プロローグ 現実主義者と楽観主義者
その女子は宮史を見て、明るい笑顔を向ける。
「やあ、宮くん!」
「千弥子さん。どうもご無沙汰してます」
快活な第一声に面食らった宮史はおずおずと言葉を返す。同じ学び舎の、しかも面識のある人物が訪ねてくるとは思いもよらなかったからだろう。
彼女の名前は茶木千弥子。宮史にとっては上級生にあたる人物だ。明るい性格にお似合いの茶色がかった長い髪と大きな瞳。それとは対照的に鼻と口は小ぶりな作りで、大人びたスタイルにはアンバランスな幼い印象を与える顔立ちをしている。が、その実この組み合わせが彼女に最もしっくりくるようにも思わせる魅力を放っていた。
「今日はどうしたんですか」
千弥子は宮史が知る限り、とにかく明るい性格の持ち主である。ともすれば底が抜けたように明るい。何があっても何とかなるさ、どうにかなるさと笑っている。厄介なことに何一つ根拠がない場合でさえも、である。そんな底抜けの楽観主義者なのだ。…………さらに厄介なのは本当に何とかしてしまうところだったりするのだが。
だからこそ宮史は解せない。彼女ならここを頼らずとも何とかなるさと笑って構えるだろうし、何とかするだろうと思っていたからだ。
宮史の問いかけに千弥子は表情を苦笑に変えて答える。
「いやー、今回は自治会からの依頼でね」
「自治会ですか。一体何です?」
実は千弥子、学生自治会の役員をやっている。これには宮史も大いに驚いたことを覚えている。だが、
「その前に、阿藤梨絵って聞いたことあるかい」
今回ばかりはその時以上に驚きを禁じ得なかった。
たまたま阿藤梨絵の噂を聞きつけたその日に、たまたま阿藤梨絵の名前を見つけてしまい、そしてたまたま学生自治会から阿藤梨絵に関する依頼を受けることになった。さすがの宮史も奇縁を感じずにはいられない。
だが、彼にとって偶然か必然かの違いなど瑣末なことにすぎなかった。
たまたま阿藤梨絵の噂を聞きつけたその日に、たまたま阿藤梨絵の名前を見つけてしまい、そしてたまたま学生自治会から阿藤梨絵に関する依頼を受けることになった、という現実にはそれ以上もそれ以下もありはしないのである。運命とか宿命とかいった言葉は、その現実に対する主観的な呼び名に過ぎない。
「はい。知ってます」
コンマ数秒の驚きからすぐに立ち直った宮史は簡潔に肯定する。それを聞いた千弥子は「それなら話は早いね」と満足そうに頷いた。
「いくら噂とはいえ、いたずらに学生を不安に陥れる行為をこれ以上見過ごすわけにはいかない。だから、阿藤梨絵の正体を突き止めてほしいんだよ」
そう語る千弥子の口調は珍しく真剣そのものである。それが宮史にはどうしても解せない。
「今回はいつもより真剣なんですね」
千弥子の常との差異を不安要素と捉えた宮史は、率直にそう口に出していた。その言葉に千弥子は「やっぱりそう思う?」と再び苦笑いを浮かべながら言う。
「……実は私の妹も落し物に関わったみたいでね。ここ最近不安そうにしてたんだよ。だからこれは私個人としても見過ごしておけない問題でね」
聞いて、宮史は合点がいった。千弥子に妹がいる、ということは宮史も聞き及んでいる。妹のことになると、楽観主義者の千弥子が他に類を見ないほど真剣になるということも。
「わかりました。引き受けましょう」
宮史は二つ返事で了承した。といっても、姉妹の情にほだされたわけでは、決してない。結局は図書の件で探す羽目になったのだから依頼を受けても損はない。むしろ一石二鳥である。そう現実的に判断したに過ぎない。そもそも、久方ぶりのマトモな依頼を断る理由など宮史にはなかったのである。
依頼解決に向け思考をスイッチした宮史は、先ほど保留にしていた回答をすぐさま閲覧することに決めた。情報は多ければ多いほどいい。多少のリスクには目を瞑って、得られそうな所から手を伸ばさねばならない。そうして開いた回答には、確かに連絡先が記されていた。ご丁寧に学年クラス番号名前まで付いている。宮史はその学生の存在の有無等を調べてから連絡を取ることに決めた。
「それより宮くん」
素早く業務を開始した宮史に、突然千弥子の声がかかる。
「何でしょう」
宮史はごく普通に返事をした。……つもりだったのだが
「前から思ってたんだけど、どうしてそんなに不機嫌そうな顔をしてるんだい?」
言われて、否やの言葉を上げようとした宮史の耳に届いた所長室からのくぐもった笑い声に、宮史は今なら自分が不機嫌な表情をしているであろうと自覚した。
もっとも、千弥子の目にはずっと不機嫌そうな表情のままに見えていたのだが。
現「これにてプロローグ終了ですね」
合「これで全員出揃ったか?」
楽観主義者「いや、あと一人……」
享「……笑い事じゃ、ないですよね」
悲観主義者「……すいません。せめて笑ってください……」