第九十一話「聖域復活と逆鱗。」
〈異世界五十一日目〉
今日もホワイト・ドラゴンに乗って、順調に大陸南下中。
だったのだが、昼過ぎの飛行中、あたしに[風の宝珠]をくっつけた風の大精霊、シェリースが声をかけてきた。
《 母さん。【風の谷】に女の子が入ってきて、光の風が起きそう。見にくる? 》
雨が降った後、子どもが「お母さん、虹がでてるよ!」と呼ぶような声はとても無邪気で嬉しそうだが、彼が言うその女の子は間違いなく天音だ。
できれば手前の【試練の森】に入ったあたりで連絡してほしかった、と思いつつ、頼むのを忘れた自分が悪いので「すぐ行く」と返事をしてレグルーザに訊く。
「ちょっと様子見に行っていい?」
「ああ。」
迷いなくうなずいてくれたので、あたしはすぐに〈空間転移〉の魔法陣を展開。
サーレルオード公国の上空から、イグゼクス王国の【試練の森】上空へ移動した。
そろそろ〈空間転移〉に慣れてきたらしく、ホワイト・ドラゴンは慌てることなく翼を二、三度はばたかせて体勢を安定させる。
「俺はアマネの仲間と合流して待つ。注意して行け。」
「うん。じゃ、いってきまーす。」
こくりとうなずき、レグルーザの腕の中からするりと抜けて、ドラゴンの背から飛び降りた。
いってらっしゃい、と言うように、ホワイト・ドラゴンが「くくぅ、るー」と鳴く。
「シェリース!」
落ちながら呼べば、白い風があたしの体をつつみこむようにして渦巻き、視界に映る景色が深緑の森から白い谷に変わった。
《 母さん、こっちだよ。 》
一瞬で【風の谷】へ入ったあたしは、シェリースの風に守られて空中をふよふよと移動し、ずっと先の方に、同じように風に抱かれて奥へ飛ぶ天音の姿を発見。
数日前に侵入していた魔物を魔法で一掃した【風の谷】は現在、聖域というより魔境“骨の谷”状態だ。
なので、大小さまざまな骨が散乱した静かな谷を一人で進みながら、いつ幽霊が出てくるのかと、ホラー系がすごく苦手な天音はちょっと涙目になっている。
そこへ、前方にそびえる一番高い山の上がいきなり光り輝き、白銀の髪と瞳をした半透明の少女が出現。
「ひゃぅっ!」
天音はお化け屋敷で驚かされた時のように、可憐な悲鳴をあげてびくっと体をふるわせた。
「だいじょーぶ。その子は幽霊じゃなくて、大精霊だよ。」
あんまり怯えさせるのはかわいそうだったので、後ろから声をかけた。
天音が怖がっている骨の散乱は、魔法で一掃して放りっぱなしにしたあたしのせいでもあるので、ちょっと罪悪感がある。
あたしの声を聞いた天音はびっくりして振り返り、今にも泣きそうだった瞳をぱっと輝かせた。
「お姉ちゃん! 来てくれたの?」
「うん。もうひとりの大精霊が呼んでくれたから、ちょっと見に来てみた。それよりあの子が何か言いたそうだから、聞いてみてー。」
いくらか後方で止まり、シェリースを女の子にしたように似た容姿の、光の風を見ながら言う。
だいぶ落ち着いた様子でこくんとうなずいた天音は、大精霊に向きなおった。
少女の姿をした大精霊は、シェリースより弱々しく、とても疲れている様子で、今にも倒れて消えてしまいそうだ。
天音が心配そうに見つめていると、かぼそい声ですがるように言う。
《 『光の女神』より祝福を受けし異界の子。我が身に光を授けたまえ。 》
「光を授ける? それは、どうすればできますか?」
《 呼びたまえ。我が名は・・・・・・ 》
おー。
ホントに名前のトコだけ聞きとれなくなる。
けど、天音には問題なく聞きとれたらしい。
「 」
天音が大精霊の名を呼ぶと、あたしの時と同じように、不思議な風が吹いた。
それは一瞬天音をつつみこんで、消える。
後に残るのは、天音の胸元にぽうっと灯る白い輝き。
たぶん[風の宝珠]だ。
あたしは後ろだったけど、天音は前にくっつけられたらしい。
それと同時に誓約が完了した光の風は、一気に回復。
爆発的な光が半透明の少女の体からあふれ、そのかたわらに闇の風シェリースが現れると、二人はとても嬉しそうな顔で両のてのひらを重ね合わせた。
調和する。
光の風と、闇の風。
すさまじい風が巻き起こり、その中心で一対の風の大精霊たちから放たれる力が一本の柱となって天と地をつらぬくと、そこからさらに強烈な風が生まれて【風の谷】全域へ吹き渡る。
その風を浴びた魔物の骨はすべて、とけるように白い砂となり、
砕けていた水晶は元通りに成長して美しい輝きを宿し、
白亜の谷が蘇った。
風はゆっくりとおさまりながら、聖域と呼ばれるにふさわしい美しさを取り戻した【風の谷】を吹き渡る。
その風が頬を撫でていくのを感じながら、あたしはいつの間にか天音を腕に抱いて、白い砂の上に座りこんでいる自分に気づいた。
「お、ねえ、ちゃん・・・」
とぎれとぎれに、腕の中から天音が呼ぶ。
あたしはわかってる、とうなずいた。
[風の宝珠]をくっつけられた後って、すごく眠くなるんだ。
「【風の谷】も大精霊も、もう大丈夫。おやすみ、天音。よくがんばったね。」
ほっとした様子で微笑むと、天音は気絶するように眠りへ沈んだ。
その様子を見に、大精霊たちが舞い降りてくる。
《 闇の御子さま、光の御子さまはお休みになられたのですね。 》
闇の御子に光の御子・・・・・・
一瞬遠い目になったものの、もうだいぶあきらめの境地に入ってきているので、その呼び方には何も言わず「うん」と答えた。
「たぶんしばらく起きられないだろうから、外の仲間のところへ送ってくれるかな?」
聞きながら、双子みたいな大精霊を見て、ふと思いつく。
「ごめん、ちょっと待って。
シェリースに聞いたんだけど、光の風と闇の風って、つながってるんだよね?」
《 はい、闇の御子さま。わたしたちは一対の支柱。意志は別なれど、根源はひとつです。 》
「それじゃ、あたしがもらった[風の宝珠]と天音がもらったのも、つながる?」
《 はい、わたしたちを通して、一対の宝珠もつながります。 》
光の風の答えに「おおー!」と、思わず声をあげて大喜び。
イールにもらった[竜血珠]みたいな感じで、遠く離れていても天音と会話できそうだ。
光の風に「これから天音をよろしくね」と頼み、闇の風シェリースに「またね」と手を振って、あたしは上機嫌で外へ送ってもらった。
転移した先は、【試練の森】の外で天音を待つ勇者一行の近く。
彼らはちょうど火を熾して野宿の準備をしているところで、辺りを見に行っているのか、水をくみに行っているのか、何人か姿が見えない。
「アマネ!」
「アマネさま!」
真っ先に気づいたのは金色のネコで、次は少年メイド。
そして二人の声で全員があたしの腕に抱かれた天音を見つけ、王子や第一騎士も一緒に突進してきた。
あたしは殺到する彼らに押し潰される前に、古語で一言。
「〈全能の楯〉」
天音の逆ハーレム構成員は展開された虹色のシャボン玉に弾かれ、すぐに殺気立って起きあがる。
「今すぐその魔法を解いて、アマネを返せ!」
叫んだのはアースレイ王子だが、たぶん全員その心境なんだろう。
睨みつけてくる目が普通じゃない。
が、あたしは天音のストーカーを影で排除してきた義姉だ。
その程度でひるむか。
それに何よりも、王子の言葉に強烈な怒りがわきあがってくる。
疲れきって眠る天音を、返せ?
義妹を保護する姉に向かって、「返せ」だと?
こいつはいったい、何を勘違いしているのか。
【風の谷】での上機嫌が幻のように消え、あたしは王子を見すえて無表情に言った。
「黙れ。消し炭にされたいの?」
主の怒気で目を覚ました三頭犬が地上に現れ、あたしの後ろにそびえ立って王子たちを睨みおろす。
そして三ツ首のひとつがゴウッと天に向かって炎の息を吐き、いつでも焼き尽くすことができるのだと示した。
イグゼクス王国で最精鋭と呼ばれる騎士と魔法使いが、たちまち緊張して戦闘態勢に入る。
「おやめください!」
それを、鋭い声で『星読みの魔女』が止めた。
アデレイドは急いで走ってくるとあたしと勇者一行の間で立ち止まり、アースレイ王子をきっと睨む。
「アマネを返せとは、どういう意味ですか? アースレイさま。アマネさまはあなたのものではないのですよ。
リオさまはアマネさまの姉君。そんな言い方をされては、お怒りになられるのも当然のこと。
気に入ったものは自分の所有物、誰でも己の言うことをきいて当然、などという子どもじみた思い上がりを、あなたはいつになったら乗り越えられるのですか?」
容赦なく問い、次いであたしの方に向きなおる。
「リオさまも、この程度で冷静さを失ってはなりません。
普段アマネさまのそばを離れていることが、あなたの心に罪悪感を降り積もらせていることはわかっています。ですが、その自身に対する苛立ちを、怒りのまま他者に向けていいものだと思われますか?」
天音のそばにいられないことに対する罪悪感?
今のは自分に対するイライラを解消するための、八つ当たり?
そんなことはない、と言いかけて、けれどとっさに言葉が出なかった。
あたしは無言で顔をしかめる。
自覚はなかったけど、アデレイドの言葉には心当たりがあって、違うと言いきれない。
数秒の沈黙の後、苦いため息をついて言った。
「起こしてごめんね、ジャック。もう大丈夫だから、戻っておやすみ。」
ケルベロスの真ん中の頭が降りてきて、あたしのそばに鼻先を近づけた。
よしよしと撫でてやると、かるくしっぽを揺らして、あたしの影に戻る。
最後に王子たちをひと睨みして。
「リオ。アマネは眠っているのか?」
ジャックの姿が消えると、アデレイドの後から歩いてきたレグルーザが、いつもの口調で声をかけてきた。
意識して苦いものを飲み下しながら、あたしもいつもの口調になるよう気をつけて答える。
「うん。あたしの時と一緒。[風の宝珠]を受け入れるのって、やっぱりかなり負担になるみたいだね。大精霊と誓約した後、すぐ眠っちゃった。」
「ではしばらく眠り続けるだろう。馬車へ運ぼう。」
レグルーザは〈全能の楯〉をするりと通り抜けて、天音を抱いたあたしのそばに片膝をついた。
さすがに天音を運ぶのはあたしではムリなので、レグルーザに頼む。
「お願い。」
レグルーザはうなずいて、慎重に天音を抱きあげて馬車へ運んでくれた。
天音を心配して、王子たちが彼についていく。
あたしは〈全能の楯〉を解除して、その場に座り込んだまま、しぶい顔でそれを見送った。
「リオさま。」
気遣わしげな声で、アデレイドが謝る。
「偉そうなことを言って、申し訳ありませんでした。」
「アデレイドは悪くないよ。あたしが勝手に怒って状況悪化させたのを、止めてくれたんだから。」
力なく笑って、銀髪の美女を見あげた。
「ごめんね。それから、止めてくれてありがとう。」
アデレイドはすこしほっとした様子で微笑む。
「わたくしはアマネさまのおそばにおりますので。」
ありがとう、ともう一度言って、アデレイドが馬車へ向かうのを見送り、はふ、と息をついた。
自己コントロールっていうのは、どうすればもっとうまくできるようになるんだろう。
ジャックが出てきて威圧してくれたことで、“闇”の力を使おうとする衝動が抑えられたのは幸運だった。
しかしこの程度で平静を失ってしまったのが、なんとも情けなくてしょうがない。
だからといってどうすればいいのかも、さっぱりわからない。
ので、とりあえず。
その日はおとなしくして天音のそばにつきそい、真夜中、みんなが寝静まったところで王子をさらって、遠く離れた場所に移動。
「今すぐ城に帰る」か「イロイロ覚悟の上で天音のそばにいる」のか訊いて、どうしても天音のそばにいたいと言われたので、そこまで覚悟があるのならとあたしもうなずき。
今後、彼があたしをキレさせることがないよう、おとーさん直伝の「効果的なトラウマ・コミュニケーションその三」を実行しておいた。