第九十二話「風の宝珠の活用法。」
〈異世界五十二日目〉
すやすやと眠る天音の顔を見て、くあーとあくびをする。
しばらくしてのそのそと馬車の外に出て、近くの小川で顔を洗っていると、ヴィンセントがそばに来た。
「リオ。」
「おはよー、ヴィンセント。」
第二騎士はいつになく怖い顔をしている。
あたしはべつにはぐらかすつもりもないので、顔を拭きながら言った。
「ちょっと話をしてきただけだよ。魔法なんかかけてないし、ケガもしてないでしょ?」
「確かに精神干渉系の魔法にかけられた痕跡はないとルギーが断言したし、ケガもないようだが。いったい何をしたんだ?」
あたしはヴィンセントの顔をまっすぐ見つめて訊き返した。
「彼は天音を“返せ”って言った。おかしいよね?」
天音は彼のものじゃない。
それにあたしはイグゼクス王国の国民じゃないから、彼の命令に従う義務もない。
それをじっくり話して、理解してもらっただけだ。
本当にそれだけかと訊かれたので、あたしが言ったことを理解するだけではなく覚えておいてもらうため、水を使ったと付け足した。
彼は昨夜の記憶が遠ざかるまで、水を見るたびあたしが言ったことを思い出すだろう。
「水。そうか、水か。」
ヴィンセントはなぜか納得した様子でうなずいた。
「眠っている時はずいぶんとうなされ、起きてからも落ち着かない様子だったので水を飲んでもらおうと渡したら、殿下はおかしなことを言われた。」
うん? と首をかしげると、騎士は重々しい口調で言った。
「わたしの神は異界にいらっしゃった。だが無知なわたしはそれを理解できず、愚かな行いで怒りをかってしまった。我が神の怒りを解き、神の愛し子を得るにはどうすればいいのだろう?
・・・と、おっしゃったんだ。」
あんまりおもしろくない冗談だね、と流そうとしたら、本当のことだと言われて問われた。
「リオ。イグゼクス王国の第一王子に、「我が神」と呼ばれる心の準備はできているな?」
・・・・・・。
そんなもん、あるわけないですが。
とりあえず自分が失敗したことは理解した。
たぶん昨夜実行した「効果的なトラウマ・コミュニケーションその三」が、アースレイ王子の頭の中で予想外の方向に発展したのだろう、ということはわかった。
けれども。
「ありえない。ものすごくおかしいよ、それ。あたしの顔なんか二度と見たくないとか、もう外に出たくないとか、なんかやたら周りからの視線に怯えてるとか、そういう反応になるはずなのに!
・・・・・・もしかして、王子ってM属性?」
「属性?」
「殴られて喜ぶ系のひとなのか、って意味。」
今までは違ったはずだが、お前が目覚めさせたんじゃないのか、と返されて身もだえた。
昨夜の反応ではそんな兆候なかったのに、自分で自分の首を絞めた気がしてならない。
しかし、そんなおかしな方向に失敗しているなんて言われたら、確認しないわけにもいかない。
全部ヴィンセントの聞き間違いだったとか、王子が寝ぼけていただけだったという可能性に望みをかけて、彼を呼んできてもらった。
そうしたらイグゼクス王国第一王子、アースレイ・ライノル・イグゼクスはあたしを見るなり。
「ああ、我が神よ・・・!」
とのたまい、ひざまずいて頭をたれた。
その姿は真剣そのもので、遊びや演技である様子はひとかけらもない。
・・・・・・どうやら本気で危険な扉を開いてしまったか、異常な電波を受信させてしまったらしい。
ちょっと話をしてみると、彼の頭の中では「リオ=我が神」で「アマネ=神の愛し子」で、自分は「神の愛し子に恋をした愚か者」ということになっており。
今は「自分の愚かな行為で神を怒らせてしまった」ことを心から後悔して、「どうすれば神の怒りを解いて愛し子を得られるのか」を悩んでいるらしい。
そんな誘導も刷り込みもしてないのに、なにがどうしてそうなった。
意味不明だったが、とりあえず彼が本当に本気であたしを神だと信じているのかどうか、試してみることにした。
「アースレイ。あたしが死ねと言ったら、死ねる?」
「はい。」
昨日までの彼だったら、あたしが名を呼び捨てにした時点で不快感を示しただろうに。
今はそれどころか一瞬の迷いもなく応じて、アースレイはひざまずいたまま腰から短剣を抜き、自分ののどに突きつけて見せた。
すぐそばで、ヴィンセントが驚きに息をのむかすかな音がした。
彼は騎士として、王国の第一王子を目前で死なせるわけにはいかないのだろう。
いつでも止められるようわずかに身構える。
ヴィンセントがすぐに動く様子はなかったので、あたしは無言でアースレイの青い目をのぞきこんだ。
そこには昨日までの、天音のことしか見えていないストーカー王子はいなかった。
自分だけの神を見出したことに歓喜し、それがどんなものであろうとも、“神に命令を与えられる”ことを至極の幸福とする。
まるで狂信者のような目。
「どうぞ、ご下命を。」
望む声は求愛するかのように甘く、己がのど元に突きつけた剣を持つ手は迷いない。
あたしは彼の目から視線を外し、頭痛と吐き気をおぼえて額に手をあてた。
「いい。・・・・・・死ななくていいから、剣を戻して。」
アースレイは驚いたようにまばたいて、また「はい」と素直に応じて短剣を戻した。
ずっと身構えていたヴィンセントが、すこしほっとした様子で力を抜く。
奇妙なことになった。
ちょっと迷惑な性格を矯正しただけのはずが、人格改変になっていたとは予想外すぎる。
初めての事態なので、おとーさんに教えてもらっている対応策にも前例がないし。
とりあえずこれ以上の状況悪化を防ぐため、あたしがアースレイの「我が神」だとか何だとかは、他の人に言わないようにと口止めしておいたが。
こんなことになったのは、たぶんあたしがアースレイの精神構造の見極めを間違えて、「効果的なトラウマ・コミュニケーションその三」を使ってしまったせいだろう。
彼のように洗脳されやすいタイプ、あるいは洗脳されることを無意識に望んでいるタイプには、「その四」か「その六」を使わなければならなかったのだ。
ものすごくマズったなー、と思うが、時間は巻き戻らない。
ひざまずいたままのアースレイが真正面から「どうすれば良いのでしょうか?」と訊いてくるので、そんなの知るかと思いつつ「自分で考えたら」と答え、「もういいよ」と追い払った。
すると彼は「自分で考える・・・。ああ! これは試練なのですね! 愚かなわたしの成長を望まれる、我が神の慈悲深さを感じます!」と勝手に解釈して、みんなのところへ戻っていく。
その後ろ姿をぼんやり見送り、あたしはヴィンセントに訊いた。
「あんな洗脳されやすい王子で、だいじょうぶ?」
「・・・・・・大丈夫だと思うか?」
無言で目を合わせた後、二人そろってため息をつく。
そしてとりあえず何か問題が起きるまでは「様子見」という名の放置でいこうと、暗黙の了解ができた。
天音は昼過ぎ頃にお腹を空かせて目を覚まし、あたしの時の例でそれを見越して用意されていた食事をとった。
「精霊との誓約って、すごくお腹空くんだね。」
「うん。とくに影響感じないけど、何か消耗してるんだろうねー。」
話しながらごはんを食べ終えると、食後のお茶を飲む。
「そういえば、天音の[風の宝珠]はどういう状態になってるの?」
「あ、まだ見てなかった。」
じゃあ見せてー、という話になり、移動するのが面倒だったので亜空間から毛布をひっぱり出してきて二人でかぶる。
そしてちょっと恥ずかしそうな天音が服の胸元を開くと、そこにはあたしの背中にあるのとまったく同じ白い翼のタトゥー、真珠みたいな白い珠があった。
「うあー。ばっちり胸の谷間んとこだね。天音はおかーさんに似て発育いいし、お色気担当を任命された! って感じ。でも他のひとには見せちゃだめだよ。」
「他の人にこんなとこ見せたりしないよ!」
それに勝手にそんな担当を任命しないで、と頬を赤くした天音がいそいそ服を戻すと、毛布をどける。
まわりの男性陣はなんとなく気まずそうに視線をそらしていたが、いちおう注意しておこうとおおきな声で言った。
「というわけで、天音の宝珠は見るの禁止で。見たい人は姉であるあたしを倒してから希望してくださーい。ちなみにその時は全力でお相手しますので、ちゃんと遺書とか書いといてねー。」
「もう、お姉ちゃん!」
禁止してくれるのはいいけど、へんなこと言わないで、と恥ずかしがる天音に対し、周囲の人々はわりと真剣にうなずいた。
良い傾向だ。
ついでに[風の宝珠]の力で、遠く離れていても連絡が取れるようになったことも話しておく。
天音はようやく連絡方法ができたことを素直に喜んだけど、あたしとしては別の使い方も頭に入れておいてもらいたい。
「ただ話すのに使うだけじゃなくて、何か困ったことがあったら呼ぶんだよ。できればギリギリのところじゃなくて、危ないと思ったら早めにね。
大精霊に居場所特定してもらって、すぐ行くから。」
「みんながいるから、そんなに大変なことはめったに起きないよ。お姉ちゃん、最近だいぶ過保護になってる。」
そんなことはどうでもいいから、危ない時は呼んでー、と言い聞かせていると、ふと何か思いついた様子で、天音はにっこり笑った。
「お姉ちゃん召喚! 天音は最強の呪文を手に入れた!」
あんまり無邪気に言うものだから、「どこのゲームのアナウンス」とあたしは笑ったが、天音とあたし以外は誰も笑わなかった。
異世界の姉妹の笑い声だけが響くなか、ラクシャスの金色の毛並みが悲鳴をあげるように全身逆立っている。
それにはまったく気づかず、昨日の騒ぎを知らない天音はただ周りのあまりの静けさに、「あれ?」と首をかしげた。
「なんか全力でスベっちゃったみたい?」
「まあ、ネタがゲームだから、笑いどころがわかんないかもー。」
なるほど、とうなずいてお茶を飲む天音。
年長組は口を出すことなく終始のんびりとあたし達の会話を聞き、年少組はちょっと青ざめた様子で聞いていた。
ただ一人、アースレイ王子だけは青ざめることなく、むしろ嬉しげにキラキラした顔であたし達の会話を聞いていたのだが。
・・・・・・うん。見なかったことにしよう。
食後のお茶を飲みながら、天音は一度王都に戻ること、あたしはサーレルオード公国の首都に向かうことを話して、別れた。
天音は馬車に乗りこみ、あたしはホワイト・ドラゴンで飛びたつと、レグルーザと一緒に〈空間転移〉で公国へ戻る。
その日の夜。
さっそく[風の宝珠]を通じて、困惑ぎみの天音から連絡が入った。
「お姉ちゃん、ちょっといい?」
[竜血珠]でイールと話す時は声を出さなくても通じるテレパシー会話になるけど、[風の宝珠]での会話はスピーカー・ホンみたいな感じで、近くにいる人には声が聞こえる。
「いいよー。今レグルーザとごはん食べてるとこだけど。何かあった?」
「あ、食事中だったのね。邪魔しちゃって、ごめんなさい。えと、こっちには私とアースレイさまがいるの。」
ごはんを食べながらもごもご答えると、天音は申し訳なさそうに謝って、説明した。
なんでも今日、夕方の『光の女神』への礼拝の時間に、アースレイ王子がいきなり「私はもう祈りを捧げることはできない」と言いだし、青年神官がそのことについてひどく怒ったそうで。
まあ、そもそもイグゼクス王国は『光の女神』への信仰で成り立っている国だし、その王族が礼拝を拒絶したら、神官は怒って当然だろう。
そして王子が理由を言おうとしないので神官の怒りがおさまらず、天音が仲裁に入ったところ王子から「姉君と話がしたい」と頼まれたので、連絡をとったとのこと。
はふ、と息をついて、あたしは天音の隣にいるというアースレイに訊いた。
「なんで祈れないの?」
「我が神は『光の女神』にあらず。信仰心なき者の祈りは、偉大なる神への侮辱にあたると考えました。」
彼は彼なりに考えたのだろう。
即答したのに「ふむ」とうなずいてしばらく考え、言った。
「それじゃ、あたしの代わりに「『光の女神』さま、天音を守ってくれてありがとうございます。これからもよろしく」って、祈っといてもらえる?」
「はい。わが・・・、コホン、御意にございます、リオさま。」
いちおう、あたしがアースレイの神だとか何だとかは、他の人に言わないようにと口止めしておいたのを覚えていたらしく、彼は「我が神」と言いかけたのを慌てて修正して「リオさま」に変えた。
そうして会話はあっさり終わり、アースレイは夕方の『光の女神』への礼拝を行うことになって、問題は解決。
「お姉ちゃんって、たまにこういう不思議現象起こすよね。」
天音は不思議そうに言いながらもなぜか納得しているらしく、私もようやくごはんが食べられるよ、と笑ってひとまず通信は終了。
静かになった公国の荒野で、レグルーザがぽつりと言った。
「信者第一号はイグゼクス王国の第一王子か・・・・・・」
その言葉に、思わず口元が引きつった。
「レグルーザ。二号があるような言い方はやめてくれる?」
大トラはなまぬるい眼差しであたしを見て、何も答えずのんびり笑った。