プロローグ 現実主義者(2)
朝倉宮史が通うのは、乙山市内にある乙山鈴帝学園大学という私立大学である。キャンパスは一つしかないが、その敷地は各学部棟、大型の教室や最新の設備を持った教室を備えた四つの校舎、図書館、食堂、グラウンドなどを有しながらも尚余裕のある広大なものとなっていた。
その学内で、第二図書室は最も人気の少ない教室だった。少なくとも、宮史はそう考えている。
というのも、元々は図書館から溢れた本を受け入れただけの倉庫以上教室未満の扱いに過ぎず、第二図書室という名称も便宜的に付けられたものである。そのため校内見取り図すら載っておらず、その存在を学生たちに知られているかも怪しかった。
そんな第二図書室の管理を、一身上の都合から宮史が引き受けたのはつい先日のことである。なんでも去年まで自発的に管理をしていた学生が卒業してしまい、新たに管理人を選出せざるをえなくなったらしい。二つ返事で依頼を引き受けた宮史ではあったが、第二図書室内の惨状を目の当たりにして驚愕すると同時に後悔することになる。
贅沢な広さを有する部屋には所狭しと本棚が立ち並び、溢れんばかりの本を詰め込まれた段ボール箱はそこかしこに散乱していた。とうとうそれらの収納からも溢れた本はあちこちで山を成しており、既に一学校の図書室と呼んで差し支えないほどの蔵書量だった。
その中を掻き分けて宮史は仕事に取り掛かる。作業は先日に引き続き、紛失した貸し出し名簿の捜索である。
本来の図書館にはパソコンと生徒IDを使った簡便な貸し出しシステムが採用されている。しかし、なし崩し的に図書室と相成ったこの教室にはそのような御大層な代物はない。そのため手書きの貸し出し名簿が必要になるのだが……。肝心要のそれは溢れかえった書物の山に埋もれてしまっていた。まさしく鉱山に埋蔵された金のごとし。捜索は困難を極めた。一体以前の管理人は何をしていたというのか。宮史がそんな愚痴を言いたくなるのも宜なるかな。
だが宮史は安請け合いをした自身の浅はかさに対する後悔をすぐにやめていた。
現実と向き合い、それに即して生きる。それが朝倉宮史の第一信条だった。現実に即していない事象に囚われることなく思考し、行動することを是とするのである。したがって宮史が後悔に囚われることはない。
それは『どう生きたところで人生は後悔の連続である。それ故に、後悔などしても仕方なく、意味もなく、価値もありはしない。後悔をしている暇があるなら今この瞬間から悔い改め努力し、最善の未来を手繰り寄せるべきである』という現実に即した思考の結果だった。
本を手に取ってはしまい、しまっては手に取り、またしまう。そんな単調な作業を小一時間続け、いつまで続くのかと宮史が思い始めたころ、床に散らばる本の隙間からファイルの一端を見つけた。周りの本を払いのけて宮史はそのファイルを手に取る。表紙には貸出記録と記されていた。ホッと一息吐く宮史。ささやかな達成感で二日に渡る孤独な作業を労ってやるのだった。
慰労の時間も程々に、貸出記録を開いてみた宮史は
「……阿藤梨絵」
さっそく後悔の種を見つけることになる。
宮史は携帯を片手に日暮れた街を行く。開いたサイトの名は情報統合サイト。何とも色味とセンスに欠けたネーミングだと宮史は常々思う。
第二図書室の貸出記録には「阿藤梨絵」の名前で本が貸し出されていた。返却された様子もなかった。無視することもできたのだが、見過ごして面倒なことになっても困る。誰が困るかといえばそれは管理を任されている宮史に他ならず、仕方なしに宮史は阿藤梨絵の正体を突き止めることにしたのだった。そのための情報統合サイトである。
このサイトは会員制で情報交換を主とするものである。質問をするにも、質問に寄せられた回答を閲覧するにもポイントを必要とする。ちなみに回答は、自分でした質問に対するものしか閲覧することはできない。知りたいことは自分のポイントで、自分で質問しなければならないということだ。
ポイントを溜めるためには他者の質問に回答をする必要がある。ただ回答をするだけではなく、質問者にポイントを使わせて情報を閲覧させなければならないのだ。質問者が回答を閲覧するのに使用したポイントがそのまま回答者のポイントになる仕組みである。ちなみに閲覧に必要となるポイントの量は回答者の裁量に委ねられている。
しかし質問者もむやみやたらと閲覧をしてくれるわけではない。少ないポイントでより有益な情報を得るため、彼らはいわゆる品定めをする。そこで回答者は各々の回答にタイトルをつけて質問者の興味を惹き、或いは他の回答より閲覧に必要なポイントを低くすることで情報を閲覧させるようにするのだ。この情報とポイントのやり取りによってこのサイトは成り立っている。
サイト内は全国、都道府県、市区町村、企業、学校等々、多くのコミュニティ毎に分割されている。質問者は最も効率よく情報の集まるであろうコミュニティを選択して質問をするのだ。
宮史はその中から、自身の通う大学がある市を選択した。学内で流れる「阿藤梨絵」の噂が市内でも知られているかどうか確かめるためだ。宮史はポイントを使って質問する
阿藤梨絵さんを探しています。彼女について知っていることを教えてください。
現「次回は享楽主義者の登場です」
享楽主義者「お楽しみに」
現「まだ早いから」