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Ist  作者: こごえ
第一章
17/30

拡散(2)

 伽弥子の提案により、宮史と梨穂は演劇サークルの所有物である狼の腹の中に潜伏した。平均的な体格を持つ二人が中に入ろうものなら、必然的に身体を密着させねばならない。普通は躊躇うものだろうと伽弥子は考えていたが、宮史は仕方ないと早々に割り切っており、梨穂は梨穂で面白そうだからそれで良い、の一言で即了承してしまった。

 かくして第一校舎を脱出することに成功した二人は、通称美術室まで来てようやく狼の腹から這い出てきたのだった。

「……ふぅ。狼に丸呑みされたおばあさんの気分が体験できましたね」

「入ったのはお腹からだけどね」

 各々感想を言いつつ地に足をつける。それを待ってから着ぐるみ女子、伽弥子は狼の衣装を脱いだ。もちろん服は着ている。先ほどの言葉は腹の開閉機構を見つけられた伽弥子が機転を利かせたことによる方便だったのだ。とはいえ、即興であの赤面を作り上げ、いじらしく告白する様子はまさに迫真の演技であった。その一部始終を腹の中で聞いていた梨穂は終始笑いを噛み殺し、宮史は女の恐ろしさをしみじみ噛み締めていたのだった。

「助かったよ、ありがとう」

 伽弥子が衣装を脱ぎきるのを待ってから宮史は礼を言った。それに倣って礼を言う梨穂。「いえ、私のせいですから……」と悲観的に返した伽弥子に、梨穂が訊ねた。

「でもどうして私たちを助けてくれたんですか?」

 その疑問は宮史も同じく持っていたようで、視線を伽弥子に投げかける。

「これを見て、私のせいで荻月先輩が危ない目に遭っていると思って……」

俯いて伽弥子が差し出したのは携帯電話。その画面に映し出されていたのは密告サイトと、そこに書き込まれた荻月梨穂の名前だった。

「ああ」

 本当に責任を感じているのかどうか定かではないが、申し訳程度に気まずそうな顔をしてみせる梨穂。そんな彼女に宮史はここぞとばかりに非難の声を上げる。

「ほら、荻月さんが面白半分でこういうことするから」

「でも私の名前を見なかったら伽弥子さんは助けに来てくれませんでしたよ」

紛れもない事実に黙る宮史。それでも何かを言い返そうとするが、言い争う二人に居心地の悪さを感じたのか、伽弥子が口を挟んだ。

「あの。……それに、私は先輩方が阿藤梨絵ではないと知ってますから」

思っている、ではなく知っていると伽弥子は言う。何か絶対的な根拠があるのだろう。不毛な論争などもはやどうでもいいと判断した宮史はその根拠を問う。

「なんでそう言い切れるんだい?」

その言葉に、伽弥子は逡巡を見せる。しかしすぐに決意したような声で答えた。

「……阿藤梨絵の噂を流した人に心当たりがあるからです」

「それは誰?」

続く問いかけに再び伽弥子は言い淀み、それから

「…………由美ちゃんと、祥子ちゃんです」

掻き消えそうな声を喉からようやっと絞り出した。その二人の名前に、宮史は頭の中のピースが少しずつ噛み合っていくのを感じる。

 やがて伽弥子は語り始めた。まるで懺悔をするかのように。

「……去年の夏ごろです。私が高校で阿藤梨絵と名前の書かれた落し物を拾ったのは。名前が書いてあるんだから、すぐに持ち主が見つかるだろうと思って私は全校生徒を調べてみたんですけど……。そんな人どこにもいなかったんです」

宮史も梨穂も無言で伽弥子の話を聞いている。宮史は少しだけ梨穂の表情に違和感を覚えたが、話に意識を戻すことにした。

「それからしばらくして、私は由美ちゃんと祥子ちゃんに落し物を見つけられてしまいました。事情を説明したら二人は面白がって……。その少し後、冬休みが明けた頃でした。高校で阿藤梨絵の噂が流れ始めたのは。私はすぐにあの二人の仕業だと気が付きました。でも、それを告発する気にはなれなかったんです。勘違いだったら困りますし。それに噂は噂だと思ってましたから……。でも卒業して春休みになると、大学にまで落し物が広まり始めたんです…………。私は自分で落し物を集めました。だけどどうすればいいのかわからず不安になっていたときに、集めた落し物を由美ちゃんと祥子ちゃんにまた見つけられてしまって…………」

「それで落し物を二人に分けたんだね」

事情を全て呑み込んだ宮史が確認するように問いかける。伽弥子は頷き、そのまま俯いて

「二人は大丈夫だよって。……噂を流したのは二人だと思ってたから、私も大丈夫だと思って。なのに……、なのに。…………本当に由美ちゃんがいなくなっちゃったんです……」

 その場に崩れ落ちて泣き始めてしまった。それは先ほど見せた迫真の演技とは違う、本当の涙だった。それほどまでに、自分に責任を感じていたのだろう。或いはそれを誰に告げることもできず苦しんでいたのかもしれない。思えば祥子のあの刺々しい態度は、由美がいなくなったことに対する自責の念を押し殺して気丈に振舞っていたが故のものだったのだろうか。

 傍らの梨穂に支えられて嗚咽を漏らす伽弥子を見ながら、宮史はそんなことをふと思った。


 ○


「伽弥子!」

 ややあって、美術室に千弥子が駆け込んできた。宮史が電話で呼んだのである。その際宮史は概ねの事情を説明しておいた。

 伽弥子が最初に阿藤梨絵の落し物を見つけたこと。それを知った由美と祥子が落し物の噂を作ったこと。どうにかしようと集めた落し物を再び二人に見つけられ、預けたこと。そして、本当に由美がいなくなってしまったこと。

 伽弥子は現れた姉の姿を見て再び目を潤ませる。千弥子は伽弥子に駆け寄り、そのまま優しく抱きしめた。

「……ごめんなさい。私が落し物のことを二人に教えたから……。私が落し物を見つけちゃったから……。私が……。私が全部いけないの…………。ごめんなさい……」

「大丈夫だよ。大丈夫。伽弥子は何も悪くないから……。心配しなくていいんだよ」

 腕の中で泣きじゃくる妹に、赤子をあやすように千弥子は何度も大丈夫と言い聞かせる。そんな二人の様子を、宮史と梨穂は距離を置いて眺めていた。

「荻月さんは伽弥子ちゃんのこと、知ってたんだ」

「ええ。祥子さんを助けてほしいと私はお願いされたんです。朝倉君は伽弥子さんのことは?」

「会ったことはなかった。名前だけよく千弥子さんから聞いていたよ」

「どうです?実際会ってみて」

やけににやにやしながら、梨穂は伽弥子に視線をやる。宮史もそちらに目を向けた。

「落ち込みやすい、とか聞いたことはあったけど……。まさかここまでとはね」

宮史の答えに、梨穂は満足そうに笑みを浮かべる。

 享楽的な彼女のことだ。悲観主義者の伽弥子のことを興味深い人間だと見ているのだろう。そんな風に宮史は推察した。

「あれで美がつく少女っていうところがまた愉快ですよね」

「まあ、ね」

梨穂のその言葉について、愉快という点を除けば宮史に異論はない。

 伽弥子は内向的で暗い印象を与えるが顔立ちは整っている。実際、千弥子のことを見上げる顔には安堵の微笑が浮かんでおり、あれを向けられた男はたちまち虜になってしまうことだろう。問題はその表情を姉である千弥子にしか向けないことなのだが。

「荻月さんは、千弥子さんと面識は?」

 今度は宮史が梨穂に訊ねた。二人は視線をややずらして千弥子を見る。

「ありません。けれど千弥子さんは有名ですからね」

「確かに。あの性格だからね……」

 千弥子は学生自治会役員として遺憾なく発揮するその万能ぶりもさることながら、明朗快活な性格と淡麗な容姿から多くの人間に支持されている。しかしながらその万能さが災いしてか、はたまた底が抜けたように明る過ぎるからか、言い寄る男がほとんどと言っていいほど現れないのだった。ちなみに宮史は後者が原因だと判断していた。

「でも、あんなに慌てて駆けつけるなんて思いませんでした。話に聞く限りじゃ、てっきり伽弥子さんの落ち込みも笑い飛ばしてしまうと思い込んでましたから」

 梨穂は意外だとばかりにそう呟いた。千弥子のことを知る人間なら誰しもがそのように想像するに違いない。だが宮史は、伽弥子の話をするときだけ千弥子の表情が大人びるのをしばしば目にしたことがあった。今も、伽弥子を抱える千弥子の表情は大人びた微笑になっている。あの表情を一目見たなら、どんな男も見惚れてしまうことだろう。問題は伽弥子と同様、その表情を妹である伽弥子にしか向けないことなのだが。

「……なんだかんだ言ってよく似た姉妹なのかな」

「……ですねえ」

二人を評した宮史のそんな呟きに、梨穂は愉しそうに同意を示すのだった。



楽「伽弥子の大活躍だったね!」

悲「そ、そんなことないよ……」

享「でももし本当に服を着てなかったら大変でしたね」

楽「……そのときは宮くんと二人きりでお話しすることになるだろうね」

現「……そのときは風紀課に保護を頼むことにします」

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