9.大陸の玄関にて
大陸の最西端にある港町リールは、ファルギスホーン島との定期船が行き来している、唯一の連絡交流窓口である。メドウ谷の羊製品を輸入したり、アザニカ学院で使われる書物を輸出したり、戦争が終わった17年前からは観光客も増えてきている。
定期船が入港してくると急速に夕闇が落ちたが、リールも港町のご多分に洩れず、こんな時間でも活気に溢れていた。夜こそ忙しい業界にとってはこれからが1日の始まりであり、仕事あがりの船乗りたちを出迎えるべく、派手な照明や女性たちがいっせいに動き始めていた。
「夜なのに明るい……。」
居酒屋通りでも歓楽街でも浮いている4人の旅行者たちは、うち3人が未成年であり、しかも初めて大陸の地を踏んだということで、驚くやら感心するやらで大忙しだった。この中でアランだけが海を渡ったことがあるので、ようやく船酔いから立ち直ったばかりなのに、年長者の落ちつきを見せて一行を引率した。
「今日は宿で休んで、明日動こう。確か、あそこの角を曲がったところの旅籠が安かったはず……ってフウリ、お前、口が開きっぱなしだぞ。田舎者丸出しじゃねぇか。」
「どーせぼくは田舎者だよ!」
「すごいな、どこを見ても人があふれている。」
「これくらいで驚いていたら、ウィスタリアやバーミリオンの都を見たらひっくり返っちまうな。……おーい、ローシェ、ちゃんとついてこないと迷子になるぞー。」
「あっ、あ、待って!」
ぼーっとしていたら危うくはぐれそうになって、ローシェはあわてて走った。色とりどりに輝く電飾に見とれ、裸かと思うような格好の女性に声をかけられて顔が赤くなり、とにかくどこを見てもつい足が止まってしまう。
――あれが噂に聞いた賭け事のお店ね……え、ビール1杯でこんなにするの!?あ、あのランプは何番のオイルカラーなのかしら。
本や新聞でしか知らない都会はまさに異世界であり、ローシェは持ち前の知的好奇心がうずうずして仕方がない。同じような分野で幼いころから気が合うリッカにも、ぜひ見せてあげたいと思った。
「アランさんは、いろんなところに行ったことがあるの?」
追いついたローシェがたずねると、はっきりとは覚えていないらしい道を調べていたアランがふり向いた。同年代でもかなり小さなローシェが横に並んでも、大柄なアランからは背負ったエアプルーム(軽いので折りたたんだら持ち運べる)の陰になってしまって見えない。
「いんや、大陸に来たのは親戚の用事と卒業旅行の2回だけだ。このリールと、南の海沿いにあるモールヘントって町にな。」
「果物がおいしくて、砂がきれいなところよね。」
「よく知っているなぁ。モールヘントなんて小さな田舎町なのに。」
「中等部の地理学書137ページに、簡単な説明があったから。」
「……そ、そうだっけ?」
「あ、ごめんなさい。そんなこと言われてもわからないわよね。」
アランが返答に困ったのを見て、ローシェはハッとして謝った。彼も中等部を出ているのだが、学院史上初の飛び級をした天才少女は教科書程度ならばほとんどすべてを暗記しているので、話がかみ合わないのは当然だった。
――でも、アランさんなら大丈夫かな。
アランが学院に在籍していたころに何度か話したことがあるだけだが、最近ようやく彼と話すのは慣れてきた。開けっぴろげで直線な性格なのに常識があるところと、そのころからフウリに言い寄ろうとがんばっているのに未だに本人には気づかれていないところに、人見知りの激しいローシェも警戒心を和らげた。
「なんだ、あの赤いヤツらは?」
急にソラトが立ち止まったので、またよそ見をしていたローシェは、マントの上からふわっとした翼にぶつかってしまった。見た目で想像していたより柔らかい感触に驚いたが、本人はまったく気にすることなく、通りの向こうを見て首をかしげている。同じように視線を向けたアランとフウリも、しずしずと歩いていく赤い一団に眉をひそめた。
「変わった格好だね。なんかのコスプレ?」
「あ、あれ、たぶんローゼン教だと思うわ。」
暗いとなおさら見えないメガネをいじりながら、ローシェが目を細めて答えた。そろいの赤いローブをまとった若い男女や年かさの男性ら数人が、港倉庫の裏手にあるビルに入っていった。
「ローゼン教……名前は聞いたことある気がするけど、何だっけ?」
「数年前にできたセフィロト教の分派だけど、実体がよくわからないから、まわりは警戒しているみたい。」
説明するローシェだけでなく世間の認識でも、この新興宗教については新聞に載っているくらいのことしかわかっていない。
大陸の人口の8割近くが信仰しているセフィロト教は、世界を創ったという“生命の樹”を神として崇めている。まだこの世に何もなかったころ、天空から大地に向かって伸びる“樹”が、空を漂っていた世界の想いを寄り合わせて、形ある生命、動物や植物を創造した。その後、平和な黄金時代や原初のヒトと悪魔との闘いなどを経て、“樹”は空の彼方で眠りについたと、神話は伝えている。
そのセフィロト教から分離独立したローゼン教は、同じように“樹”を崇拝していても信仰の教義や解釈が異なっていると言われるものの、詳しいことは外部には明かされていない。当初こそ少人数のグループでしかなかったが、最近になって急激に規模を拡大し、セフィロト教本部だけでなく、国家をもおびやかしつつある。
「宗教の問題に、なんで国まで出てきて心配するんだ?」
この世界の情勢を知らないソラトにとっては当然の疑問に、ローシェはまだ少し緊張しながら説明した。
「えっと、大陸は大きく3つの勢力に分かれているの。
西のバーミリオン王国、東のウィスタリア帝国、そしてセフィロト教会。
今までお互いに干渉しないでバランスを保っていたんだけど、ローゼン教が王国に近づいているらしくて、信仰の危機感を持った教会と大国間の勢力均衡を憂慮した帝国も手を組もうとしているとかで、最近じゃ戦争の準備まで始めているって言われているわ。」
先の戦争でも大陸全土を真っ二つに分けて争ったバーミリオン王国とウィスタリア帝国は、教会同士のいざこざを利用して隙あらば相手を引きずり落とそうとしているのではないかとの見方もあるが、どちらにしても今は険悪な雰囲気にあった。
「ふーん。まぁ、あんまり関わらない方がいいみたいだな。」
ソラトだけでなく、他の3人にとっても関係のない話であり、先ほどの怪しい赤ローブの集団のこともすぐに忘れてしまった。
歓楽街から離れた通りにある旅籠「大陸の玄関亭」に部屋を取った4人は、食堂で晩ご飯を食べた後、男性陣の部屋に集まって明日からの予定を話し合うことにした。
「んで、これからどうする?」
満腹になってご機嫌のフウリは、初めての遠出でもまだまだ元気で、遠慮なくアランのベッドに飛び乗った。ローシェは遠慮がちに戸口に立ったままで、追い出されたアランはぶつぶつと怒りながらもあっさりとイスに移動した。節約旅行者のための宿のわりには広い部屋で、ようやくマントを取ることができたソラトが思いきり翼を伸ばしても壁に当たらなかった。
「これが大陸の全体図だ。」 アランが地図を取り出して机に広げた。「さっきの二大大国の国境がちょうど真ん中あたりで分かれていて、今いるリールの港はここだな。」
横につぶれたまんじゅうのような形(フウリ曰く)の左端を指で示した。左下の離れたところにぽつんとある小さな点がファルギスホーン島で、その大きさを比較すれば、いかに大陸が広大であるかがわかる。翼を折りたたんで地図をのぞき込んだソラトが、いくつも記載されている町の名前をじっと見まわした。
「魔王が現れたのが本当なら、魔獣が増えたことと関係があると思うんだけど、魔獣の被害はどのあたりが多いんだ?」
「最初は内陸の人里離れたところだけだったみたいだけど、今じゃ街道でも町の中でも白昼堂々と出てくるっていうからね。さすがに都では被害がないみたいだけど。」
「発生源から調べるっていうのはむずかしそうだな……。」
「いっそ、『魔王はどこにいますか?』って訊いてみよっか?」
「お前、そんなことしたら通報されて警備隊に捕まるぞ。」
「ジョーダンだって!」
――フウちゃん、今の目は半分本気だったわよ……。
真剣に考えているソラトの横で、アランに静止されたフウリがお気楽に笑ったが、ローシェは内心ハラハラしていた。幼なじみはこう見えて、めったに冗談を言ったことがないから余計にタチが悪い。
「とりあえず、しばらくは町を渡り歩いてみるしかないんじゃねぇか?」
大陸東部、ウィスタリア領内の詳しい地図も横に出してアランが提案すると、ベッドから飛び降りたフウリがいきなりまとめた。
「それじゃ、街道を西に向かおう。途中で何かわかればそれでいいし、わからなくてもそのまま帝都に行けば、あそこなら情報の1つや2つはあるだろ。なんたって大陸一の都なんだから。」
「そうだな。この世界を、もっと見てみたいし。」
ソラトの後ろでローシェもうなずいたが、旅に対する不安は口に出さなかった。もとからそれは覚悟の上だったのだから、足を引っ張るようなことをしてはいけないと思った。
それから女性陣はつき当たりの部屋に戻った。子供のころはお互いの家に泊まったこともあったが、2人で寝るのは久しぶりなので、フウリは大はしゃぎだった。
「ね、ローシェ。枕投げしよっか!」
「ダ、ダメよ。となりのお客さんに迷惑だわ。」
「ちぇー、つまんないの。トランプくらい持ってくればよかったなぁ。」
「修学旅行じゃないんだから……。」
修学旅行くらい楽しめたらどんなにいいだろう。ローシェは着替えながらこっそりため息をついたら、枕を抱えたフウリがぐっと顔を近づけてきた。
「ローシェ、悩んでることがあるなら言ってよ。」
「え、えっ……!?」
「気付いていないとでも思った?水臭いなぁ、ぼくにまで黙っているなんて。」
メガネをはずしていたローシェには、にんまりと笑う幼なじみの顔もぼやけて見えなかったが、言葉も気持ちもすぐそこにあるのはわかった。フウリは普段は何も考えていないように見えて、昔からそういうことには鋭く、また放っておけない性格だった。
「……うん、ごめんね。」
ベッドに座ったローシェは、同じように枕を引き寄せてひざに乗せた。
「都に行きたいのは本当なんだけど、私、もっといろんなものを見たり聞いたりしてみたかったの。だからフウちゃんが大陸に行くって言ったとき、私も本を読んでいるだけじゃなくて動かなきゃって思ったの。」
「あのフランツおじさんを説得したくらいの意気込みだもんね。びっくりしたよ。」
「でも、どうしても怖くて……魔獣がいつ襲ってくるか不安だし、この旅がいつどこまで行くのかもわからないし……。」
自分のベッドに大の字に寝転んで、フウリは天井に向かって話した。
「ローシェは心配しすぎだよ。島にいても魔獣に襲われるときは襲われるし、旅もどうせするなら、もっと楽しまなきゃ。」
「でも、私がいてもジャマにならないかな……。」
「ジャマなわけないじゃん!情報を集めたり文献を調べたりするの、ローシェにしかできないことだろ?魔獣の相手なんか、アランとソラトに任せておけばいいんだよ。もちろんぼくも戦うから……おわっ!」
せっかくいいことを言っていたのに、フウリは放り投げた枕をキャッチしそこねて、顔面に直撃した。大きな枕に潰される親友を見て、ローシェもようやく微笑んだ。
「ま、みんながいれば大丈夫さ。」
「うん。ありがとう、フウちゃん。」
2人の幼なじみは明かりを消してベッドに潜りこんでからも、お互いの仕事や勉強のことをしばらく話した。まぶたが落ちるころには、本当に修学旅行のような楽しい気分になっていた。