13.飛行艇を追って
ソラトがいなくなった――。
宿場町グリュックに入ったフウリ達は、シュデン街道の魔獣カラスを退治した功労で町人や警備隊から感謝の声に迎えられたが、表情は晴れなかった。適当に返事をしながら人垣を抜け、お礼にと用意された旅籠の一室に入ってから、ようやくローシェが口を開いた。
「ねぇ、何があったの?」
怪我をした女性をこの町に送り届け、大声で警備隊に助けを求めたローシェは、彼らと急いで坂道を引き返した。しかしすでにカラスの群れは空になく、街道には黒い羽が無数に散らばっていたが、そこにはフウリとアランが立ち尽くしているばかりだった。
「ソラトさんはどうしたの?」
「……わかんねぇ。」 アランが窓辺に歩いていった。「わからねぇことだらけだ。いきなり魔獣どもが吹っ飛んだかと思ったら、今度は煙に囲まれて……たぶん煙幕だったと思うが、とにかく何も見えなくなっちまった。その間に『捕まえたぞ!』って誰かの声が聞こえて、煙が晴れたときにはあいつがいなくなっていた……。」
「ソラトさんは誰かに誘拐されたってこと?」
「ぼくのせいだ。」
イスに重々しく腰をおろしてうつむいていたフウリが、床の一点を見つめたままつぶやいた。
「ぼくが油断していたせいで、魔獣から助けてるために空を飛んで……翼を見られて狙われたんだ。」
「フウちゃんのせいじゃないわ。」 ローシェがかぶりを振った。「直後にさらわれたということは、犯人はたまたまその場を見かけただけだと思うの。それに煙幕なんか持っていて、翼のあるソラトさんを捕えるなんて、ただの通りがかりじゃないわ。」
ローシェが2人の話から推測すると、フウリはあの時のことを思い出して、ふっと顔をあげた。
「そういえば、低くて大きなエンジン音が聞こえた気がする……それも空からだった。」
「空からエンジンの音……もしかして、飛行艇かしら。」
「飛行艇?って、空を駆って闘う、あの空賊の……?」
空を目指す者として、もちろんフウリも聞いたことがある。
自由を求めて国家に抗い、制空権を賭けて互いに争い、大陸の空を縦横無尽に駆け回る空賊の話は、遠く離れたファルギスホーン島にも聞こえている。ときに町に現れて略奪をすることもあるが、ほとんどが悪どい商人や腐敗政治家を狙うので、義賊として市民の間でも人気があった。
そんな彼らが乗る空飛ぶ船は、最先端の科学と莫大な金、そして風とエンジンを制御する細かい技術が必要なため、大陸でも限られた数しかない。まさか王国や帝国の軍が単独で動いているとは考えにくいので、必然的に空賊である可能性しか残らなかった。
「ソラトさんを狙ったのは、どこかに売ろうとしているんしゃないかしら。サーカスとか研究所とか……想像だけど。」
「でもよ、相手は正規軍とも渡り合う武力を持っているんだぞ。今からじゃ、エアプルームでも飛行艇に追いつくのは……って、おい、フウリ!」
ローシェとアランが話をしている途中で、フウリがばっと立ち上がった。それだけわかれば、こんなところでじっとしてなどいられない。
――相手がなんだろうと、どこにいようと、ソラトはぼくが助け出す。
あわてて追いかけようとする2人を待たずに、フウリは部屋を飛び出して、足早に階段を駆け下りていった。
旅籠「渡り鳥の寄り道亭」の1階はバーになっていて、ここの宿泊客以外にも、酒を飲んだり早めの夕食を食べたりしている通過客も多い。焦ってやみくもに突っ走っていたかのように見えたフウリは、ピアノの舞台横でぴたりと止まって、ぐるっとホールを見まわした。
「すみません!このあたりの空賊の一団を知っている人、いませんか!?」
ピアノや談笑に負けない大声に、客もバーテンもぎょっとしてふり向いた。一瞬で場がしんと静まり返ったが、誰もいぶかしげに眉をひそめるばかりで、追いついたローシェが止める間もなく、再びフウリが大きく息を吸って口を開いた。
「ぼくの友達がさらわれてしまったんだ!危険は承知している。一緒に戦ってくれとは言わない。ただ、空賊の船に乗り込む手段を知っていたら教えてくれ!」
「フウリ、やめろ……!」
アランが腕を引いて連れ戻そうとしたが、すでに何人かの酔っ払いが立ち上がっていた。黒いヒゲに真っ赤な顔の熊のような大男が3人、にたにた笑いながら酒場には似つかない場違いな少女を取り囲む。フウリは動かない。
「姉ちゃん、空賊に歯向かおうたぁ、いい度胸じゃねぇか。」
「お子ちゃまはもう家に帰って寝る時間だぜ?」
「ヘっへ、その前にオレ様が腕試しをしてやるよ!」
ぐわんと迫ってきたごつい腕を、フウリはなんなく避けた。続いてつかみかかった岩のように巨大な手を逆に捕え、軽くいなして後ろの壁に打ち付けてやった。調子が狂ってためらう残りの1人も、刺すように鋭くにらみつけた。
「空賊のことを知らないなら、あんた達なんかに用はない。」
「ヤ、ヤロウッ!」
「ヤロウはこっちだ、おっさん。」
今度は同じ目線のアランが立ち塞がり、手にした背丈より高い槍を、見えやすいように明かりの下にどんっと突きたてた。一歩もひるまない少女と見るからに腕っぷしの強そうな男に、酔っ払いたちはズルズルと引き下がっていった。
「チッ、今日のところはこれくらいにしてやる!」
「うわ、お約束どおりのセリフだな。」
つばと捨てゼリフを吐きながら逃げていく男たちを、フウリはあきれながら見送った。まだバーはガヤガヤとざわめいているが、もうこちらを直視する者はいない。出るに出られなかったローシェが、後ろから心配そうに幼なじみに声をかけた。
「フウちゃん、怪我はない?」
「平気だよ、あれくらい。」
「お前、ムチャするなよ。」 槍を収めてアランがうなった。「こんなところでケンカ売るようなマネしたら、絡まれるに決まっているだろうが。」
「わかっているさ。」 フウリはにやっと笑って肩をすくめた。「でもこれくらいでビヒッていたら、空賊相手にケンカを売るなんてできないだろ?」
「そのとおりだわ。」
その時、カウンターに座っていた茶金髪の女性が立ち上がった。ヒールを履いているとはいえアランと同じくらいの長身で、すらりと伸びた細い手足は透き通るように白い。
「すっごい美人……。」
フウリは思わずつぶやいた。ふわりと背中に払いのけた波打つ長髪から、甘いフルーツの香りとタバコの煙の匂いが流れてきて、ぽかんと見とれているフウリ達の鼻をくすぐった。
「あなた達、空賊の船に乗り込むつもりなの?」
「あぁ、友達を助けなきゃならないからな。」
「相手は100人を超える空賊団で、大陸南東部を縄張りにしている大物よ。」
「正面から戦争を仕掛けるつもりはないから、なんとか潜入できたら……って、あいつらのことを知っているのか?」
美女は妖艶ながらも凄みのある微笑を浮かべた。「あなたのその度胸と冷静な判断力、気に入ったわ。何より、いい目をしている。」
「あんたは……?」
「あたしはジーク空賊団の船長、エリアーデ=ウォルクよ。あなた達のお友達を助けるのに協力してあげるわ。」
――空賊団の船長……!?
さすがにフウリも目を丸くして、すぐには返事ができなかった。国家に盾つく犯罪集団と恐れられ、正義の義賊とも慕われる空の英雄が目の前にいる。ローシェはまだ物陰で震えているが、フウリとアランは憧れだけでなくその人柄にも感服した。
「空賊の戦いは生きるか死ぬかよ。覚悟はある?」
「お願いします!」
フウリは迷うことなく即答した。アランは武者震いで槍を持つ手に力が入り、ローシェも階段の陰からおずおずと出てきて小さくうなずいた。
海を見下ろす丘にあるグリュックの町からすぐ近くにありながら、明かりを消したその船は完全に夜に溶けて見えなかった。
丘の終わり、垂直に切り立った崖にぴったりと張り付くように停泊している飛行艇ジークは、こうして海に浮かんでいると普通の船とほとんど変わらない。船首や船尾に取り付けられた巨大なプロペラが、空を飛ぶ船であることを証明していた。
「これが飛行艇かぁ!」
先ほどまで気負っていたフウリも、これを見ても落ちついていられるわけがない。緊張しながらエリアーデについていき、岩場から縄ばしごを上って甲板に出たら、たまらず駆け出していった。
「へぇ、マストは港の船よりも細いんだなぁ。あ、帆は3枚なのか。エアプルームと同じ原理なら、空の風は5枚よりも扱いやすそうだな。」
「よくわかったわね。」 エリアーデもとなりにやってきて、メインマストを見上げた。「マストの数や大きさは、エンジンの重量とエネルギーによって異なるのよ。ちなみに海の船は、ほとんどがウチと同じでマストが3本だけど、他の飛行艇では1本のものや4本のものもあるわ。違いがわかる?」
――海と空……つまり、船っていうより、でかいエアプルームだと思えば……。
フウリはぐるっとジーク号を見まわした。初めて見る飛行艇の構造はわからなくても、エアプルームの仕組みや風の捕え方は体全体で覚えている。頭の中では答えがわかっているのだが、口を開けて息まで吸ったものの、その後の言葉は出てこない。
「あ、あの、エンジンの推進力と大砲の数に反比例している……ですか……?」
やっとのことで縄ばしごを上ってきたローシェが、まだ震えている足で揺れる甲板に立って、遠慮がちに答えた。彼女は空を飛んだことさえないが、船舶の専門書や物理科学の本は読み尽くしていて、しかもそのすべてが完璧に頭に入っている。そして最後に、フウリの直感とローシェの知識を足して2で割ったアランがまとめた。
「ってことは、この船は長期戦向きで逃げ足が速いってことだな。」
「そう、それ。」
フウリもやっとのどにつまっていたものが取れたようにスッキリした。そんな3人を見て、エリアーデは満足そうにうなずき、タバコを取り出して火をつけた。すると、どこからともなく数十人もの乗組員たちが甲板に集まってきた。
「えっ……!?」
「心配しなくてもいいわよ、お嬢ちゃん。こいつらはみんな、あたしの仲間だ。」
あっという間に取り囲まれ、ローシェが反射的に体をすくめたので、エリアーデは笑って煙を吐いた。
フウリ達と同じくらいの歳から髪の白い老人まで、細い針金のような男からでっぷりと体格のいい女まで、年齢性別のさまざまな者たちが、ざっと目で数えただけでも100人近くいると思われる。全員が剣や槍、銃を持っていて、そろいの青いバンダナをしていた。
「このコ達の仲間が、空賊にさらわれたらしいわ。あたし達はこれからその船を追って、そいつを奪還する。総員、ただちに飛行準備を整えて、北北東へ発進。作戦は追って通達するけど、奇襲の体勢で待機しているように。」
「おうっ!!」
どういう経緯で協力することになったのか、敵がどこの空賊団なのかも言わない。エリアーデは最低限の言葉で必要な指示を飛ばし、部下たちもそれだけで心得てすばやく持ち場へと散っていった。
重低音と細かい振動が足元に伝わり、船尾がゆっくりと90度旋回しながら、同時にプロペラがいっせいに回りだした。すべての帆が張られ、海からの上昇気流が吹きつけた瞬間、耳をつんざくエンジンの爆発音が響いた。
――飛行艇が出発する……!
「さぁ、飛ばされないように、しっかりと付いてくるのよ!」
衝撃と緊張で、フウリ達は思わず船べりをつかむ手に力が入った。入り江から勢いよく海に飛び出し、海面を滑る感覚を残しながら、ジーク号は夜の空へと飛翔した。