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 武士ばかりか山伏も、そして女性までもが義樹に対して恨みを持っているのを感じる。おそらくそれは義樹の過去世に起因しているのだろう。

 いったい……どんな生き方をしたのだ。

「虫になればわかる」

 義樹の表情を窺っていたサイモンが躊躇うことなく言った。

 そうねと引率の女性も同意して、言葉を続けた。「私とサイモンは、彼らより一足先に地獄から抜け出て、この森の中で何度も試練を重ねたの。そのせいもあって、ようやくだけど目覚めた。つまり過去世の生きざまを教訓として見つめられるようになったわけ。だから今回は、言ってみれば卒業奉公みたいなものになるのかしら」


「では、やはり過去世に自殺した?」

「ええ、したわ。それも侍女を巻き添えにしてね」

 引率の女性が影絵のようになった木々を振り返った。「もしかしたら私だって、亡霊の木になっていたかもしれない。それというのも、自殺してはならなという信仰をしていたにも関わらず、私は自害を選択したのだから」

「自殺を禁止する信仰? ならあなたはクリスチャンなのか」

「そうだ。彼女の名前は玉。別名をガラシャともいう」

 サイモンが言った。その返答に義樹が驚く。玉は、覇王明智光秀の娘で細川がラシャ。敬虔なクリスチャンであり、時代を象徴する絶世の美女でもあった。他の三人は、別段それが驚きに値しないのか、それともガラシャのことを知らないのか表情を変えなかった。ということは、ザビエルが来日する以前の時代に生きていたことになる。


「すでに過去は教訓として胸に刻み、今は生まれ変わるための準備をしている。だからその名前は捨てた。今後はタマミと呼んでくれれば嬉しいかな。もっとも虫になって私を識別することができればだけど」

 タマミは皆に言った。

「何のことはない、同じ穴の貉だったというわけか」

 武士が見下すように言った。「だったら貉が判明したサイモンとやら、せっかくなので、そなたのことも聞かせてもらおうか」

「聞きたいか」

 サイモンが声を低くした。

「別にあんたが誰であろうとも、どうでもいいことだ」

 山伏が言うと女性も同調した。「肝心なのは自分自身。たとえあなたが何者であろうと、気にはなりません」

「格好つけるな。私らのすべてを知っているのであろう。なら当然、私だって知る権利がある」

「知ってどうする。この世には知らないほうがいいこともある」

 武士と山伏の対立に、タマミが割って入った。

「いいわ、教えてあげる。心して聞きなさい。あなたたちの時代で確立された武士の政治は、その後数百年間続くの。けれど外国船が来日するようになって日本人は身を持って知ることになる。遅れをね。そのため必然的に革命が起こる。その革命の総大将がサイモンよ」


「まさかサイモンが、西郷隆盛?」

 義樹は絶句した。日本を近代化に導いた立役者なのである。

「と呼ばれたこともある」

 なぜかサイモンが、それを恥じるように言った。「しょせん自殺者にすぎないのだ」

 彼は江戸と明治の狭間に名を残した英雄だった。だが日本近代化の中心人物でありながら、最後には自殺をしてしまった。それも、一度ならずも二度までも。正義感の人一倍強い男であり、また下級武士でありながら存在感の強い男でもあった。そのため早くから尊皇攘夷運動に参加していた。

 そして安政の大獄のときに絶望し、僧侶とともに海にその身を投げ入れてしまう。しかし運命はサイモンを生かした。僧侶は没したが彼だけ生き残ったのである。そうして奄美大島に流罪となり、その後も徳之島、沖永良部島と場所を移し屈辱に耐えた。

 やがて多くの藩士による必死の嘆願で、やっと第一線に復帰した。復帰後薩摩藩士として、京に上ってからの活躍はすさまじく、たちまちのうちに江戸城を開城させてしまった。そして新政権をつくる。だが、果たしてそれでよかったのか? サイモンにはそうは思えなかったのかもしれない。

 新政府が出来上がったものの、あれほど奉った天皇など飾り物でしかなくなっていた。サイモンは士族に対する誇りを強く持っていたのだ。

 そのため廃藩置県で職を失った士族の郎党による不満を抑えるわけでもなく、自らも憤慨した。ついに祭られたあげく再度反乱を起こし、敗れて空しく二度目の自殺をする。二度目は誰も助けてはくれなかった。結果的にサイモンは地獄へ堕ちることになってしまったのだろう。


「で、今の時代は武士が消えて、この軟弱な男ばかりになってしまったのだな」

 武士が義樹に視線を流す。タマミが苦笑いをした。

「もしかしたら、あなたがいちばん時間がかかるかもしれないわね。だって軟弱の定義を知らないもの」

「どういう意味だ」

「知りたいの?」

「ぜひとも聞かせてもらいたい」

 横から山伏が言った。

「ふーん。あなたも興味あるんだ。てっきり知っていると思ったけど、いいわ話すことにする」

 不意にタマミが義樹の目を見た。「軟弱とは虚勢を張って生きる人間のことよ。つまり強い人がほんとうに強いとは限らないってこと」


 タマミが言おうとすることは現代人であれば皆理解できる、と義樹は思った。彼らの生きた時代は刀という武器を装着できたが、現代では禁止されている。その中で強さを発揮するには内面を鍛えるしかないのだ。要は武士から刀と肩書を取ってしまえば、虚勢しか残らない。

「そんなことはどうでもいいが、現代とは刀を差して歩けないのか」

「無理だ。所持しているだけで牢に入れられるだろう」

 武士の質問にサイモンが答えた。

「嫌な時代だ。それもそなたが起こした、革命とやらのせいなのだな」

「さあ、どうだろう。それよりも、そろそろ行こう。我らの到着を首を長くして待っている者がいる」

 サイモンが意味ありげに笑い、歩き出した。義樹も武士も、追うように続いた。

 果たして待っている者とは誰だ? そして義樹を好ましく思っていないこの三人は誰なのだ。

 それに、これからなろうとする虫の本質にも悩む。食欲と性欲、大別するとこの二つしかないからだ。そこに、今言った内面の強さがどう関わるのか。試練とは過酷なのかもしれない。だから逃亡者が出るのだ。義樹は気を引き締めた。


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