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Ist  作者: こごえ
第一章
29/30

エピローグ 現実主義者と享楽主義者(1)

   五月二十七日


「あら朝倉くん。お久しぶりです」

「久しぶり。荻月さん」

事件以来、二週間ほど顔を合わせていなかった現実主義者と享楽主義者は、初めて言葉を交わした美術室で再会を果たしていた。といっても示し合わせたわけではなく、連絡に応じない梨穂を宮史が再び探しまわったのである。

「それで、早速ですけど用ってなんです?」

例の如く、とことん無駄な手間を取らせたことを悪びれる風もなく梨穂は口を開く。対する宮史もそんな様子を一切気にかけず、折り畳まれた一枚の紙を取り出した。

「これが何だかわかる?」

「ただの紙に見えますけど……」

質問の意図がわからずありきたりの答しか返せない梨穂に、今度は紙を開いて見せる宮史。

 そこには

―――私はどこにいるでしょう?

とだけ書かれていた。それは、初めて二人が会ったときに梨穂が図書館に残した書置きだった。

「ああ。あの時の」

合点がいったらしい梨穂は、過去の悪戯を懐かしむように笑う。悪戯に困らされた張本人の宮史としては笑い事ではないのだが、それさえも今は重要なことではない。本題はここからだった。

「じゃあ荻月さん。これは何だかわかるかな?」

続いて一冊のノートを取り出して訊ねる宮史。再び疑問符を浮かべる梨穂に宮史は説明をする。

「これはね、最初の阿藤梨絵の落し物だよ。伽弥子ちゃんにも確認したから間違いない」

幸福と不幸を呼ぶ落し物。その奇妙な噂の始まりとなった物、それがこの一冊のノートだった。

「それで、その落し物がどうしたんですか?」

その問いに、宮史はノートを開くことで答を示した。

「これ、荻月さんの字だろう?」

 そこには

―――私はどこにいるでしょう?

と、書置きと同じ丁寧な筆跡で記されていた。

 最初の落し物に書かれた筆跡と書置きの筆跡が一致している。即ち

「最初に阿藤梨絵の落し物を落したのは荻月さん、君じゃないか?」

核心を突く宮史に、梨穂は間違いを正す教師のように笑って言う。

「確かにそれは私の字ですけど。それは私が拾ったときに悪戯で書いてみたんですよ」

「そうか……。でもね、荻月さん」

あっさりと論破された宮史。しかしその目にもはや迷いはない。今のやり取りが、既に宮史の推理を決定的なものとしていた。

「このノートを拾った伽弥子ちゃんはね、その後ノートを落していないんだ。ずっと自分で持っていたんだよ」

「……え?」

「ということは、荻月さんがノートにこれを書き込むことが出来たのは伽弥子ちゃんが拾う前だ。つまり……」

呆けた声を挙げて固まる梨穂に、宮史は余すところなくその根拠を述べ連ねた後、落ち着き払った声で結論を告げた。

「最初の阿藤梨絵は君だよ。荻月さん」

美術室を一瞬の静寂が支配する。それを

「……ばれちゃいましたか」

梨穂の肯定を示す言葉が破った。その声は相変わらず悪びれることなく愉悦を孕んでいる。理由を問いたげな宮史の視線を汲み取った梨穂は先回りして答える。とはいえ、いい加減宮史にもその理由に見当は付いていたのだが。

「名前はあるのに落とし主が見つからない落し物。ほんの退屈しのぎのはずだったんですけど……。まさかここまで大事になるとは思いもしませんでした。これだから人生は面白愉快ですよね」

思った通り、その始まりは享楽的なものだった。すなわち所長の考えた今回の事件を簡潔に表すフレーズは、正しくは

―――享楽主義者が事件の種をまき、悲観主義者が恐れて芽吹かせ、楽観主義者が放っておき花を咲かせ、現実主義者が摘み取った

となるのである。

 観念したらしい梨穂が、挑発的に笑って問いかける。

「それで、朝倉くん。私を風紀課にでも突き出すんですか?」

いくらノートを落しただけとはいえ、あれだけの事態に発展した以上その責任は重いだろう。風紀課がこの事実を知ったら黙っているはずがない。

「いや、聞きたいことがあるだけだよ」

しかし宮史は現実主義者であり、正義の味方でも善人でも決してなかった。

 千弥子からの依頼は『噂を流して学生たちを不安に陥れている阿藤梨絵の正体を突き止めてほしい』というものであった。その犯人は祥子をはじめとする美術サークルの面々ということで既に決着している。改めて梨穂を突き出す意味などない。

 梨穂が最初の阿藤梨絵であることを確かめた目的は別にあり、その目的さえ達せられれば残りは宮史に取って不必要なことでしかないのである。

 だが仮に、阿藤梨絵の落し物を最初に落した人間を探せと依頼されたら、宮史は何のためらいもなく梨穂を告発だろう。朝倉宮史とはそういう人間だった。

 意外そうな表情の梨穂に、宮史が取りだして見せたのは一冊のファイルだった。第二図書室の貸出記録であるそれを開くと、宮史は阿藤梨絵の名で借りられた項を指差して

「この本を借りたのは荻月さんかい?」

と訊ねる。

 それは宮史が初めて出会った阿藤梨絵の名前だった。


享「次回更新は三日後です」

現「いよいよ第一章も最後となりました」

享・現「最後までどうぞお付き合いください」


享(……朝倉くんが普通だ)

現(……荻月さんが普通だ)

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