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PHASE.20

 何かあったとしたら、もちろん静花のことだ。

 今西は口にしなかったが、それで察してくれ、と言っているようなものだ。

 どこへ行こうかと迷ったが結局、清里駅の近くで手近な喫茶店に入った。その間、僕たちは顔を合わせられずじまいである。


 僕は亜里沙といるところを見られたし、今西は、わだかまり解けぬうちに僕に会いに来た。しかも察するに、相談事だ。ただ謝りに来た、と言う雰囲気ではなかった。お互い、話のとっかかりが掴めない。


「ま…何か頼めば」

 僕がすすめたメニューを、今西は突き返してきた。

「先、選んでくれ。…今ちょっと、思いつかない」

 今西は落ち着かない口調で言った。どうも気が気じゃないと言う気配は、亜里沙と鉢合わせしたときもしたにはしたが、ちょっとこれは普通の感じじゃない。

「分かったよ、じゃあとりあえずコーヒーを」

 微妙な時間帯で小腹も空いていたが、頼んでいいのはこれくらいだろう。先に何か食べたと知られたら、亜里沙に何を言われるか見当もつかない。

「お、おれも同じもの」

 テーブルに着いて僕のオーダーを聞いた店員に、今西もすかさず言うと、またそわそわし出した。

「なんて言ったらいいか…その、何から話し始めたらいいんだろ…」

 拝むように合わせた手のひらで、無意味に鼻から下を包んだりして、今西はしどろもどろだ。まあ気持ちは分かるけど、こっちもそう簡単に無邪気なお人よしには戻れない。

「おれから何か話せってのは、無理あるだろ。…おれからお前のところへ、何か言ってほしくて押しかけたわけじゃないし」

「とにかく…まずはすまん!…静花ちゃんのことは、おれが、悪かった。かみさんにも、お前と彼女のことはちゃんと話してあるし、この件でもう絶対、迷惑はかけないようにする!」

「よし。…お互いこれまでのことは、水に流そう。もう、おれのことはいいよ」

 僕は大きなため息をついて、言った。何か、ずっと背負ってた重荷をおろした気分だった。これでこいつとの仲は、一件落着である。今西の肩を持てるところはないが、いつまでも、憎める奴じゃない。

「助かるよ。もう、頼れるのは、芦田しかいなかったから」

「で?…静花に何かあったのか?」

 とにかく、僕は話を前に進めることにした。


 静花と連絡が取れなくなった。

 そうなってすでに、一週間近くが経過していると言う。

「家に、いないの?」

「みたいだ」

 みたいだって。と突っ込みそうになったが、静花は部屋の鍵を僕にも預けてはくれなかった。詳しくは知らないが前に付き合っていた男と、トラブルを起こしたことがあったらしいのだ。それで今西も、むなしく外から様子をうかがって帰ってきたんだろう。


「職場にもそれとなく、問い合わせてみたんだけど有給取ってるらしくて」

「旅行に出たんじゃないかな」


 僕は答えた。今のは思いつきでどうでもいいことを言っているように聞こえたと思うが、そんなつもりはない。

 静花には、秘密主義、と言って悪ければ、繊細なところがあった。衝動的に旅行に出たいと思ったら何としても一人でも行くし、絶対に一人で行きたいと思ったら、僕になんの断りもしないと言うところもあった。


「必要以上に、心配しなくていいんじゃないかな。…ここだけの話、そうやってされるのが静花はあんまり好きじゃなかったしさ」

「芦田は何も心配してくれない。それが不満だったって、静花ちゃんは言ってたけどな」

「…そうか」


 軽くは受け流せなかった。ぽつりと、釘を刺すように言った今西の一言は今の僕にとっても、重かった。


「上手く、いってなかったのか。…って言う言い方も変だけど、その…」

 僕は歯切れの悪い切り出し方をした。いや、でもしょうがない。そもそも今西には、奥さんがいるわけだし。

「いや、どっちとも言えないな。…こう言う言い方も変だけど」

 と、今西は、歯切れ悪く返事して顔を曇らせた。分かってたけど男二人、とてつもなく気まずい。

「静花ちゃんは…今のお前に、不満があっただけじゃなかったのかと思うんだ。おれが好き、って言うよりはさ、なんて言うかおれには一番、愚痴が言いやすかった。ただ、それだけ、って気がする」

「それでも手出してちゃ、世話ないだろ」

「…悪かったよ。今さらお前が言うな、って話だろうけど」


 今西は、声をひそめて言った。僕に怒られるのは分かってたけど、今のは、言わざるを得ないことだと思ったから、口にしたのだろう。


「実はあのあと、三人で話したんだ。うちのがいない間に、家で密会してたことは事実だし、これからどうするのかとか、ちゃんと話さないといけなかったし」

「結局、それでお前が静花を省いたから、連絡取れなくなったんじゃないのか」


 僕は厳しい言い方をした。だが、誰にとっても予想のついた顛末だ。今西が、静花との新しい生活を取るはずなどない。


「そうだよ。…最悪だと思ったし、血迷ったおれが悪いけど、そうするしかないだろう。静花ちゃんも、最後には納得してくれたんだ」


 分かっている。静花はたぶん、物分かりのいい顔をして身を退いたんだろう。今となっては分かる気がする。静花が求めていたのは、特定の誰かじゃなくて、「あなたがいなければ」と思えるほどに愛せる誰かだったんだと思う。


 そもそも問題は、静花が恋人の僕からその手ごたえを感じられなかった、と言うことだ。大げさなことを言わなければ僕にだって、それに応える気持ちはなくはなかった。


 なくはなかった程度なの、と静花が聞いたら言うだろうけど、嘘ではないだけましなはずだ。僕だって、嘘くさいことは言いたくない。でも信じてくれさえいたなら、今頃はこんなことになっていなかったんじゃないか。


 お陰で僕たちはお互い、離れがたい関係では別にないことに、気がついてしまった。


 僕はそれを夏いっぱいかけて何とか、()み下した。ひどい気分だったが、それを仕掛けてきた静花の今を、自業自得だなどとは、やはり思えなかった。


「分かった。おれからも、連絡する方法探してみるよ」


 気が付くと、僕はそれを口に出していた。その場を取り繕うための、おためごかしではない。静花が今どうしているのか、たとえ彼女が望まなかったとしても、僕は心配ではあったのだ。


 亜里沙のところへ戻る前に、僕は静花の番号をコールした。迷ったが、ベタなのは、直接、着信を残しておくことだろう。

 あんなことになったが、静花は僕を排除していない。スマホの通話機能もSNSのアカウントも、僕からの連絡を拒んだりはしていなかった。ただレスポンスする気が、一切ないだけだ。

 こうして手あたり次第、静花とつながる方法を虱潰しにしていると、誰もいないほら穴から響いてくる、自分の山彦(やまびこ)を聴いているような気分になった。


 ため息をついていると、突然着信があって、見苦しいくらいあわてた。

 何も確かめないで出ると、聞きなれた亜里沙の声。


「なんだ、お前かよ」

『そろそろ帰ってきてください芦田さん。お腹が空きすぎて理性が保てません。このまま放置されると、無意識にピザを取ってしまうかも知れません』

「無意識で注文するなよピザを」

 ったく、と思ったが、無理もない。予定した時間をもう一時間も過ぎていた。

「でも出前、取っててもいいよ。結構時間経っちゃったから。おれ、そのまま買い出ししてくるから」

『修羅場はどうしたんですか、芦田さんの』

 亜里沙はずばり聞いてくる。

 修羅場って。今西はそうかも知れないけど、僕には、もうそんなつもりはない。

「話はしたよ。もうおれの問題じゃないし。でも今西とは、仲直りしたから」

『そうですか、良かったですね』

 ずばり切り込んだくせに亜里沙は、急に興味なさそうな返事をした。

『…ところで、買い出し明日にしません?ピザ、頼んどきますから』

 僕はなんでだよ、と聞きかけたが、逆らわないことにした。さっきまで、静花のことを考えていたのが、何となく気に(とが)めたのだ。

「分かった、すぐ帰るよ。頼むなら、一個はマルガリータだからな。変なの頼むなよ?」

 まだ何も終わっていない。思えばこれが、波乱の秋の幕開けだった。





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