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ごつごつとした大岩が進路を阻み、さらに道を塞ぐかのよう鬱蒼とした木々が生い茂っている。岩にも、剥き出しになった根にも青光りした苔がむしている。サイモンがその手前でようやく足をとめた。
「この先に四つの入口がある。それぞれ好きな道を行くといいだろう」
義樹は身を乗り出して覗いた。暗くてよく見えないが、確かに四方向へ道別れしているようにも思えた。が何のために別れている。意図があるのだろうか。
「理由はともかく私たちは四人いる。つまり、それぞれ別の道で試練を受けろということなのか」
「それが望ましいが、正確には六人である。だから複数になるエリアも当然ながらにある」
「エリア?」
「難しく考えなくてもいいのよ。どうせ一度は会うことになるのだから。ただ、たがいを認識できるかどうかは別問題だけどね」
認識できない? そんな状態で試練が克服できるのか。義樹はタマミの言葉に疑問を感じた。そもそも虫になって知能まで虫並みに低下してしまうことになったら、それこそ本末転倒だ。たとえ義樹の過去世に何らかの問題があったとしても、理解できる知能がなければ乗り超えられるとは限らない。
「構わん。私はいちばん右の道を行く。一人で考えたいこともあるので誰もついてこないでほしい」
その疑問を遮るよう、山伏が苔だらけの岩に飛び移ると義樹へ言った。「特に、そなたにはな」と付け足して。
「私も単独で試練とやらに挑戦したい。願ってもないことだ」
義樹も言い返した。賽は振られている、腹を括るしかなかった。
「呆れた。二人にはまだわだかまりがあるのね。でもさっきも言ったけどエリアは四つしかないの。そして行くべきエリアは大まかに決まっているはず。だから入ろうとしても入れない、入口のクヌギに拒否される」
「その通りだ。さ、進むがいい。クヌギに認められた道へ」
サイモンが言うか言わないうちに山伏が歩を進ませる。姿を消した。義樹も続いて奥へ入っていく。
義樹としては、誰がどの道を進もうといっさい気にならなかった。ただ宣言された以上、山伏とは違う道を選んで進んだ。そして進みながら妻のことを考えた。朝村という男と何があったのか知らないが、妻を信じず、一瞬でも疑ったことを義樹は後悔していた。ひょっとしたら、もう二度と妻と会えなくなってしまうかもしれないのだ。
壁にかけられた時計は夜の十一時を指していた。いつもなら夫義樹はとっくに帰宅し、食事も済ませ、二人でテレビを見ている時間だった。
「怒っているのね……」
当然だと、静夏は思う。同僚から聞かされたという不倫の真偽、静夏は答えられなかったのだから。
もうかれこれ二時間ぐらい、テレビもつけずにダイニングテーブルの椅子へ腰を掛け、送られてくる可能性の低いメールをずっと待ち侘びていた。スマホを握りしめたまま、真っ暗な液晶画面を見つめぼんやりとしていた。
「でも私、ほんとうに不倫をしたの?」
自信がなかった。昨日の午前中に元上司である古川から連絡が入り、かつて交際していた朝村が危篤状態だと知らされ、どうしても静夏に会いたいと言うので、これから迎えに行くと電話が入った。
静夏は悩んだ。すでに既婚者であるし、彼に対してこれっぽっちの感情も残っていなかったからだ。もし静夏が独身だとして、元恋人が危篤状態なら、一も二もなく駆けつけたと思う。しかし人妻なのである。
そのため夫と一緒に伺いますと言葉を濁した。だが古川は強引だった。帰りを待っていたら朝村は死んでしまう、と有無を言わせなかった。
でも、よくよく考えてみればおかしな話である。病名も告げず、かといって病院名を知らせることもなく、迎えに行くからなどと普通であれば有り得ない。一般的には病院名と容態を伝え、あとは本人まかせにするものではないのか。
そのとき気づけばよかった。しかし静夏は、まさかそれが古川と朝村の謀略などと考えつきもしなかった。
静夏の両親は彼女が中学生の時に病気で相次いで亡くなった。その反動のせいか人の死に対しての思いを、静夏は人一倍強く持っていた。中途で失ってしまった暖かい家庭をもう一度持ち、その幸せをじっくり噛み締めたかったのだ。だから財産よりも人間の中身を重視するようになっていた。
ただ、朝村とは初めて会ったときから懐かしい繋がりを感じていた。もしかして……過去世の因縁? そうまで思うことも度々あった。しかし静夏は夫を選択した。どんなに裕福な生活を約束されようとも傲慢な朝村より、考え方の質素な夫のほうに魅力を感じたのだ。それは早くに両親を亡くした静夏がささやかな幸せを求めていたからだと思う。
躊躇いながらも車に乗り、古川と病院へと向かった。車は公用車で、朝村が一人で公私に独占している高級車のベンツだ。数千万もする車を個人で独占し、非難ごうごうであったが朝村は我関せず乗っている。しかしそんなことはどうでもよかった。
「朝村さんの具合はどうなのです?」
古川の顔を窺うが、危篤としか分からない。そう言って彼は言葉を濁す。静夏は元上司の素気ない態度に呆気にとられる。そのうえ気のせいだと思うが、古川の口元に引きつった笑みを見つけ一抹の不安も感じる。尚も不安を煽るように古川は妙なことを言い出した。
「このことを皆川君には黙っててほしい」
「そんなことはできません」
静夏が固辞すると、古川は「君のためなんだけどね」とまた口を歪ませた。そのとき後部座席に人の気配がしたかと思うと、長い手が伸びてきて、いきなり嫌な臭いのする布を鼻に当てられた。
声を出すまもなく、静夏の意識は遠のいていく。