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 自身を成長させてくれた森に別れを告げると、フジモンを追って北へ向かった。ヨウゾウから伝えられた情報によると、かつて暮らしていた場所に帰りたいとフジモンが漏らしていたらしいのだ。

 前世の記憶が強いだけに奥州へ向かったと断定しても、そのような心細い情報だけで、たった一匹のかぶと虫を捜すのは至難を超えて不可能といえる。ただ、この世界の仕組みを深く考えてみると希望がなくはない。

 それはこの世界から出るとしたら――地獄の連絡通路を除いて、扉は義樹の住む地域しかないからだ。逃亡者が木と化してしまった自殺者の森を通り抜け、あの木霊のいた線路沿いに戻っていけば、おのずと現世と冥界のターニングポイントに辿り着けるはずだ。

       

 それと越冬しないと仮定しても、義樹の命はこの夏いっぱいある。人の一生にしてみればあきらかに短かいが、試練を運命づけられた虫の生涯であるなら決して短くはないと思う。たとえ百年生きようが人の一生などすぎてしまえば一瞬なのだから。だったら使命を果たそう。新しい森へ行けず、虫のまま人間に戻れなくても悔いはない。

       

 亡霊の森にフジモンがいないか目を凝らして飛び、じゃれる木霊に道案内をされて、ようやく慣れ親しんだプラットホームに辿り着いた。今後は吉なのか凶なのか、それを知りたく、紫陽花の花の下にいた座敷童を捜したがいなかった。

 ロータリーに出た。懐かしい街並みが見えてきた。以前、ほぼ毎日この駅を毎日利用していた。人間のときには緑に溢れた街だと思い、誇らしげに暮らしていた。けれども今見るとあきらかに荒廃しているのに気がついた。なぜなら虫の義樹に心を休ませる場所が少ないのだ。ユッグが憂いていた気持ちが今にして実感できる。

       

 ひたすら北へ向かい五分ぐらい飛んでいただろうか。川を超え、大学のグランド脇を通り越すと見覚えのある建物が見えてきた。我が家だ。義樹はバルコニーのミニ菜園に導かれるよう、七階のバルコニーへ降り立った。

 窓から室内を窺おうとしたが、カーテンが引かれていて何も見えなかった。いくぶん窓が開いており、そこから妻の懐かしい声が耳に入り込んでくる。

 虫の姿に少し気恥しい気もしたが、ひとめ妻の顔を見て網膜の裏に焼きつけたい、その思いを抑えきれず入り込むことにした。

       

 手すりからサッシに飛び移り身を捩ってリビングへもぐり込んだ。

 瞬間、凍りつくような衝撃が走る。

 妻が朝村に抱かれていたのだ。やはり不倫だったのか。心が深い絶望に覆われる。

 頭を振って、すぐに目を背けた。それでも目の当たりにした衝撃が強すぎて、何も処理できず逃げるようにして部屋を出た。

 出る際、リビングの虫かごに見覚えのあるかぶと虫が見え、そのかぶと虫も義樹を認識したのだろう。しきりにばたばた羽を震わせ、驚きの表情を見せた。

       

 もしやフジモン? そうだとしたら胡瓜もあるし、休息に立ちよってぐったりしていた所を保護されたのかもしれない。

「戻れ、戻ってこい義経!」

 フジモンが、そんなふうに叫んでいるような気もしたが、妻の行為に対するショックが強すぎて、耳に入り込んでも頭に残らなかった。困惑してUターンすることもせず、やるせない思いのまま飛び近くの公園の木にとまった。樹液のほとんどない樹の幹にしがみつき、しばらくぼんやり考えていた。

       

 森の中で悟ったはずなのに、人間社会の中ではすっかり腑抜けの虫になりさがっていた。すぐ隣で、もそもそと動くかなぶんに話しかけるが答えは返ってこない。

 無性に寂しさが募ってきた。マンションの谷間に日が沈み、妻の喘ぎのような夕焼けが空いっぱいに広がっていた。


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