夢狂
私の伴侶は眼鏡で少し肉付きが良い優しい微笑みが印象的な人だ。
仕事に寡黙で真面目に取り組むので初対面には怖がられる。私も正直怖かった。
しかし家族思いで懐に入れた人にはとても寛大な心根の人だ。口下手であまり話し上手では無いけれどしっかりと話を聞いてくれる聴き上戸。
そしてとても優しい人。
私の自慢の旦那様。
あれ?彼は…死んだと聞いた…
いつ?誰に?
だって彼は私の前に居るし、話も毎日していた。
そう思い彼を今一度見る
彼はいつもと変わらない優しい微笑で私を見ている。
しかしそのメガネの奥の瞳が何だか悲しそうで…
夏季くん、そこにいるよね
手を伸ばす。
彼に手が届く前に私は背後から抱きしめられ、彼に手が届く事はない
「白ちゃん、もうお義兄ちゃんは居ないんだよ…」
残酷な告知を躊躇うように、しかし誰かが告げなければいけないそれを義妹予定の彼の弟の婚約者が私を抱き締めながら告げたのだ…
嘘だ…
彼の微笑みが苦笑に変わる…
じゃぁ、皆んなには夏季くんの声は聞こえてないの?見えてないの?
私だけ…なの?
泣きながら彼女は私を抱き締める手を強める
「うん…」
だって普通に話してたはずで、皆んな相鎚だってうっていたのに…
そして徐々に思い出す。
1週間前の結婚記念日に彼の死の知らせを聞いた事を…
その日は朝から彼は資格試験のために電車で試験会場まで向かった。
私は幼い息子がつまらなくないようにと思いつつ日用品の買い出しのために郊外のホームセンターへと出掛けていた。
試験が終わるのは午後だと聞いていたのでのんびりとした休日だった。
午前中は彼の好きな私の得意料理の仕込みをしてあとは彼の帰りを待つのみだったのもあって、彼へのプレゼント選びも兼ねて出掛けていた。
息子は2歳半のイヤイヤ期絶頂で手が掛かる。
最近は床を這うのがお気に入りの遊びなのでなおのことだ。本当は男手の無いホームセンターなど無謀なのだがその日は頑張って行った。
存外息子は大人しくしてくれていた。いつもは嫌がる抱っこ紐の中に収まってくれていた。
時折身を退け反らせ反抗を示すけれど、どうにかなる範囲だった。
去年の結婚記念日には彼は私にサプライズで私達3人の名前が刻まれたキーホルダーをくれた。
アクリルプレートに3人家族が仲良く手を繋いでいる可愛らしいイラスト付きだった。
彼はそんな小さなサプライズが好きな人だから今年も何か企んでいるかも知れない。
そんな彼を驚かせたくて私は彼が誕生日プレゼントでマルチツールと悩んで諦めた電動工具のトリマーを見ていた。
お財布と相談して店員さんに在庫確認をお願いしている時に携帯が鳴った。
警察からだった。
何でわかったかって言うと発信番号の最後が0110だったから。
パンツ泥棒が以前のアパートで私の下着盗んで現行犯逮捕された時にかかってきた時の番号もそうだった。
私の家の前は細い割に交通量の多い道で我が家の駐車場は車が無ければすれ違う車の待避所のように使われているのも知っていたので何かトラブルでもあったかな?
この前お義父さんの坪庭に目測誤った車が入り込んで逃げられたと騒いでいたばかりだし…
などと呑気に電話に出た
「はい、佐藤です」
「こちら鉄道警備隊です。佐藤夏季さんのご家族のお電話でお間違い無いですか?」
「はい、妻です。」
鉄道警備隊なんてとこから何で電話が来るのかわからず、彼の名前が出てきて不安は増す。
「落ち着いて聞いてください。旦那様が鉄道事故で亡くなりました。
即死です。お身体をお返しする事が難しい程の損傷で…
はぁ?この人は何を言っているの?
だって彼は朝「試験嫌だなぁ、眠いなぁ、ゴロゴロしてたいにゃ!」などと冗談言ってて…
私は「夕飯豪華にするから頑張って!ほら行ってらっしゃい!秋季、パパ頑張れ〜してあげて!」
「パパがんばれ〜」
なんて言って送り出したばっかりなのだ。
あと数時間したら帰ってくるはずなのだ…
その後何だか白黒の世界に入り込み寺の香の匂いを嗅いだ気がした。
彼とは職場結婚で同じ所属だった。
私が仕事に行けば何故か皆んなギョッとした顔で大丈夫?と声をかけてくる
なんでだろう?
皆んな気遣わしげだ…
「大丈夫ですよ?皆んなどうしたんですか?」
皆んな困り顔の中私は自分のデスクでPCを開く。
そして周りの視線を気にする事なく仕事をしていた。
隣の建屋が彼の仕事場だけれど物音一つしない。
彼の担当する仕事は大型案件ばかりだから動く事は稀だった。今日も何処か同じ職場の誰かのサポートで仕事してるのかな、それとも打ち合わせかな〜年末に嫌な案件が入ってきたって言ってたしなぁ…
と彼が職場で姿が見えない事に気を留めなかった。
自分の仕事もそこそこ忙しい。
上司は大丈夫?悪いね、お願いできるならこれとこれ進めておいてくれる?と図面を渡してくる。
なんでこんなに気を使われているかも分からないままに私はその週の仕事をこなした。
あっという間に週末になる。
今週末は何しようかと夫婦で話しながら居間にいる息子に目をやる。
最近は1人遊びもお手のもので1人でプラレールを組み立てて遊んでいる。
私はお茶を取りにダイニングからキッチンへと回り込む。対面式のキッチンからは居間は見づらいがダイニングはよく見える。
いつもの事だけれど今週も夏季くんは秋季のお風呂も送り迎えもしてくれなかったなぁ…と少しばかり心の中で悪態をつく。
「偶には私だって休みたい。代わってくれてもよく無い?」と訳あって同居中の義弟の彼女に愚痴る。
彼女の顔がグシャリと歪む
そして「白ちゃん、戻ってきて、ちゃんと秋季くんみて、お義兄ちゃんをみて!!」といって私を揺さぶるのだ……
私は困惑する
「何言ってんの、百さん、秋季の事なら毎日見てるよ、夏季くんのことだって。
ねぇ、夏季くん」
長方形のダイニングテーブルのお誕生席。定位置に座った彼を見る
どうしたの?と言うような少し困った顔でこちらを見ている。
私の心は何だか騒つく。
夏季くんが苦く笑うと彼の顔にモヤが見えてきて次第に見えなくなった…
そしてモヤが晴れると彼の姿は本当に何処にも見えなかった。
訳がわからず私はその場にへたり込む。
どのくらいして私は息子を抱きしめていた。
周囲には懐かしい友人がいる。
「私、まだ夏季くんが見えるの。でねまだ色々と話してくれるの…なのにね誰も聞こえないって言うの…おかしいよね…」
場の空気は一層沈む
「でもさ、心の中ででは何となく分かってて、家のローンこれで払わなくて済むんだ…とか秋季の学資保険も何とかなるから何処目指しても大丈夫だろうなとか、年末調査の世帯主の欄って今どうなるんだろうって冷静に考えてる自分もいるの…
私…狂ってるよね…
嫌になっちゃうね…」
友人たちは困ったように顔を見合わせる。
困らせたい訳じゃ無いんだけどどうしたらいい?夏季くん?私が彼を見れば彼は「受け入れるしか無いよ」と溢すのだ。
貴方の肉片の一つも返還されていない中で空っぽの棺の葬式をした所で…私の心も空っぽなのだ。
貴方と会話して声を聞くたびに締め付けられるこの胸の痛みをどうしたら良いのだろうか…
苦しくて苦しくて息ができなくなる程に胸が締め付けられる。鼻は涙と鼻水で詰まり嗚咽が止めどなく喉を鳴らす…目元は痒みを覚える程に涙で濡れている…
帰ってきて…夏季くん…
会いたいよ…夏季くん…
見ず知らずの子供を助けるために死んじゃうなんて酷いよ…
生きて私達を支えててよ…
私は彼に手を伸ばす。
そこで私の夢は終わった。
荒い息とぐしゃぐしゃな顔のまま私は何処からが夢で何処からが現実なのかと混乱していた。
顔の横には息子の足。
いつもより静かな寝室。
エアコンの音と息子の寝息しか聞こえてこない不安…
いつもは聞こえてくる夏季くんのいびきが聞こえない…
昨晩の眠る間際にたわいも無い会話をしたのは幻だっただろうかと不安になって息子越しに夏季くんの布団を見る。
布団は丸く膨れていた。
私は安堵したがその日寝付く事はもう出来なかった
明日が結婚記念日だと言うのにこんな悪夢を見てしまった…最悪…
眠れそうに無いので少しばかり書き起こし…




