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43.生命の樹

 どこまでもどこまでも続く厚く深い黒雲の中を、4つの翼はまっすぐに上を目指して飛んだ。稲妻が暗闇を切り裂き、渦巻く風が世界を飲み込まんと荒れ狂う。それでもフウリ達は、前だけを見て翼をはためかせた。


――絶対に行くんだ。みんなで一緒に……!


 ほとんど目も開けていられないほど激しい荒れだったが、フウリは翼の感覚と風の手ごたえを頼りに進んでいった。常にまわりの様子に気を配り、他の翼が少しでも遅れたらすぐに横に並んで見失わないようにした。


「ソラト、大丈夫か!?」


 特にソラトが何度も態勢を崩し、その度にフウリの励ます声で、大きくはばたいて体を起こした。顔はよく見えないが、少しでも気を抜くと気流に弾き飛ばされそうなほど、その翼には力がない。


――ソラト、もう少しだからな。


 飛行艇ジーク号から飛び立つ前に、すでに顔色が悪かったことには気付いていた。しかしもはや、彼が助かるためには“生命の樹”にたどり着くしかないということに、誰もが気付いている。それならば、せめて最後まで隣に並んで一緒に行きたかった。


 最後まで……たとえ最期になろうとも……。


 フウリは、予感にも似た覚悟をしていた。そして今の自分にできることは、彼とともにこの闇を抜けることしかない。


「こっちだ!しっかりついてこいよ!」


 アランが先頭に立って先導し、リヒトは無言で後方にまわった。誘導してくれる目標と、背後で見張ってくれているしんがりの存在は、この不安定な暗闇を照らす光のようで、フウリは安心してソラトを助けながら飛ぶことができた。




 と、そのとき、突然世界が真っ白になった。

 空も大地もひとつに溶け、雷鳴や風のうなりが忽然と消えた同時に、すべての感覚がなくなった。水に浮かぶように、あるいは空に漂うように、どこまでも広がる虚無と永遠の時間。

 そこにあるのは、ただ耳が痛くなるほどの静寂……そして、なぜか懐かしい温かさ。


――ここは……。


 フウリは最初、雲が晴れたのか、さもなければ死後の楽園に迷い込んだのかと思った。が、そんなことを考えていると気付いたことで、ぼんやりとかすんでいた意識がはっきりとした。

 それに応えるかのように、音のない白い景色が拓けていく。目の前に現れる、1本の大樹――はるか世界の果てでありながら、同時に世界の中心にある、空から大地に向かって伸びる“生命の樹”。


 それは見上げても根元が見えないくらい高く、何十人で手をつないでも囲みきれないくらい大きかった。

 枝でさえ1本の木と同じくらい太く、葉は1枚で彼女よりも大きい。幹には巨大なうろができ、枝は折れ、茶色くなった葉が散っていたが、それでも、どんな生き物よりも堂々としていて美しかった。それだけでひとつの世界、ひとつの宇宙とも思える。


 何より、それは生きていた。


「これが……」


 子供のころから何度も聞かされた、誰でも知っている神話の樹が、確かにそこにあった。眼下には黒とも白ともとれない雲の海が広がり、まわりは気が狂いそうなほどの青が澄みわたっている。しかし不思議と穏やかな気持ちになる安らぎがあり、耳を澄ませば生命の流れが聞こえてくるようだった。

 大きく深呼吸をしてみる。少し冷たい空気が体中を満たし、見たこともない故郷、生命の源の記憶を揺り動かす。あるいは、生まれてすぐ母親に抱かれていたときの、無条件の安堵感なのだろうか。


「やったな。本当にここまで来たんだ」


 鷹のエアプルームが隣に来て、白翼と無事を確かめ合った。“樹”は今にも枯れ果てようとしているが、まだ間に合うはうずだと、フウリは黒雲の中を付き添ってきた少年をふり返った。


「……ソラト?」


 見開いたフウリの目いっぱいに映ったのは、雪のように舞う無数の白い羽と、ゆっくりと散り落ちていくひとひらの翼――それがなんなのか、何を意味しているのかを頭で理解するまえに、エアプルームで飛び出した。アランとリヒトもすばやくきびすを返したが、誰よりも先に伸ばしたフウリの手が、雲の海に沈む寸前でソラトに届いた。


――あぁ、あのときと同じだな。


 ぐったりと重くなった体をデッキに引き上げたとき、ふと、前にもこんなことがあったと、フウリは思い出した。雲間から舞い降りた天使と初めて出会ったのも、ちょうどこの空の下をエアプルームで飛んでいたときだった。もしかすると、未来の時間からやってきた光のトンネルがここにつながったのは、“樹”が自分たちを会わせたのかもしれないと思う。

 あれから、どれだけの時間が過ぎたのか。いつもずっとそばにいたのに、ほんの昨日のことのように短く感じられた。


「ソラト、わかるか?ぼくだよ」


 耳元で呼びかけると、ソラトはかすかに目を開けた。むろん外傷などなく、顔色はいつもより明るくさえ見える。それなのに力のない体はまるで抜け殻のようで、薄く開いた目はこことは違うどこかをさまよっている。フウリはこみ上げてくるものに胸が詰まったが、ぐっと唇を噛んで、目を逸らすことなく笑って見せた。


「ソラト、ついたぞ。ほら、“生命の樹”だ。これでお前の病気もよくなるな」

「ごめん……」

「な、なに謝っているんだよ。早く元気になって、みんなで谷に戻るって――」

「ごめん。オレ、もう、無理みたいだ」


 かみ合わない会話、遮る言葉は、刃のように突き刺さった。言葉に詰まったフウリを押し退けるように、アランが出てきて怒鳴った。


「てめぇ、泣き言言ってんじゃねぇよ!やっとここまで来たんじゃねぇか。さっさと起きねぇと、ぶん殴って目を覚まさせてやるぞ!」

「はは、前も手加減なしだったもんなぁ」


 もう目を開けていることもできないのに、ソラトはおかしそうに笑った。空賊船ナハツ号に乗り込んだときも、弱音を吐いた彼にそうしたように、アランは腕を振り上げた。が、頭上で止まったまま、こぶしが震えて動かない。怒りに隠した彼の涙が、フウリは痛いほどよくわかった。


「アラン……フウリを頼む」

「んなこと、お前に言われなるまでもねぇ」


 行き場をなくしたこぶしで乱暴に目をぬぐい、アランはにやりと笑った。目を閉じたままのソラトもふっと吹き出し、それからわずかに顔を動かして、リヒトに小声で話しかけた。


「兄貴、いろいろ疑ってしまって、ごめん。またこうやって会えて謝ることができて、よかった」

「……後悔は、ないのか」

「あぁ。みんなと旅ができて楽しかったし、明るい世界を飛ぶこともできた。オレ、幸せだったよ」

「幸せ『だった』、なんて言うなよ!」


 静かに淡々と話すソラトに、ついに耐えきれなくなったフウリが叫んだ。


「まだまだ、これからみんなと一緒にできることがいっぱいあるじゃないか!まだ……過去形なんか早すぎるよ……」


 堪えていた涙がひとすじ流れると、あとは堰を切ったように止まらなかった。ぽろぽろと溢れてはこぼれ落ちる透明の滴が、横たわった少年の顔を濡らす。のどにつかえる気持ちが抑えきれず、フウリは怒っているのか悲しんでいるのか、自分でもわからなかった。


「呪いはぼく達のせいなんだ。ソラトが苦しむなんて間違っている。みんなで“樹”に謝れば、きっと……ううん、たとえ呪われた運命から逃れることはできなくても、ぼくがソラトを守ってやるから……だから……」


 そうすれば時間を巻き戻せると信じているわけでもないのに、フウリは誰にともなく必死に言い募った。しかし、それを聞いたソラトとリヒトは、はっと息を呑んで彼女を見た。顔を伏せていたフウリとアランは、兄弟の視線もその意味も気付いていない。


「……はは、そういうことか」


 ソラトが不意に言ったので、フウリは涙でかすんだ目をぱちぱちとした。ソラトは愛おしそうに、怪訝な顔をしている彼女の頬に触れた。この上もなく優しく、この上もなく哀しく。


「大丈夫だよ、フウリ。オレ達は、また、逢えるから」


 そして、目を閉じた。手が、ゆっくりと下がっていく。フウリが何かを言おうとしたが、言葉になる前にひざの上に落ちた。それきり動かない。長い沈黙。長い長い――永訣の黙。


「ソラト……」


 不思議と、あれだけとめどなく溢れていた涙が、いつの間にか消えていた。ただ、瞬きをすることもなく、じっと見つめている。奇妙なほど穏やかに微笑んだままの、少年の顔を。

 アランがそっとフウリの肩に手を置いた。その温かな心が、今は何よりもうれしく、切ない。祈るように目を閉じたリヒトの翼が、風もないのにかすかに震えていた。


――……。


 フウリは頭が真っ白になって、何も考えられなかった。よく、これまでの思い出がいっきによみがえってくるという話を聞くが、笑い合ったこともケンカしたことも、今は遠すぎてひとつも見えない。自分の意思とは関係なく、まるで誰かに背中を押されるように少年の翼に手を伸ばしたフウリは、ふと、柔らかな風を感じて顔を上げた。


「遅かったか」


 ふり返ると、少し離れた背後に人影が浮かんでいた。翼はなく、代わりに長い耳とひげが伸びている。蝶ネクタイをしたスーツ姿の兎男を見ても、フウリは驚くだけの心が残っていなかった。白ウサギは動かない少年を見つめ、赤い眼を細めた。


「人が自ら蒔いた種とはいえ、それを救おうとしている者の心を探してきたのだが……間に合わなかったか」

「お前は……」


 警戒するべきなのか迷っているアランを見て、兎男はかぶりを振った。彼に対する答えだったのか、自分でつぶやいた言葉に対する否定だったのか、フウリ達にはわからなかった。


「よく、ここまで来たね。まさか黒い雲の海を越えて、空の果てまで飛べる者がいるとは思わなかった」

「兎……もしかして、お前が“生命の樹”の守人なのか?」

「いいや。ボクこそが“生命の樹”と呼ばれる存在。あの樹は、ボクの力を具現化したものだよ」


 ウサギはにっこり笑った。あっさりと正体を教えられると、かえって戸惑ってしまう。ややあって状況を理解したフウリは、呆然としていた意識が急にはっきりした。と同時に、忘れていた怒りと悲しみがこみ上げてきて、兎男に食ってかかった。


「あんたが神様なら、どうして前に会ったときにソラトを助けてくれなかったんだ!?あんたのせいで、ソラトは……!」

「助けたいと願う強い気持ちが、ボクに呪いを解く力を与えるんだよ」


 ウサギはひげをかすかに動かして、静かに言った。


「ボクは人の心から生まれた存在。憎悪や悲しみが増えれば戦争の火種にもなるし、誰かを思いやる心や愛情が増えれば平和も光にもなる。すべての生命の源でしかないボクに、ボク自身の意志も力もないんだよ」


 意志がないと言いながら、その声には明らかに悲哀の音があった。もしかすると、それも自分たちの今の心を反映しているだけなのかと、フウリは少し冷静になって落ちついた。そうして考えてみると、希望や願いが消えかけているこの世界の運命として、彼もまた枯れ果てようとしているのに、ソラトを助けるためにここまで戻ってきてくれたことを、ありがたくさえ思った。


「この少年の最後の願いは、確かにボクに届いた」ウサギはゆっくりと舞い上がっていった。「そして、君たちの想いも。滅亡の未来は変わったが、再会の約束は新しい未来で果たされる」


 兎男の姿が空から伸びた大樹に重なり、世界は温かい光と風に包まれた。淀んでいた生命の流れが再び動き出し、次の命となるため空に地上に降りそそぐ。ソラトの体も光の粒となって、樹に吸い込まれるように消えていった。


――未来で、いつかまた逢える……か。でも……。


 フウリは彼の温もりが残る手をぐっと握りしめ、大樹が浮かぶ光の空を見上げた。目を閉じると、あの明るく無邪気な声が、光を運ぶ風に乗って聞こえてくる気がした。


「この風が世界を巡っている限り、ぼくは絶対に忘れない。ぼく達が同じ空にあった、このかけがえのない時間を……」


 だから、さよなら。また会う日まで。フウリは心で語りかけると、精一杯の笑顔で大きく手を振った。



これで本編は終了、次回は最終回エピローグです。

悲しい結末ですみません……。

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