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4.そらから見たソラ

 メドウ谷の朝は早い。

 男たちは朝露が乾く前に羊を草原に放し、女たちは彼らが帰ってくるまでに朝食の用意をする。朝日がまぶしい時間になると、どこの家からもおいしい匂いが流れてきて、子供たちも眠たげな顔で起きてくるのだった。


 昨日、あれからいつの間にか再び眠っていたソラトは、2度目に目を開けたときも、やはり見慣れない木目の天井に違和感を覚えた。顔までかぶったこの布団も、こんなに白くてふかふかなものは初めて見る。無機質な灰色の小部屋で、破れたシーツにくるまって寝ることが、物心つく前から当たり前だったというのに。


――ここは、どんな世界なんだろう。


 カーテンを開けるとまぶしい光が差し込んできて、思わず目を細めた。遠くから鳥の鳴き声が時おり聞こえてきて、段々になった谷のあちこちを行きかう人の姿が見える。

 しかし何よりも、ここには太陽の光が生きている。それだけでソラトは心が躍った。

 

「あ、おはようございます、ソラトさん。」

「おはよう。ソラトでいいよ。」


 部屋を出たところで、かばんに本を詰めながら廊下を行くリッカに会った。まだ天使だと思っているのか、姉より年上らしいからなのか、リッカは礼儀正しく挨拶をした。ソラトは普通にしてほしいと思ったが、昨日も物怖じしない姉の後ろでじっと見ていただけのこの柔らかい物腰の少年は、普段からこんな感じなのかもしれない。


「あれ、フウリは?」

「寝ていますよ、まだ。」


 至極当然のように言われて、ソラトはそういうものなのかと反射的に納得しかけたが、リッカがあわてて付け加えた。


「あ、姉ちゃんが朝弱いのはメドウ谷でも有名なんです。今日は仕事が休みだし、放っておいたら、たぶんこの家が爆発しても起きこないと思います。」

「うーん……昨日、いろいろ案内してくれるって言っていたんだけど。」

「それなら力ずくで起こした方がいいですよ。僕はもう学校に行かなきゃいけないけど、がんばってください。」

「……ガッコウ?」


 大きなかばんを抱えて足早に出かけていくリッカを見送りながら、ソラトは首をひねってつぶやいた。

 とりあえず、このまま待っていてもラチがあかないようなので、フウリを起こしにいくことにした。台所にいたアラベラにそのことを言うと、喜んで部屋の場所まで教えてくれた。


「おーい、フウリ!」


 言われたとおりに2階の1番奥に行き、試しに扉をノックして叫んでみたが、中からは物音ひとつしない。さらにもう少し強くドンドンと叩いても、まったく反応が返ってくる気配がなかった。


――仕方ない。さすがに家は壊さない程度にしておくか。


 1歩後ろに下がり、ソラトは扉に左手を突きつけた。次の瞬間、まるで巨大な風船が破裂したような音が響いて、同時に部屋の扉と窓ガラスが木っ端微塵に吹っ飛んだ。


「あーぁ、窓までやっちまったよ。」


 バラバラに破壊された木片とガラスの破片の向こうには、目に痛いほどの青空が広がっている。しかしその中でも、フウリの寝息はまったく規則正しく続いていた。さすがにピクッときたソラトはずかずかと入っていって、気持ちよさそうな寝顔をこづいてやった。


「んあ?」


 ようやく薄目を開けたフウリは、またすぐに布団に潜り直そうとしたが、数秒間の沈黙をおいてからハッと起きた。


「おぅ、おはよう。」

「お、おはようじゃないだろ!なんでキミがここにいるの!?」

「普通に起こしても起きないからだよ。」

「だからって、勝手に入ってくるな!」


 まだ寝起きの顔なのにものすごい剣幕で怒鳴り散らし、ソラトは何も言うヒマなく追い出された。そのときフウリは閉めるべき扉がないことにも気付かないほど怒ってあわてていたので、ソラトはおとなしく廊下に出てから、また左手をちょっと動かした。


「……お、やっと起きたな。」


 しばらくそのまま廊下で待っていると、急いで着替えたフウリが出てきた。彼女がなんの疑問もなく開けた扉はキズひとつなく、窓もきちんと閉まっている。ソラトはちらっと確認しながら、誰にともなく肩をすくめた。


「いきなり部屋にいるから、びっくりしたじゃないか。鍵をかけていたはずなのになぁ。」

「昨日はかけ忘れたんだろ。」

「んー、そうなのかな。」


 言われてみれば今も鍵を外すことなく戸を開けたと思い、フウリは納得した。ついでに、昨日出会ったばかりの男が寝ているところに入ってきたことまで流してしまい、ソラトは何食わぬ顔で下に降りていった。


 アラベラが用意してくれていた朝食を、朝の仕事から帰ってきたダミアンも加わって一緒に食べた。パンとサラダとソーセージの簡単なものだったが、ソラトは顔には出さずに目を見張った。


――温かい食べ物なんて何年ぶりかな。


 やはり、ここは別の世界に違いない。言葉や文化が同じなのは幸いだが、向こうでは当たり前と思っていたのにここにはないもの――例えば有翼人ゆうよくじんは存在そのもの――もあるらしいので、ソラトはしばらく黙って様子を見てみようと考えていた。


「これ、よかったらお父さんの若いころのだけど着てちょうだい。」


 急に声をかけられて顔を上げたら、アラベラが白いシャツと草色のベストを差し出していた。リッカと同じく、まだ気を使っている感じはあるが、元来が世話好きな母親暦27年は、汚れたボロボロのシャツをさすがに見かねたらしい。


「……ありがとうございます。」


 ソラトは少し恥ずかしそうに笑いながら受け取った。ありふれた服も気持ちもうれしかった。


「今日は島中どこでも案内してあげるけど、何か見たいものとかある?」


 さっそくその場でもらった服に着替えて、トーストを3枚も食べてようやく満足したフウリとともに裏口から庭に出たソラトは、すぐにひとつの場所を即答した。


「ガッコウ。そこを見てみたい。」

「学校って、アザニカ学院のこと?また変わったところをご指名だね。」

「行ったらいけないところなのか?」

「誰でも見学できるよ。ぼくも1年前まであそこにいたし。でも、見てもおもしろいものなのかなぁ。」


 すると、去年までフウリ達が住んでいた家か地域のことなのか。あるいはそこにある、ただの軍事施設か何かなのだろうか。フウリに予想外の答えだと言われて、ソラトは少し不安になった。



 地上から見上げた空は青いが、そこに昇ると雲ではなく空全体が薄く光っているような白に見える。

 初めて空を飛んだ者は誰もがそのことに驚くが、翼のあるソラトはもちろん初めて飛行したわけではない。しかし目がくらむほどの大きな太陽を見たのは初めてで、黒ではない雲があることも知らなかった。

 ソラトは家の外に出るなり、いっきに大空のはるか高いところまで飛び上がって、冷たく透きとおった空気を体全体に吸い込んだ。


「すっ……げぇーーッ!!」


 広大な草原のその向こうに見える海まで、ソラトは腹の底から大声で叫んだ。昔、彼が生まれるずっと前にはこんな風景があったと、いつか話では聞いたことがあったが、実際に目にして感じるものとはまるで比べ物にもならない。

 ようやくエアプルームで追いついたフウリが、同じように眼下を見まわしてあきれた。


「確かに空は気持ちいいけど、そんなに感動するような光景かな?」

「あぁ、最高だ。」

「ソラトの世界って、もしかして山も海もないようなすっごい大都会とか?」


 どうやら自然を知らない都会者のようにはしゃいでいると思われたらしく、ソラトは目を逸らして自嘲した。


「また今度、話してやるよ。」

――オレのいた世界のことも、オレ自身のことも。いつか。


 今すぐに言わなかったのは、別に隠そうとしたわけではなく、この明るく青い空では場違いだと思ったからだった。こんなに爽やかな朝に、暗い話をするのはもったいない。しかし、後ろめたい躊躇(ためら)いのようなものがあったのも確かだった。


「ところでフウリのそれ、エアプルームだろ?」

「あれ?よく知っているね。」

「オレの世界にもあるんだ。操縦がむずかしいからみんな乗れるわけじゃないけど、お前、うまいじゃないか。」


 異世界でも同じものがあるのには驚いたが、意外と似ている近い世界なのかもしれない。お互いの白い翼に、2人は親近感を覚えた。


「それじゃ、ついてきて!」


 メドウ谷の上空を大きく旋回してから、フウリは北西に飛んだ。エンジンを使うことなく、翼を調整して捉えた上昇気流だけで飛翔するのは、地上から見て想像するよりずっとむずかしい。鳥と同じ翼ではばたきながら、ソラトはその腕前とセンスに感心した。


――あぁ、空ってこんなに広かったのか。


 まるで天空に広げた青と白を織り交ぜた大きな布の中を泳いでいるかのようで、その下の緑の大地には点々と白い羊が散らばっていた。分厚い黒雲に覆われ、乾いた灰色の大地をそのまま映しだしていたあの空にはけっしてなかったものが、ここにはある。

 色が、空いっぱいに溢れていた。



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