6.草原の襲撃者
アザニカ村からメドウ谷への定期馬車は1日に何便も出ているが、利用者のほとんどが学生なので、朝と夕方以外に混みあう以外はすいている。それを狙って昼過ぎに出かけようと思ったアランは、村の西側から馬車に乗ったところ、東側の学院前で思わぬ顔ぶれに出会った。
「あれ、アラン?」
「おう、こんなところでどうした?」
休日のこの時間はまだ家で爆睡しているはずのフウリが、なぜかアザニカ村にいた。しかも後ろには彼女の弟と幼なじみ、そして見たことのない少年が一緒なので、ますますわからない。しかし向こうから見てもお互いさまで、フウリが学院前にいるのもおかしければ、アランがメドウ谷行きの馬車に乗っているのも珍しいことだった。
「俺は病気の叔母の見舞いだ。メドウ谷はエアプルームを止めておく場所が狭いから、あっちに行くときはよく馬車を使っているんだ。」
「ぼくは学院見学に来たんだよ。案内だけどね。」
「案内?」
フウリがエアプルームを馬車の天井に積み上げながら話していると、御者に出発を告げられて、4人はあわてて乗り込んできた。そして動き出してから、フウリがとなりに座る少年を目で示した。
「彼をさ、いろいろあって助けたんだ。ほら、昨日の帰り道、アランと別れた後。」
「あぁ、あの時か。なんだ、草原で行き倒れていたのか?」
「おいおい。それじゃオレは、まるで迷子の子供じゃないか。」
「おんなじじゃん。」
「うっせーよ。」
ぶつぶつと言い合っている2人に、アランはむっとした。せっかく思いがけないところで一緒になったから顔には出さずに喜んでいたのに、昨日会ったばかりとかいう男の遠慮のない態度が気に入らない。
「それで、彼、じつはね……」
「おい、いちいち面倒くさいことになるから、家に帰ってからにしろよ。」
「えー?心配しなくても、アランはぼくの仕事仲間だし、いいヤツだから大丈夫だって。ねぇ?」
いつもながら唐突でマイペースなフウリに話を振られても、アランはどうにも答えようがない。
「……話がさっぱりわからねぇぞ。」
「あ、ごめんごめん。とりあえず彼はソラト。こっちはアランだよ。」
「よろしく、アラン。」
「……おう。」
ワケのわからないやり取りの後、結局名前だけを紹介されて、アランは差し出された手をむすっとしたまま無造作に握った。
――なんか気に食わねぇ。
悪意なく明るく笑う少年は、奇妙なマントを羽織っているがメドウ谷で一般的な軽い服装で、アランの茶髪よりも明るい夕日のような朱色の髪をしている。どこがおかしいわけでもないのに、どこか不思議な違和感があるのは、単にフウリのとなりに座っているからというだけではないと思うのだが。
――いったいどこのどいつで、あいつとどういう関係なのか、それが1番の問題だな。
「ア、アラン、なんか怖い顔していないか?」
「俺はもともとこういう顔だ。」
初対面にして恐ろしくにらみつけているアランに、ソラトは引きつった顔で笑いかけてみたが、返ってきたのはぶっきらぼうな一言だけだった。なぜかピリピリした空気を察知して、ただでさえ口数の少ないリッカとローシェは、完全に沈黙を守っている。そして当事者であるフウリだけが、まったく気にすることなくのんきにしゃべり続けていた。
「せっかくだから、アランも叔母さんのお見舞いが終わったらウチにおいでよ。ローシェともさっき学院でたまたま会ってさ、途中でちょっと問題が起こったっていうのかな……へへ、じつはぼくもよくわかっていないんだけど、ソラトが話してくれるっていうから……うわっ!?」
不意に馬車が大きく左右に揺れて止まった。メドウ大草原を行く道はでこぼこも坂道もなく、時々車輪が小石に当たって跳ねるくらいの揺れしかないはずだったから、予期していなかったアラン達は体に力が入った。
「いったたた……な、何なんだよ。」
ひとり口を開けていて舌を噛んでしまったフウリは、口を押さえながら戸を開けて外をのぞこうとした。もしや脱輪でもしたのかと思ったのだが、そこに見えたのはそんなかわいい事件などではなかった。
「さがれ!」
フウリが息を呑んだのと、狼が飛びかかってきたのと、アランがフウリの腕を引っ張って戸を閉めたのと、すべてがほとんど同時だった。そのまま狼が戸に体当たりして、再び馬車がぐわんと揺れる。
「キャーッ!」
「ひいぃーッ!」
頭を抱えておびえるローシェと、もう1人外からも悲鳴があがった。アランが窓のカーテンを開けると、真っ赤な眼で牙をむいている狼の群れと、それに囲まれて縮み上がっている御者の姿が確認できた。
「な、なんでこんなに狼が……?」
リッカは震えながらも、向かいのローシェを横目で見て、ぐっとかばんのひもを握りしめた。
このあたりの狼は夜行性であるはずなのに、こんな昼間に群れで現れて馬車を襲うなど聞いたことがない。しかも毛を逆立て、よだれをまき散らしながらうなる様子は、食糧である羊に対する以上の殺意に満ちている。
「こいつは……魔獣だ。」
ソラトが鋭くつぶやいた。噂には聞いていても実際には初めて見る島の住民たちは、揺れの衝撃に対して力を入れていた体をさらにこわばらせた。
「ど、どうしたらいいの?魔獣はとても狂暴で、どんな生き物も襲うって……。」
すでに涙目のローシェはなまじ知識があるだけに、魔獣の恐ろしさも逃げられない包囲状態であることも理解していて、パニック寸前だった。何度目かの体当たりで馬車がきしみ、天井にはい上がったらしい御者の悲鳴が上から降ってきて、さらに緊張感で空気が張りつめる。
すると、やおらアランが立ち上がった。
「しょうがねぇ、俺がいってやる。」
このままじっとしていても、馬車が長くは持たない。いつも修行に使っている槍は置いてきたが、こんな時に役に立たなければ師匠に怒られる。せめて追い払うくらいはしてやろうと意を決したとき、ソラトも立った。
「武器もないのに1人で相手をするのは危険だ。魔獣の力は野生のよりもずっと強いんだぞ。」
「だからって、このままじゃ……」
「オレも行く。魔獣とは何度も戦っているからな。」
ソラトはマントの中に手を伸ばして、背中に隠していた黒い鞘を取り出した。使い込まれた細かい傷と、赤黒い染みがいくつもある。武術をしているアランは、それを見ただけでこの少年の目に力を感じ、気に入らないがここは加勢を認めることにした。
「待って、ぼくだって戦える!護身銃はいつも持っているから。」
「ダ、ダメよ、フウちゃん!食べられてしまうわ!」
「そうだぜ。お前まで出てくることはねぇ。」
「ぼくにはエアプルームがあるから大丈夫だよ。それに空から援護した方がよくない?」
勝気なフウリは、ローシェやアランが止めても笑って聞かない。反対側からもうなり声と体当たりが激しくなり、暴れていた馬がいつの間にか静かになっていた。
――まぁ、いざとなったらあいつは俺が守ればいいか。
「リッカ、あんたはここでローシェを守るんだぞ。」
「うん、わかった。」
「き、気をつけて……!」
「よし、いくぞ!」
全員の目を確かめて、ソラトが最初に飛び出した。勢いよく開けた戸に狼の1匹がはじき飛ばされ、まわりがひるんだ隙にフウリが戸をつかみ体をひねって天井に跳び上がった。集まっていた10匹以上の狼たちは、いきなり出てきた迎撃者であり獲物でもある人間どもを見て騒然となった。
「今のうちに降りてこい!」
武術は人を守るためにある。そう教えられたアランは、武器がないこともあり、馬車の守りに専念することにした。天井で震えている御者を、上からフウリが手伝って降ろして中に引き入れる。最初にやられた引っかき傷だけのようなので、とりあえずはリッカとローシェに任せておいた。
「いっくよー!」
フウリがエアプルームを起動させて飛び立った。アランは馬車から離れないように、まわりに近寄ってくる狼に石を投げたり上着を脱いでいなしたりする。その間にソラトは黒い片刃の剣を抜き放ち、群れの中に突っ込んでいった。
――なかなかやるな。
全体を警戒して常に動きまわりながらも、アランは気になるソラトの動きを横目で観察した。
1匹を斬り捨てたときには次の1匹へと視線を向け、すばやく流れるような動作で剣を操って魔獣を倒していく。大陸で主に使われているのは槍か両刃の剣なので、初めて見る片刃の剣がどんな流派なのかは知らないが、踏み出す足のタイミングや腰の入れ方に無駄がなく、かなり戦い慣れていることはわかった。
「アラン、こっちはぼくに任せて!」
上空を旋回しながら発砲するフウリの銃の腕前はそれほどではなかったが、威嚇と注意を引くには充分で、下降して迫ってきてはぐうんと上昇する獲物を狙って、左側にいた狼たちは少しずつ馬車から離れていった。
あっちは大丈夫だろうと向き直ったアランは、ソラトの背後に回り込んでいた1匹に気づいてとっさに叫んだ。
「後ろだ!」
「くっ……!」
叫ぶと同時に跳びかかった魔獣の牙がソラトに喰らいつく瞬間、アランの眼前に真っ白な布が広がった。
……いや、よく見ると布は紺色の裏地だった。
マントの下から現れたそれは、純白の大きな翼だった。
「なっ……!?」
ソラトは寸前で牙をよけて、大空に飛び立っていた。見開いた目を疑い、言葉を失うアランの頭上に、太陽の光を背に輝く白い羽が数枚、ひらひらと落ちてきた。
「いっきにカタをつけるぞ!」
「あ……お、おう!」
上空から言われて我に返ったアランは、すぐそばまで迫っていた爪を避けて、壊された馬車の引き棒で叩きつけた。普通の狼ならば気絶するほどの強打でも、魔獣はそう簡単には引き下がらない。急降下してきたソラトが背中に刃を突き刺し、続いて3匹を一瞬で斬り伏せた。
「ふぅ……これで全部だな。」
あたりに累々と倒れて動かない魔獣を見まわして、ソラトがふわりと地面に降りてきた。静かになった草原には乾いた風と血の匂いが立ちこめ、アランは肩で息をする自分の呼吸音がやけに大きく聞こえた。
「さっきはありがとう、アラン。助かったよ。」
刃を鞘に収めて、ソラトが笑った。今は折りたたまれた翼のはしが、マントからはみ出ている。
「お前……いったい何なんだ?」
「後で話そうと思ったんだけどな。オレは……」
「おーい!こっちも全部やっつけたよ!」
ちょうどそこへフウリのエアプルームも降りてきて、足元に落ちていた羽が突風に舞い上がった。初めての実戦での緊張をふり返る間もないアランに、ソラトは頭をかいて自嘲した。
ジャンルを「冒険」としながら、未だ旅に出られない人々。次回でようやく旅立てる……かもしれません。