月明りの下で。
小さな頃、絵本を見るのが好きだった。
その絵本の中で、月に纏わるものがあった。月に纏わる童話のようなものは、この世界にはいくつもあって、そういうものに惹かれていたからか、俺は月を見るのが結構好きだった。
――だから、時折自分の気持ちを落ち着かせることを目的として寮を抜け出し、月を見上げる。
誰にも悟られないようにこっそりと見にこなければこうしてゆっくりと月を見上げることさえもままならない。
というのも俺は人気者だからだ。
自分で言うのはどうかと思うが、この学園は同性愛に溢れていて、それでいて人気者には親衛隊なんて訳のわからないものまで出来ている始末である。
正直言って、はじめてこの学園に入学した時は驚いたものである。俺は一人でいることも好きだし、のんびりと過ごすことも好きなのだけども、俺が少し何かしていると騒がしくなってきたりして本当に困ったのだ。
こういう学園だと知らなかったから、俺は自分の顔を隠すなんてしていなかったし、本当にきゃーきゃー騒がれても面倒なものである。
月の光は、俺の心を落ち着かせてくれる。
そうやって気持ちを落ち着かせていれば、何かの音がした。誰かが此処にいるのだろうか。この穏やかな空間を壊されると思うと嫌な気持ちになる。
そちらに視線を向ければ、そこには俺も見知った顔があった。
この学園の中でもそれなりに有名な存在である。猫のように気まぐれで、あまり姿を見かけることもないレアな存在であるらしい。
その男は俺を見ても特に騒ぎはしなかった。だけど俺の傍に近づいきて、近くに座る。そして俺と同じように空を見上げている。
……こいつも俺と同じように月を見るのが好きなのだろうか。
ぼーっと空をただ見上げている俺とそいつ。だけれども不思議と嫌な感じはしない。寧ろ心地よさすらも感じている。下手にこいつは俺のことを騒がないからなのかもしれない。
その日は結局互いに話すこともなく過ぎて行った。
ある日、また月を見に行ったらあいつがいた。此処はあいつにとっても月を見る良いスポットなのかもしれない。互いに特に喋ることもしないままに、時間が過ぎていく。その心地よい空間で、俺は時々あいつをちらりと見る。
綺麗な顔をしている。その端麗な顔立ちは彫刻品のようだ。作り物のようで、それでいてあまり感情の見えない瞳は、俺が近くにいても全く気にしていないようである。なんだかそれが少し面白くない。
何だろう、俺は何だか気になっているのに、あいつは俺のことを気にしないってちょっともやもやする。とはいえ、俺の方から気になって話かけるなんて何だか面白くないし……なんて思いながら時々、あいつを見かける。
そうやって何度か人気のない寮の屋上で過ごしていたある日、俺は眠っているあいつを見かけた。
眠っている姿がとても綺麗だった。思わずその寝顔を見てしまう。こんな風に寝顔を盗み見ているなんて……とそういう申し訳ない気分になりながら、俺はのぞき込む。
そうしていれば、目があいた。
やばい、覗き込んでいるのがバレてしまった。
俺は焦ってしまう。これで変な風に思われたらちょっと嫌だ。
そんなことを考えていたのだが、目の前のそいつは目を瞬かせた。
「……何か、用?」
「……いつも月を見る場所で寝ころんでいたから、気になって覗き込んだだけだ」
「ふぅん。君も、いつも月見てるよね」
どうやら俺のことを認識はしていたらしい。俺の名前までは知らないだろうけれど。それにしても時々月を見る時に見かけていただけの存在とこうして話していると思うと不思議な気持ちになる。
「君は、何で月を見てるの?」
「落ち着くから。お前は?」
「俺? 俺は、そうだなぁ、美味しそうだなって思って」
「美味しそう……?」
何だかよく分からない感性をしているらしい。月を見て美味しそうって思うって何だろう。そもそもお腹がすいているのならばもっと何か食べればいいのにって思ってしまう。
そうしていれば、ぐぅうと音が鳴る。
「お前、お腹すいているのか?」
「うん。ちょっと」
「……何か食うか? 作ってやろうか」
「いいの?」
なんとなくそうやって誘ってしまったのは、何だかんだ気になってしまっているからと言えるだろう。俺が頷けば、そいつは嬉しそうに笑った。何だか本当に気まぐれな猫みたいである。結局その後、俺は自室にそいつを連れ帰って、料理を作って食べさせた。
嬉しそうにご飯を食べたそいつは、にこにこと笑って「ありがとう」と言って、寮から去っていった。
それだけの関係で終わるかと思っていたけれど、その後、月あかりの下で出会った時に「またご飯食べたい」と食事を催促させることになるのだった。