第九十六話「魔女のくちづけ。」
〈異世界五十六日目〉
ぐるぐるきゅー、と自分のお腹がなる音で目が覚めた。
「ご、はん・・・、ごはん・・・」
「おはようございます、お嬢さま。」
うわごとのようにつぶやいていると、ベッドのそばでイスに座っていた桃色髪のメイドお姉さんが言った。
「お腹が空いてらっしゃるんですね。すぐに食事をお持ちいたしますが、まずはお水をどうぞ。」
いたれりつくせりな待遇で、あたしはベッドから一歩も動くことなく水を飲ませてもらい、甘い味付けのリゾットみたいなごはんをもらう(こっちにもお米みたいな穀物があるらしい)。
そしてお皿いっぱいのリゾットを完食して満足した後、ようやくまだ自己紹介してなかった、と気づいた。
「ごちそうさまでした。・・・えーと」
「わたくしのことはどうぞエリーとお呼びください、『銀鈴の魔女』リオさま。」
言うまでもなく黒歴史付きで知っているらしい。
レグルーザが話したのかな、と考えたところでようやく思い出した。
そうだ、[生命解体全書]を強制プレゼントしてくれたお礼をしに行かなければ。
にこやかな笑顔で「『教授』はどちらにいらっしゃいますか?」と訊いて、エリーに案内を頼んだ。
レンガの壁と磨きこまれた木で造られたこの家は、三毛猫の店の扉から来た『教授』の屋敷で、[生命解体全書]に触れて気絶したあたしは二階の客間に寝かされていたんだそうだ。
白魔女仮装のままだったことに今さら気づき、エリーに廊下で待っていてもらうよう頼んで、まずは服を着替えたり顔を洗ったりして身支度を整えた。
いつもの白一色な衣装ではないものの、状況がよくわからずレグルーザの許可もないので、また仮面を装着。
昨日あたしが床に投げ捨てた[生命解体全書]がサイドテーブルに置かれていたのを見つけると、それを持ってエリーの案内で一階へ降りた。
魔法で空間を拡張してあるようで、家は外から見た時より中がひろく、廊下に飾ってある花瓶や絵画などにも魔法がかけられているという魔法づくし。
いきなり魔導書を渡された怒りがなければその緻密な魔法の構造を「おもしろい」と楽しめただろうが、それどころではないあたしはわき目もふらずに案内された一階のリビングへ入ると、昨日の少年がソファに寝転がっているのを見て手に持っていた本を投げつけた。
少年はドカッ! と足に当たって床に落ちた魔導書を気にするふうもなく「やぁ、おはよ~」と手を上げたかと思うと、隣のソファに座っていた美少女に首根っこを引っ掴まれ、強制的に床の上で正座させられた。
「申し訳ございませんでした。」
なぜ自分が正座しているのか、わけがわからない、という様子できょとんとしている少年の隣で同じく正座して、その少女はまっすぐにあたしを見て言う。
「うちの愚弟がたいへんなご迷惑をおかけいたしまして、まことに申し訳ございません。煮るなり焼くなり刺すなり吊るすなり、ぞんぶんにしていただいて結構ですので、どうぞ。」
・・・どうぞ?
いまだ身の内は怒りに猛っていたが、ふわふわの栗色の髪が少年そっくりな少女が、桃色の瞳にあたしを映して言ったことがとっさに理解できず、まごついた。
隣に正座させた少年を「愚弟」と呼ぶ彼女は、ビスクドールみたいな美少女だ。
けれど表情はきりっとして凛々しく、とても冷静でマジメそうな感じ。
なのだが、「どうぞ」って、どういう意味?
話について行けないあたしを置き去りに、状況を理解したらしい少年がかるく肩をすくめて言う。
「まあしょうがないか。三回か四回くらいなら殺されてもいいよ~。」
「軽々しく言うものではありません、アンセム。そのような態度では許していただけるものも許してもらえなくなります。三回か四回などと言わず、こちらの方の望むだけの裁きをきっちり受けなさい。」
「え~。そんなことより早く研究に協力してもらいたいんだけど。」
「アンセム! いいかげんその悪癖を直しなさい! すべての人が魔法の研究のために生きているのではないのですよ。」
マイペースな少年を、凛々しい表情で叱る少女。
何がなんだか訳がわからず、姉弟のやりとりに勢いを削がれた。
誰か説明してくれ、と周囲を見まわして、ようやく同じ部屋にレグルーザがいるのに気づく。
大トラは少年たちのそばのソファに座って新聞を読んでいる途中だったようだが、あたしの視線に気づくとうなずいて見せた。
「おはよう、レグルーザ。何が起きてるのか、知ってたら教えてもらえる?」
レグルーザの隣に座ったあたしに、エリーがお茶を用意してくれた。
ひろげていた新聞をたたみながら「おはよう」と答え、正座したまま少年を叱り続けている少女を示してレグルーザが言う。
「彼女はアンセムの姉、カミラだ。俺は昨日初めて会った。」
「ふむ。『教授』のお姉さんね。ところで気のせいだろうと思うんだけど、二人ともあたしにアンセム殺してもいいよ、って言ってない?」
弟を叱ってたカミラが、その言葉を聞いてくるりと振り向いた。
「はい。何度でもご自由にどうぞ。愚弟は三回か四回で済ませてもらいたがっているようですが、十回や二十回殺してもどうということはありませんので。」
「・・・・・・うん?」
人間は一回殺されれば死んでしまうはずだが、どういう意味だろうと考えてふと思いつく。
そういえば[生命解体全書]の後半は、“不老不死”の研究。
成功例は載っていなかったはずだが。
「もしかして『教授』って不老不死?」
「私はそうですが、弟はちょっと違います。」
カミラがさらりと答えると、その隣でアンセムは困ったように微笑んで言った。
「姉さん、後でぼくがちゃんと順番に説明するから。いきなり言っても混乱させるだけだよ。」
「アンセム、本当にきちんと説明できるのですか? ・・・いえ、そんなことよりも、まずは[生命解体全書]を継がせてしまったことをお詫びしなくては。」
どうも責任感、といっていいのかどうか不明だが、そういう気持ちが強いらしく、カミラは凛とした表情で立ちあがった。
「『銀鈴の魔女』さまが手を汚したくないとおっしゃるなら、代わりに私がやります。」
ほっそりとしたその手には、いつの間にか出刃包丁が握られていた。
よく研がれた刃がギラリと兇悪に光る。
少女は慣れた手つきでごく自然にそれを持って、マジメな顔であたしに訊いた。
「八つ裂きがいいですか? それとも手足からみじん切りにしましょうか?」
「え。グロいのはやめてほしい。さっき朝ごはん食べたとこだし。というかその出刃包丁、今どこから取り出したの?」
思わず止めて訊くのに「乙女の秘密です」と答え、カミラは考えこむようにつぶやく。
「刃物がお嫌いなら、火あぶりか毒物にするべきでしょうか。」
「姉さん、彼女はまだ若い女の子なんだから、最初はできるだけキレイにいこうよ。ほら、さっき[魔女のくちづけ]取りに行ってたでしょ?」
「そうですね。やはりまずはこれからにしましょう。」
被害者を置き去りにさっさと話が進められ、アンセムは「それじゃ、いきま~す」と言ってカミラから渡された赤い小ビンの中身を飲んだ。
ちいさなのどがコクリと動き、三秒でその効果が表れる。
正座をしていた少年がぐらりと傾ぎ、そのまま無防備に倒れたのだ。
腕を投げ出すように転がったその体はもう、ぴくりとも動かない。
そしてさらに五秒ほど経過すると。
アンセムの体はさらりと崩れて、白い灰と化した。
服と靴と、灰の山が絨毯に沈む。
・・・・・・。
・・・にんげん、が、はい、に、なった、よ?
「[魔女のくちづけ]は一滴で人を死にいたらしめる猛毒の魔法薬です。飲んだものは苦しむ間もなく一瞬で死にます。」
驚きで頭が真っ白になり、ぱかーんと口を開けているあたしにカミラが解説してくれる。
ちなみにその隣では箒とチリ取りを手にしたエリーが、慣れた様子でさかさかとアンセムだった灰や服を片づけている。
え。なに。え?
今、何が起こったの?
混乱しているところへ、さらに追い打ちをかけるように部屋の扉が開けられた。
「ただいま~。」
そこには先ほどエリーの隣で正座させられていたのと、まったく同じ姿をした少年がいた。
『教授』アンセム。
彼はサイズの合わない白衣の裾をずるずる引きずりながら歩いてきて、エリーが掃除したところへ座ると。
「次はどうしようか~?」
「のおおぉぉー?!」
何事もなかったかのように平然と訊いてきたので、あたしは思わずへんな叫び声をあげてソファから飛びあがると、あわあわと急いでレグルーザの後ろに隠れた。
死んで灰になって蘇ってきたよ!
何このホラーハウス!
一方、またもや楯にされたレグルーザは、厳しい表情で口を開いた。
「これを見せられるのは三度目だ。二人ともいいかげんやめてくれ。こんなものは謝罪ではない。」
カミラは「ですが」と真剣な顔で何か言おうとしたが、それを封じてレグルーザが言葉を続ける。
「アンセムが通常の方法で殺せないことはよくわかった。だがそれだけだ。三度とも彼は殺されることに何の抵抗もせず、しかもすぐに平然と戻ってくる。こちらは悪趣味きわまりない劇を見せられている気分だ。
謝罪したいというなら、まずはいきなり魔導書を渡された彼女に事情を説明すべきだろう。」
自分も聞かせてもらう、と大トラが言うと、カミラは深いため息をついた。
そしてようやく兇悪にギラつく出刃包丁をしまい(どこに入れたんだ?)、また弟の隣にちょこんと正座する。
「アンセム、説明なさい。」
「は~い。」
どこまでも凛としてマジメな姉とは真逆に、アンセムはのんべんだらりとした口調で答えた。
「それじゃ説明するね~。」
そうして驚きっぱなしのあたしと不機嫌なレグルーザに、自分たちの身の上を語り始めた。
「むか~しむかし、魔法使いの男が歌姫に恋をしました。歌姫も男のことが好きになったので、二人は恋人になって、子どもを授かりました。
一番目に生まれたのは女の子、二番目に生まれたのは男の子でした~。」
姉は生まれつき体が弱く、弟は強い魔力を持っていた。
母親は姉を溺愛して歌を教え、父親は弟に魔法を教えた。
家族は幸せだったが、体の弱い姉が不治の病にかかって生死の境をさまようようになったことで、その幸福は壊れる。
母親は必死で看病し、父親と弟はその病をなんとかしようと魔法の研究にのめり込んだ。
当時は“不老不死”の研究が貴族の間でひそかに流行していて、優秀な魔法使いだった父親は彼らから資金提供を受けて多数の人体実験を行った。
(その試行錯誤と実験結果を記したのが[生命解体全書]の後半。)
しかし何度実験をしても成功はせず、姉はどんどん弱っていく。
看病する母親も疲れて精神に異常をきたしはじめ、「自分の命を捧げるから、どうかこの子を死なせないで」と夫に願うようになる。
そして父親は試行錯誤の末、妻と自分の命を使って娘に魔法をかけた。
その結果、夫婦は死に、魔法は成功。
後には不老不死となった八歳の娘と、弟が残された。
「父さんも母さんも、かなり追いつめられててさ。そんな状況になったらぼくたちがどうなるか、わかってなかったみたいなんだよね~。」
間もなく父親に資金提供していた貴族たちが現れ、嫌がる姉と家中の研究資料を奪っていった。
ひとり残された弟はその貴族のもとへ行き、自分は父親から教育を受けているから役に立つと主張、彼らの所で研究を続けさせてもらうよう、姉と引き離されないよう頼んで受け入れてもらった。
弟は不老不死の魔法を解明して、姉を元の体に戻そうと思ったのだ。
けれど何年経っても父親がどうやって姉を不老不死にしたのかは不明で、貴族のもとで研究を続ける弟も、姉を元の体に戻すことができないでいた。
そうこうするうちに貴族の方が歳をとり、時間が切れそうになった。
彼は不老不死の娘がいるのに自分が死にかけているということに怒り、狂ってひどいことをするようになったので、弟は姉を連れて逃げた。
それからは逃亡生活。
今までの研究を元に弟は自分も擬似的な不老不死状態となり、姉を守って各地を旅し、魔法の知識を収集しながら暮らしていた。
「そんな時にテンマと会ったんだ~。」
二代目勇者テンマ・サイトウはちょうど魔大陸へ渡る方法を考えていたところで、魔法に詳しい人材を集めていた。
そこで各地を転々としながら研究を続けているせいで名が知られていた弟が誘われ、二人はテンマが拠点とする東の地へ行った。
弟は空船を造るのに協力し、いろいろあって姉弟と親しくなったテンマは、二人の事情を知って「もう逃げないで暮らせるようにしよう」と、その方策を一緒に考えてくれた。
「おかげで今はのんびり暮らせてるから、テンマには感謝してるよ。まあぼくも、その関係で今でもいろいろやらされてるから、お互い利益のために協力しただけ、って気もするけどね~。」
説明を終えたアンセムに、あたしとレグルーザは目を合わせた。
まさか二代目勇者テンマ・サイトウ、現在は幼なじみのリョーコちゃんのところへ婿養子に行って「神崎天真」になっている彼の関係者だとは思わなかった。
知ってて連れてきたの? と無言で訊くあたしに、いいや、知らなかった、とこちらも無言で首を横にふる大トラ。
それまで黙っていたカミラが言った。
「弟はずっと、私の体を元に戻そうとしてくれています。そのために魔導書[生命解体全書]を記し、テンマさまの時も不意打ちで持たせて知識を継承させて、研究の手伝いをさせてしまいました。」
悲しげで申し訳なさそうなカミラに、アンセムはマイペースな調子で言う。
「そのかわりテンマが望んでた空船の開発も、『魔法研究所』の発足とかも手伝ったでしょ~。エリーもテンマの注文通りに造ってあげたし、他にもいろいろやって、対価はちゃんと支払ってるよ。」
あたしは思わず部屋のすみで控えているメイドお姉さんを見た。
彼女についての注文をもうちょっと詳しく訊いてみると、アンセムが「よかったら身の周りの世話をする魔法生物を造るけど、どんなのがいい?」と訊いたところ、二代目勇者は「ゆるふわ系メイド美女で頼む」と即答したんだそうだ。
彼いわく、「癒しがほしい」とのことで。
そうして造られたエリーは立派に役目を果たし、彼が魔大陸に渡る直前に「これからはアンセムとカミラの世話をしてやってくれ」と言われて二人の元に残り、今も彼らをお世話しているという。
へー、とうなずき、あたしはエリーに訊いてみた。
「二代目勇者のこと、何て呼んでたの?」
ゆるふわ系メイド美女は笑顔で「ご主人さま」と呼んでいたと答えた。
神崎さん、ドン引きです。
元の世界へ戻れたら、こっそり「ご主人さま」と耳打ちしてみようかな。
ちょっと楽しみだ。
と、話がそれたので、軌道修正。
「それで、あたしに[生命解体全書]を持たせたのも同じ理由? カミラさんの体を元に戻す研究を手伝わせるため?」
そうだよ、とアンセムはあっさりうなずいた。
「三代目勇者の義理の姉が『神槍』レグルーザと一緒に行動してるってことは、知り合いから聞いてたからね~。
ついでに『星読みの魔女』が君の仲介で三代目勇者の一行に加わったことも、北の『紅皇子』と一緒に『黒の塔』の『茨姫』と戦ったことも、あと君たちはテンマと同じ世界から来たらしい、ってことも聞いてる。
そしたら話題のレグルーザがぼくのとこに来て、連れが[血まみれの魔導書]と[黒の聖典]と[琥珀の書]を持ってるから鑑定してくれって言うでしょ?
これは見込みのありそうな子だから、ついでにあと一冊手に入れてもらって、ぜひぼくの研究を手伝ってもらおうと思ったんだ~。」
なんでそんなにいろいろ知ってるんだ、という大きな疑問があるが、とりあえずそれは置いといて。
「その研究に協力したら、対価として何をくれるの?」
アンセムは初めて、それまでのへらへらした表情を消した。
すると長い時を生きてきた魔法使いとしての、鋭くもよく熟してやわらかい光が緑の目に宿っていることに気づかされる。
それは深く、おそろしいほどに重い。
気が遠くなるほどの時を越えてきた魔法使いの、目。
息をのみ、魅入られたように見つめ返すあたしに、彼は静かな口調で答えた。
「テンマ・サイトウと研究した、送還陣に関する魔法についてのすべてを教える。そしてぼくも君とともにその研究へ戻ろう。
だけど一つだけ承知しておいてほしい。
彼は人の魔法では、元の世界へ帰ることはできなかった。」
その言葉は心の奥へ重く響き、ゆっくりと沈んでいった。
『義妹が勇者になりました。』について、重要なご報告を本日2013年5月2日の活動報告にてさせていただいております。