18.狙われた手紙
大陸の南東を海沿いに走るシュデン街道から少しはずれた、終着点の帝都まであと1日足らずというところにある平原に、飛行艇ジーク号が着陸した。正確には地面に降りずすれすれの高さで、プロペラとエンジンは動かしたままである。フウリとアランは身軽に甲板から飛び降りたが、ローシェははしごを使ってゆっくりと降りていくのが精一杯だった。
「心配するな。落ちてもオレが拾ってやるよ」
「ローシェ、がんばれ!」
となりで翼を羽ばたかせるソラトが冗談半分に笑い、下からフウリが大声で応援していても、ローシェにとっては全力で握りしめるはしごと、1歩1歩降ろしていく足の裏の感触がすべてだった。
「は、はぁ……」
どうにか地面に足をつけることができた瞬間、忘れていた息を大きく吸って吐き出した。ソラトが抱きかかえて降ろしてやるというのも、フウリやアランが荷物を持ってくれようとしたのも、ローシェはすべて断った。たったこれだけのことでも彼女にとっては命がけなのだが、ジーク号で待っていることしかできなかった申し訳なさと、友達の危険に何もできなかった悔しさを思えば、これくらいは自分でやりたかった。
「中途半端なところでごめんなさいね。あたし達はこれ以上、都に近づくとヤバいのよ」
船べりから顔をのぞかせたエリアーデは、日の光の下で金色の髪をさらにまぶしく輝かせていた。となりでは、リオネル老がひとつきりの目を細めている。
「いろいろありがとう!エリアーデさん達も、気をつけて!」
「また、どこかで会いましょう!」
ジーク空賊団は数日間の客人たちに手を振りながら、大空の彼方へと飛び立っていった。
吹き上げる風が収まると、街道わきの平原には旅の途中だった4人だけが残された。宿場町グリュックに到着する前、大陸にやってきた時と同じ、いつもの4人。
「やっぱり、このメンツがいいよな!」
「お帰りなさい、ソラトさん」
「もうヘマするなよ」
「みんな……これからも、よろしく」
再び新しい出発を確かめ合い、4人は一緒に歩き出した。フウリは風の中を泳ぐように駆けていき、また翼の上にマントをかけてダルそうに歩くソラトの横から、アランが本人たちに気付かれないように2人の間に割り込んでいく。
そんな光景を1番後ろから眺めながら、ローシェはくすくすと笑った。
「なんだよ、ローシェ。気持ち悪いなぁ」
「ふふ、やっぱりみんな一緒がいいな、って」
ふり返ったフウリが不気味がって肩をすくめたが、ローシェはニコニコするばかりだった。
初めはなんとなくそれぞれの理由で共に行動していただけだったのが、いつの間にかそこにいるのが当たり前になっていた。今まで意識したこともなかったつながりを、今回ソラトがいなくなって初めて実感した。
――私もがんばらなくちゃ。
勇気を出して日常から1歩踏み出したことで、先の見えない不安や命の危険に何度も襲われ、同時にかけがえのない時間と安らぎを知った。いつも本で読んでいた物語の世界を、自分の足で歩いているのだ。これからもこの道を彼らと並んで歩いていくために、自分にできることをできる限りやるしかない。そして友達と一緒ならば、それができると思った。
「うわぁ、賑やかだなぁ」
街道に出ると、そろそろ帝都が近いだけあって、大きな荷物を運ぶ商人の馬車やそろいの服の団体など、さまざまな人が行き交っていた。途中を飛ばしてきたので、どこからなのかはわからないが、このあたりはすでに道も立派な石畳に舗装されている。
「魔王のこと、都で何かわかればいいな」
うっかりするとはぐれてしまいそうなほど往来が激しくなってきて、先に駆けていたフウリが戻ってきた。ウィスタリアまであと半日の距離の立て札からこれだけ人がいるのだから、都には想像もできないくらいの人口がいる……ということだけは想像できる。その中の1人ぐらいは、魔王のことを知っていてもいいのではと、フウリやアランは考えているのだが。
――もしいたら、今ごろ誰かがなんとかしてくれているんじゃないかしら……。
ローシェは内心そう考えないでもないのだが、あえて口には出さなかった。今はそれしか希望がないのだから、期待を込める意味でも否定的なことは言いたくない。
「そういえば、ローシェは都についたらどうするんだ?」
ソラトに急に話を振られて、ローシェはびっくりしてつまずきそうになった。
「えっ、わ、私?」
「いや、ほら、あの2人はオレを手伝ってくれるって言ってついてきたけどさ」 ソラトは視線で前を歩くフウリとアランを示した。「ローシェはなんか、都に用事があるからって言っていただろ?」
「え、それは、その……」
「あ、ごめん。言いたくなかったら無理に言わなくてもいいんだ。ただ、都についたらお別れかなぁって思ってさ」
――……。
前を向いたまま何気なそうにソラトがつぶやいたので、ローシェは言葉につまった。そんなことを言われると、せっかく踏み出そうとしている足さえも止まってしまいそうになる。だから思いきって顔を上げた。
「その、じつはフウちゃんにも言ったことないんだけど……私、物語を書いているの」
「へぇ、すごいじゃないか!」
「ちょっ……!ま、まだみんなにも秘密なんだから!」
「なんだ、もったいないなぁ。で、どんな話なんだ?」
「ひ、秘密!絶対に誰にも言っちゃダメよ」
「はは、わかった、わかった」
ソラトが感心しながら笑うので、ローシェは顔を真っ赤にしてあわてた。しかし、それで後悔をしているわけでもない自分に、心の中で驚いた。
「そ、それでね」 ローシェははにかみながら話を戻した。「論文でお世話になっている帝国大学の先生が見てくれることになったの。郵送したから、しばらくしたら返事が来ると思うんだけど……」
「待ちきれないで、直接会いにいくことにしたのか」
「そんなところ、かな」
嘘ではないが、正確にはそれがすべてではない。ソラトが旅に出ると言いだし、フウリやアランもついていくことになった時、ローシェも同行したいと口走っていた。フウリ達が遠くに行ってしまうと思うと、いてもたってもいられなくなったのだった。
「今度、その物語、オレにも見せてくれよ」
「うん、いつか、ね」
「オレもこの旅が終わったら、学校で勉強したいな……ん?」
ソラトが足を止めてから、ローシェもようやく違和感に気付いた。いつの間にか、2人の前後左右を合計6人もの男たちが取り囲み、ぴったりとくっついている。まわりの旅人たちがそのまま通り過ぎていく中、男たちもやはり立ち止まり、前を歩いていたフウリとアランは人ごみに見えなくなった。
「なんだ、お前ら?」
「そのまま黙って歩き続けろ」
「いったい、なんのつもりだ」
「いいから歩け。このお嬢さんの背中に穴が開きたくなったらな」
ローシェは背中に鋭い何かを感じて息を呑んだが、それを察したソラトに促されて、震える足をゆっくりと動かした。しばらくの間、2人は謎の男たちに囲まれたまま、無言で歩き続けた。6人とも前を向いたままで、ソラトの右隣の男が小声で言った。
「手紙を渡せ」
「……手紙?」
「宿場町エアホルンで、手紙を預かったはずだ」
――あの、おばあさんの……?
ローシェがちらっと隣に目をやると、ソラトもすぐに気付いたらしく、やはり目だけでうなずいた。しかし、なぜこの男たちがそのことを知っているのか、どうして手紙を狙っているのか、まったく心当たりがない。あるいは正体がわかれば予想できることがあるかもしれないが、今は顔を動かすこともできない。
――ううん、私がなんとかしなきゃ。
ソラトは魔獣を相手にも戦えるのだから、こんな男たちくらい、本当ならば簡単にやっつけられるはずなのに、自分が人質にとられているせいで動けないのだ。ローシェは息が苦しくなるほど緊張しながら、まわりの様子をじっと伺った。そして向こうからやってきた大型馬車をよけるために横に動いた一瞬の隙に、前の男を突き飛ばして走った。
「あっ、待て!」
「よし!」
男たちは驚いて取り押さえようとあわてたが、ソラトはこのチャンスとローシェの気持ちを逃しはしなかった。背中の刀を鞘ごとつかみ、左右の2人の頭を打ち付ける。そして後ろの男の腹を突き、ようやく反応して飛びかかってきた3人も次々と叩き伏せた。
「なんだ、なんだ?乱闘か?」
「助けてください!その人たち、急に襲ってきたんです!」
「通り魔強盗なのか!?」
人ごみの中に逃げたローシェが叫ぶと、通行人たちが何事かと立ち止まった。そのころにはすでにソラトが一通り一撃を加えた後だったが、まだ動ける男たちも、これだけ周囲の目にさらされると構えたナイフを振り下ろすことはできない。
「チッ、退くぞ!」
男たちは顔を隠すようにして、街道をはずれて岩場の方へと逃げていった。その時、1人の上着のボタンが転がり落ちたのを、ローシェはまわりが気付く前にとっさに拾ってポケットにしまった。
「大丈夫だったかい、お嬢ちゃん?」
「はい、おかげで助かりました」
「都までもうすぐってところで、物騒な連中がいるもんだな」
通り魔被害者を装ったローシェは観衆にお礼を言って、すぐに刀を背中に戻してそ知らぬ顔をしているソラトに駆け寄った。
「ありがとう、ソラトさん」
「いや、ローシェが動いてくれたから、遠慮なくできたよ。よくがんばったな」
「うん……怖かったけど、うまくいってよかったわ」
「おーい!どうしたんだ!?」
そこへ、2人がいないことに気付いたフウリとアランが戻ってきた。まだ騒然としながらも通行が再開し始めた街道から少しだけずれて、ローシェとソラトが先ほどの状況を説明した。
「この手紙を?」
男たちが狙っていた封書は、フウリがきちんとかばんの中に持っていた。どのみち、襲われた2人は本当に持っていなかったのだが、彼らがエアホルンで手紙を受け取ったことは知られていたのだ。
「荷物の中身と客の事情にはいっさい詮索しないのが空送屋の掟とはいえ……やっぱりきな臭いな」
アランもうなって、手紙と男たちが逃げていった方角とをにらみつけた。そこで、ローシェがポケットからボタンを取り出して3人に見せた。
「これ、さっきの人たちが落としていったんだけど」
「バラの花と十字架?」
「たぶん……ローゼン教の紋章だと思うわ」
「あの、リールの港で見たヤツらか?なんだって新興宗教団が、あんな手紙なんかをほしがっているんだ?」
「あのばあさんが怪しいか、この手紙の内容がヤバいか……」
4人はあれこれと推測してみたが、ここでどれだけ考えようとも答えが見つかるわけがない。今できることといえば、また襲われる前に無事に依頼先に届けるしかないと、それだけははっきりとしていた。
――都で、何が待っているのかしら……。
再び街道を歩き出したローシェは、もう現実から目を逸らすことなく前を見据えていく覚悟をしていた。目前に迫った帝都の上空には、灰色の雲が渦巻いていた。