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34.ワインの町の医師

・クロード……ソーテルネスに住む医者。

 バーミリオン王国の中南部には、丘5つ分にもなる大陸最大規模のブドウ畑が、見渡す限りに広がっている。1年を通して雨が少なく温暖な気候で、渇いた風が木々を揺らす光景は、風の妖精がブドウを祝福しているという言い伝えがある。そのブドウから作られたワインは、滑るような舌触りと濃厚な甘酸っぱさの中にわずかな苦味が隠されていて、最高級品の名を誰もが認めていた。


 逆に言えば、特産品のワイン以外は何もないようなこの片田舎に、ソラトとローシェが代表でやってきた。2人は町のいたるところに並ぶワインボトルには目もくれず、まっすぐに急ぎ足を進めていく。町の入口で聞いた目的の建物は、水鳥が遊ぶ池のほとりに、すぐに見つかった。


「すみません!」


 ソラトが戸を叩いて叫んでみたが、しんと静まり返って反応がない。足元を、年老いた猫がゆったりと横切っていく。イライラしてもう1度腕を振り上げたら、見透かしたかのように内側から扉が開いた。


「どいつだ?」


 戸の隙間から顔を出した男が、いきなり低くささやいた。秋風に長めの前髪が揺れ、顔の線は細く美しい曲線を描いている。しかし、にらみつける鋭い目と突然の出現に、ソラトもローシェも圧倒されてしまった。


「患者はどいつだ、と聞いている」

「あ、あぁ……仲間が倒れたんだ。今は町の外にいる」


 ソラトが遅れて答えると、男は納得するどころか、じっと見据える目も動かさなかった。なぜか初対面でにらまれ敵意さえ感じられる眼光に、ソラトはたじろいだ。


「……入れ」


 出てきたときと同様、男は唐突に言って奥へと消えた。ローシェとソラトは顔を見合わせた。


「あの人で、いいのよね?」

「たぶん……大丈夫なのかな」


 2人は医者の人間性に不安を感じながらも、とりあえずは話を聞いてもらえそうなので、おとなしく中に入っていった。

 包帯やメスなどが棚いっぱいに並ぶ部屋で、男の全身が改めてわかった。黒髪の同じ色の上下の服は陰険にも思え、ケセドとよく似た長身細身は端麗にも見える。腕利きの医者と聞いて2人が想像していたよりも若いが、年齢はよくわからなかった。


――ドクター・クロード、か。


 ソラトは机の上に散らばった書類にちらりと目をやり、医師の名を確認した。しかし彼が呼びかけるより先に、クロードが口を開いた。


「言っておくが、俺は戦争の負傷者は診ないからな」

「どうしてだ?」

「くだらん。人間同士が勝手に殺し合いをしているのに、なぜその傷を治す必要がある」

「だけど、巻き込まれただけの人だって大勢いるじゃないか」

「そういう権力者を選んで従っている責任の結果だ。もし巻き込まれたくないのならば、こういう田舎なり大陸の外へでも逃げればいい。何もせずに、ただ被害者ぶっているだけなら、戦争屋と大差ない。バカなヤツらさ」


 あまりに一方的な言い分に、ソラトはカチンときて声を荒げた。


「みんながみんな、逆らったり逃げたりできる力があるわけじゃない!それに、そんな人たちを助けようとするヤツだっているんだ!自分の危険を顧みないで誰かのために傷ついて、それでもバカだっていうのか!?」

「ソ、ソラトさん……!」


 勢いで刀の柄に手をかけたソラトを、ローシェがあわてて止めた。クロードはじっと彼らを見据えて動かない。怒りが収まらないソラトは、にらみ合う目を離してきびすを返した。


「早くしないと、フウリが危ないんだ。こんなヤツに頼んでいる時間はない。ローシェ、他の医者を探そう」

「で、でも……」

「なるほど、戦争の被害者を助けようとして負傷したというわけか」

 

 静かにつぶやいた声にふり返ると、クロードが薄く笑っていた。


「ならば、火傷か打撲か、あるいは切り傷といったところだろうな。ここへ連れてこられないところをみると、意識がない重症……手術が必要となると、少し厄介だな」


 黒ずくめの医師は、棚からチューブや布を取り出しながら、ぶつぶつと独り言を続けている。その言葉も行動の意味も理解できないソラトの横で、ローシェがあっと小さく驚いた。


「もしかして、患者の様子を知るために、わざとあんなことを……?」


 クロードは作業の手を止めることなく、背を向けたまま答えた。


「もう1つ、お前らの真剣さも知るためだ。それほど大切な者でもないならば、それこそよそを当たってもらうためにな」


 やっと状況を理解したソラトは、しかし憤慨する気分に変わりはなかった。試されていたことも、挑発に乗ったことも気に食わない。


――相当なひねくれ者だな。


 王宮医師を辞退したという背景や、こんな田舎町に移り住んだ理由が、なんとなくわかった気がした。この皮肉屋な性格では、権謀術数うずまく王宮になじむはずがない。そして得意ではなさそうな人付き合いを避け、さらに好物のワインを片手に静かに仕事をできるこの町が、彼にとって最良の場所なのだろう。


「あの、それで、フウちゃん……怪我をした友達を、診てもらえるんでしょうか?戦争の負傷者、だけど……」

「あん?あんなものは詭弁に決まっているだろう。俺は医者だぞ」

――どうだか。


 悪びれることもなくあっさりと前言をひるがえしたクロードを、ソラトはまだ信用できなかった。医者だというのならば、いちいち遠まわしにカマをかけて事情を聞きだしたりせず、一刻も早く患者の容態を聞いて治療に向かうべきではないか。


「……ところで、その患者のところへ向かう前に、もう1人診ておいた方がいいヤツがいる」


 クロードはすばやく医療器具や薬品をかばんにつめこんだが、すぐに動こうとしなかった。急いで飛行艇に戻ろうとしていたソラトとローシェも、何事かと足を止めた。


「なんだよ、まだ他の患者がいたのか?」

「あぁ、そのようだ」


 つかつかと近づいてきたクロードが、突然ソラトのマントをつかんでめくり上げた。ソラトはとっさに飛び退ったが、すでに白い翼がマントの下からのぞいていた。


「お、お前……!」

「なるほど。これが関係しているのか?」

「先生、あの、それは作り物で、ソラトさんは……」


 ローシェが必死に取り繕ったが、クロードはじっとソラトとその背を凝視して動かない。


――こいつ、オレの翼を見抜いていた……?


 まさかマントをつかまれるとは、これまで誰にも怪しまれなかっただけに、完全に油断していた。しかし翼を見てもさほど驚いていない様子の医師は、どこまで何を知っているのだろうか。


――こうなったら……。


 ソラトはそっと刀の柄に手を触れた。騒いだり同行を拒んだりするようならば、脅してでも連れていくしかない。そう思ってじりじりと間合いを詰めていくと、クロードはまたしても意外なことを言った。


「お前、体のどこかに不調があるだろう」


 言っている意味がわからないソラトに、クロードは表情を変えることなく、わずかに翼を目で示して付け加えた。


「“それ”のせいかどうかはわからんが、お前は不思議な力を持っている。そして体調がすぐれないときがある。……違うか?」

「ど、どうしてそれを……」

「言っただろう、俺は医者だと」


 それでもまだ、ソラトは警戒を解かなかった。いくら医師とはいえ、翼を持つ者など知るはずがない。少なくとも、この時代にはまだ1人も生まれていないはずなのだから。


――それにこいつ、魔法のことも知っている?……いや、まさか。


 たまたま顔色が悪かったので、体調がよくないと見抜いただけかもしれない。時代遅れのマントを不自然に思っただけだ。そしてこんな翼を持っていれば、何かしらの未知の力もあるだろうと考えることは、充分にあり得る。今度こそ誘導尋問に乗る気はないと構えていると、クロードは鼻で笑った。


「今度こそ本当のことを言っておくが、俺はお前のような不思議な力を持ったヤツを知っている。翼はなかったがな」

「誰だ、それは?」

「患者のプライバシーを言うわけにはいかん。だが、そいつは原因不明の病にかかっていた。お前も同じだと、医者おれには“匂い”でわかる」


 笑ってはいても、目が真剣だった。冗談ではないということはソラトにもわかったが、どう答えたらいいのかわからなかった。


「ソラトさん、病気って本当なの?」


 ローシェが不安げに尋ねてきたので、ソラトはあいまいにうなずいた。


「ちょっと、胸が痛むだけだよ」

「胸、か」


 クロードの顔が初めて険しくなった。ローシェがますます心配そうに見てきたが、ソラトはわざと軽く肩をすくめた。医師の反応は気になったものの、今はそんなことを言っている場合ではない。


「オレは後で診てもらうから、先にフウリを助けてくれ。あいつはエアプルームごと撃墜されて、森に落ちたんだ」

「なるほど、確かにそれは危険だな。緊急手術をすることになるかもしれん。お前、助手はできるか?」

「え、わ、私ですか?……は、はい!」


 ローシェは戸惑いながらもうなずき、クロードも今度こそ腰を上げた。ソラトが先頭に立って外へ出ようとしたが、そのときビンが割れる音とかん高い悲鳴が響いた。都からも中央街道からも離れた田舎町だからと安心していたのに、もう戦火が迫ってきたのか。そう思ってあたりと見まわしたが、町の入口に現れたのは兵隊ではなかった。


「魔獣だぁーッ!」


 逃げ惑う人々の絶叫を聞くまでもなく、よだれをまき散らす真っ赤な眼犬が、10匹以上もの群れでなだれ込んでくるのが見えた。ソラトは刀を抜き、壁際で固まっているローシェに中に入っているように言った。


「で、でもソラトさん、1人じゃ……」

「大丈夫だよ、あれくらい。元の世界じゃ、熊やライオンも相手にしていたからな」

「悪いが、俺も避難させてもらうぞ。メスと医術書より重いものは持ったことがないんでな」


 クロードはローシェを連れて、さっさと診療所に引き返した。しかし扉は開けたままで、イスに座って悠々と見物を決め込んでいる。ソラトはむっとしながらも、何も言わずに走り出した。


「お前らの相手はオレだ!」


 逃げ遅れた少年が噛まれ、助けようとした男の足に喰らいついた犬を、ソラトは一刀両断に斬り捨てた。3匹がうめきながら飛びかかり、1匹が背後から牙を向けても、ソラトは慌てることなく淡々と刀を振るった。


――さっきより増えたな。


 いつの間にか30匹近くの野犬が取り囲んでいたが、この程度の魔獣に遅れを取るつもりはない。増えたといえば、棒やパイプなどを武器に立ち向かう男たちが、いったんは逃げた家から戻ってきていた。味方が加わったのはありがたいが、これでは翼で飛ぶことはできなさそうだった。


――まぁ、魔法は気付かれないようにすればいいか。


 狂った野犬は、打ち付けたり少々の傷を負わせたくらいでは退かなかった。血だらけになっても起き上がって向かってくるので、刀だけで応戦していてはラチがあかない。ソラトは近くで戦っている男たちの視線に注意しながら、両手で振るっていた刀を右手だけに持ち替え、左手に見えない力を集めた。


「そらよ」


 普通の犬では考えられない跳躍で頭上に迫っていた魔獣が、何かにはじかれたように空中で吹っ飛び、2つ向こうの路地にある街路樹に叩きつけられた。後ろに感じた殺気にふり向きざまに刃を払い同時に衝撃を放つ。まわりで見守っている住人からは、刀で斬り伏せたようにしか見えないだろう。さらにもう1発と左手を構えたソラトは、一瞬、目の前が真っ暗になった。


「がっ……!」


 またしても、胸に刃を突き刺されたかのような激痛が走った。思わず力を消した左手で胸を押さえたソラトに、魔獣が容赦なく襲いかかる。ほとんど無意識に、反射的に動いた刀で真っ二つにしたら、さすがに立っていられなくなってうずくまった。


――な、何なんだ、こいつは……!


 意識が後ろの方に引っ張られる感覚。心臓が握りつぶされそうな痛み。巨大な何かに押し潰されているような圧迫感。しかも、そのすべてが前よりも確実にひどくなっている。


――ヤバい。今、倒れたら……。


 呼吸もできないまま、必死に刀を握りしめたが、暗くなる目をどうにか開けているのが精一杯だった。魔獣のうなり声が、すぐ横まで近づいている。その牙が動かない朱髪に喰らいつこうとした瞬間、まぶしい光が一筋の刃になって魔獣を貫いた。


「なっ、なんだ!?」


 かすむ目を無理やり上げたソラトだけでなく、傷だらけになりながらも戦っていた男たちや、避難しながら見守っていた住人たちまでも、いっせいに空を見た。そこには、赤茶色の髪と青いローブをなびかせた人影が浮かんでいた。


「あ、兄貴……」


 締め付けられる胸から、ソラトはその一言だけを吐き出した。白い翼の影は目を細め、上空から弟を見据えて動かなかった。



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