2.空翔ける配達屋
初登場人物
・アラン=レイバース……フウリの先輩の空送屋。20歳。
・アージアス=ボンデン……空送屋の支部長
大陸の南東に浮かぶファルギスホーン島には、3つの集落がある。
北の港町ケント、島の中央を縦断しているアザニウス山脈のふもとのアザニカ村、そして南部メドウ大草原のメドウ谷。
1番近いアザニカ村とメドウ谷の間でも、歩くとゆうに3時間以上の距離なので、人の移動にはもっぱら馬車、そして通信手段には空送便が活躍していた。
「やっと来た……!おーい、フウリ!」
ケント港にズラリと並んだ赤屋根倉庫に混じって、1つだけ空色の屋根があった。「船よりお手軽に、馬車より早く」を宣伝文句にする、空送屋ファルギスホーン島支部である。建物は小さいが、裏にある広場はその何倍も広い。
そこでかなり前から落ちつかなげにうろうろしていた大柄な男が、南の空に白翼のエアプルームが現れたのを見つけて、大声で叫びながら両手を振り回した。
「アラン、ごめーん!」
上空からやはり大声で返事をしたフウリは、港に入ってきた船をかすめるように急降下してきた。翼をわずかに前方斜めに倒して、駆け寄ってきたアランの前に静かに着陸した。
「お前なぁ、いま何時だと思ってんだ。昼だぞ、昼。」
「だから、ごめんって言ったじゃん!」
「さすがのボスも、この時間には怒り狂ってるぞ。」
「う……だって、朝起きるのって、人生最大の試練なんだよ。」
「虚しい人生だな、おい……。でも連続遅刻記録はまた更新だな。」
「今日は出る前にローシェから荷物を預かっていたんだから、ちゃんと仕事していたよーだ。」
焼けた小麦色の顔を歪ませて、アランはやれやれとため息をついた。先刻からお怒りのボスをどれだけなだめて代わりに謝っていたかなど、勝気でのんきな後輩はいっこうに気付いていない。
「じゃぁ、今度、ご飯おごるからさ。そんなに怖い顔しないでよ。ね?」
「しょーがねぇなぁ。」
両手を合わせて頼み込まれたら、アランも苦笑するしかない。
しかし、本当のところ……おごられることそのものより、彼女と一緒に食事ができるということがうれしいのだが、目を逸らせてあいまいに笑うアランは、気付いてほしいのか知られたくないのか、自分でもよくわからない。
「早く行こうよ!置いていくぞ!」
先に歩き出したフウリに逆に怒鳴られて、アランはこっそりと肩をすくめて後を追いかけた。
――まぁ、1年も一緒に仕事していて全然わかっていねぇのは確かだな。
複雑な気持ちはまた胸に隠しておいて、今はさっさと仕事に取りかかることにした。そうでなくとも、ボスは800年前のアザニウス山噴火さながらに爆発直前なのだ。
事務所に入ると、もちろん真っ先に支部長室に直行した。ところが窓辺のイスに座ったまま、御年74歳のご老体は気持ちよさそうに眠っていた。太陽の光を反射してまぶしく輝く頭に目を細めながら、肩の力が抜けたフウリとアランは顔を見合わせた。
(怒り疲れて寝ちまったみたいだな……。)
(このまま仕事に行っちゃった方がいいんじゃないかな?)
(そりゃマズいだろ。)
(でも、起こしたらもっと機嫌が悪くなるから、そーっと……)「あっ!」
「フウリ!」
こっそり回れ右をしようとしたフウリの右足は、見事に棚の脚に引っかかって、勢いよく前のめりに転ぶと同時に棚の壷も落下した。アランが一瞬の反射で腕を伸ばしてフウリの体を支えたので、頭から壁に激突する笑えない事態は避けられたが、壷はお約束どおり派手な音をたてて真っ二つに割れてしまった。
「な、なんじゃ?敵襲か!?」
支部長アーケルはがばっと起き上がって、いつも壁に飾ってある剣をひっつかんだ。それからしわに埋もれた目でぎょろりとあたりを見まわして、入口で固まっている2人に目を留めた。
「ん?そんなところで何をやって……おぉっ、わしのお気に入りの壷がぁ!」
「あ!そ、その……さっき地震が起こって落ちたんです!とっさに拾おうとしたんですけど、間に合わなくて……。」
――そんな見え透いた言い訳が通るわけ……
「そうか、ならば仕方がないの。」
――いいのかよ!?
お気に入りと言いながらも、アーケルはさして残念がることも疑うこともなく、フウリのわざとらしい説明に納得した。アランは見えないようにピースをする後輩より、ボスのボケっぷりに呆れた。
「20年前までは、それこそ毎日のように襲撃があったもんじゃ。『ロス・トイフェル』戦役は、ほんに酷かった。わしはそのころ大陸の西部に住んでおったのだが……」
「エシェンって町ッスよね。そこの市街戦で師匠も活躍したっていう。」
「そのとおりじゃ。お前も稽古を怠ってはおらんだろうな?」
「もちろんッス。素振り3,000回、ちゃんと毎朝続けてますよ。」
「うむ、ならばよい。」
今もなお非常事態に備えている老人は、誰彼かまわず100回はくり返しているだろう若かりし日の武勇伝をまたしても始めそうになったが、アランにうまく誘導されて、当初の壷事件もフウリの大遅刻も忘れて満足そうに剣を収めた。
今でこそ腰痛と関節痛がひどくて杖を使っているが、戦争中でも比較的平穏だったこの島では数少ない武術の使い手として、アランは空送屋になる前から彼に師事していた。
「支部長、ぼく、急ぎの封書を預かっているから、すぐに港へ向かいます。」
「アランと手分けして配達するのじゃぞ。“生命の樹”のご加護があらんことを。」
支部の他のメンバーはとっくに出発しているのに、寝起きのボスは時間の感覚が戻っていないらしい。そもそもなぜここに彼らがいるのかということに気付いて怒り出す前に、アランとフウリはすばやく事務所を出た。
「先にローシェの封書を港便に出してくるよ。」
「他にも大陸宛がいくつかあるから、ついでに持っていくか。……そういやあのコ、俺が起きたころに学院から出てきたみたいだったぞ。」
「まーた朝まで本を読んでいたんだ……好きだなぁ、ローシェも。」
「アザニカ学院初の、初等部から高等部への飛び級をした天才だって、村でも有名だからな。」
「ってことは、これもたぶん何かのむずかしい論文なんだろうね。」
「さぁな。荷物の中身と客の事情にはいっさい詮索しないのが、空送屋の掟だ。」
朝というより限りなく昼に近いこの時間の港は、1日のうちでは人の少ない時間帯だった。旅客便はすでに朝1番に出港していて、昼ご飯を食べながら休憩している貨物船の船乗りたちは、これから荷物や燃料を積んで、夜の間に大陸へ向かって航行する。
夕方の便に荷物を渡して、また事務所に戻る間、2人は心地いい海からの風と潮の香りを楽しんだ。
「アザニカ村は山ばっかりだから、海を見るとなんだかワクワクするんだよな。」
「ぼくは空から見る海の方が好きだなぁ。」
「あぁ、空はいいよな。山も海も、全部ひとつになる。」
アランは何気なく話をしながら、となりを歩く後輩をちらっと盗み見た。
束ねた長い黒髪を風に揺らし、ウミドリが舞う波間に向けられた横顔は、無限に広がる青い世界に眼を輝かせている。その先に、彼女は何を見ているのだろうか。
――フウリは……。
いつか大陸に飛び出していくのではないかと、アランは思っていた。彼女にこの島は狭すぎる。境界のない空を駆ける風は、自由にどこまで飛び立っていくだろう。そのとき自分はどうするのか、何ができるのか、最近は楽しいはずの2人の時間にも考えてしまうことが多かった。
「アラン、何ぼーっとしているの?」
「……ん?いや、なんでもねぇよ。」
「変なの。んじゃ、今日も張りきってお仕事行くよ!」
白い翼がばっと広がり、フウリが先に上昇した。
続いてエンジンを起動させたアランのエアプルームは、力強さを象徴する茶色い鷹の翼で、柔らかい曲線を描くフウリの翼よりも細くて鋭い。それでいて、大柄で筋肉質な彼を乗せても悠々と飛行する姿は、まさに本物の鷹さながらの雄大さだった。
「やっぱりいいね、空は!」
ついさっき歩いていた港を眼下に、フウリは上空を大きく旋回した。島で1番大きなケントの町も港ににぎわう船も、この高さから見下ろすとごちゃごちゃしたおもちゃに見えてしまう。太陽が近くなったせいで白く見える空は、海と区別ができないくらいどこまでも輝いている。
――いい天気だ。こんな日は島を1周泳いでみるのも悪くねぇな。
先日も前人未到のアザニウス山脈自力踏破を成し遂げたアランは、師匠に言われるまでもなく、体を鍛えることを日常の楽しみのひとつにしていた。次はどんな修行をしようかと思案しながら、街道を飛び越し雲を抜けて、その山脈最大の峰、かつて大噴火を起こしてファルギスホーン島を作ったというアザニウス山までやってきた。
「今日はアザニカ村宛がほとんどだな。フウリは村の南側を頼む。」
「おっけー。終わったらまたここに集合ね!」
山のふもとの田舎村だと思われがちなアザニカ村は、じつはかなり広くて人口も多い。大陸にもひけをとらない規模と学術を誇るアザニカ学院があるため、よそから下宿している学生が半数近くを占め、昼休みのこの時間は若者たちで店や界隈がにぎわっている。
鷹翼と白翼はぐるっと山際の大空を翔け、途中で南北に別れて下降した。
「空送便でーす!」
村の北門にエアプルームを止めて、荷物の入ったかばんを担いで歩いていった。大陸の北国では、赤い服のおじいさんがこんなふうに大きな白い袋を持って、子供たちにプレゼントを配るというお祭りがあるらしい。このモデルになった空送屋は、受取人がどこにいようとも確実に荷物と笑顔を届けるのが仕事だった。
「あっ、おばあちゃんからだわ。うわぁ、きれいな服!」
荷物は手紙だけとは限らない。本や食べ物、小さいものなら家具などもある。メドウ谷の祖母が編んだ毛糸のセーターに喜ぶ女の子の母親からハンコをもらって、アランはそのとなりの家に小包を、通りの向こうの教会に大陸本部からの書類を届けた。
「えーっと、次は学生寮に……」
「あーッ!アラン兄ちゃんだ!」
「おう、みんな、やってるな!」
広場では子供たちが棒を振りかざして、英雄ごっこをしていた。凄惨な傷跡が今なお残る先の戦争を知らない彼らは、大陸で活躍した武将や神話の勇者を真似して無邪気に楽しんでいる。アランはそんな有名な戦士の1人であるアーケル老師を目標としてトレーニングをしてきたが、彼とて3歳のときに終わった戦役の記憶などない。
「兄ちゃん、剣術教えてよ!」
「すまねぇ。今は仕事中だから、また今度な。」
「えー、つまんないのー。」
「おいら、腕を上げたから、次はアラン兄ちゃんに負けないからな!」
身近なヒーローを取り囲んで騒ぐ子供たちは、休みの日にはよく武術を教えてもらいに集まっていた。面倒見のいいアランは申し訳なさそうに謝って、次回の特訓を約束して仕事に戻った。
「……よし、これで最後だな。」
ようやくかばんの中が空っぽになり、ついでに明日の配達物をいくつか預かって村を出たときには、西の空が赤く色づいていた。
――あいつもそろそろ終わったかな。
エアプルームの操縦は目を見張る腕前だが、おっちょこちょいな性格なので配達そのものには時間がかかっているかもしれない。自分の方が村の勝手を知っているし、1年先輩でもあるから、アランは配達物は自分の方のかばんに少し多めに入れておいたのだった。
待ち合わせたアザニウス山の火口近くへ行くと、すぐ後にフウリも南からやってきた。やはりかばんには手紙や小包を預かってきたようだった。
「おっつかれー!」
「おう、お疲れ。」 横から夕日に照らされた顔も、また見とれてしまいそうになって、アランはあわてて言葉を継いだ。「あ、集配分は俺がケントまで届けておくから、残りのメドウ谷宛の荷物はお前に任せてもいいか?そのまま帰っていいから。」
「支部長への報告もいいの?」
「あぁ、説明しておく。帰りが夜になったら危ないからな。」
「ぼくは夜間飛行でも大丈夫だよ!」
「わかった、わかった。それから、おごりはまた明日だからな。」
「う、ちゃんと覚えてたんだね……。」
真っ赤に染められた岩肌と色濃くなった黒い影がコントラストを作る山の上空で、集配物と残りの配達物を交換した2人は、南の谷と北の港町に向かって別れた。
――ちょっと子供扱いだったかな。
来た空を1人で戻りながら、アランはちらっと先ほどの会話を思い出した。しかし明日こそ一緒に食事ができることを思うと、にんまりと勝手に頬が緩んでしまい、誰もいない空中であったことを幸いに思った。