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1.風そよぐ、谷の朝

登場人物(年齢は初登場時)

・フウリ=ラトゥール……空送屋の少女。17歳。

・ローシェンナ(ローシェ)=クラレット……アザニカ学院高等部の学生。17歳。

・フランツ=クラレット……ローシェの父。

・アラベラ=ラトゥール……フウリの母。

 朝露に濡れた牧草を、羊たちがのんびりと食んでいる。

 山の向こうに広がる海の波音もここまでは届かず、時が止まっているかのような、それでいてさわやかな静寂が草原を包んでいた。昇り始めた太陽が、谷の上空から吹き込む風が薄く残っていた夜霧をかき消して、まるで天高く蒼穹を写す鏡のように草の絨毯じゅうたんを青緑に輝かせた。

 神話に登場する巨大牛の角からその名が付けられたファルギスホーン島には、大陸でいう季節というものがなく、昼間は1年を通して過ごしやすい暖かさで、夜は冷えて深い霧に包まれる。明るくなるのを待って放された羊たちが、思い思いに散らばって食事をしている静かな光景は、このメドウ大草原で数百年も続いている平穏な日常だった。


 ……と、草原の向こうからやってきた馬車が羊たちの群れの手前で止まり、小柄な人影が降りた。

 肩まで切りそろえた髪が金色に輝いている。

 羊の背中に止まっていた小鳥が飛びたつのを見送り、何冊もの分厚い本を抱えた少女は、ずれたメガネをちょっと上げてから、すっかり高くなった太陽をまぶしそうに仰いだ。


――もうこんな時間。


 少し赤い目を(しばた)かせて、少女は来た道を戻っていく馬車とは反対方向に足早に歩き出した。

 目指すメドウ谷がある、草原の北端にそびえる双子の岩山は、ここを行く者たちの目印になっている。しかし、彼女にとって通い慣れた学院から家までの道は、メガネがないと鏡の自分さえ見えないほどスジ金入りの近眼でも迷うことはなかった。



 メドウ谷では羊の飼育がおもな産業であり、生活の軸となっている。男は羊の世話をして肉をさばき、女は毛を刈って織物を作り、それらを島で1番大きな港町に売りにいく。最近では大陸まで働きに出て行ってしまう若者も多くなったが、ほとんどは羊とともに静かに暮らしていた。


「ローシェーッ!」


 動き始めた朝の村に帰りつき、張りめぐらされた石段を中腹で左に曲がろうとした時、大声で名前を呼ばれた。これを予想、というより警戒してこっそり歩いていたつもりだったローシェは、右側から勢いよく走ってくる足音にふり返るのを一瞬ためらった。

 が、無視するわけにもいかない。


「た、ただいま……。」

「無事だったんだな!あぁ、よかった。魔獣に食べられていないか、いや、お前はかわいいから人さらいに狙われないかと、もうずっと気が気じゃなくて……」

「ごめんなさい、お父さん。」


 毎日同じ道を通って学院まで往復しているのに、父フランツは毎日のように心配でやきもきしていた。

 外が危険になってきたのは知っているが、ファルギスホーン島はまだまだ平和で実感も実害も少ない。しかしここで逆らうのは得策でないと瞬時に判断し、ローシェは先手を打って謝った。


「それにしても、いくら先生から連絡を受けていたとはいえ、朝まで帰らないなんてヒドいじゃないか。」

――そんな、イジメたみたいに言わなくても……。

「まさかお前、どこの馬の骨とも知れん男と……!?」

「あるわけないでしょ、そんなこと!」

「いや、すまん。心配しすぎて、お父さん、昨日は寝られなかったんだよ。何度、捜索隊にお願いしようとしたことか。」


 大げさでなく、父ならそのうち本当にやるだろうとローシェは思った。それを食い止めるために教授に遅くなることを連絡をしてもらい、さらに騒ぎになりそうな時には止めてもらうよう、日頃からとなりのおばさんにも頼んでおいているのだが。


――さすがに今回は、朝まで気付かないで本を読んでいた私が悪いわよね。


 ローシェは反省しながらも、さぁ帰ろうと意気込む父にやんわりと断った。


「あのね、どうしてもこれを今日中に港便に出さないといけないの。フウちゃんにお願いしたら、すぐに帰るから。」

「うーん、ラトゥールさんのところなら、まぁ心配ないか。先にご飯を用意しておくから、早く帰ってくるんだぞ。」


 フランツはしぶしぶ引き下がり、石段を左に上っていく娘を名残惜しそうに見送った。いくら母親を早くに亡くし、男手ひとつで育て上げたとはいえ、これでは先が思いやられるとローシェは顔には出さずにため息を落とした。


「あら、ローシェンナちゃん。おはよう。」


 岩肌を削って作られた村の中腹、赤い屋根の家の前で洗濯物を干していた黒髪の女性がふり返った。ローシェはあくびを我慢しながら、ペコリと頭をさげた。


「おはようございます、アラベラおばさん。」

「どうしたの、目が赤いんじゃない?」

「その、ちょっと本に夢中になっていたら、こんな時間になっちゃって……。」

「それじゃぁ、もしかして今アザニカ村から帰ってきたの?ローシェンナちゃんの勉強好きには、本当に感心するわねぇ。でも早く帰ってあげないと、またフランツさんが心配して飛び出してくるわよ。」

――もうさっき飛び出しました……。

「……その前におばさん、フウちゃん、いますか?」

「そういえばあの子、まだ寝ているわね。まったく、少しはローシェンナちゃんを見習ってほしいわ。……フウリ!ローシェンナちゃんよ!」

「あ、いいです!また後で来ますから。」

「よくないわよ。せっかく来てくれたんだし、それでなくても遅刻の時間だわ。……フウリ、いつまで寝ているの!早く起きなさい!」


 アラベラおばさんは2階に向かってさんざん怒鳴ってから、近所にすばやく目をやって苦笑した。ローシェも恥ずかしそうに目を泳がせたが、これくらいはいつものことなので、近所は誰も気にしていなかった。


「ふぁ〜ぃ……。」


 かなり時間がたってから、2階の窓に幽霊のような顔をした少女がのっそりと現れた。

 母親ゆずりの透明感のある黒髪は好き放題に大暴れしていて、寝起きの目はまだ開いてもいない。ベッドからそのままの状態でフラフラ出てきた姿は、幽霊というよりゾンビかもしれないと、ローシェはこっそり思った。

 どちらにしても、年頃の女の子とは思えない格好だが、半分夢の中にいる彼女には関係がない。


「フウちゃん、起こしちゃってごめんね。」

「う〜、ローシェが1匹、ローシェが2匹……」

「フウリ、早くしなさい!いま何時だと思っているの!」


 母親に怒鳴られてしぶしぶ薄目を開けたフウリは、部屋の時計を見て声にならない悲鳴をあげた。それから一瞬で窓辺から消えたかと思ったら、先ほどの返事をするまでの間より短い時間で玄関から飛び出してきた。

 メドウ谷で一般的なシャツに亜麻色の上着を引っ掛けただけの間に合わせで、飛びはねていた長い黒髪は高いところで束ねてどうにか抑えている。


「おはよ!行ってきます!」

「ま、待って!私、フウちゃんにお願いしたいもの持ってきたの。」

「……仕事?」


 一瞬で目の前を通り過ぎかけたので、ローシェはあわてて早口で叫んだ。すると、走りながら肩にカバンをさげていたフウリが反応して、ピタリと足を止めた。


「あ、その、これを港便に出してきてほしいんだけど、今日の夕方の船に間に合いそう?」

「楽勝!なんだったら船なんかに乗せるより、ぼくが大陸まで届けてあげよっか?」

「いいよ!大陸なんて遠すぎるわ。」

「うーん、残念。ローシェの頼みなら、大陸の果てだって行くのになぁ。」

――フウちゃんならやりかねないわ……。


 本気で遠慮するローシェに、冗談とも本気ともとれないフウリはからからと笑った。父といい幼なじみといい、無謀な言動の多いまわりに対して、ローシェはいつもひやひやしていた。


「でも、大事な幼なじみのお届け物を預かっていたんだから、これで遅刻もしょうがないよねー。」

「どっちかっていうと、私が待っていた気がするんだけど……。」


 どちらかどころか、まるまるローシェが待たされたのだが、遠慮がちにツッコんでもフウリには効いていない。むしろ無言でにらんでいる母親の視線の方が気になって、フウリは渡された書類の封筒をすばやくかばんに入れながら裏庭にまわった。


 積み上げられた羊の毛の山に隠れて、庭のすみに横たえられたエアプルームは、真ん中のデッキに立ってT字型の操縦捍をつかみ、両側に広げた羽を巧みに操って風に乗る。羽はそれぞれにデザインが違っていて、フウリのそれは大きな純白の翼で、ローシェは空を飛ぶ幼なじみを見るたびに神話の天使様が舞い降りたように思った。実際、子供のころに出会った天使らしい男の翼をモデルにしたと、前にフウリが話していた。


「いつも言っているけど、本当に気をつけなさいよ。」

「大丈夫だって、お母さん。空送屋くうそうやになって、来月でもう1年なんだよ。それに……。」 フウリは羽の調整をしながら背中でつぶやいた。「ぼくはお兄ちゃんみたいな、立派な空送屋になるんだから。」


 最後の言葉は独り言のようだったが、幼いころから彼女の性格も家庭の事情も知っているローシェには、そのはっきりと澄んだ声に固い決意を感じた。


「んじゃ、行ってきまーす!」


 エンジンがかかると周囲に風が広がり、ローシェは飛ばされないようにメガネを押さえた。黒いポニーテールをはためかせながら、フウリがハンドルを手前に引くと、ゆっくりとエアプルームが上昇していく。澄みわたった空に吸い込まれていく幼なじみを、ローシェは南天近い太陽に目を細めながら見送った。


「それじゃ、お父さんが待っているから、私、帰ります。」

「ちゃんと休むのよ。フランツさんも、どうせ寝ていないんでしょうから。」

――おばさん、なんで知ってるの……。


 顔が赤くなるほど恥ずかしく思ったが、フランツの親バカぶりはメドウ谷で知らない者はいない。ローシェはさらに騒ぎが大きくならないように、メガネを押さえながら急いで石段を駆け下りていった。



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