第九十五話「四冊目なんかいらない。」
緑の扉の先にあったのは、ひろい庭とレンガ造りの大きな家だった。
庭の右手には鉄の枠組みにガラスをはめこんで造られた温室があり、左手にはいろんな種類の野菜が植えられた畑がある。
警戒心の強い魔法使いの屋敷らしく、その家の敷地は高いレンガ塀で囲われてから、さらに[古語]による防御結界や空間歪曲や認識干渉などの魔法によって守られていた。
あたしは“闇”と意識をつなげてここが公国首都のどこかにある家だとわかったが、実際には隣の家の住人ですらこの家の存在を知らないだろう、というくらい徹底的に外部から隠されている。
そうして数秒で場所を把握すると“闇”から意識を切り離し、あたしは玄関先に立っている少年と、彼の足元でうろうろしているモノたちを見た。
レンガ造りの家も温室や畑のある庭も可愛らしい雰囲気だが、そこを守る魔法だけ見るならまるで要塞のようだ、とか。
この屋敷の魔法使いは、遠い昔に知識が失われたという[古語]を現役で使用しているようだ、とか。
いろいろ気になることはあったのだが、玄関先の少年はそれ以上にナゾだ。
「レグルーザ。あの子は何をやってるの?」
「初心者の食料に何かやらせようとしているようだが。彼が外へ出ているのを見るのは初めてだ。いつもは研究室にこもっているか、ソファに寝転がっている。」
小声で話すあたし達の後ろで、メイドさんが扉を閉めて少年に声をかけた。
「お館さま。お客さまをご案内して参りました。」
「ありがと~。ちょうど準備ができたところだったんだ。」
ふわふわした栗色の髪と緑の目、五、六歳くらいの小柄で愛らしい顔立ちをした少年は、上機嫌な笑顔で答えて言った。
ちいさな手に白い杖を持ち、あちこち汚れただぶだぶの白衣を着た彼が「お館さま」らしい。
「じゃあみんな、はじめ~。」
お館さまが指揮をするように白い杖を動かすと、彼の足元でうろうろしていた歩く根菜たちがいっせいにあたし達の方を向いた。
三つの黒い点みたいな目と口がついた、ニンジンやタマネギ、ダイコンやカブ、サトイモ、サツマイモ、ジャガイモなどなどエトセトラ。
あたしは思わずレグルーザの後ろに隠れた。
「楯にするな」と文句を言うレグルーザも、いきなり自分達の方を向いて踊りだした根菜たちにちょっと引いている。
「ハ~レ~」
しかもその踊りは“どじょうすくい”。
「ホ~レ~」
いったい何がしたいんだ。
メイドさんは相変わらずにこやかで動じていなかったが、あたしとレグルーザは頭の上に「?」が乱舞していた。
前にエンカウントした時のように頭の葉っぱから黄色い粉を出してきたりはしないので、この根菜たちは危ないものではなさそうだが。
ナニこれ何なの?
一方、玄関先では根菜たちがてんでばらばらに「ハ~レ~」「ホ~レ~」と歌いながらどじょうすくいを踊りまくり、しばらくしてそれが終わると、少年の指揮でお辞儀までしてみせた。
彼はキラキラと輝く瞳でまっすぐにあたしを見て言う。
「我が家のマンドレイクたちによる歓迎の舞でした~。楽しかった?」
「・・・はぁ。それはどうも、ありがとうございます?」
なんとも気の抜けた返事になったが、それ以外に何と言えばいいのかわからない。
肩の力が抜けたというか、脱力したというか。
そんなふうに気が抜けていたので、油断してしまった。
その少年はさまざまな[古語]の魔法を服のようにまとった不思議な人間だったのに。
レグルーザの後ろに隠れたままのあたしのところへトコトコと歩いてきて、一冊の本を差し出し。
「それじゃもう一個、歓迎のしるしにこれどうぞ~」
と言われたので、「あ、どうも?」とうっかり受け取ってしまった。
視界がくらりと揺らいで、まばたきをすると別の場所にいる自分。
そういえばちいさい頃、「知らない人から物をもらっちゃいけません」って言われたな、と思い出したがもう手遅れだ。
古びた図書館の中のようなところで、どこからともなく響いてくる声を聞く。
―――――― 我が主に選ばれし者よ。
ぎゃー!
コレ魔導書だー!
四冊目なんかいらないんですけどー!
と、叫んだが意味はなく。
―――――― 我は水瓶。汝の器へ、我に記されし知識をそそごう。
あれそのセリフどっかで聞いたような気が、と思ったのが最後の記憶。
―――――― この知識が汝の探究の旅の糧となることを、望む。
流れ込んでくる膨大な知識に押し流され、意識が消えた。
〈異世界五十五日目〉
最悪の気分で目を覚まし、腕に本を抱いていることに気づいて投げ捨てた。
ベッドの上から毛足の長い絨毯に落ちたそれは、トサッと軽い音を立てて床に沈む。
頭痛い気持ちわるい頭痛い。
というかあのガキ殴りたい。
頭の中はそんな思考でぐるぐるだ。
サディスティックで「悪魔召喚しちゃおうぜ!」な[血まみれの魔導書]も、
外道で「死霊召喚して死体操っちゃおうぜ!」な[黒の聖典]も、
精神が壊れてる「人間を人形にして操っちゃおうぜ!」な[琥珀の書]もかなりヒドかったが、
「お館さま」と呼ばれたあの少年に渡された魔導書がある意味一番ヒドい。
魔導書のタイトルは[生命解体全書]、著者は「アンセム」。
[古語]で記されていた知識は文字通り「生命について」で、前半は内臓の機能や損傷を受けた場合の修復法とか、魔法で造った複製体からの臓器移植とか、魔法の医学書みたいな感じなんだけれども。
途中からそれを応用した魔法生物造りへ走り、後半は「不老不死」を目指す研究に入って、そのための魔法とセットで実験した時の結果や経過の詳細についても記録されていて、それがどれもグロいのだ。
肉体の再生能力を限度以上に高める魔法で「通常なら致命傷なケガをしても死なない人間」ができたので、刃物でみじん切りとか鈍器で連続殴打とかし続けていたら精神的に死亡し、数日後に体が灰と化したとか。
加齢を止める魔法をかけてみたら再生能力がなくなり、ちょっとケガをしたら数日後に失血死したとか。
その二つの魔法を混ぜてかけてみたら人間としての形を失って体が溶けたとか、ちょっと改良したら体無事だったけど脳が壊れたとか、もうちょっと改良したら脳無事だったけどまた体溶けたとか。
どんだけ人体実験してんだお前ー!!
という本なので、前半部分で回復魔法を習得した喜びなどひとかけらも感じられず、ただひたすらに頭痛くて気持ちわるくて頭痛いのだが、それを全部知っていて渡してきたであろうあのガキを殴りたい。
しかもなにげに意思確認がなかったのも大減点だ。
[血まみれの魔導書]ですら「知識を望むか?」って訊いてきたのに、[生命解体全書]は問答無用で流し込んできたのだから、もう最凶最悪の魔導書第一位決定。
相手の記憶を逆上ってすべてコピーした後、その精神を殺して体を乗っ取るという罠が仕掛けられていた[琥珀の書]もヒドかったが、あれはまだ著者が故人という救いがあった。
が、[生命解体全書]の著者は健在。
・・・・・・ふふ。ふふふふふ。
今からこの手で故人にしてやるー!
と意気込んで、見覚えのない部屋のベッドでなんとか上半身を起こそうとしたのだが。
頭がくらりとして、再び意識を失った。