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41.星降る夜の告白

 久しぶりに帰ってきた故郷は、どこか空の色が違って見えると、アランは飛行艇の船べりから見渡してそう思った。

 ファルギスホーン島にこんな形で戻ることになるとは、旅立ったときには思いもしなかった。港町ケントから船に乗って大陸に向かったあの日が、はるか昔のことのように感じるし、つい昨日の出来事のようにも思える。


――それが、今じゃ……。

「みんな、朝食ができたわよー!」

「エリアーデさん、ぼく大盛り!」

「姉ちゃん、朝からよく食べるなぁ。……あ、ローシェさん、おはよう」

「おはよう、リッカ君。今日はいよいよ谷に帰れるのね」

「ソラト君、隣、いいかな?」

「どうぞ、ケセドさん。……それにしても、兄貴、またどこかへ行ったのかなぁ。おーい、アラン!お前も早く食えよ!」

「……あぁ、悪い」


 甲板で朝食を食べる賑やかな友人たちをふり返り、アランはつくづく先のことはわからないと実感した。選帝侯や王女、教皇といった遠い世界の人物と知り合い、憧れだった空賊の船に乗り、必要とあらば戦うことも辞さない覚悟だった――事実、1度は刃を交えた魔王とも一緒に故郷の空を飛んでいる。それも、この島にあるかもしれないという“生命の樹”を探すために。


――とんでもねぇ遠くに来ちまったのかな。


 ふっと、そう思って不安になることがある。そしてなぜか、ようやくここまで来たという安堵感もが、同じ心の中で複雑に同居している。いずれにしても、かつての島での平穏な生活とはまったく関わりがなかったはずの、遠く離れた世界にいるのは確かだった。

 それでも、今の自分を選んだことに後悔はなかった。こんなにも騒がしく笑い合える友人たちが、いつも隣にいたのだから。


――でも、この旅もいつかは終わる。


 いつまでも続くはずだった島での生活が、突然変わったのと同じように。朝食を奪い合い、悪態をつき、止めに入り、声を上げて笑う、この時間もこの関係も。すべてはいつか終わるときがくる。それも、もう間もなく……かもしれない。


――そうしたら、俺は……あいつはどうするんだろう……。

「なーにシケた顔しているんだよ、アラン」


 ふり向くまでもなく声の主がすぐにわかったからこそ、アランは顔に出さず動揺した。自分でも知らないうちに、彼女の顔を思い浮かべていたことに気付いたからだが、アランが行く前にすでに食べ終わったフウリは、構うことなく隣にやってきた。


「もうすぐメドウ谷だな。みんな、どうしているのかなぁ」

「急に帰ってきたら、びっくりするだろうな」

「ローシェがおじさんに抱きつかれて窒息しないか、心配だよ」

「その前に、興奮しすぎて倒れないといいけどな」

「ハハハッ!それもあり得るね」


 フウリがおかしそうに笑ったので、アランもうれしくなった。たとえ実際には、ローシェ父の凄まじさを本領を知らずに話を合わせているとしても。


「アランは、アザニカ村に帰らないのか?」

「俺は手紙を出しておくからいい。これくらいで心配される歳でもないさ。……な、なんだよ」


 突然、大きな黒い瞳がのぞき込んできたので、アランは理由もなく顔が真っ赤になった。こんなに近くでフウリの目を見るのは初めてだった。


「アラン、なんだか急に大人になったっていうか……なんか変わった?」

「べ、別に。何も変わっちゃいねぇよ」


 フウリの後ろに浮かぶ雲に目を泳がせながら、アランは体温が2度くらい上がったような気がした。普段は何も考えていないようで、いつも彼女は人の心をまっすぐに見ている。これ以上、慌てているのを見透かされないように、なぜか怒ったフリをして背を向けると、フウリが意外なことを言った。


「ね、今夜はみんなでウチに泊まるだろ?そのとき、ちょっと話があるから付き合ってほしいんだ。夕食後に、谷の上に集合な!」


 意味がわからず、疑問か反論を返そうとふり返ったときには、フウリはもうテーブルの友人たちのところへ戻っていた。アランは眉間にしわを寄せて何度もまばたきをしたが、ソラトやローシェとまったく普段どおりにしゃべっている彼女の真意をうかがい知ることはできなかった。



 メドウ谷のはずれに飛行艇を降ろし、今日はここで滞在することになった。“生命の樹”について調べるためだが、ローシェの父フランツをはじめ、谷の住人と家族たちにとっては、とにかく久しぶりの無事の帰郷を祝う方が先決だった。


「まぁ、予想はしていたけどな……」


 フウリとリッカとローシェは、あっという間に取り囲んだ村人たちに拉致され、アラン達は呆気にとられて見送るしかなかった。谷の住人は飼っている羊同様、互いを確かめ合う一体感が強いらしい。


「やっぱりアザニカ村に戻って、学院で調べてきた方がよかったかな」

「学院というと、あの高名なアザニカ学院のことかい?」


 わずかに後悔していないでもないアランに、ケセドが尋ねた。大陸でも名の知れた名門アザニカ学院のことは、空賊エリアーデさえも耳にしていた。


「なんだ、そんなすごいところがあるなら、乗せていってあげるわよ?」

「いえ、ここからならエアプルームでもすぐなんですけど」

「残念ながら、かの学院でも恐らく有力な手がかりはないだろう」


 ケセドがかぶりを振って断言するので、アランは不思議に思って反論した。


「どうしてですか?あそこより本があるのは、帝国大学くらいだって言われているのに」

「だからこそ、だよ。それほどの情報量を誇る場所ならば、必ず誰もが真っ先に調べようとする。先人が誰も“樹”を見つけていないのならば、既存の知識に答えはないということだ」


 ケセドの冷静な説明に、アランは心当たりがあるだけに納得するしかなかった。ほとんどの本を読み尽くしているローシェが知らないのは何よりの説得力であり、リヒトも学院の図書館に入り込んで調べたようだが、場所を特定することはできなかった。もっとも、その彼は島の上空についたあたりでいなくなっていたので、学院ではないにしろ、どこかへ手がかりを探しにいったようだが。


 アラン達村外の者たちも歓迎され、その夜は祭りさながらのパーティになった。特別大きいわけでもないラトゥール家では、凱旋した姉弟や珍しい空賊、果てはありがたい修道騎士様を一目見ようと、大勢の人と笑い声が深夜まで絶えることがなかった。いつものように率先して騒ぐフウリと、今日は体調がいいらしいソラトが輪の中心で騒いでいるのを、アランはビールを片手に見ていた。


――まるで魔王を倒した勇者だな。


 実際にはその魔王も同行し、旅は最後の局面を迎えようとしているところである。これから直面する本当の結末も、こうして笑って祝杯をあげられるのだろうか。そのとき、彼女はどうしているのか。胸騒ぎにも似た、理由のない不安。


「ん?どこ行くんだい、アラン?」

「ちょっと飲みすぎたから、風に当たってきます」


 ジョッキをいくつも空にして顔色ひとつ変えないエリアーデに笑って答え、アランはそっとその場を脱け出した。

 谷を見下ろす崖の上までやってきて、岩のひとつに腰をおろした。大陸では冬が始まろうとしていたが、ファルギスホーン島の夜風は涼やかで心地よかった。


「ごめん、遅くなって」


 フウリが急勾配の坂道を小走りにやってきて、2人分ほど離れた岩に座った。あれだけ騒いでいたのに一口も酒を飲んでいなかったのは、単に未成年だからというだけではない。これまで何度か軽く飲んだことがあるのを知っているアランはそう思ったが、これから話されることに関係しているのかはわからなかった。


――そもそも、今ごろ何を話そうっていうんだ?


 彼女がいきなり突拍子もないことを言い出すのには、もう慣れている。先にここで待っている間にあれこれ考えてみたが、わざわざ外に呼び出してまで言うべき内容に心当たりはなかった。


――でも、せっかく2人きりになれたんだし……。


 このチャンスに、自分の気持ちを打ち明けてしまうか。アランは大きく息を吸って吐き、じっと眼下をのぞき込んでいる少女の横顔をちらりと見た。


「久しぶりだなぁ。ここに来るのも」


 アランが口を開こうとしたらフウリが先に口を開いたので、静かな声だったのにビクッとした。彼女の視線を追うと、明かりが転々とついたメドウ谷の集落が足下の暗闇に広がっている。谷で1番空に近いこの場所が子供のころから好きだったと、フウリが投げ出した足を揺らしながら言った。


「でも、旅も楽しかったよな。いろいろあったけど」

「本当に、いろいろあったな」 アランも合わせてうなずいた。「ソラトが空賊に拉致されて、ローシェも王都で誘拐されて」

「どうなるかと思ったよ、あのときは」

「お前もだ。あんな大怪我をして……あのままお前がいなくなってしまうかもしれないと思ったあのときほど、怖い思いをしたことはなかった」

「え……?」


 自然と出た言葉にフウリが反応したので、アランははっとした。隠した思いに感づかれる前になんとか話を変えようとしたが、口がもぐもぐ動くだけで話題が出てこない。数秒間の沈黙の後――アランにとっては数時間にも感じられた――、フウリが独り言のように言った。


「エアプルームが撃墜された後、真っ暗で寂しいところにいたんだ。誰もいなくて、冷たくて、音もなくて、どこまでも落ちていく感覚だった。このまま落ちていったら、楽になれるのかなって……そんなことを考えていた気がする。でもそのとき、声が聞こえたんだ」

「声?」

「あきらめない。絶対に助ける!……って。最初は何を言っているのかわからなかったんだけどさ。今思い返したら、温かくて大きな背中に守られていたみたいな気がする」


 アランは赤くなった顔を隠すために、反対の方向を向いた。飛行艇で意識のないフウリに呼びかけ続け、セフィロト教大神殿へ向かうときには誰になんと言われようとも彼女を背負っていくことを譲らなかった。それが届いていたのはうれしいのだが、今となっては少し居心地が悪い。


「こんなにも大事に思ってくれている人がいるのに、まだ落ちるわけにはいかないって思った。だから……アランのおかげで、戻ってくることができたんだ」

「いや、あれはだな……」

「ありがとう、アラン。お礼が遅くなってごめんな」


 他にも仲間は何人もいるのに、彼の声であり彼の背中だったことを、フウリはちゃんと気付いていたのだ。そして、彼がどれだけ必死に守ろうとしていたのかも。


「フウリ、俺は……その……」

「うん。アランの気持ちは伝わったよ。だから、ぼくも言おうと思ったんだ」


 アランは心臓が口から飛び出そうなほど高鳴って、反対側を向いたままふり向けなかった。気持ちを伝えようとしていたくせに、知られてしまったとわかると居ても立ってもいられない。その上、彼女が何かを言おうとしている。聞きたいのか聞きたくないのか自分でもわからず、とにかくこの場から消えてしまいたい衝動を抑えるのが精一杯だった。


「ぼくもアランが大好きだから、もうあんな暗いところに落ちてもいいなんて思わない。アランとずっと一緒にいたいんだ」


 あれだけ暴れていた心臓が、今度は一瞬完全に停止した。突然言葉が理解できなくなってしまったらしく、目の前が真っ白になった。フウリが言ったことを何度も何度も頭の中でくり返し、それでも混乱して頭が爆発しそうだった。瞬きも呼吸も忘れて固まっている青年に、フウリが心配そうにおずおずと声をかけた。


「……アラン?」

「ぃや……ったぁーーッ!!」


 いきなりアランが立ち上がって叫んだので、フウリは肩に伸ばそうとしていた手をびくっと引っ込めた。しかしその前にしっかりとつかまれ、強い力で引き寄せられた。あまりに加減なしに抱きしめられたので、息の詰まったフウリが目を白黒させたが、アランはお構いなしに屈強な腕に捕らえて放さなかった。


「俺も好きだ、フウリ。誰よりも好きなんだ」

「し、知ってるってば」

「先に言われちまったのは悔しいけど、本当に好きなんだ」

「わかった!わかったから……い、息が……」


 アランがはっと我に返って腕を緩めると、目を回したフウリがゲホゲホと息も絶え絶えになっていた。


「アラン、ぼくを潰すつもりか?」

「すまねぇ。ずっと言えなかったことを言えたのがうれしくて、つい……」

「言いたいことがあるなら、すぐに言えばいいんだよ。そんなだから、ソラトにヤキモチ妬いたりするんだよ」

「おっ、おま……気付いて……!?」

「ははは!ま、気付いたのは最近だけどね」


 勝気な少女がいつものようにいたずらっぽく笑うので、アランは頭から火が噴き出しそうなほど顔が真っ赤になった。気付いていたのにそ知らぬフリをしていた彼女も相当の曲者だが、ふと出てきた名前に引っかかった。


「でも、お前はソラトのことが好きなんじゃないかって……」

「ソラトのことは、前に船でも話したけど、家族みたいな感じなんだ。一緒にいたいっていうのは同じだけど、アランを好きだっていうのとはまた違っていて……うーん、どう言えばいいのかなぁ……」

「つまり、こういうことか?」


 言葉が見つからず言いあぐねているフウリをもう1度抱き寄せ、アランは顔をかがめて唇を重ねた。突然のことに目を見開いていたフウリも、大きな背中に腕をまわし、満天の星に照らされた影がひとつになった。柔らかい風が谷から吹き上げ、互いの体温だけを感じる2人を包み込む。


「……そういうこと、みたいだ」


 しばらくして顔を離したフウリが、少し顔を赤らめてささやいた。つまりどういうことなのか、今もやはり説明はできなかったが、アランにはそれだけで充分だった。




 雪が舞う冷たい夜空から、銀色の月の光が差し込む、セフィロト教大神殿の一室。

 その扉の前に、人ではない人影がどこからともなく現れた。彼は静かに扉を開けると、眠ったまま動かない青年と、片時も休むことなく見守っている医師の姿を見つけた。黒ずくめの医師は、彼に気付いて眉をひそめたが、驚いて叫んだり人を呼ぶことはしなかった。


「お前は……?」

「通りすがりのウサギです」


 ウサギはシルクハットを取って、礼儀正しく会釈をした。長い耳と赤い目は確かに人のそれではないが、明らかに怪しい不審者である。それでも、医師は用心深く彼を観察するだけで拒む様子はなかった。ウサギは帽子をかぶり直すと、ベッドの青年に視線を移した。


「いきなりですが、彼の精神は深い闇の底に封じられています。自力で抜け出す力は、もうないでしょう。もちろん、名医と言われるあなたでさえも、助けられるレベルではない」

「まったく、いきなりのご挨拶だな」

「よかったら、ボクが呼び戻してあげましょうか。呪いを解いて」

「なんだと?」


 いぶかしむ医師を無視して、ウサギはつかつかと部屋に入ってきた。そして横たわる青年の前に立ち、赤い目を細めてじっと見つめた。不思議な光がその体からあふれ出て、青年も医師も、部屋全体を包み込む。


「本当に呪いを解くというのか?まさか、お前……」


 ドクター・クロードがつぶやいた声は、輝きを増した光の渦に飲み込まれた。



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