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16.もうひとつの旅空

・ケセド……セフィロト教会の修道騎士。32歳。


 大陸の夜空で、空賊の争いが繰り広げられていたころ――。


 同じように星が白くまたたくファルギスホーン島の空の下で、深夜まで明かりのついている部屋があった。

 メドウ谷の中腹にある家の2階で、リッカはただ黙々と目を走らせていた。ときどきページをめくる音がするだけで、人も羊も寝静まったこの時間は、耳が痛くなるほどの静寂しかない。


――ここにもない、か……。


 ふぅ、とため息をついて、一度顔を上げた。アザニカ学院の図書館から借りてきた本の山が、机の端に高く積み上げられている。

 姉たちが旅立ってから十数日、リッカは学校から帰ってくると夜中まで書物を調べるのが日課になっていた。ローシェから託された歴史書はもとより、彼女にもらったID委任状で、高等部しか借り出せない重要文献も何冊か見た。


 しかし、魔王や魔獣に関する記述は少なかった。たまに見かけるとセフィロト教の神話と同じようなものか、確証のない憶測ばかりで、それほど厳格な信徒ではないファルギスホーン島の住人でも知っていることしかなかった。


――魔獣の研究は進んでいるみたいだけど、魔王との関係うんぬんっていうのは、あくまで神話の影響って感じだな。


 ソラトは実在すると確信しているようだったが、勉強は好きなリッカも、こうも手がかりのないものを調べるのは骨が折れた。集中力があって根気強いと姉がいうこの性格でなければ、とっくに投げ出してあきらめていただろうと、我ながら他人事のように思う。


――姉ちゃん達、今ごろ何をしているんだろうな。


 まさか空の上で銃弾剣戟をくぐり抜けているなどとは知る(よし)もなく、リッカは窓ガラスの向こうの冷えた夜空を眺めた。見たことのない遠く大陸の地を旅しているのだろうと思いを巡らせ、しかしそこに自分がいるところは想像できなかった。

 旅路の不安や魔獣の襲撃が怖いというわけではなく、そもそもそういうことは自分には向いていない無縁な世界だと、漠然と考えてしまう。学校での勉強は好きだし、1人で木工細工を作るのは楽しいし、父親の仕事の手伝いも嫌いではない。ようするに、充分に満足している今のこの生活から抜け出る必要性も、その勇気もなかった。


――あと少しだけ。


 今日借りてきた本をかばんから出し、最後のひと踏ん張りとばかりに姿勢を正して気を取り直した。ヒース=トリーという聞いたことのない歴史学者の著書『過去と現在と未来の時間軸』は、図書館の蔵書はほとんど読破しているというローシェの名前がまだ貸し出しカードになく、そのめずらしさから興味を持っただけだった。あまり期待せずにななめに流し読みしていったが、あくびの涙で視界がにじみ、集中力が薄れて文章が頭に入らない。今夜はこのあたりで寝ようと思った、その時。


「……あれ?」


 真ん中あたりのページをめくると、1枚の紙切れが挟まっていた。目をこすりながらその紙をなんとなく手に取ったリッカは、いっきに眠気が吹っ飛んだ。


「こ、これ……!?」


 黄色く色あせた紙切れには、わずか数行の言葉が走り書きされていた。最初は誰かのいたずらかと思ったが、貸し出しカードを見ると10年も前から誰も手にとっていないらしい。確かに人気のない奥の本棚の上段にあったから、こういう機会――普通の本には載っていないとわかっているようなことを調べるためでなければ、リッカも近づかないエリアではあったけれども。


「『わたしは歴史を変える。たとえ魔王と呼ばれることになっても。翼ある者がこれを見ることがあったら、わたしのところへ来るといい。』……魔王、翼ある者……。」


 リッカは混乱する頭を押さえて、姉と同じ透きとおるような黒髪をくしゃくしゃにした。

 半分ほど読んだこの本の中には、魔王についての記述も翼という言葉さえも出てこなかったから、本文に関係したメモでも、まして著者のメッセージでもない。何度読み返しても、ここから読み取れる意味はひとつしか思い当たらなかった。


「大変だ……!」


 勢いでイスを蹴って立ち上がったものの、リッカはそこで冷静に現実に帰った。今は真夜中、しかもこれを渡すべき相手は広大な大陸のどこにいるのかもわからない。空送便で送るにしても、居場所がわからなければ確実に届くとは限らない。


――どうしたら……。


 リッカはイスに倒れこむように座り、途方に暮れた。せっかく、ようやく手がかりらしいものを見つけたというのに、それを知らせる手段がない。

 いや、手段がひとつだけあることは、頭の片隅でわかっていた。ただ、それを実行するには……。じっと床の一点を見つめたまま、リッカは長い間、自分の中でせめぎ合う思いに葛藤した。


――知らない土地に1人で行くなんて、僕にできるのか?……もう子供じゃないんだから、地図があればできるよな。

  魔獣が襲ってきたら、どうすればいいんだ?……馬車で他の人と一緒なら、なんとかなるかな。

  でも、そこまでして届けなきゃいけない義務なんてあるのか?……あぁ、約束したもんな。魔王について調べるって。やっと見つけたのに、知らせなきゃ意味がないじゃないか。


 何度、自問自答をくり返してみても、どうやら初めから気持ちは決まっているらしい。リッカは立ち上がって、押し入れから大きめのかばんを引っぱり出した。


「……よし。」


 着替えやお金など思いつくものをそこに詰めて、最後にメモの書かれた紙切れを大事にしまうと、決心は固まった。あとは両親にどう説明しようかと思い悩みながら布団に入ると、案外楽しみにしている自分に気付き、リッカは明かりを消した部屋でこっそり笑った。


 翌朝、いつもの時間に起きてきて、いつもどおりに朝食を食べたが、しかしいつも通う学院には行かなかった。リッカはいつどうやって話を切り出そうかとドキドキして、ご飯を何度も喉につまらせそうになったのだが、意外にも母アラベラから唐突に言われた。


「あんたも行きたいんでしょう、大陸に。」

「えっ、なんで……?」

「何年あんたの母親やってると思っているのよ。大きなかばんを用意して、落ちつかない顔していたら、すぐにわかるわよ。」

「いいの、行っても?」

「駄目な理由なんかないわよ。むしろあんたは昔から大人しい内気な子だから、こんな機会でもないと外に出ないでしょうし。ねぇ、お父さん?」

「いい経験になるんじゃないか。フウリのおもりも必要だしな。」


 父ダミアンも笑ってうなずいたので、さんざん朝まで悩んだリッカは、あっさりと送り出してもらったのだった。



 こうして港町ケントから大陸に渡ったのだが、知らない町に1人で来るのはもちろんのこと、船に乗るのも乗船券を買うのさえ初めての体験である15歳になったばかりの少年は、朝から緊張しっぱなしだった。


――と、とにかく、気を抜かないようにしなきゃ。


 活気に賑わう大陸の玄関、港町リールに降りたち、まずは気を引き締めようとひとりうなずいた。そして、出発前に親から念を押されたこと――都会ではすぐに荷物を取られるから、しっかり持っていなければならないだの、あらゆる店にあらゆる物が売っているから、お金の使い方には注意しなければならないだの――を思い返しながら歩いていったが、まわりがすべて自分を狙う敵のように思えてきて疲れた。


「帝都に行きたいのか?それなら南経由の馬車がいい。1番ラクなルートだから、うまく宿場で乗り継いだら数日でつくぞ。」

「南経由の馬車……ありがとうございます。」


 思いきって通りすがりの町の人に尋ねてみると、馬車乗り場の場所まで親切に教えてくれたので、リッカはほっとした。悪い人ばかりではないのだとわかると、気持ちが少し軽くなった。


――確かあの時、ローシェさんがウィスタリアに行きたいって言っていたから……。


 姉たちが今どこにいるのかはわからないが、少なくともローシェは帝都に行くはずである。無理に探しまわって追いかけるよりも、確実に現れるところに先回りして待っていた方が効率がいいと思った。

 目標が定まると足取りが軽くなり、お腹がすいていたことも思い出して、馬車を待つ間に出店でホットドッグを買って港を散歩した。普段は買い食いなどしないのだが、知らない土地で知り合いが誰もいないという状態は、かえって開き直る楽しさのようなものを覚えたらしい。



 馬車の旅は順調だった。2日目に大雨が降ったり、宿場町グリュックの手前で大量のカラスが死んでいたり、途中から乗り合わせた太ったおばさんのせいで次の宿場町まで窮屈な思いをしたり、いろいろ小さな出来事はいくつもあったが、意外と楽しめた。馬車に揺られて、宿場町で休んで、寄り道もしない単調な道中は、落ちついて旅に慣れるにはちょうどいい時間だった。


――思いきって外に出てみてよかったな。


 それに、ちょっとした道連れもできた。宿場で食事をとったとき、混み合っていた席で一緒になった男と話をしたら、同じ目的地だということで、残りの道のりを同行することになったのだった。


「同じところに行くと言っても、わたしはウィスタリアで乗り換えるのだがね。」

「もしかして教会本部へ行くんですか、ケセドさん?」

「あぁ。最近は何かと問題が多くて、また招集がかかったんだよ。」


 30歳過ぎくらいの男は、息子と言ってもおかしくないくらいの少年にも丁寧な態度だった。灰色のメガネの奥の穏やかな微笑みや話し方に気品がにじみ出ているのは、さすが誉れ高い修道騎士だとリッカは思った。ケセドの外套の肩には、フィロト教会の紋章が小さくもはっきりと縫いこまれている。


「そんなに緊張しなくてもいい。」 最初は顔色さえ良くなかったリッカに、ケセドは肩をすくめた。「せっかく共に行くんだ。今は君と同じ、ただの旅人だと思ってくれ。」

「でも、やっぱり修道騎士様に無礼は……。」

「そんなに立派な人間に見えるのならば光栄なことだが、じつはこの前、うっかり宿場に財布を置き忘れたこともある、普通の人間だよ。」

「本当ですか?修道騎士様でも、そんなことがあるんですか。」

「そういうことだ。呼び方も、普通でいい。わたしの名は、今はケセドだ。」


 『第四の天使』の名は、やはり騎士としての腕や教会内での地位がかなり上であることを示しているが、それを威にする様子もなく、ケセドは人当たりのいい笑顔でうなずいた。父より若いが父のような温かさと、生きていれば兄と近い歳ごろの信頼感に、リッカも安心できた。


「ところで、君はどうして都へ?」

「姉を探しているんです。届けなきゃいけないものがあるんですけど、今どこにいるかはわからないんで、たぶんあそこに来るはずだから先に待っていようかと思って。」

「……リッカ君、都は初めてだね。」

「そうですけど……?」


 リッカが首をかしげると、ケセドは苦笑した。「帝都は普通の町の10倍以上の規模と人口だよ。いつ来るかわからない人をあそこで見つけるのは、砂漠で一粒の宝石を探すようなものだ。」


 リッカは生まれてこのかた港町ケント以上の町を見たことがないので、そんな大都市など想像もできない。眉間にしわを寄せて、頭の中のケントやメドウ谷を一生懸命膨らませて人を混み混みにしてみたが、大陸の玄関町リールが精一杯の規模だった。


「ど、どうしよう……姉ちゃんを見つける前に、僕が迷子になっている気がする……。」

「ふむ……少し待っていなさい。」


 馬車に揺られながら、ケセドは紙とペンを取り出して、何やら手紙のようなものを書いた。このときは他に誰も乗っていなかったので、しばらくガタガタと車輪が走る音と、滑るようなペンの音だけがしばらく続いた。


「これを都の門番に渡して、君の姉上の容姿を伝えなさい。あとは旅籠はたごで待っていればいい。」

「え、それで見つかるんですか?」

「それらしい人物が本当に都に現れたら、どこの門から入ってきても知らせてくれるはずだ。君はくれぐれも迷子にならないようにするのだぞ。」


 どうやら、門の番兵に事情を説明する手紙を書いてくれたらしい。

 宗教上、修道士や修道騎士は信徒に絶大な尊敬と権威を持っているが、こんな田舎者の少年のために人探しを依頼するなど、聞いたことがない。俗界のことに対しては、王侯貴族の権限どころかほとんど一般市民と変わらないはずなのに、どういう内容が書いてあるのか気になったが、今は素直にありがたく思った。


「それでは、無事に姉上と会えることを祈っているよ。」

「本当にありがとうございました。ケセドさんも、気をつけてください。」


 帝都を取り囲む巨大な城壁の外側、各地を行き来する馬車が集まった乗り場で、2人は別れた。ケセドはそこから大陸中央にあるセフィロト教会本部行きの馬車に乗り換え、彼の乗った馬車が見えなくなるまで見送ったリッカは、大陸屈指の大都市に1人で足を踏み入れた。



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