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42.あの空の向こうへ

 村を挙げての帰還祝いと、谷の上での密やかな語らいがあった翌朝。

 あれだけ飲んでも羊の世話を欠かさない男たちが、まだうす暗いうちからそれぞれの小屋に出かけ、女たちも彼らを見送ってから食事の準備を始めた。


「“生命の樹”か……そうさの」


 年甲斐もなくはしゃいで飲み過ぎた長老が、ソファーに深く座ってつぶやいた。フウリが朝1番に起こして、本来の目的であった“樹”の場所について尋ねてみたのだが、まさにこの家の2階の部屋が爆発してもピクリともしなかった彼女が真っ先に起きてきたことに、リッカだけでなくソラトも驚いていた。


――っていうより、寝ていないんじゃないのか?


 昨夜、フウリとアランがドンチャン騒ぎの中からこっそり抜け出して、そのまま帰ってこなかったことに、ソラトは気付いている。他の者たちは気付いているのか、そのことについて誰も何も訊かないが、2人とも普段どおりに振るまいながらも、ときどき目を合わせて笑っているところを見ると、何があったのかは想像できた。


――アランのヤツ、うまくやったのかな。


 初めはフウリが気になって、好意を隠しきれていないアランに呆れたりイライラしたりしたものだったが、いつしか彼女への気持ちが恋とは少し違うことに気付いた。兄や幼いころに亡くなった祖母と同じような、温かい家族の安らぎに似ているかもしれない。だからフウリはもちろん、アランにも幸せになってほしいと、今は心から思っている。


「じいちゃん、“樹”の噂話とか伝承とか、なんでもいいから教えてよ」


 フウリが再度頼み込む声で、ソラトは我に返った。まだ赤い顔の長老は、孫娘を見るようにフウリに笑ってうなずいた。


「お主が神を信仰するとは、明日は谷が崩落するやもしれんの」

「じいちゃん……」

「ふぉっふぉっふぉ!まぁ、そんなに怒りなさんな」 老人の目は明らかにほろ酔いが抜けていない。「そうさの。神が空高くから我らを見守っているというセフィロト教の教えは、さすがにお主も知っておるな?」

「うん、まぁ、いちおうね」

「他にお主らに教えてやれることといえば、そうさの。“生命の樹”に住む守人の話は知っておるか?まだ若葉だったころの“樹”を食べようとした兎に、神が罰を与えた。反省したその兎は、その後“樹”を守ってきたという昔話じゃ」

「兎……どこかで見たような……」


 ソラトとフウリはそれぞれにつぶやき、同時に互いを見て叫んだ。


「あいつ!船で見た!」

「思い出した!あのウサギ男だ!」


 まわりが眉をひそめて不思議そうな顔をしているので、2人は大陸へ向かう船の中で出会った、スーツを着て帽子をかぶったおかしなウサギのことを話した。そして、じつは帝都ウィスタリアでも出くわしていたことを、すっかり忘れていたフウリが付け加えた。


「えっと、なんだったっけな……『求めるものを見失ったときには、ヘチマ島に行ってみるといい』だっけ。あいつが、ソラトにそう伝えてくれって」

「オレに?」


 隠していた背中の翼を見破ったあの不思議なウサギ男が、昔話に出てくる守人と関係があるのかどうかはわからない。しかし、もしも本当にそうならば、呪いの根源である“樹”の使者であり、翼の意味もその運命も知っているはずである。そして、彼の言う状況はまさに今であり、フウリが忘れていたことで――当時すぐに伝えていても、意味がわからず無視された可能性も高いが――紆余曲折の末にたどりついたヘチマ島にこそ、求めるもの……“生命の樹”があるということなのか。やおら現実味を帯びてきた希望に、ソラトの胸は高鳴った。


「あのウサギが何者だとしても、やっぱり“樹”の場所はわからないかなぁ」

「少なくとも、見えるところには……あ、兄貴」


 結局、長老でも期待していた答えがなく、ソラト達が肩を落としていたところへ、唐突に扉が開いてリヒトが入ってきた。ファルギスホーン島の上空にさしかかったころから姿が見えなかったのだが、翼があるので空中からの移動も問題ではない。どこへ消えたのかと船内が心配していても、会話も仲間意識もない彼がそんなことを斟酌するはずもなく。


「おぉ、ついに天使様がお迎えに来てしまったのか」


 まだ酔いが抜けていない長老が腰を抜かしているのも無視して、リヒトは弟に目を向けた。


「生命エネルギーの流れが戻りつつある。もはや、かなり弱くなっているが」

「それじゃ、“樹”の場所がわかったのか?」

「ここから北西……これだけ近ければ、お前も感じ取れるだろう」


 言われて、ソラトも意識を集中させた。魔法の力を使うときと同じように大気に溢れるエネルギーに触れ、思考も神経も流れにゆだねる。壁の穴から吹き込む隙間風のように、一定方向に向かうかすかな流れを感じた。


「これが……」

「この重苦しい風が、そうなの?」


 ソラトが顔を上げるより先に、フウリが窓から身を乗り出してつぶやいた。一緒になって外をのぞくローシェやアランは、いつもどおりの涼しい朝の風ではないかと首をかしげている。しかしフウリは、灰色の濁った水のような風だと言い張った。


「お前、この力の流れがわかるのか?」

「風の声がね、なんとなく聞こえるんだ。昔から」


 ソラトとリヒトは視線を交わして驚いた。ここより未来の世界においても、翼ある者だけが扱うことができる魔法の力は、この時代では歴代の教皇やクロイツのような、ごく限られた者しか持ち得ない。しかし、彼女は神の奇跡も呪いもなく、魔法を使えるわけでもないのだが、風に乗って巡る生命のエネルギーを感じることができるのだ。


――不思議なヤツだな、フウリは。


 風の中に世界を見つめる少女は、自らの一部のごとく白翼を操り、自由に空を駆けている。まるで本当に天使のようだと、本物の翼を持つソラトはひとりごちて自嘲した。


「姉ちゃん、その風はどこに向かっているの?」

「あっちだ。あの空に吸い寄せられている」

「アザニウス山脈の上空……?」


 メドウ大草原の向こうにそびえる山脈は、ふもとにアザニカ村を携え、島を南北に縦断している。学院の偉い地質学者によると、海からわずかに顔を出していただけの太古のアザニウス山が激しい噴火をくり返し、伝説の牛の角の形をした島を作り上げたという。


「それじゃ、あの上に“生命の樹”があるということなの?」

「神話とも、クロード殿の話とも一致している。可能性は大きいな」


 魔法の力についてはよくわかっていないエリアーデが、結論だけを求めてたずねた。同じく不可思議なエネルギーを見ることはできなくとも、教会と教皇に仕えるケセドが、ソラト達の話と様子から総合して推測した。神は遥か高き空から大地の生命を見守っていると、神話は説いている。


「でも、あのあたりの空は……」

「とにかく、行ってみよう」


 心配そうに言いかけたローシェに、フウリが笑ってうなずいた。今はそこしか可能性も手がかりもない。どんな問題があるのかはわからないが、ソラトも立ち上がり、マントの下に隠した翼を広げた。天使が2人になったことで、さらにひっくり返った長老に礼を言って、8人は飛行艇に乗り込んだ。



 馬車で数時間の大草原をあっという間に飛び越え、アザニウス山脈の岩肌が見えるところまでやってきたソラト達は、ローシェが危惧していたことがなんなのかがすぐにわかった。草原と海から吹き上げる風が山にぶつかって激しく渦巻き、さらに上空の冷気と混じりあうことで分厚い雲を作り出していた。人が通る山道の標高からでは遠くの曇り空ほどにしか見えず、フウリやアランが幾度も飛んだ頂上付近の空でさえ、少し強い風の影響があるだけだった。しかし、そのさらに上空には灰色の壁が泰然と立ちはだかり、大地に溢れる生命と思念のエネルギーを吸い込んでいた。


「これ以上は近づけないわね」


 乱気流に触れないギリギリのところまで船を寄せ、エリアーデはくるくる回って使い物にならない計器に肩をすくめた。高度は問題ないのだが、対空砲にも耐えられる強度のジーク号でさえ、この荒れ狂う暴風の中に入るのは無理だった。


「このあたりの空は、鳥でさえ避けて飛ぶ難所なの。ここで空気が冷えて乾くから、島の気温は一定に保たれているんだけど」


 気象学も地質学も熟知しているローシェが、遅まきながらと申し訳なさそうに先ほどの続きを説明した。むずかしい理論はわからなくても風の流れを読んで知っていたフウリは、それでもこの近くまで来て、実際の様子を見てみたかった。


「どう思う、ソラト?」


 船首からじっと前を見つめるフウリが、視線を動かさずに尋ねた。高いところで束ねた長い黒髪が、前から横から吹き荒れる風に千切れそうなほどはためいている。白い翼を彫刻のように動かすことなく、ソラトはまわりに気付かれないようにそっと腕を上げた。


――もう……。


 時間が迫っていることを、ソラトはひしひしと感じていた。胸を締め付ける見えない力は、確実に命を食らい尽くそうとしている。そして痛みを感じなくなったときから、“それ”はもはや覆しようのない確実な現実となっていた。


「ソラト、大丈夫か?」

「……あぁ」


 台風のど真ん中のような空でもびくともしないアランが、黙り込んだままのソラトを気遣って声をかけた。肩に置かれた手で初めて我に返ったソラトは、光を遮る黒雲のせいで土気色の顔がわからないことを幸いに思った。


「“宇宙樹”はこの雲の上にある。間違いない」


 フウリの問いかけからかなり間をあけて、ソラトがつぶやいた。戦争で乱れた生命、歪んだ思い、悲しみ、怒り……さまざまな負のエネルギーが、いまや疑いようもなくこの上空に集まっているのがわかる。


「だが、どうやって上に行くのだ?飛行艇でさえ無理だというのに」


 現実的なケセドは、眼前に広がる最大の問題を懸念した。エリアーデも悔しそうに唇を噛んでいるが、さらに飛行艇を強化しようにもかなりの時間がかかってしまう。ソラトや青年教皇の体調を考えると、そんな猶予はなかった。


「ぼくが行く。エアプルームなら、気流の間を縫って飛べるよ」

「そんな!やめて、フウちゃん!危ないわ!」


 強気に笑って言い放つフウリに、ローシェが青い顔で悲鳴を上げた。確かに、大きな飛行艇では上下左右から巻き起こる気流に飲まれて動けないが、小さなエアプルームの翼ならば小回りが利き流れを制しやすい。しかし、それには緻密な操縦能力と風を読む勘と、何よりもこの暴風の中に飛び込んでいく度胸が必要不可欠である。空送屋の少女は、そのどれをも持ち合わせていた。


「しょうがねぇな。なら、俺も行くぜ」

「アランさんまで!無茶ですよ!」


 フウリが立ち上がったのを見て、アランが当然のようにうなずいた。リッカが止めようとしても、フウリが気持ちを変えない限り動かない決意は固い。いつものように無言のリヒトも、やはりこのときも一言も発することなく前に進み出た。年齢も性別も生まれ育った世界さえ違うのに、同じ強い光をその目にたたえたこの3人とならば、必ず行けるという強い確信をソラトは持った。


「行こう、あの空の向こうへ」


 残された時間でできることは、これしかない。誰よりも信じている兄と、誰よりも頼りにしている青年と、誰よりも大切な少女と、生命を司る流れの源へ。たとえその先に何が待っていようとも、少年はただ前に進むのみだった。



 エリアーデ達が見守る中、必ず戻ってくると約束を残し、2機のエアプルームと2人の白翼が黒い空に飛び立った。その直後、彼らが空気が変わったような違和感にふり返ると、突然どこからともなく人ならざる影が甲板に現れた。



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