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6

ここまで正体が明らかにされた登場人物

・サイモン   西郷隆盛

・タマミ    細川ガラシャ

・ヨウゾウ   太宰治

       6

 

 そうだとすれば、送られてきた匿名のメールの意味もなるほど肯ける。きっと朝村という男の仕業だろう。彼は義樹が邪魔なのだ。立場をわきまえず、いまだ妻に対して野心を抱いている。義樹がメールをチェックするのを見越して画策したに違いない。何て卑劣な奴らなのだ。そうまでして妻をわがものにしたいのか。

 義樹の思考が妻に傾斜していると、弱々しい声でヨウゾウが呟いた。

「入水自殺を思い出すたびにしょげていたら、森をさまよい、この森の聖地である場所へ辿り着いたんだ」

「聖地?」

「ああ、そこで初めて僕は悟ったんだ。生きる意味をね」

 ヨウゾウは聖地へ行ってから変わっていったという。だからこの先、何度も虫に転生したとしても生きていけると断言した。凄いことだ。それもこれもすべて聖地という存在のおかげだろう。義樹は駆り立てられた。


「ヨウゾウ。私をその聖地へ連れていってくれないか」

「大丈夫かな」

 ヨウゾウが急に不安を覗かせる。なぜか態度を変える。義樹はヨウゾウを訝しんだ。

「どうして嫌がる。聖地なのだから清い所ではないのか」

「うん、清いよ。だけどそこへ行くまでが大変なんだ」

 ヨウゾウが思い起こしたかに身をすくませる。それは暗に行きたくないと言っているのと同じだった。


「ならいい、一人で行くよ。その代わり、大まかな場所だけ教えてくれないか」

「君が一人で行くの?」

 ヨウゾウが何やら考え込んでいる。場所を教えるのでさえ嫌なのか。

「方角だけでもかまわない」

 義樹はぶっきらぼうに言った。するとヨウゾウが一緒に行くよと、重かった腰を上げた。虫なので、正確にいうなら体の向きを変えたにすぎないが、ありありと心情の変化が伝わってくる。ただし「くれぐれも逆らわずに、僕の言うことを守ってほしい」と付け足すことを忘れなかった。


 それだけ、そこには何かがあるのだろう。その実体がつかめなかったが、義樹は複雑な気持ちのままヨウゾウのあとに従い飛んでいく。聖地へと、誘われるままに速度を上げる。

 クヌギばかりでなく、くすの木やら桜、種々雑多な木々の間を縫うようにして飛び続け、泉のほとりまでくるとヨウゾウが急に速度を落とした。草むらに着地した。義樹も続いて着地すると、草の葉を駆け上って泉に目を向けた。

 ほとりには数本の光を放つ大木が建ち並び、風もないのにさざ波が立っていた。また深緑の水面の上を蝶にも似た妖精たちが、ひときわ巨大な大木を守るように飛び交っている。誰が見ても神秘的と思える泉だった。


「どうした。泉へ行くのではないのか」

 目の前の光景に圧倒されながらも、ヨウゾウの行為を問い質した。

「正直に言うと、この先へ入ったことがない。ここで声を聞いたんだ」

 ふうん。義樹はヨウゾウの顔を見つめ、その視線の先を手繰った。ヨウゾウは懸命に一本の巨木へ想念を送っている。そればかりか、虫の仕草では難しい正座を器用に足を折りたたんでし、まるで使徒のように祈りを捧げている。

 いつのまにか義樹までもが、同じように足をたたみ見とれていた。金色の光を放つ大木に神の啓示を感じた気がしたのだ。心が洗われる思いだった。義樹は直感した。あの巨木こそ、この森の存在そのものだろうと。

 同時に、巨木は義樹が朝方見た夢の木であった。夢の中で義樹はあの巨木になって、この地球を見守り続けてきた。決して諍いを起こさず、たがいの生命を尊重し合ってきた。きっと巨木は誰の心にもある源なのだろう。ヨウゾウのように失っても、望めば取り戻すことは可能だ。真実に触れて、それを笑い飛ばすものなどいない。


「でも以前と比べて木たちの光が弱まっているのを感じる。虫たちの間では消滅が近いと噂されているんだ。たぶん人間たちのせいだろう」

「人間たち?」

「そう。彼らがこの地球上でいたずらに森林を伐採し、自然を破壊しているため存在たちの力を弱めさせている。だって植物にしてみれば、その身を傷つけられているのと同じことなんだから。それに森がなくなると、そこに住む鳥や動物たちが里へ下りてくるだろ。でも人間たちはそれを歓迎しない。敵とみなして殺戮するんだ。悲惨だね」


 義樹はヨウゾウの言葉に頷いた。その通りだ。人間たちは自らの欲望のため、土をアスファルトに変え、また川を埋め、そして森を丸裸にしてビルを建てる。しだいに海も川も汚染されて、最終的には空も失ってしまうだろう。人間はエゴのため、何億年も一緒に過ごしてきた仲間たちを見捨てたのだ。地球が誕生して四十五億年、ほんとうはこんな人間の登場など望んではいなかったはずだ。だけど地球よりも先に、この閉ざされた森が悲鳴を上げていた。消滅が近いという。どういうことなのだ。それも母なる地球の意志であるとでもいうのか。


 思いを馳せ、ふと横を見ると、それまで正座していたヨウゾウが急に辺りを気にしだした。そして耳を澄ますと歯噛みした。

「くそ、やっぱ羽音が聞こえてきた。今度こそ、有無を言わせずに襲い掛かってくる」

「誰がだ」

 義樹はヨウゾウに訊いた。ヨウゾウは喚くように答える。

「スズメバチ軍団と、かぶと虫の猛者たちだ。問答無用にかかってくる」

「なぜだ、なぜ襲ってくるのだ。ここは殺戮のない聖地ではないのか」

「聖地さ、泉の先はね。でもここは禁断の地でもあるんだ。ユーグの許可がなければ、誰であっても侵入を許されない」

「なるほど。それで君は躊躇っていたのか」

「そうさ。一度目はぼこぼこにされただけで済んだ。けど二度目は容赦しないと言われたんだ」

「心配するな。君は私が守って見せる」

「嬉しいけど、どうやってさ。君がお漏らしした相手だぞ」

「大丈夫だ。まずは身を隠そう」


 義樹にこれといった秘策があるわけではなかった。ただ、渋るヨウゾウを連れてきた以上、安心させなくてはならなかった。それに多勢に無勢といっても、必ずどこかに勝機があるはずだ。だいたい何も得ていないうちからむざむざ殺されるわけにはいかない。

 決意すると義樹は、ヨウゾウを草の下へ押し込み隙間から様子を窺った。



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