表示調整
閉じる
挿絵表示切替ボタン
▼配色
▼行間
▼文字サイズ
▼メニューバー
×閉じる

ブックマークに追加しました

設定
0/400
設定を保存しました
エラーが発生しました
※文字以内
ブックマークを解除しました。

エラーが発生しました。

エラーの原因がわからない場合はヘルプセンターをご確認ください。

ブックマーク機能を使うにはログインしてください。
Ist  作者: こごえ
第一章
16/30

拡散

 これにはさすがの宮史も落し物を取り出す手を止め、表情を僅かに変えた。といっても感情的なものではなく、まるで難解な数式を目の前にしたかのような渋面である。そんな宮史に続けて梨穂が言う。

「ああ別に、恋人同士になろうって言ってるんじゃないですよ?朝倉くんはただ私が会いたいときに会って、一緒に愉しいことをしてくれればそれでいいんです。私を好きになる必要はないし、私に愛を囁く必要もないし、彼女も作っていいんです」

言いたいことを言い終えたらしい梨穂に対して、理解できないといった面持ちで口を開く宮史。

「わからないな。それで荻月さんに何の得があるんだい?」

「損得じゃありませんよ。さっきも言ったように、私はただ、何一つ夢中になるものがない朝倉くんの勿体ない人生が気に喰わないんです。だから一つくらい夢中になって愉しめるものを作ってあげたいなと」

 現実的な宮史の質問に答える梨穂の表情はまるでナンセンスとでも言いたげである。それから大真面目な表情へと一変させ、

「だから朝倉くん。私と付き合ってください」

と改めて告げた。ただでさえ顔立ちの整った梨穂である。そんな梨穂が真剣な顔でするのだから、それはさぞかし心を打たれる告白になったことだろう。しかし相変わらず不可解だと言わんばかりの表情をした宮史の答は

「それを言うなら私に付き合ってください、じゃないかな」

至極現実的なものだった。普段通りの淡白な無表情に戻った宮史は落し物を取り出すのを再開する。

 七つ、八つ、九つ……。宮史らしい、しかしいまいち空気の読めていない返答にさすがの梨穂も呆れかえってしまっていた。

「……もうこの際『と』でも『に』でもどっちでもいいですから。とにかくお願いしますよ」

十、十一、十二……。落し物の数は二桁へ。念を押す梨穂に、手を止めないまま宮史はあくまでも現実的に答える。

「それは勝敗次第だよ」

そして十五まで数えたところで、両者の手が止まった。両者無言のまま顔を見合わせる。先に口を開いたのは梨穂だった。

「…………引き分けの場合はどうするんですか、朝倉くん?」

そう訊ねる梨穂に宮史は落ち着き払った声で答える。

「その心配はいらないよ」

 宮史は最後の一つ、阿藤梨絵の名前が書かれた教科書を取り出して見せた。

「十六個目」

 その一言でもって勝利を宣言した宮史は、勝利にも眉ひとつ動かさず事務的に告げた。

「さあ。約束通り、誠実かつ積極的に協力してもらうよ。たとえ主義主張が違っても、目的が同じなら手を取り合えるはずだ」

 以前の自身の言葉を返される形になった梨穂は、敗北にも関わらずますます表情を愉しげにして応えた。

「あーあ、残念です。でもまあ負けちゃったものは仕方ないですね……。ここは休戦ということで。よろしくお願いしますね、朝倉君」

「ああ。よろしく」

かくして現実主義者と享楽主義者は手を取り合い、ここに結託した。

「どうしたんですか朝倉くん?」

 手を握り合ったまま、扉へと視線を向ける宮史に梨穂が訊ねる。宮史は空いている手の人差し指を口の前に立てて言う。

「静かに。誰か来た」

 そのとき、教室のドアの前に誰かが立ち止まる音を二人は聞いた。手を離した二人は素早く手近に置いてある物の陰に身を隠す。

 扉を開けて数歩進んだその人物は

「あの……」

と遠慮がちに声をかけてきた。閉まるドアの音にかき消されそうなか細い声である。その声の主に心当たりがあった梨穂が物陰から顔を覗かせると、そこにいたのは全く想定外の人物。

「あなたは……」

「荻月先輩、助けに来ました」

 茶木伽弥子がそこにいた。


   ○


「ちょっと、そこのあなた。そう、あなたです」

 男の呼びかける声に、ソレは立ち止まった。大きな双眸。突き出た鼻先は黒く、大きな口からは鋭い歯がのぞく。そしてその身は茶色の毛で覆われた、……そう、狼だった。

 といっても大学構内に狼がいるはずなどない。双眸は胡乱で、鼻先は渇きっぱなし。鋭い歯も所々が黒ずみ、欠け、茶色の体毛は薄毛が進行していた。そもそも、その狼は長座の姿勢のまま車輪で移動していた。これは演劇サークル所有の、赤頭巾に登場する狼の衣装だった。

 車輪は台車のもので、座ったままの狼の体内に車輪以外の大部分は収まっている。ハンドルから後ろに台車を押す人物がいるようで、その足だけが狼の腰からあらわになっていた。

「ちょっとその被り物をとっていただけますか」

 狼に近づいた男は疑惑の眼差しを着ぐるみの奥にあるだろう顔に向ける。数瞬躊躇う仕草の後で、狼は両手でもって頭部を外した。中から女子の顔が現れる。

「あの、なんですか?」

 茶色がかった長めの前髪から覗く目に不安の色を灯らせて訊ねる女子に男は説明をした。

「風紀課がある二人を探してるんです。まだこの一番校舎内にいるはずなので、確認させてもらったんです」

「はあ……。じゃあもういいですか?」

自分には関係ないといった調子で女子は男の横を通り抜けようとする。が

「ちょっと待った」

再び男が立ち塞がった。

「その中も、一応調べさせてもらえませんか」

 今度は狼の腹のあたりを凝視しながら言う。狼の衣装にはストーリーの都合上、丸呑みにしたおばあさんと赤頭巾が入る空間が腹にある。台車が腹の中にあるのは、その二人を入れたまま移動するためだった。最終的に猟師が腹を裂いて中からおばあさんと赤頭巾が出るため、狼の腹は開閉ができる構造になっている。男はそれに気が付いたのだった。

「え、でも……。その……」

見るからにうろたえる女子。男はますます怪しいと見た。

「じゃあ開けますよ」

「ま、待ってください!」

男が腹に手をかけた途端、女子が声を上げる。それにより女子を完全に黒と判断した男だったが

「あの、衣装の中は暑いので、その………………。下着しか着けてないんです……」

顔を真っ赤にした女子の思わぬ一言に硬直してしまった。顔だけ少女の狼と男がしばし向い合って佇む。

「………………すいませんでした」

 最終的に女子よりも顔を真っ赤にした純朴な男が、その一言と共に何処かへ立ち去ってしまった。それを見届けると、再び頭部を装着した狼は何事もなかったかのように悠然と校舎を出ていく。

楽「流石のスルーだね」

享「流石ですよね」

悲「……流石です」

現「何がです?そんなことより次は千弥子さんも伽弥子ちゃんも出番ですよ」

楽「……流石だね」

享「……流石ですよね」

悲「…………流石です」

現「?」

評価をするにはログインしてください。
この作品をシェア
Twitter LINEで送る
ブックマークに追加
ブックマーク機能を使うにはログインしてください。
― 新着の感想 ―
このエピソードに感想はまだ書かれていません。
感想一覧
+注意+

特に記載なき場合、掲載されている作品はすべてフィクションであり実在の人物・団体等とは一切関係ありません。
特に記載なき場合、掲載されている作品の著作権は作者にあります(一部作品除く)。
作者以外の方による作品の引用を超える無断転載は禁止しており、行った場合、著作権法の違反となります。

この作品はリンクフリーです。ご自由にリンク(紹介)してください。
この作品はスマートフォン対応です。スマートフォンかパソコンかを自動で判別し、適切なページを表示します。

↑ページトップへ