僕の気分も乗ってくる。


「よーし!もっと高くしてみるからな!」

 部屋の家具を存分に使って高い高いをする。椅子に立ったり、机……は乗らなかったけど、ベッドの上も乗ってみた。


 アイは跳ねるベッドの上で、天井に着くんじゃないかってくらいにジャンプするのが一番楽しかったみたいだ。


 しばらくすると、アイは遊び疲れたようで僕の腕の中ですやすやと寝息を立て始めた。


 足元のベッドに、そっとアイを横たえて、僕もその横に並ぶ。この広いベッドだったら、僕とエリーと、アイだって並んで寝られるかな。

 そんなことを考えながら、アイを起こさないように背中から頭にかけてをそっと撫でる。柔らかな手触りがとても心地いい。


 エリー、ちょっと遅いな……。そう思い始めた頃に、ようやくエリーは帰ってきた。


「ただいま〜」

「おかえり、エリー。どこ行ってたの?ちょっと心配したよ」

 そんなおかしな格好で外に出ちゃうから。

「えへへ〜、これ買っちゃった」

 そう言ってエリーが見せてきたのは、青色の液体が入った瓶。なかなか外見にもチカラを入れているようで、高級そうに容器が角張っている。


「いくらしたの?」

「んーとね、プラチナコイン二枚かな」


 たっか!あと三枚同じコインを積んだら家まで買えちゃうじゃん!


「……そ、そっか」


 ぼくはベッドから机に移動し、帳簿の支出欄に『香水、プラチナコイン二枚』と記入した。残額にはまだまだ余裕はあるけど、このペースだと一年は保たないな……。

 それに、香水、付けて欲しくないな……。


「あ、料理はもう少ししたら持ってきてくれるみたいだよ。あと、はい紙。二枚貰ってきたよ」

「うん、わかった。ありがとう」


 しばらくしてやって来たのは、胃にもたれそうな大量の肉料理だった。テーブルに並んだそれらを二人で囲み、夕飯にする。


「肉、ほんと好きだよね」

「うん!あなたは嫌いだった?」

「んー、好きか嫌いかで言えば好きだけど、こんなにたくさんは食べられないよ」


 マウンテン、マウンテンだよこれは。


「大丈夫!お腹いっぱいになったら私が助太刀いたす!」

「そんなこと言って、元々僕の分も食べる気でしょう?」

「えへへ〜、バレたか」


 少し照れた様子で頬を掻くエリー。桃色のネグリジェのように、頬の色も少しだけ変わっているような気がする。


「バレバレだよ」


 まったく。可愛いなぁ。


「まぁいいじゃん。じゃあ、いただきま〜す!」

「はいはい。いただきます」


 エリーはまず最初に、お肉の下敷きになった付け合せの野菜から食べる。彼女は邪魔––––って言ったら野菜に悪いけど––––なものから先に食べてしまう性格。一緒にいてわかったことだ。


 よし、そろそろエリーはお肉に取り掛かる。僕は鉛筆と紙を用意して構える。


 エリーがお肉を口に運んだ瞬間。ここだ。


「んんっ〜〜!美味しっ〜〜!」


 その瞬間を目の中で停止させ、さらさらと紙に書き写す。頬の輪郭、口許、目の端。特徴を捉えればいいだけだからものの二分で描き上がる。


「ほら、これがエリーの『幸せな顔』だよ」

「え〜!何これ!冬眠前のリスじゃん!」

「……冬眠前のリスなんだよ」


 僕が描いた絵のエリーは、スイカ……とまではいかないけど、りんごが頬に一個ずつ入ってるんじゃないかってぐらいに膨らんでいた。目はまるでコインの縁。細いギザギザがそっくりだ。


「もぉ〜なんでそんなところ書くのさ〜。恥ずかしいじゃん。それ貸して」

「どうしても?」


 できれば、これは、手許に残しておきたい。


「どうしても……じゃないけど。あ、そうだ!私がさっきの顔描いてあげるからそれと交換っていうのはどう?」

「エリーが僕の絵を描いてくれるの?」

「そうだよ?」

「わかったよ。それなら是非」


 エリーが僕の絵を描いてくれるなんて、それなら全然交換したっていい。僕にとって利益でしかないよ。

 余った紙をエリーに渡す。


「ふふーん。任せて!私の絵に見惚れても知らないよ〜?」

「たぶん、大丈夫」

 僕はエリーに絵心があるとは思えない。


「それはどうかな〜?まって、いますぐ描くから」


 さらさらと、僕の絵を描き始めるエリー。なかなか真剣なようで、湯気の向こうからチラチラとこちらを眺めてくる。


「ほらこれ!」


 料理が冷めない内に描かれたそれは……予想通りの出来だった。左右均等になっていない目、耳。さっきエリーが言ってた目の要素が全く入っていなかった。謙遜しまくっても僕の顔はこんなに酷くはない。合っているのは白い髪くらいだ。

 それでも––––。


「ありがとう。じゃあ、交換」

「ふぅ〜、やっとこの恥ずかしい顔を隠滅できる〜」

「よかったね」


 僕は受け取ったこの絵を、大切に懐へとしまい込んだ。


 そして、その『幸せな顔』の話が終わった後は、食事を再開した。


 結局、僕は半分も食べないうちにダウンし、残りをエリーに任せたのだった。エリーはその細い胴体に、ブラックホールでも住まわせているんじゃないかってくらいに食べた。山が丸々一個半沈んだし。


「ごちそうさまでした〜!」

「ごちそうさまでした」


「そういえばこの料理、いくらしたの?」

「んーとね。二人分でブロンズコイン十六枚かな」


 へぇー。あの量にしてはなかなか安いかもしれないなぁ。


 さらさらと帳簿に書き込む。


「ねぇ、もう寝よ?」

 食欲が満たされたら次は睡眠。欲望に素直なエリーはベッドに腰掛けて目を擦っている。

「うん、寝ようか」


 僕は帳簿を閉じて、明かりを消す。


「おやすみ〜」

「うん、おやすみ」


 アイをエリーとの間に挟んで、布団に入る。布団はみんなで入れるサイズの大きな毛布。

 もぞもぞと顔を出し、鼻で息をしていると、エリーの甘くて心地よい、金木犀に似た香りがしてくる。

 僕はこの匂いがとても好きだ。だから、香水は付けて欲しくない。


 胸の奥がむず痒いような、まだ慣れない感覚の中、僕は目を閉じた。

読んで下さり、ありがとうございます。

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