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「ようこそ導かれし者と、目覚めし者!」

 ユッグの横に、この森までナビゲートしてくれたタマミがいた。いつかまた会うのではと思っていたが、かぶと虫に姿を変えて賛辞とも取れる声を投げかけてきた。

 不思議だ。虫になっているのに彼女の本質が映像となって浮かんでくる。そればかりか反発ばかりしていたというのに、妙に懐かしい。

「ヨウゾウが目覚めたのは理解できても、私は複雑だ。導かれた意味すらわかっていない」

「僕だってわからないよ。まだ実感がわかないんだ」

 義樹が心情を吐き出すとヨウゾウも吐露する。

        

「そのうち理解できるはずよ。試練は人間になっても永遠に続くのだからさ」

 人間界もそうだが、特に地獄は延々と続く苦しみの世界。自らが犯した罪を様々な角度から体験させられるようだ。虫の体験もその一つ。一見短い試練に思えるが、それでも一生は一生。時間の感覚は人生と同じで、二、三ヶ月の命でも七十年分の生が凝縮されていると、タマミは言う。

 蟷螂と蜘蛛の場合はそれが顕著に顕れるらしい。

      

 一匹の大きな雌と交尾するには何匹もの雄と闘い、勝利を得なければ近づけない。仮に勝ち抜いて近づくことができたとしても、雌がお腹を空かせていれば簡単に喰われてしまう。このように虫の転生は、罪を犯した人間にとってよき修業の場なのだ。生命の尊さを体験していく貴重な場なのである。

 そして痴情に絡んだ殺人を犯すと、さらに哀れだとタマミが言った。

 地獄より転生を許されると、一度は必ずチビナガヒラタムシという虫になるらしい。ヨウゾウもタマミも何度かその虫になったと二人が告白した。

 その虫が日本に流れ着いたとき雄はいなかった。それなのにフェロモンを出し続け必死に雄を待ち続けていた。雄がこの地にいるはずもないのに、ひたすら登場してくるのを待ちわびていたのだ。羽を震わせる力はあっても飛ぶことは叶わず、五日後に満たされぬまま不幸な一生の幕を閉じる。

       

 幼虫たちは結婚に夢破れた姉たちを見て決心する。雄に恋い焦がれるのをあきらめよう。それを望めば現れるはずもない男を求めて空しいだけ。その結果、成虫になることも雄を求めることもすべて拒否をした。けれども生きることを拒否したわけではない。少女のままで、処女のままで、雄を求めずに子供を生み死んでいこうとそう決意したのだ。

 哀しい話だが、罪を犯した人間たちは虫の生き方によって学ばなくてはいけないということがある。

       

「義樹よ。選ばれた人間といっても別に聖人とは限らんし、そんなに自分を卑下することはない。昔、神がノアを選んだようにわしはおぬしを選んだ。理由は唯一つ、ノア同様心が純粋だったからだ」

「私が純粋?」

 はにかむようにして照れた。強欲だとは思ってはいないが、純粋だなどと言われたこともない。その証拠に天地創造の話は人によって作られた物語。つまりフィクションだと思っている。

       

 四億年ぐらい前、地上は植物だけの世界だった。しかし母なる海にはそれとは違う新たな生命が誕生していた。その生命は地上に足を踏みだし、植物の恩恵を受けてさまざまに進化する。それが人間へと続く始まりだ。

 決して聖書や神話に書かれているように、最初から人間であったわけではないと思う。ノアの箱舟の話も然りだ。義樹に限らず誰でもそう思っているではないだろうか。けれど絶対に違うとは言いきれないのも事実だ。なぜなら歴史的大洪水の記録も、文明の記録も実証されているからだ。

 それに唯一時代の証人であるユッグが、ノアの名をだすならほんとうなのかもしれない。

       

 紀元前、人々の心が乱れきっていた頃。神はひどく嘆いていた。人の心がどんどん堕ちていき、このままでは人間は生きたまま地獄を創造してしまうと感じたからだろう。

 そこで無学ではあるが、心の純粋なノアだけに大洪水が来ることを伝える。ノアは疑うこともなくすぐに信じた。そして人々に神の啓示を伝えた。一人でも多くの人間に生き残ってもらいたいと思ったためだ。しかし皆は、ノアの話を馬鹿にして相手にしようとしない。

 酒を飲み、女を抱き小銭を集めることに奔走する。ノアは困ってしまった。けれども必死に説得を試みる。しまいには狂人扱いされて石を投げつけられるしまつだ。それでノアは人々の説得をあきらめ、やがて話を信じた息子たちと箱舟を造りはじめる。

       

 すると各地から、人間ではなく動物やら鳥、昆虫たちが続々と集まってきた。なんと箱舟に乗せてほしいという。ノアはきょとんとしたあとに、今まで感じたことのない感動を覚える。この込み上げる気持ちが神の意志であり私の使命かもしれないと。

 肉食動物と草食動物が肩を寄せ合い、この地球の行く末を見守っている。獅子も麒麟も豹も鹿も。彼らも彼らなりに大自然の危機を感じていたのだ。何としても生き抜き、この地球上に種族の血を残す。そんな気概に満ちていた。

 ついにその日がやってくる。地上は大洪水に飲み込まれ、人が街が、文明が、すべて水の中に消え水の底に沈む。生き残ったものはノアの家族と動物たちだけ。もちろん鳥も昆虫もいた。

 ノアは神の話を純粋に信じ、わずかであるが尊い生命を救った。ということは、彼と同じようにこの森の虫たちを義樹が救うのか。

 そんな義樹の心を読み透かすように、ユッグが言った。


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