「不死身」
不死身という言葉を思い浮かべた時、真っ先に想像するのは“殺しても死なない”という風に考えてしまうのは戦場での暮らしが長かった事に起因するのだろうか。
例えば、何十発もの弾丸を全身に受けて尚、手にしたライフルで反撃をしてくるような男は“不死身”や“ゾンビ”などと呼称される事がある。
しかし、結局はどれだけしぶとい奴だろうと最後には死ぬ。ならば、それは不完全な不死身であると言えよう。
では、現在でも不死身などと呼称される俺はどうかと問われれば、我ながら完全な不死身ではないかと確信せずにはいられない。
爆発を含めたあらゆる衝撃に耐え、銃弾は勿論の事、斬撃にも耐える。正確には耐えると表現するよりは異常な回復速度で肉体に与えられた傷を治癒していると言った方が良いかもしれない。
では寿命による避けられない死に対してはどうかと問われれば、これまた不思議な事に俺には寿命と言う概念が存在していないようだ。
現に俺は既に百年は生きているが、体のどこにも異常をきたしていない。
因みに、外見に関しては自我が芽生えた頃より変わっておらず、二十代の若々しい見た目を百年間保っている。
俺の存在が世間から隠されている理由の一つに、時を経ても外見が全く変化しないという事実が含まれているのは確実であろう。
そういう意味では“不死身”というよりは“不老不死”の方が正しいかもしれない。
ただ、食事は摂らなくても死にはしないが、食事という行為そのものを個人的に好んでいるため毎日欠かさず三食摂っている。生命活動に関係無い事もあり、栄養バランスなどという面倒な事を考えなくても良いのは完璧な不死身であるこの俺の特権である。
とは言え、沙希と暮らすようになってからは栄養にも気を使った物を食べるようになった。彼女が人間である以上、健康な体を保つためには五大栄養素の摂取は必須だ。
……そこで一つの疑問が浮上する。もう何回、何十回、何百回と抱いた疑問だ。
――俺は、人間じゃないのだろうか?
そして決まって結論はこうなる。
――きっと人間とは違う別の生物なんだろう。
そうでなければ、“完璧な不死身”でいられるはずがない。
「フォックス! 何ぼけーとしてるの! 始まったよ!」
「何ッ! それを早く言わんか!」
「いや、画面を見てれば分かるでしょ……」
目の前にある映画館のスクリーンを彷彿とさせる巨大な画面には、中央に引かれた横線によって分割された二つの映像が映し出されている。
それぞれの画面には、現実の戦場で行動している時と同じように下部には銃口が映っており、前方には科学的な研究を行なっているであろう施設の内部を思わせる景色が映し出されている。
いわゆる一人称視点の戦争ゲームなわけだが、沙希に付き合っているとは言え、家にいる時まで戦争をしているとは何とも言えない状況である。
「やばっ見つかった」
「矢場? そんな如何わしい場所まで用意されているのか。最近のゲームは変な所で造りが細かいな」
「はぁ? 何言ってんの? っと、危ない危ない、何とか倒せた」
矢場とは売春を行なう店――つまりは淫売宿の隠語であるが、そんな場所が用意された科学的な施設がゲームの舞台とは、妙に現実的な設定である。
「ちょっとフォックス! あたしが倒した敵が守っていた拠点を制圧するわよ! 早く来て頂戴!」
「ああ、すまんすまん。このゲームのあまりの作りこみっぷりに少々感動していた」
「……フォックスってやっぱりちょっと変かも」
――『ちょっと』か。
そんな風に思ってくれるのは沙希だけだろう。
「あっちょっ伏兵がぁ! 卑怯よ!」
分割された画面の半分より上――沙希が操作していた画面の中央には、体から血を流して無機質な床に倒れた人間を模したキャラクターが映っている。
次に、画面には短い文字が表示された。
<十秒後に復活します>
「今度こそ制圧してやるわ! 覚悟しなさいよね!」
沙希が意気込みながら、両手に持ったコントローラーを強く握りしめた。
――もしかしたら、俺はゲームのキャラクターに近い存在なのかもしれないな。
人間ではなく、人間によって造られた、何か別の……。
突如、ゲーム画面がブラックアウトすると同時に、部屋の明かりが全て消えた。
現在は時刻二十一時。明かりが無くなれば当然部屋は暗黒に支配される。
夜中にこんな事が起きる時は、大抵原因が決まっている。
一般家庭ならばブレーカーが落ちた可能性を真っ先に疑うだろうが、生憎とこの家は一般家庭とは程遠い環境にある。
そしてこの非一般家庭では、このように突然家中の電源が落ちた時には真っ先に“襲撃”の可能性を疑う。
「なあに! またなのお!」
「いいからソファーの下に隠れていろ」
先ほどまで二人で座っていたソファーの下には、こんな時のために人がひとり入れるだけの隠し部屋が作ってある。
暗順応した後にソファーをずらすと、沙希をそこへ押し込み、再び元の位置に戻してソファーに腰をかけて来訪者を待つ。
襲撃される頻度はかなり減ったが、行動を起こす奴は一様に電線を切断してから突入してくるため、その都度修理を強いられる身としては至極迷惑な話である。
――来たか。
部屋と廊下を隔てる扉の奥から複数の気配を感じる。
この、気配を読む能力は数え切れない程の戦場を経験してきた事に起因する年の功だと俺は考えている。
暗闇の中で懐に隠していた拳銃を引き抜くと、安全装置を外して装弾した。
立ち上がり扉へ銃口を向けると、一瞬の後に扉が開かれ、素早い動作で三人の武装兵が姿を現した。
これ見よがしに防弾チョッキを着用し、暗視スコープを装着した三人の武装集団は、何も語る事なく標的である俺へ向けて銃撃を開始する。
三人の扱っている世界的に最も使われているアサルトライフルから放たれた弾の何発かが俺の体を貫き、その度にむず痒いような感覚に襲われた。
銃弾の雨を受けながら手に持った拳銃の銃口を三人の内の一人へ向けると、素早く引き金を引く。
部屋に反響していた銃声とは別の音が響くと、額を貫かれた俺から見て右側に立っていた武装兵が力無く膝から崩れ落ち、自らの血で出来た海に沈んだ。
続けざまに怯む事なく銃撃を続けていた扉付近に立つ武装兵の額へ銃弾を撃ち込む。
すると、左側に立っていた最後の一人が扉の奥へと駆けていき、廊下へと姿を消した。
悠々とした足取りで逃走した武装兵の後を追って廊下へ出ると、そこに武装兵の姿は既に無く、視線の先に見える玄関口の扉は開きっぱなしになっていた。
――逃げられたか。
……そう考えてしまいがちな状況だが。俺には“年の功”がある。
背後の気配に気づいた時、自分の首に“何か”が触れる感触が走った。
やはりむず痒い感触を与える“何か”を冷静に掴んで首から引き抜くと、逆手に持ち替えて素早く後ろへ振り向く。
そこに立っていた呆然とした表情の武装兵の首に“何か”を突き立てると、武装兵は全身から力が抜けたように前のめりに倒れた。
武装兵は四人いたわけだ。こいつは突入時に廊下で待機していたのだろう。
――さて、最後の一人は――
扉が開けっ放しになっている玄関口へと銃口を向ける。
暫くの沈黙の後、様子を窺いに来た間抜けな武装兵が顔を見せた瞬間、その額目掛けて銃弾を放った。
銃弾を額に受けると、間抜けな武装兵は驚愕した表情のまま背中から後方へ倒れた。
全てが終わると、無駄に広い一人暮らしの家――いや、二人暮らしの家に静寂が訪れる。
「沙希ー。終わったぞー、お前も出てきて片付けるのを手伝え」
そう言いながらソファーをずらすと、勝手に床が開いて中から少女が姿を現す。
少女は苦虫を噛み潰したような顔で俺を見上げた。
「フォックス……なんであんたって戦いの後はいつもグロテスクな外見になっているのよ」
「仕方が無いだろう。避けなくても死なないからつい銃弾をマッサージ感覚で受けてしまう癖ができてしまってな」
痛みはそれほど感じないが、外見上は人間と同じように損傷する。
今の俺は着ている服が体を貫いた銃弾でボロボロに破けており、全身血塗れの状態で何事も無いように立っているのだから、正にゾンビと言う言葉がお似合いだろう。
「ほんと、どこまでも常識外れよね、フォックスって」
「俺だって好きで常識外れになったわけじゃない」
自分の生まれに対する愚痴をこぼしながら、部屋に転がっていた死体の襟を掴んで廊下を引き摺り、玄関口から庭に出す。
後は軍に連絡すれば、『またか』などと毒を吐きながらも出前の容器を回収するような軽い足取りで死体をいつも通り持ち帰って処分してくれるはずだ。
俺の命を狙ったこいつらの正体などどうでもいい。さっさと処分してもらいたいものだ。
「なんで一番悲惨な奴をあたしが運ばないといけないのよ!」
「偶然だ。運命を恨め」
「まったく……ってうわぁ、こいつも凄い顔してるわね……」
沙希の目に留まった玄関の前に倒れている武装兵は目を見開いて口を半開きにした状態で息絶えていた。
「そいつは俺が運ぶ。沙希の引き摺っているそいつは他の奴と一緒に庭へ並べておいてくれ」
「はいはい、……それにしても」
沙希が死体を運びながら俺の姿を見据える。
「あんた、本当に不死身なのね」
「何を今更。それに、初めて沙希に会った時に言ったと思うが俺は死にたいんだ」
返答しながら驚愕した表情で固まっている死体を引き摺り、庭に並べた他の死体の横へと置く。
「あんたってさ、人工的に不死身になったんでしょ?」
「さあ、どうだろうな。そうだったような気もするが、よく覚えていない」
決して嘘ではなく。本当に覚えていないので答えようがない。
沙希に背中を向けたままポケットの中へ手を伸ばし、携帯電話を取り出す。
「だったらさ……」
沙希の声に耳を傾けながら、死体回収を依頼する軍の担当者の名前を電話帳の連絡先一覧から探し始める。
「あんたを作った奴に死に方を訊けばいいじゃないのよ」
その瞬間、携帯電話を操作する指の動きが止まった。
代わりに脳内に一つの言葉が響く。
遠い昔に聞いた言葉だ。
『不死の体に飽きたらここへ来なさい。お前の死に場所はここに用意しておく』
――思い出した。
それは、紛れも無く自分を造った科学者の発した言葉だった。