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敵意に満ちた凄まじい羽音が迫り、到達した。それはさながら戦争映画の東京大空襲と同じで、空が敵機ならぬ蜂で埋めつくされた。羽音は機体から掃射される銃弾の嵐のようだった。数百匹の蜂が見境なく獲物を殺戮しようとぶんぶん飛び回っている。
「捜せ、侵入者を見つけたら刺し殺してもかまわん!」
聞き覚えのある大将スズメ蜂の声が轟く。表情は前回とは違い、打って変わり幽鬼と化している。
意を受けて、数十匹の蜂が殺気立ってこちらへ迫ってきた。
葉の裏、草の陰を総出で隈なく捜しまくっている。もはや見つかるのは時間の問題だろう。だが、義樹一人が殺されるのならともかく、無理を承知で案内してくれたヨウゾウまで死なせるわけにはいかない。嫌がるのを強引に頼み込んだのだ。そう思い起こすだけで、友情にも似た憐憫がわずかな痛みを伴って駆け抜ける。
義樹は怯えて震えるヨウゾウを、足でさらに草の奥へ押しのけ、憤然と立ち上がった。義樹が死ぬことでヨウゾウが助かるなら悔いはない。
「いましたぞ、かぶと虫です」
義樹はたちまち数十匹の蜂に取り囲まれた。幽鬼と化した大将も素早く駆けつける。
「また貴様か。今度は容赦せぬぞ」と、有無を言わせずに転回し毒針を向けてきた。
禁断の地か何か知らないが、あまりに理不尽すぎる。こうなれば、せめて角で大将蜂に致命傷を与え、一瞬でも動揺させねば気がすまない。
「望むところだ。かかってくるがよい」
「ほう。お漏らし野郎が、とうとう肝を据えたか。なら殺しがいがある。殺せ、八つ裂きにしろ」
命を受けた軍団がいっせいに突進してくる。義樹は正面から突っ込んできた数匹の攻撃を、俊敏に身をよじって躱し、足で右側の蜂を払うと、左側から襲いかかってきた十数匹の蜂を頑丈な角で弾き飛ばした。
「うぬ、小癪な奴め」
大将蜂が目を赤くしていきり立つ。
「おやめなさい。我らの客人に何ごとですか」
じりじり四方から囲まれ泉の淵へ追い込まれたとき、殺伐とした空気を澄みきった声が切り裂いた。
声の主は妖精だった。金色の光をまき散らしながら宙に飛翔し、透明の羽をはばたかせている。
「こ奴が客人ですと。戯言を。そのような連絡は受けておりませぬ――」
大将スズメ蜂は形相を凄ませたままが攻撃の手を緩める。
「そなた達の女王には伝えてあります。ここは異常ありませんので、早々に引き払いください」
「女王に? 間違いござらぬか」
「間違いありません」
「そうであるならば引き上げますが、この客人はいったい何者でしょう。胡散臭すぎますぞ」
「この者は導かれし者。ユッグが人間界より呼び寄せました」
その返答に大将蜂が目をくり剥き、軍団がどよめいた。
「導かれし者! 莫迦な、この者がでござるか。信じがたきことだ」
大将蜂が義樹を横目で一瞥する。その視線は驚きより軽蔑に近かった。
しかしそれも当然だろう。大将蜂との初対面は失禁であるし、人間だったときも普通の、ごく普通のサラリーマンでしかなかったのだ。軍隊蟻一匹にたじろぐ義樹が伝説の導かれし者であろうはずがない。
「否定するのであれば、そなたは古の言い伝えを女王から聞かされているのですね。この森が消滅するとき、天より一人の人間が導かれ、虫に姿を変えて混乱を治めるという伝説を。では心して聞きなさい。世界樹であるユッグの寿命は二千年ですが、すでに、はや二千年をすぎています。言っている意味が分かるでしょうか。ユッグの寿命が尽きれば、保たれていた地獄との調和が崩壊してしまうのです」