29.消えた赤い髪飾り
大陸最大の面積と歴史を有する2つの都のうちの1つ、西の大国の首都バーミリオンは、四方を険しい山々に囲まれた平野にあり、夏は厳しく冬は寒さが厳しい。内陸なので陸路しかないが、どんな山の中でも完全に整備されていて、どの町にも人や物が速やかに行き来できるよう、道路が国中に網羅している。
逆に言うと、道さえ封鎖すれば剣呑な山脈が自然の砦となり、建国以来いくつもの戦渦をくぐり抜けてきた王都は、難攻不落の要塞として栄えた。さらに、豊かな田畑の食糧自給を背景に籠城戦に持ち込み、まわりの山から敵陣の背後を突くという戦法を、王国軍は得意とした。
――確かに、この山は越えるだけでひと苦労だな。
立派に舗装された山道と、その途中にいくつもある検問所を馬車で通りながら、ケセドは帝国軍を指揮する選帝侯としての目でつぶさに観察していた。戦争はどうあっても回避したいと思っているが、もしも実際にここへ攻め込まなければならなくなったときのことを想定し、一筋縄ではいきそうにない膨大な労力と時間と考えると、やはり戦ったところで百害ばかりで一利もない。
「うわぁ、あれが王都か!」
馬車の窓から顔を出していたフウリが、無邪気に叫んだ。ケセド以外の4人も、それを聞いて次々と外をのぞいてみる。曲がりくねった長い山道を抜けると、眼下には鮮やかな色の街が広がっていた。
「きれいな建物がいっぱいあるななぁ」
「帝都は機械的で味気なかったからな」
「バーミリオンは昔から芸術家が多い国だから……あっ、あの尖塔、カウティーが作った教会かしら?」
「なんだか、もうすぐ戦争が始まるなんて感じ、全然ないね」
同道者たちの素直な感想を聞きながら、ケセドは微笑ましく思うと同時に、危惧を抱いた。これが戦争を知らない子供たちというものであり、だからこそ純真に笑っていられるのだ。
――彼らまでが、あの悲惨な思いを知ることになったとき……。
この笑みは、それでも耐えられるのだろうか。この笑みが消えてもなお、戦争をする意味があるというのか。ちょうど彼らくらいの歳に戦争が終わったケセドは、終わらせた教皇リア1世を思い出し、姉の尽力が踏みにじられようとしていることに胸を痛めた。
「戦争どころか、なんだか楽しそうな雰囲気だな」
真っ先に飛び降りたフウリに続き、都の門で馬車を降りたら、軽快な音楽までが聞こえてきた。きれいな服を着た男女でにぎわう目抜き通りには、串に刺した焼き料理の屋台やおもちゃ屋など、さまざまな出店が並んでいる。広場では噴水を囲んで、ピエロの手品ショーや楽団の演奏会が行われていた。
「そうか、今は収穫祭の季節だ」
ケセドは自分でつぶやき、この都の状況も悟った。
農業大国のバーミリオンにおいて、収穫祭は最も重要な行事のひとつである。しかし、いくら国を挙げての一大イベントとはいえ、今まさに戦争を始めようとしているときに、これほど民衆が浮かれているのもおかしい。
「戦争の話は、街ではしない方がいいな」
「え、どうしてですか?」
「おそらく、まだ一般国民には知らされていないはずだ。年明けから計画が進められるという祭りを取りやめては、動揺や反感が大きいだろうからね」
しかし、とケセドは口元を押さえて考えた。それならば、今年の初めには、まだ戦争をする気はなかったということになる。だが、大陸を2つに分けた大戦をするとなると、武器も兵士も食糧も、すべてにおいて大規模な準備が必要になる。
――この短期間で決めて、その上、わざわざ自分たちが動けないときに相手を挑発する必要があるのか……?
正式な宣戦布告ではないとはいえ、帝国皇帝に書簡を送ったからには、いつその情報が国民に伝わるかもしれず、またはいつ攻めてこられてもおかしくない状況なのだ。何か腑に落ちない違和感を覚え、ケセドはこの国の真意を量りかねた。
しかし、ケセドがどれだけむずかしく考えようとも、この最高に楽しい光景を目の前にして、彼らが黙っていられるはずがない。
「なぁ、せっかくなんだから、ちょっとだけお祭り見て行こうよ!」
「いいな、オレも見たい!」
「あっ、おい待て!俺たちは遊びに来たわけじゃ……」
アランがとっさに止めようとしたが、フウリとソラトは言うが早いか街の中に駆け出していった。ローシェとリッカも興味津々の顔をしているが、さすがに思いとどまってケセドをふり返った。
「まぁ、少しくらいはいいか。街の様子を見ておくことも必要だからな」
「わぁ……!」
「やった!」
すでに2人が飛び出していて、さらに2人から期待の眼差しを向けられると、ケセドも苦笑するしかない。
「いいんですか、ケセドさん?」
あきれるアランは、一行の年長者だけあって、そのあたりの分別はわきまえている。しかし、さらに大人のケセドは彼らを許容する器も持っていた。
「わたし達がこれから会う予定の人物とは、表から堂々と面会するわけにはいかなくてな。だから急がなければならないのは確かだが、城に行くのは夜の方がいいんだ」
「ツォレルン侯の手紙を渡す、反戦派の大物ですよね。誰なんですか?」
「アリアドーネ王女だよ」
父である国王に対して、まだ具体的な戦争の話が出るずっと前から和平外交を主張してきた第一王女は、若干18歳にして外交や内政に活躍している。好戦的な軍関係者との会談を穏やかに終わらせたかと思ったら、災害が起こればすばやく救助隊を送り込んで陣頭指揮をとる。その行動力や、国民にも親しく接する優しさから、聖女リア1世の生まれ変わりだと言われていた。
そんなアリアドーネ王女に、ケセドは4年ほど前に外交訪問で1度だけ会ったことがあるが、当時まだ10代前半ながら落ちつき払った威厳を感じた。それでいて、にっこり笑うとまわりまで明るく楽しい気分にさせてしまうカリスマ性もある。争いを止められるのは彼女しかいないと、ハーシェルはそのとき実感した。
――彼女ならば。そして、姉上が託したこの子たちならば……。
うれしそうに走る彼らを見ていると、戦争を止めるために平和な時間を壊すというのに矛盾を感じてしまう。ケセドはアランと顔を見合わせながら、祭りににぎわう人ごみの中に入っていった。
綿のような雲が薄く広がる、澄みわたった秋晴れの空。
王都の中心へとつながる大通りには、両側にいくつもの出店が軒を連ね、行き交う人々はみな華やかな服で着飾っている。焼鳥屋からはタレが焦げた匂いと冷たいビールの泡が客を誘い、おこづかいを握りしめた子供たちがおもちゃのくじ引きで大騒ぎし、赤や青の甘いお菓子がずらりと並んだ棚の前では、あれやこれやと迷う女性たちでいっぱいだった。
「すごいな!ファルギスホーン島で1番の島祭りよりも、ずっと大きいや!」
「祭りって、なんだかよくわからないけど楽しいな」
フウリはどの店も見逃さないようにきょろきょろとして、いつにも増して落ちつきがない。街中に溢れる賑やかな空気に飲まれて、祭りというものを生まれて初めて見るソラトまでそわそわしていた。
「学院の文化祭を思い出すね」
「去年はリッカ君が出展したねじ巻き鳥、本物みたいに飛んで大騒ぎになったわよね」
「ローシェさんの『鳥類飛行理論』のとおりに作ったんだよ」
「リッカ君なら、エアプルームや飛行艇よりもすごい乗り物を作れるかもしれないわ」
祭りを見ているのかいないのか、まわりの喧騒も人の流れもそっちのけで、リッカとローシェは2人だけの世界で会話を楽しんでいる。その向こうで大興奮している少女の弟と親友とは思えないほど、物静かで穏やかな彼らは、それはそれでとてもお似合いの組み合わせだとまわりは思っているのだが、本人たちは特別に意識しているようには見えなかった。
「あんた達、都の祭りは初めてかい?」
通りを半ばまで来たころ、とれたての山ブドウのジュースを買って休憩しようとしたら、体格のいい店のおばさんが声をかけてきた。どうしてわかったのかと、フウリがジュースを受け取りながら不思議な顔をすると、おばさんは大きな声と口で笑った。
「修道騎士様が一緒ってことは、巡礼の旅なんでしょう?」
「あぁ、そうか……うん、そうなんです」
「やっぱりね。遠くから来たんでしょ?お疲れさまです」
まさか正体がバレたのかと、フウリ達はドキドキしたが、おばさんは財布を取り出す修道騎士に目をやり、心得顔でねぎらいの言葉まで言った。もちろんケセドも、話を合わせてあいまいにうなずいておく。
「それじゃ、知らないだろうから教えておいてあげるよ。もうすぐ日が暮れると、この祭りの間はみんな仮面をするのよ。夜になると冬の精霊が舞い降りてきて、せっかく実った植物を枯れさせるっていう神話から、どこの誰の家かって知られないようにするためにね」
「ふーん、おもしろいね。でも、それってぼく達もしなきゃいけないの?」
「今ではそのまま街の至るところで仮面舞踏会が開かれるんだけど、よそから来たお客さんも仮面を付ける決まりになっているから、いろんな店で仮面を用意しているよ。もちろん、ウチもね」
しっかり商売の話に持っていかれ、問答無用で仮面6つも買うことになった。旅人用のものは記念のお土産を兼ねた安いものだが、住民らはそれぞれに工夫を凝らした個性的な仮面を作っているらしい。それでもいろいろな形や色のものがあり、フウリ達はわいわい騒ぎながら真剣に選んだ。
「よーし、これにしよう!」
「お、そろそろ付けている人もいるな」
ぬるくなったジュースを片手にさんざん迷ったせいで、店を出たときには空が青からオレンジ色に変わりかけていた。普通は目のところに当てるだけだが、中には帽子をかぶったり顔全体を隠したり、仮装まがいの格好をしている者もいる。フウリ達は喜んで付けながら互いの顔を確かめ合い、ケセドも本当は変装のためにしているメガネの下にさらに仮面を付けた。
「ん?なんだろう、あっちで何かやっているのかな?」
「行ってみよう!」
「おい!勝手に先に行くなって!」
再び祭りを見てまわろうと歩き出したとたん、例によって浮かれたフウリとソラトが通りの向こうに人だかりを見つけて走り出し、アランが怒鳴るという構図になった。が、そんなくらいで彼らを止められるはずもなく。
「仕方がない、二手に分かれようか」 ケセドが肩をすくめた。「完全に夕陽が沈みきる前に、噴水広場に集合しよう。アラン君、彼らを頼むよ」
「はぁ……」
背中を叩かれたアランはあきらめた顔で、暴走する2人を追いかけた。ケセドはといえば、ゆったりと店を見てまわっているローシェとリッカをふり返り、こちらのグループの保護者をすることにした。
「わぁ、きれいな髪飾り……」
「ローシェさんなら、こっちの赤い花が似合うよ」
雑貨屋で足を止めたローシェが見とれてつぶやくと、リッカは小さな赤い石で作られた花の付いた髪留めを手に取り、彼女の金色の髪に当てた。すかさず店の主人が鏡を差し出し、よく似合っていると褒める。ローシェは鏡に映った自分を見て、恥ずかしそうに目を伏せた。
「それが気に入ったのかい?どれ、せっかくリッカ君が選んでくれたのだから、わたしが買ってやろう」
「えっ、修道騎士様にそんな……!」
「君たちは金の心配などする必要はない。……親父、それを彼女に付けてやってくれ」
「ケセドさん、すみません……」
「なに、これくらい気にするほどのことではないよ」
人当たりがよく親しみやすい修道騎士を演じてはいるが、金銭感覚だけは庶民のそれとかけ離れているということに気付いていない。本物の宝石ではないが子供が買えるほど安くもないお金をあっさりと払い、ケセドは2人ににっこり微笑んだ。
「お嬢さん、メガネを取ってこれを前髪に付けたら、もっとかわいくなるよ。……ほら、どうだい?」
「うん、いいね!」
店主がローシェの分厚いメガネを取って、目にかかっていた前髪を上げてピンで留めた。いつもより顔が明るくなり、遮るものがなくなった大きく澄んだ瞳に、リッカが喜んでうなずく。
「で、でも私、メガネがないとほとんど何も見えない……」
「大丈夫。僕が手を引いてあげるから」
リッカが自然にローシェの手を取り、通りに繰り出していった。ローシェは頭の飾りを気にしながら、前を行くリッカだけを見てついていく。
――リッカ君、なかなかやるなぁ。
若い2人の後ろ姿を見守るケセドは、少しだけ離れて歩くことにした。仲良く手を取り合う彼らのジャマをしないように、と気を使ったつもりだったのだが……。
「キャッ……!?」
小さな悲鳴が聞こえたと思ったときには、すでに遅かった。
つないでいたはずの手が引き離され、ふり返ったリッカが名前を叫ぶ。だが、もうすぐ舞踏会が始まる夕闇には、さらに多くの人々が集まっていて、赤い髪留めはどんどん人の流れに埋もれていく。押し潰されそうになりながらも、必死にもがく少年の声。
「ローシェさーんッ!」
「リッカ君、どうしたんだ!?」
身動きさえむずかしい人ごみをかき分け、ケセドはどうにかリッカのところまで進んだ。しかし、あくまで彼らの前に立ち塞がるかのような無数の仮面たちは、何事もなかったかのように、誰一人として足を止めることも耳を貸すこともなく流れていく。そんな中を、やはり仮面を付けた数人が流れに逆らって路地裏に消えていくのが見えたのを最後に、ローシェの姿は完全に消えた。