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39.教祖クロイツ

 稲妻が雨雲を突き破り、大粒の雨が激しく大地を打ちつけた。夜とは違う暗さに包まれた昼の森に、白い闇がニヤリと浮かび上がる。血のごとく光る眼を見ると、ソラト達は見えない縄で縛り付けられたかのように動けなくなった。


――こいつ、何かおかしいぞ……。


 得体の知れない不安感を振り払おうと、ソラトは爪が食い込むほど刀の柄を握りしめた。目の前にいるのに、実体がまるで見えない。ぼんやりとにじみ出ている影のような気配は、殺気というよりも、禍々しい災厄と表現した方がふさわしい。それでいて、なぜか惹きつけられて目が離せなかった。


「あなたは、いったい……」


 教皇クラウ3世がうなるようにささやいた。平静を装おうとしているが、言葉が見つからず動揺を隠しきれていない。フードを深く被り直したクロイツは、まるでタチの悪い冗談をあざ笑うかのように肩をすくめた。


「あなたが気付いていないとは心外ですな。数少ない同胞だというのに」

「同胞?……まさか」

「貴方と同じ、呪われし神の子……わたしは永遠なる不死の呪いを与えられたのだよ」


 意味を理解したソラト達は、これ以上ないほど驚くと同時に、妙に納得する気持ちもあった。この異様な威圧感、つかみどころのない存在は、人ならざるものであればこそである。胸を貫いた傷は、いつの間にか血の跡を残して消えていた。


「しかし、その数少ないはずの同胞が3人もおそろいとは」


 驚愕するソラト達とは別の意味で、クロイツも意外そうに言った。フードの下の赤い目が、翼ある兄弟をじっと見据えている。腹の底まで見透かしているような不気味な教祖は、どこまで知っているのだろうか。


「お前はどこから来たんだ?」


 ソラトが言葉を選んで尋ねた。自分たちと同じように別の時間からやってきた可能性を探るためだが、違ったときにこちらのことを知られるのは避けたい。そんな意図に気付いているのかいないのか、わずかに間をあけた漆黒のローブが一瞬だけこわばった。


「北方の国境近くにある山際の村、トレーネだ」

「トレーネ?」 教皇が首をかしげた。「北方の国境付近なら、僕の故郷エクリュの町も近いはずだけど……そんな村、聞いたこともない」

「それはそうだろう。貴方が生まれるずっと前に滅んだのだから。もう、300年も前に」

――300……年?


 クロイツがあまりに淡々と話すので、ソラトは聞き流しそうになり、頭の中で反復した。300年前の世界から来た、というわけではない。それ以上の時間を、彼はずっと生き続けてきたのだ。神に与えられた、不死の呪いによって。そして今もそこにたたずむ影は、雨に濡れても平然としていた。雷鳴と雨音だけが、あたり一帯を包み込んでいる。神殿のまわりでくり返し響いていた爆音はなくなっていた。


「トレーネ村は疫病で滅んだ。わたしの家族も友人も、すべて。当時は薬のない不治の病だったために、国は隔離政策で見殺しにした」


 クロイツは感情も抑揚もない声で話を続けた。


「次に住んだ町も、火山の噴火によって地図から消えた。その次の町は、戦争に巻き込まれて燃え尽きた。……だが、わたしだけは生き残った。目の前でどれだけ人が死んでいこうとも」


 次々に生まれては死んでいく時間の流れから取り残され、ただ独り生きていかなければならない苦痛は、想像を絶する。人はないものにこそ憧れると言うが、多くの者が望んでも手に入らない不老不死の力は、少なくとも彼に希望や喜びを与えるものではなかった。


――“樹”の呪い……オレも……。


 ソラトは胸に手を当て、今は何事もなく動いているリズムを確かめた。次にこれが乱れれば命の保証はないと、ドクター・クロードが断言と忠告をした。これほど唐突に命の期限を突きつけられるなど、ほんの少し前までは思ってもみなかった。


――永遠の苦しみと、突然の終わり……どっちがいいんだろう。


 たぶん答えはないのだろうと、ソラトはひとりかぶりを振った。そう考えると、数百年を生きる教祖も哀れに思えてくる。まわりのものを常に見送らなければならない孤独感。自分にはない、終わりがあるからこそ持てる夢。同じ呪いを宿命付けられたソラトには、痛いほど理解できた。


「それでも、戦争をしていい理由にはならねぇだろ!」


 ソラトの中に生じた弱い迷いを叱咤するかのように、アランが叫んだ。同じように戸惑っていたのだろうクラウ3世も、ハッとして顔を上げた。


「お前が大変だっていうのはわかるけど、関係のない人たちの血を流して、それでなんになるっていうんだ?歴代の教皇様は、それでもみんなを助けようとしていたんだぞ。もっと他に、まわりと一緒に生きていくことだってできただろうが。自分1人で悲劇をやってるんじゃねぇ!」

「アラン……」


 クロイツに向けられた言葉が、ソラトには顔も覚えていない父親に諭されているかのように聞こえた。祖父母は生まれる前に、両親は幼少時に死んだ。ときには厳しく叱りつけ、いつもそばで見守ってくれていた兄の目は、そういえばどことなくアランと似ているような気がした。


「貴方は、何か勘違いをしているようだな」


 しかしクロイツにはその思いは届かず、青白い顔に真っ赤な口角がにいっと歪んだ。


「わたしはまわりをうらやむことも、まして自分の運命を悲観したこともない。生まれつき色素の薄いこの体を嫌悪され、他にはない不思議な力を恐れられ、それでもこの世界に生きなければならない理由はなんなのかと、300年間ずっと考えてきた。……そして、ついにその答えを見つけたのだ」


 ローブ全体から煙のように黒い光が立ち上り、すそから出した手のひらに集まっていく。アラン達はなんの反応も示していないが、兄弟と教皇にはそれが何なのかがすぐにわかった。


「伏せろ!」


 ソラトがとっさに叫んだ瞬間、クロイツの手がこちらに向けられた。普通の人間には見えない光が爆発し、衝撃でまわりの木が枝葉を散らす。前に飛び出したリヒトが同じ力で盾を作って防ぎ、理解するより先に動いたアランがローシェとリッカを、クロードが教皇を背にかばった。


「この世界を、“樹”を汚し続ける生命に、生きる価値はない」 クロイツがはっきりとした声で言った。「すべてを破壊して最初からやり直せと、それが終わるまではわたしがこの世界から解放されることもないと、神はそういう運命をわたしに課したのだよ」

「勝手なこと言ってるんじゃねぇよ!」


 怒鳴るアランだけでなく、ソラト達にも突飛すぎる結論は理解できなかったが、クロイツは先ほどよりもさらに大きくどす黒い光を形成していた。300年も迷い苦しんだ彼の中では、それ以外の答えも選択肢もなかった。


「わたしの運命を邪魔するつもりならば、止めてみるがいい」


 黒い光が爆発する前に、今度はソラトが飛び出した。抜き放った刀が見えない壁にはじかれ、左手で放った青い光が黒とぶつかる。同時にリヒトが背後から攻めたてたが、漆黒の教祖はその場から動くことさえなかった。魔法をかわして刃で斬りつけても、クロイツはびくともしない。


「くっ……!」

「ソラト!」

「来るな!」


 ソラトは火傷のように痛む肩を押さえ、助けようとしたアランを止めた。魔法の力が見えなければ戦うことができないし、爆発の衝撃で飛び散る岩や木から教皇たちを守らなければならない。そう目で伝えると、アランは槍を構えたまま踏みとどまった。


――それに、あんたにはもう助けられたからな。


 アランの力強い声が、わずかに生じた迷いから現実に引き戻してくれた。ともに笑い苦しみ、同じ時間を並んで歩いてこられたからこそ、ソラトは自分を見失わずにすんだのだ。


――フウリのことは、任せたぜ。


 生命の流れをも淀ませる圧倒的な力の前に、2対1でもじわじわと押されている。それでもソラトは、なんとしてもここでクロイツを止めるつもりだった。そのために胸の痛みに引き裂かれたとしても……彼がいれば、もはや思い残すことはない。


「……ッ!」


 リヒトが木に叩きつけられ、空から刀を振り下ろしたソラトに収束した光の槍が伸びる。反射的に体を起こそうとしたが、雨に濡れた翼は重くなり、思うように動かない。避けられないと、覚悟を決めた瞬間。


「ぐはっ……」


 魔法の刃が、ソラトに当たる寸前で消えた。代わりに、クロイツの胸を小さな光が貫き、黒いローブを包み込んでいた。上空から見まわすと、アランやクロードの後ろにいたはずのクラウ3世が前に出て、腕を突きつけていた。


「もう、やめてください……」


 つぶやいた青年は、泣いていた。魔法の壁を突き破って貫いた傷は、いつまでたっても消えなかった。そこで初めて、クロイツの体が大きく傾く。フードがはずれてあらわになった白い顔は、なぜかいつもより赤みがさしていて、血走った目は苦痛と驚愕に見開かれていた。


「な、なぜ、治らない……なぜ……」


 教祖は誰にともなくつぶやきながら、どうと仰向けに倒れた。全身が傷だらけになりながらも、ゆっくりと降りてきて翼をたたんでソラトは、クロイツに殺気もその力も残っていないことを確かめた。


「傷つける力では死ぬことができなかったが、癒しの力に浄化されたか」


 片翼を切り裂かれたリヒトが、剣を収めてクロイツを見下ろした。それを聞いたクロイツは、突然狂ったように笑い出した。


「そういう、ことか……なんと皮肉なものよ。わたしを殺せる者が、これまで何人もいたというのに……誰もわたしには、癒しをもたらさなかった……」


 くっくと笑い続ける教祖は、自嘲しているのか運命をあざ笑っているのか、ソラト達にはわからなかった。クラウ3世はよろよろと歩み寄り、クロイツの傍らにひざをついた。


「ごめんなさい。あなたの苦しみに気付いてあげられなくて……あたなを、もっと早くに助けられなくて……」

「謝ってなどほしくはない。世界を傷つける貴方たちを、わたしは許しはしない」


 意識のないフウリの傷を治したときと同じように、柔らかく温かい光がクロイツを満たした。しかし、傷を癒すのではない。壊れた心と歪んだ運命を癒す光は、呪われた命を消し去り、待ち望んだ死を与えようとしていた。


「“生命の樹”は、間もなく枯れ果てる……わたしを止めたのならば、世界の滅亡も、止めて、みるがいい……」


 世界に絶望し、神の教えを問いただした教祖クロイツ=ローゼンは、初めて穏やかな表情を見せ、蒸発するように一瞬で白骨化した。その骨も風に吹かれて消え、あとには黒いローブだけが残った。ようやく本来の時間の流れ、あるべき生命の流れに戻ることができたのだった。


――死ぬことでしか救われないなんて、悲しいよな。


 神は彼に何をさせたかったのかと、ソラトは考えずにはいられなかった。自分にも、やるべき運命があるのだろうか。クロイツが見てきたもの、感じたことは、けっして間違っていたわけではない。ならば、どうすれば彼の残した遺志を継ぐことができるのだろうか……。


「クラウリル!」


 涙を流して最期の祈りを捧げていた教皇が倒れ、クロードが抱き起こした。しかし、今度はすぐに目を覚まさない。必死に生きようとするかすかな呼吸を見守りながら、ソラトはもう1度胸を押さえた。



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