10.託された手紙
初登場人物
・ナタリア……旅先で病に倒れた老女。
東の果ての港町リールに集まっている街道は、北、西、南の三方向に伸びている。それぞれが各地方の都市につながっているのだが、どこから行っても大陸東部の道はすべてが帝都につながっていると言われている。
そんなわけで、朝食をとったアラン達は、3つの道のどれにするかを話し合った。急ぐ旅ではないし、明確な目的地があるわけでもないので、多数決をとった結果……
「ぼく、南がいい!おいしい食べ物がいっぱいあるんだって。な、ローシェ!」
「う、うん、そうみたいね。私はどこでもいいけど……。」
「オレも寒いよりは暖かいところの方がいいな。」
「南か……町が多いし、道も1番平坦そうだから、こっちにするか。」
……とりあえず全員一致(?)で、南西に向かうシュデン街道に決まったのだった。
3つの街道とも定期馬車は通っているが、このシュデン街道を行く人はほとんどが徒歩で移動している。寒さが厳しい北部や山道が多い中央部と異なり、景色がよくて中継となる村や宿場がいくつもあるので、急ぐとき以外はのんびりと歩いていくのが、このあたりの常識だった。
「大陸の空も飛んでみたいなぁ!」
馬車や人が通って踏み固められただけの道は、まわりに草むらが広がり、ところどころに大きな岩が横たわっていて、海から吹き上げる風が気持ちいい。フウリは先に走っていってはふり向いて、3人が追いついたらまた走った。背負ったエアプルームの白翼が、まるで本物の羽のように背中で揺れている。アランはあきれながらも、じつは頬が緩みそうになるのを必死に隠していた。
「子供か、お前は。」
「アランがオヤジなんだよーだ。」
フウリがカーブの向こうから負けずに言い返した。走るたびに揺れる長い黒髪までがまぶしくて、つい細めた目を離せなくなる。
――あいつは昔から変わらねぇな。
初めて会ったのは、アザニカ学院の中等部だった4年前、13歳のフウリが初等部に入学してきたときだった。3年ごとに学部が上がっていくのだが、卒業するまでの2年間、この生意気で勝気で、軽く振る舞っているようで常にまわりを気にかけているこの後輩を、アランはいつからか気になって目で追いかけるようになっていた。仕事の同僚になってからも、フウリは変わることなくまっすぐな眼で笑いかけてきた。
「……アラン?なぁ、アランってば!」
「……おっ?」
透きとおった青い瞳がすぐそばから自分の目をのぞき込んでいるのに気付いて、本当は息が止まるほど驚きながらも、とっさに最大限の自制で平静を装った。
「な、なんだよ、急に。」
「いや、アランは何でこの旅に出ることにしたのかなぁって思ってさ。」
わざと険しい顔を作ったらフウリが離れて横に並んだので、ほっとするやら残念やら、アランは複雑な気分だった。そしてひと呼吸置いてからさっきの質問を頭の中でくり返し、数秒遅れて答えに焦った。
「なんとなくだよ。武術のいい修行にもなるしな。」
「それだけ?」
「そ、それだけに決まってるじゃねぇか。」
――お前が行くからだなんて、言えるわけねぇだろ!
「ふーん、そっか。」
意味があるのかないのか、フウリは前を向きながらつぶやいて流した。その後の沈黙は、さっきまでの爽やかな光景もどこへやら、アランは何か見えないものに押し潰されそうな気分だった。
――こいつ、何を言いたいんだ……?
チラチラと目だけを動かして様子を伺うも、となりの表情を読み取ることはできない。はっきりとストレートすぎて隠すことなどないと思っていたフウリが初めて見せた濁した態度に、アランは期待と不安が勝手に膨らんで、ぐるぐると目が泳いだ。
「フウちゃんとアランさん、なんだか変な空気……?」
「そうか?」
恥ずかしがって顔も見られないはずのローシェと後ろからのんびりと歩くソラトが小声で話していることなど、それぞれに違う空を眺めている2人はまったく気付いていない。微妙な雰囲気のまま、一行は最初の宿場に立ち寄ることになった。
宿場町エアホルンは、港町リールから出発するとちょうど昼ごろに到着する位置にある。それを見越して道の両側に立ち並ぶさまざまなジャンルの飲食店から。おいしそうな匂いが漂っていた。
「ん〜、おいしい!」
その中の1軒に入って料理を堪能することには、フウリの調子もいつもの元気に戻っていた。薄く焼いたパンにはみ出るくらい山盛りに乗せた野菜と肉と甘辛ソースは、簡素ながらも絶妙な味と大ボリュームで、視線が落ちつかなかったアランも満足できた。
「あー、困ったなぁ……ん?」
店の奥の方でうろうろしていた、熊かと思うくらい毛むくじゃらの男がのっそりとテーブルにやってきて、4人はかぶりついていた料理から口を離して見上げた。
「お客さん、もしかして空送屋ですかい?」
接客をしているのは小柄な女の子なので気付かなかったが、なるほどエプロンを見るまでもなく、この豪快なメニューの創作者であることはすぐに納得できた。
「えっと、店長さん?」
「あぁ、そうだ。空送屋なら、ちっと頼みがあるんだが。」
「仕事?それなら任せてよ!」
早くも立ち上がったフウリが、壁に立てかけてあったエアプルームを取った。そしてそのまま外に出ようとして、あわてて回れ右をした。
「あーっと、依頼を聞くのを忘れていたっけ。で、何をどこに届けるの?」
「1時間くらい前に来たお客さんが、財布を忘れていってしまってね。北か南のどっちに行ったのかわからないんだが、背が高くてメガネをかけた男性だ。ちらっと見えたあの外套の紋章は、たぶん修道騎士様だと思う。」
「(ローシェ、修道騎士って何?)」
「(セフィロト教会に所属する、教皇様直属の騎士よ。)」
「ふーん。ま、とにかく背の高いメガネの男、だね。」
後ろでこっそりローシェに教えてもらったが、結局フウリは興味がなさそうに肩をすくめた。客がどんな相手でどこにいようと、依頼を受ければ必ず届けるのがプロの空送屋なのだ。
「どっちに行ったのかわからねぇなら、二手に分かれるか。」
「そうだね。ぼくはさっき歩いてきた方に戻ってみるから、アランはこの先に行ってみて。1時間前なら、まだそんなに遠くには行っていないはずだ。」
「助かった。昼どきは店を離れられんし、修道騎士様じゃネコババするわけにもいかんからな。」
――修道騎士じゃなかったら、どうするつもりだったんだ、おっさん……?
あえて聞き流しながらも心の中でツッコんだアランは、残っていたパンを口に放りこんで、フウリに続いて外に出てからエアプルームを広げた。島ではほとんど毎日飛んでいた鷹の翼も、ここ数日間はずっと折りたたまれていたせいで、久しぶりの開放感を喜んでいるように見える。
「オレも飛びたいなぁ。」
「行ってらっしゃい!」
マントを取るわけにもいかないソラトと手を振るローシェを残して、アランとフウリは南北に分かれて飛び立った。徒歩で1時間分くらいならば、すぐに追いつける。南に向かって飛ぶアランは、左後ろから時おり吹きつける強い潮風に注意しながら、人の顔が確認できるくらいの高度を保った。
――背の高いメガネ……って、意外といねぇもんだな。
大した特徴ではないと思ったのに、街道を行くのは小さな子供を連れた母親や老夫婦、若い女性のグループなどさまざまで、それらしい男はなかなか見つからない。主に南に向かう流れを見ているが、もしかしたら途中で忘れ物に気付いて引き返しているかもしれないので、北へと歩く顔ぶれも念のために確認していった。
「うーん、やっぱり向こうに行ったかな……っと、お?」
そろそろ徒歩1時間と思われる距離も過ぎようとしていたとき、メガネをかけた男が1人で歩いているのを見つけた。少し離れた後方に着陸して追いかけてみると、身長はアランより少し大きいくらいだが、細身なのですらっと高く見える。円と線を組み合わせた木のような形の紋章が外套の肩あたりに確認できたので、思いきって声をかけてみた。
「すみません、空送屋なんですが。」
「ん?なんだい?」
「さっき、エアホルンの宿場町でメシを食べて、財布を忘れていきませんでしたか?」
やや黒い色のついたメガネに隠されて、瞬きをした目はよく見えなかったが、男はふところを確かめてから穏やかに驚いた。
「あぁ、そういえばそのようだね。すまないね、わざわざ知らせてくれて。」
「連れが向こうを見にいっているから、ちょっと待っててください。」
アランは空送屋同士が合図に使う発炎筒を付けた。緑の煙は、目的のものが見つかったことを知らせている。
――これが修道騎士か。
フウリを待っている間、アランはそれとなく男を観察した。年のころは30歳前後、腰には鋭い銀の光を放つ細剣を携えている。柔らかい物腰で落ち着き払っているが、その眼光にはまったく隙がない。
神の教えを守る修道士と、神の民を守る修道騎士を擁するセフィロト教会は、二大国家も無視できないほどの力と規模であると言われている。皇帝や国王とは違った権威を持つ教皇は、第三の独立勢力として大陸の均衡を左右するほどの存在であり、彼らもまた民にとっては敬うべき信仰の対象だった。
――ま、俺らはそこまで熱心な信徒でもないからなぁ。
「おーい!見つかったのーッ!?」
すぐに狼煙に気付いて駆けつけたフウリが、地面をすくうようにふわっと降下の勢いを落として着陸した。そしてアランの後ろにいる男をしげしげと見て、預かっていた財布をかばんから取り出した。
「はいっ、お届け物です!」
「ありがとう。うん、確かにわたしの財布だよ。中身もそのままだね。」
「よかった。それじゃ、ぼく達はこれで。」
特に名前を聞くことも名乗ることもなく、2人は修道騎士と別れた。代金は依頼主からもらうものなので、さっきの昼食代ということにすればいいかと思いながら、アランとフウリは宿場町へと引き返した。
ソラトとローシェは、町の南口で待っていた。すでに考えていたとおり昼ご飯を無料にしてもらい、さらにおみやげに弁当までもらってきたらしい。
「それとね、またお届け物をお願いしたいって人がいたの。」
ローシェによると、先ほどの飲食店から2人が飛び立つのを見た通りがかりの若い女性が、旅籠にいる自分の主人から仕事を依頼したいと言ってきたのだという。
「今日はついているね。今度はどんな忘れ物かな?」
「いや、旅籠に泊まっているんだから、忘れたもんじゃねぇだろ。」
そんなことを言いながら、さっそくその旅籠まで行ってみると、ローシェ達に声をかけてきた女性がすぐにこちらに駆け寄ってきた。
「来ていただけたんですね。こちらへどうぞ。」
案内された2階の突き当たりは、小ぢんまりした旅籠の中でも1番広い部屋だった。その奥の窓辺にゆったりと大きなベッドがあり、白髪の老婆が寝ていた。
「こちらは私の主人、ナタリア様です。現在はご病気であられるので、横になったままでご容赦ください。……ナタリア様、空送屋の方々がいらっしゃいました。」
アラン達に紹介してから老婆に耳元でささやいて、女性はベッドの脇にさがった。主人はもとより、その従者である若い女性もきれいな服を着ていて、身なりがしっかりと整っている。かなりの身分か金のあることは想像できた。
しばらくして目を開けたナタリアが、ゆっくりと首だけを動かした。
「空送屋さん、急に呼びつけて申し訳ありませんが、届けてほしいものがあるのです。」
「どこの誰にですか?」
「この手紙を、帝都ウィスタリアの……宮殿の東側にある、青い屋根の家に届けていただけますか。」
横から女性が差し出した白い封筒を目で示して、老婆がかすれた声で言った。1番前にいたフウリは封筒を受け取って、ほんの少しの間それを見つめた後、ナタリアに向かって大きくうなずいた。
「大丈夫だよ、おばあちゃん。ぼくが絶対に届けるから、安心して!」
「どうか、よろしくお願いします。そして……ごめんなさい。」
「え……?」
最後につぶやいた言葉を聞き返そうとしたが、すでに老婆はしわに埋もれた目を閉じて動かなかった。どんな病なのかはわからないが、この歳では話をするのも辛そうで、おそらく先は長くないだろうと思われた。
結局、4人はそれ以上は何も訊かずに旅籠を出た。託された手紙を、その手にしっかりと持って。
「これで帝都行きは決定だね。」
「なんか、きな臭い感じがするけど、大丈夫なのか?」
「依頼を受けたからには、何があっても届ける。それがプロの空送屋さ。」
ソラトだけでなく、みなが何か予感めいた不安を感じていたが、それをわかっていてうなずいたフウリに迷いはなかった。そんな彼女を信じているアランも、もちろん空送屋のメンツに賭けても手紙を届けるつもりだった。