31.終わりを告げる狼煙
・アリアドーネ……バーミリオン王国第一王女。18歳
リッカからローシェ誘拐の知らせを聞いたフウリは、行列を並んでようやく作ってもらったばかりの見事な飴細工を放り出し、すぐに人ごみを押し分けて現場へと走った。動揺してうまく説明できない弟から、当時の状況を断片的に聞き出し、急いで警備隊に通報しようとしたのだが。
「いや、少し待ってくれ」
焦るフウリを、ケセドが引き止めた。リッカが彼女たちを呼びに行っている間に、彼は1人で現場の周辺を調べていた。
「どうしてですか、ケセドさん!?早く捜索してもらわないと、ローシェが……!」
「落ちつくんだ。犯人像も行方も、だいたい見当がついている」
「えっ!どこの誰なんですか!?」
食いつくように迫るフウリをなだめて、ケセドはすっかり暗くなった街に目をやった。月のない闇に、楽団の音楽に合わせた色とりどりの仮面の群衆が踊る。祭りのフィナーレを飾る賑やかな舞踏会の真ん中で、異国の地から来た少女たちだけが、奇妙に静かで厳しい空気に包まれている。
「……ローシェ君をさらったのは、おそらくローゼン教の連中だ」
ツォレルン侯の手紙を渡すため、これから会う予定だった王女アリアドーネのこと、彼女の歳格好がローシェと似ていること、そして背後から王国を戦争へと仕向けているローゼン教のこと。
これらを考えると、行動力も発言力もある反戦派の王女は、ローゼン教にとって邪魔な存在であり、彼女が外出しているときに偶然やってきたローシェを間違えて誘拐した――という事態を、ケセドは憂慮していた。
「そいつら、ローシェをどうするつもりなんだ?」
「王女ならば開戦まで監禁しておいたり、交渉事に使ったりする可能性もあるが、もし人違いだとわかったときには……」
警備隊に知らせれば、王女の安否を城に問い合わせるだろうから、それがローゼン教側に伝われば本物の王女ではないことがすぐにわかってしまう。正体や裏の事情を知られた別人など、無事で帰すはずがない。ケセドはとっさの推理で、通報をためらったのだった。
「ローシェさん……!」
リッカは残されたローシェのメガネを大事に抱えて、真っ青な顔で人ごみの中から探し出そうとするかのようにあたりを見まわした。そんな彼の肩に手を置いて励ましながら、頭ひとつ分大きなアレンが、冷静に広場の向こうを眺めて目を細めた。
「あそこの、大きなバラ十字の模様がある建物が、ローゼン教の教会なんですか?」
「あぁ。しかし、まさか人目につきやすい聖堂にはいないだろう」 ケセドは少し視線をずらした。「ローシェ君がつれていかれたのは、おそらく教祖のいる場所……太陽の光が届かない、路地の奥まったところだろう」
「よし、それなら手当たり次第に怪しいところを探してやる!」
結論だけ理解したフウリは、すぐさま裏路地に乗り込んでローゼン教の建物を探し出そうとしたが、飛び出す前にまたしてもケセドに止められた。
「待つんだ。夜は動かない方がいい」
「どういうことですか!?さっきも、ローシェが危ないって言ったのに!」
「確かに早く見つけなければならないが、あの教祖は……夜は危険だ」
意味がわからず首をかしげるフウリ達に、ケセドは教祖クロイツが屋敷にやってきたときの話をした。
「彼は日の光に弱い特異な体質で、昼間に外出することはできないらしい。しかし、夜の闇の中では得体の知れない不気味な力を感じた……と、ツォレルン侯が言っていた」
「だからって、ローシェを放ってはおけない!ぼくは1人でも探す!」
「オレも行くぞ」
「ぼ、僕も……!」
「朝までじっとしているなんて、できねぇよな」
ソラトとリッカとアランまでもが、次々と前に出てきた。大切な友達が恐ろしい目に遭っているというのに、おとなしく待っていろと言われて聞けるはずがない。それにソラトのときと違って、彼女はごく普通の無力な少女なのだ。
――ローシェが泣いていたら、ぼくが助けなきゃ!
学校の勉強や谷での厄介な雑用事は、いつもローシェの知恵で手伝ってもらってもらい、突然のトラブルや友人との輪にはフウリが入っていって助ける。それが子供のころからの、形のない2人の約束だった。
「……わかった」4人の強い目を見たら、さすがのケセドも抑えることはできなかった。「ただし、1人では行動しないこと。そして、もしそれらしい建物を見つけても、乗り込むのは朝まで待つこと。いいね?」
フウリ達はぱぁっと笑ってうなずいた。1人でも行くと意気込んだが、やはり保護者である修道騎士の了承があるのは心強い。現実的にも、この街のことを知っているのは彼だけだから、探す効率も上がる。
夜が更けたころに舞踏会が終わり、片付けが始まったのを見計らって動き出した。
家路につく人の流れにまぎれて、ローシェが消えた方角――広場とは逆に向かって進み、ある程度のところまで来ると、祭りの熱が冷めやらない大通りから裏路地へと入った。
そこから、フウリとアランとリッカが西へ、ソラトとケセドが東へ。
まだ花火が上がっていたり、酔っぱらいがケンカをしていたりと、喧騒は真夜中になっても続いている。裏で動きやすい倉庫か、王国内部とコンタクトを取りやすい貴族街に隠れている可能性が高いというケセドの指示に従い、市民街から1本奥にある倉庫通りと、中流貴族街をひとつずつ様子を調べていく間も、特に怪しまれることはなかった。
――ローゼン教のヤツら、ローシェに何かあったら許さないからな!
以前、ウィスタリアの都につく直前に襲われたこともあったが、客から預かった手紙を間接的に狙われただけだと、大して気にも留めていなかった。しかし、今度は2人といない幼なじみの親友が、得体の知れない者たちにいきなり拉致され、身に覚えのない理不尽な理由で監禁されているかと思うと、1発ぶん殴ってやらないと気が済まない。何より、今すぐ駆けつけてローシェを安心させてやりたい。
「あっ……!」
川沿いに並ぶ古い倉庫を注意深く確認していたフウリは、ふと川の向こうに目をやり、目と口を大きく開けた。思わず声をあげそうになったが、近くにいたアランに頭を押さえられ、リッカもやってきて物陰に隠れて見ていると、対岸の貴族街にある大きな屋敷の間に入っていく、赤いローブの後ろ姿を確認した。
「あれだ、あんなところに隠れていたのか!」
「あそこにローシェさんが……?」
「まだ、そうと決まったわけじゃない。俺はケセドさんに知らせてくるから、いいな、お前らはここでじっとしていろよ」
今にも殴りこみに行きそうな2人に、アランは絶対に動かないようしつこく言い聞かせてから、東の王宮側に向かったケセドとソラトを呼びに行った。残された姉弟は、月明かりも人通りもない暗闇に身をひそめて、屋敷の影に隠れた建物を見張っていた。
「僕……」
「ん?」
早く助けに行きたい気持ちを押し殺すように、リッカがつぶやいた。フウリはふり返って、しぼり出そうとしている言葉の続きを待った。
「僕、ローシェさんを守るって言ったのに、手をつないでいることもできなかった……僕なんかじゃ、アランさんやソラトさんみたいに強くもないし……」
「あんたが弱気になってどうするんだ!」 フウリはうつむく弟の背中をどんっと叩いた。「前にローシェにも言ったけど、腕っぷしなんか、あいつらに任せておけばいいんだよ。あんたは、あんたにしかできないことをすればいいんだ」
「僕にしか、できないこと……?」
「ローシェは、あんたが来るのを待っているんだよ!」
リッカは呆然とした顔で何度も瞬きをして、それから姉の言葉を飲み込むように大きくうなずいた。そして、ゴールを見据える陸上選手のように、じっと対岸をにらみつける。迷いも恐怖も消えたその横顔に、フウリはこっそり笑った。こんなに必死に何かをする弟を、初めて見た気がする。
――いつの間にか、あいつも大きくなったよな。
温和で内気だとばかり思っていたが、強くなろうとがんばっている姿は、姉として誇らしかった。
その後ケセド達も駆けつけ、5人でしばらく監視をしていたが、特に動きはなかった。周囲に人の気配がなく、祭りの余韻も届かない貴族街はしんと静まり返っている。
「ふぁ……」
バーミリオン王国に入るときに気を張っていたのと、祭りを楽しんではしゃぎすぎたせいで、フウリは疲れを隠しきれなかった。リッカもあくびをかみ殺したような顔をしているが、目だけは対岸に向けて集中している。捕まっているローシェの苦悩を思えば、この程度のことはなんでもないと、フウリは顔を叩いて気合いを入れ直した。
「見張りは交代にして、少し休むかい?」
ケセドが気を利かせて提案したが、休む方に誰も手を上げないので、結局そのまま全員で監視を続けた。夜明けごろに数人の赤ローブが建物から出てきたが、ローシェの姿を確認することはできなかった。
「そろそろ、いいかな?」
疲労と我慢の限界で、フウリは朝日に目を細めながらケセド達にふり返った。どこかの倉庫から、野菜を仕入れているらしい市場の声が聞こえてくる。都は朝を迎えようとしていた。
「よし、それじゃぁ行ってみよう。何があるかわからないから、くれぐれも単独で先走ってはダメだよ」
ケセドはうなずき、余計な争いの元にならないようにと、セフィロト教の紋章が縫い付けられている外套をぬいだ。許可を得たフウリが真っ先に飛び出し、リッカやソラト達も彼女に続いて近くの橋を渡る。ローゼン教徒が出入りをしていた細い道を正面から行くのは避け、貴族の邸宅をまわり込んで裏から近づいた。
「なんだ?」
早朝の静寂の中に、ガラスが割れる高い音が響いた。それも、目指す建物からである。フウリ達はさらに足を速めて音がした方に急ぎ、隣の屋敷との間を壁伝いに入っていくと、L字型になった裏庭に出た。
「ローシェ!」
割れた窓の下に腕を縛られたままの幼なじみの姿を見つけ、フウリはあたりを警戒するのも忘れて叫んだ。しかし、ひと呼吸置いてから、どうしてこんなところに座り込んでいるのかということと、彼女の横にもう1人見知らぬ少女がいることに、今さら気付いて疑問を持った。
「ローシェさん、大丈夫!?」
「フウちゃん、リッカ君!」
「話は後よ。とりあえず、こっちへ!」
リッカがローシェの腕を縛っている縄を解いて、2人は離れていた手をしっかりとつなぎ直したが、再会の喜びも束の間、少女の鋭い指示が飛んだ。有無を言わさないその声に、フウリ達は反射的についていき、もうひとつの細い道から表通りへと出た。そしてまたすぐに裏路地へと入り、住宅街の中をどんどん進んでいく。
――このコ、誰なんだ?警備隊じゃないだろうけど、でも、ぼく達より先にローシェを助けてくれた……?
後ろから走りながら、フウリは謎の少女に考えをめぐらせた。見たところ同じくらいの年齢で、小柄だが動きがテキパキとしている。屋敷の間から差し込む朝日を受けて、金色の髪がまぶしく輝いていた。
――この色、ローシェと同じ……まさか……?
「ここまで来れば、もう大丈夫よ」
ぐるぐるとかなりの距離を走り、壊れた壁の隙間から潜りこんだどこかの広大な庭の片隅で、少女はようやく足を止めてふり返った。あたりに耳を澄ましても、ローゼン教徒が追ってくる気配はない。息が切れて座り込むローシェを助け、フウリは改めて少女の顔をまっすぐに見た。
「……やっぱり、似ている。ローシェとそっくりだ」
「えぇ、そうね。私も驚いたわ」
少女はローシェとフウリにうなずいて笑った。話してみると、声や雰囲気は違うことがわかるが、髪形や体格はやはり双子のようにそっくりだった。
「あんた、もしかして……」
「気付いていたのね。そう、私はアリアドーネよ」
ケセドから聞いていたとはいえ、フウリ達はその名を聞いてもほとんど驚かなかった。ローシェと似ているからとか、着ている服が高価だからとか、そんな理屈を抜きにしても、この気品ある物腰と包み込むような優しい笑みは、聖女とも謳われている王女の他にあり得ない。
「どうして、王女様があんなところに?」
「祭りに乗じて暴動を起こそうとしている者たちがいるという情報があって、この騒ぎと人数じゃ警備隊でも抑えきれないから、私も街を巡回していたの。そうしたら、どうやら暴動の情報はローゼン教のデマだとわかったんだけど、教祖の館に女の子が連れていかれるところを見かけて……私と間違えられて狙われたのね。怖い思いをさせてしまって、ごめんなさい」
「そんな、助けていただいたのに、謝るなんてとんでもないです!」
すべてを把握しているらしい王女は、自分のミスだと謝った。ローシェは恐縮して、さらに頭を下げてお礼を言った。王族が謝罪するのも、単独で街を出歩くことも、聞いたことがない。うわさ以上の器と行動力を持った姫君だと、フウリ達は感服した。
「あなた達、この国の人間じゃないわね?」
「あ、その……」
「隠さなくてもいいのよ。ただ、こんなに私と似ているんじゃ、いろんな意味で話題になってしまうから大変だと思って。……でも、ということは、ウィスタリア帝国から来たの?この時期に」
「そうです、貴女にお会いするために参りました」
柔らかいながらもはっきりとした声に、アリアドーネは瞬きをした。ケセドは折りたたんでいた外套を羽織り、うやうやしく一礼した。
「あなたは、ウィスタリアの……」
「わたしはセフィロト教会修道騎士、ケセドと申します」
初めて正面から顔を見た王女は、何かを言いかけたが、ケセドはそれをさえぎって挨拶をした。アリアドーネもわずかに間をあけたが、それ以上は何も言わずに微笑んだ。
「はじめまして、修道騎士殿。それで、侯からのお手紙とは?」
帝国の紋章が入った青い布を差し出し、ケセドは1歩後ろに下がった。アリアドーネはその場で包みを開き、すばやく手紙に目を走らせた。優美な眉が、みるみるうちに険しく歪む。
「……やはり、ローゼン教が裏で糸を引いていることは、先ほどの誘拐でも明らかね」 王女は顔を上げて、修道騎士に目でうなずいた。「わかりました。すぐに父上に事の次第をお伝えして、戦争を撤回していただきます。ローシェさん、あなたも証人として来てくれるかしら?」
国王はローゼン教に操られているだけだから、真相を知れば帝国と争う愚行に気付くはずだと、アリアドーネは言った。そのために、王女を狙った誘拐事件の顛末を、ローシェからも話してもらわなければならない。まだ混乱ぎみだが、その意図を理解したローシェは、迷うことなくうなずいた。
……が、そのとき。
「うわっ!」
突然、地面が揺れたかと思うほどの大きな爆発音がこだまして、フウリ達はあたりを見まわした。王都を囲む山のあたりから、黒煙がもうもうと立ち昇っている。これほどの距離で揺れを感じるほどの爆発は、ただの山崩れなどの規模ではない。遠く山の向こうの空に、いくつもの影が見えた。
「あれは……ウィスタリア空軍艦隊!バカな、外交会談が終わるまで攻撃しないはずでは……」
ケセドは黒いメガネの下で目を見開いて絶句した。なぜ彼が帝国軍の予定やその艦隊を知っているのかということに気付くほど、その場の誰にも余裕はなかった。
――戦争が、始まってしまった……。
フウリは朝の光に輝く空に、どす黒い不吉な風が渦巻いているのを感じた。もはや、無傷で戦争を回避することは不可能だった。