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38.白い悪夢

 セフィロト教の本部である大神殿を、ローゼン教の信徒たちが取り囲んでいた。その数およそ500人以上にものぼり、大砲や銃、大型投石器など、あらゆる武器をそろえている。大陸各地でローゼン教が規模を拡大していると、本部に毎月のように報告が入っていたが、まさかこれほどまでとは誰も思っていなかった。さらに、ここに集まったのがそのうちのほんの一部であること、外部に知られることなく軍の分隊にも匹敵する武器を有していたこと、そして各地の教会を無視して真っ先にこの本部へと侵攻してきたことは、セフィロト教ばかりか大陸全体をも震撼させた。


「邪教を根絶せよ!」

「“生命の樹”を守れ!」


 ほとんどは屈強な男たちだが、中には女子供も混じっていて、黒いバラ十字の旗の下、彼らは次々と神殿の外壁に砲弾や石を撃ちつけた。参拝に来ていたセフィロト教の信徒たちは、まったく突然の襲撃に混乱し、怒号や悲鳴となって出口に集中した。崩れる柱の下敷きになる者、爆発に巻き込まれる者、逃げる群衆に押し潰され泣き叫ぶ者。静かな祈りの場であるはずの大神殿が、一瞬で血と埃と悲鳴に飲み込まれた。


――戦争……。


 教皇の私室がある最上階の窓からこの惨劇を見たローシェは、刺されたように痛む胸を押さえた。ブラント村救出作戦のときには、森に立って住民を誘導していた彼女は、実際に火の手や負傷者を見たのは初めてだった。

 人が人を傷つける。神の名により別の神を殺す。

 これが戦争なのだと、今さらながら思い知った。悲しみと憤りで、痛みを通り越し吐きそうだった。どうしてこんなことになったのか、どうしたらこんなことができるのか、何も考えられない。


「すぐに信徒たちを地下通路から避難させてください」


 教皇クラウ3世は落ちついた声で、第一報を知らせにきた若い神官にすばやく指示を出した。神官は転がるように駆けていった。


「ケセドは、神殿にいるすべての騎士と戦える者たちを集め、正門と外壁の守りを固めてください」

「かしこまりました」

「ぼく達も手伝うよ!」


 すかさず助力を申し出たフウリに、アランやエリアーデ、ソラトもうなずいた。リヒトは爆音がする前から、じっと窓の外の一点を見つめていた。神殿から少し離れたところでローゼン教徒数人とともに、声を出すことも動くこともなく傍観している、黒いローブの人影。


「ありがとう。では、力を貸していただきます」 クラウ3世はわずかに迷った末にうなずいた。「あなた達3人は、ケセドの手伝いをお願いします」


 フウリとアランとエリアーデを、修道騎士が率いる前衛の守備部隊へと振り分けた。すでに武器を手にして飛び出さんとしている彼らならば、戦線を任せても大丈夫だろうと教皇は見通していた。そして、残ったローシェ達を見まわして続けた。


「あとの方々は、僕と一緒に来てください」

「どこへ、ですか?」

「ローゼン教の教祖クロイツと、直接話をつけに行きます」


 教皇の静かな言葉に、各自がそれぞれに目を見張って驚いた。


「待ってくれ、オレはみんなと戦う!」


 中でもソラトは真っ先に異論を出したが、クラウ3世は首を縦に振らなかった。


「その体で戦線に出すわけにはいきません。それに、あなたにもクロイツに会ってほしいんです」

「でも……」

「でしたら猊下、わたしも行きます。敵将のところへ出ていくなど、危険すぎます」

「いいえ、ケセド。あなたには防衛を指揮してもらわなければなりません。それに戦うなと言いましたが、天使殿、いざとなったら頼らせてもらうことになるかもしれません」


 クラウ3世が照れたように苦笑すると、ソラトも仕方なく納得して引き下がった。ケセドは教皇の身を案じ、あくまで出ていくことに反対していたが、穏やかな青年教皇はがんとして譲らなかった。


「僕なら大丈夫。これが1番、早急で簡単な解決方法なんです」

「そういうことだよ、ケセドさん。オレと兄貴がいるんだ、心配ないって」


 気持ちを切り替えたソラトにまで諭され、ケセドはしぶしぶ認めるしかなかった。そして必ず無事に戻るよう何度も言い含め、自らも信徒と神殿を守るために階下へと急いだ。フウリ達3人もそれに続く。


「あの、教皇様」


 外の轟音にくじかれそうになる勇気を必死に握りしめながら、ローシェがおずおずと尋ねた。


「どうして、私たちも一緒にとおっしゃったんですか?」

「クロイツと掛け合うには、僕1人よりも何人かで行った方がいいと思ったんです。だからといってケセド達教会の者が一緒では、いたずらに刺激することになってしまう」 青年はうつむいて自嘲した。「でも、本当のことを言うと……怖いから、なんです」

――教皇様……。 


 若き青年教皇は、それでも穏やかに微笑んでいた。弾丸や怒号が飛び交う戦場に出ていくなど、怖くないはずがない。まして出方次第で多くの信徒の命を左右する、重大な責任を背負って交渉しに行くのである。しかしクラウ3世の目に、迷いはなかった。


「ごめんなさい、あなた達まで巻き込んでしまって」

「いいえ、そんなことないです。私も、一緒に行きたいです」


 いつも他人の心配ばかりしている心優しい青年のために、何か力になりたい。心からそう思ったローシェが答えると、リッカとソラトもうなずいた。リヒトとクロードは感傷に流されず、冷静に外の様子を伺っている。


「音が少し弱まったようだ」


 黒衣の医師がふり返ると、クラウ3世は5人を見まわしてうなずいた。



 倒れたフウリを連れて入ってきた大神殿の裏口から、ローシェ達は物音を立てないように進んだ。いつでも刀を抜ける体勢のソラトが先頭を行き、教皇の後ろをリッカとローシェが続く。クロードは付かず離れずの距離を保っていて、リヒトの姿はいつの間にかなくなっていた。


「異教徒を神殿に入れるな!」

「先に大砲を破壊するんだ!」


 セフィロト教の修道騎士が指示を飛ばす声が、遠くに聞こえる。幼なじみや仲間たちは大丈夫かと、ローシェは途中でふり向いたが、黒い煙しか見えなかった。周囲の気配に神経を尖らせていたソラトが、ふと足を止めて小声で叫んだ。


「誰かが来る……!」

「こっちです」


 とっさに横道へ逸れた教皇に従い、ローシェ達も木々の間に隠れた。ローゼン教の男たちが数人、銃を手に駆けていく。ソラトは戦うことも辞さないつもりだが、できる限り隠密に進みたいクラウ3世は、道から外れたまま森の中を行くことにした。クロイツがいるだろう場所は、窓から見えた感覚を頼りに見当をつけるしかない。


「クラウリル、そんなに走っていいのか」

「もう元気になりましたよ」


 1度だけクロードが注意したが、教皇は笑っただけで歩みを止めなかった。近くにうろうろしているローゼン教徒から隠れながら、石や木の根が邪魔をする道なき道を進むのは容易ではない。遅れないよう必死についていくローシェは、すでに恐怖や不安といった感覚が麻痺していた。自分に何ができるのかはわからないが、とにかく足手まといになってはならない。その一心で、ただ前を行くリッカの背中だけを注意していた。


「確か、このあたりのはず……」


 しばらく進んだところで、ソラトとクラウ3世が止まってあたりを見まわした。ここまで来れば、窓からも見えたように、ローゼン教徒もほとんどいない。もう大丈夫だろうと道へ出ていったが、探している人物もいなかった。


「おかしいな。開けた場所に見えたんだけど……」

「わたしをお探しですか」

――……ッ!?


 静かな声だったが、ローシェは悲鳴も出ないほど驚いた。ソラトとクロードが反射的に教皇を背にかばい、リッカもぐっとローシェの手を握りしめる。彼らの背後にいつの間にか立っていた黒い影は、フードの下で声もなく笑った。


「初めまして、教皇殿」

「あなたがローゼン教の教祖、ですか」


 2つの宗教を統率する2人が、初めて言葉を交わした。まわりを固めていた信徒が誰もいなくなっていたが、クロイツは1人でも落ちつき払っている。武器などいっさい手にしておらず、ただ細身のローブが立っているだけなのに、押し潰されそうな抗いがたい威圧感があった。ローシェはバーミリオン王国の都で誘拐されたときのことを思い出した。


――この声、不思議な感じ……間違いないわ。


 対峙するのは2度目とあって、動揺することはなかった。それでも、できることなら今すぐ逃げ出したい衝動は抑えがたい。喉がからからになり、頭が痺れそうになりながらも、ローシェはどうにか呼吸を整えようとした。


――天気が悪い……だから出てきたのね。


 目だけで見上げると、空は今にも雨が降り出しそうなほど暗い。日の光に弱いクロイツは、それでも漆黒のローブをしっかりと身にまとい、フードを深くかぶっていた。彼の表情も正体もうかがい知ることはできないが、クラウ3世はソラトの前に出て言った。


「あなたはなんのために神殿を襲ったりするのですか?今すぐ攻撃をやめさせてください」

「それは、できませんな」 クロイツは低く地を這うような声で言った。「誤った教えを改めるよう、何度も忠告したはず。大陸を破滅に導く邪教は、速やかに消さなければなりません」

「どちらの教えが正しいとしても、人の命を奪うなど許されるはずがありません」

「すべての生命の未来を滅亡させるセフィロト教こそ、許しがたい悪魔だ」


 クロイツの声が、かすかに上ずっているように、ローシェには感じられた。


――怒りと憎しみ……でも、それだけじゃない。深い、悲しみのような……。


 戸惑う彼女の横で、クラウ3世はどうにか話し合いで解決できる糸口を探そうとしていた。クロイツがさらに1歩前に進み出て、ソラトがさっと刀の柄に手をかける。


 そのとき、上空から一筋の閃光が走った。一瞬のことで、その場の誰も身構える暇さえなかった。雷鳴が遠くで響いているが、稲妻の光ではない。冷たく鋭い刃が、まっすぐに夜色のローブを貫いていた。


「兄貴……!」


 ソラトが叫ぶと、リヒトはゆっくりと刃を引いた。赤黒い血がしたたり、クロイツの体が揺らめく。ローブの後ろ姿を見据える魔王の目は刃以上に凍り付いていた。


「生命の流れを遮る元凶は、消し去るまでだ」

「そんな、命を奪うまでしてはいけない!」


 クラウ3世は非難したが、ローシェは複雑な気持ちだった。確かに凶行そのものはよくないが、この得体の知れない不気味な存在は、話して分かり合えるとは思いがたい。わずかな安堵感と罪悪感を覚えながら見守っていたが、やがてそれはさらなる恐怖に取って代わった。ローブは体勢を崩したものの、いつまでたっても地面に倒れることはなかった。


「完全に気配を絶った、見事な不意打ちだな」


 のけぞっていたローブが起き上がり、血が流れ続ける胸の傷を、まるで虫に刺された跡を確かめるかのように無造作にさわった。平然とした声は震えている様子もない。さすがのリヒトも目を見張り、さっと跳び退って距離をとった。


「だが、残念だったな。わたしは死なない。死ねないのだよ」


 クロイツ=ローゼンは、少しだけフードのふちを上げて笑った。闇をも飲み込む真っ白な肌と赤く燃える目があらわになり、初めて見るローシェ以外の全員が息を呑む。


 今なお爆撃と悲鳴が続く神殿の上空で稲光がはじけ、とうとう大粒の雨が降り出した。



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