第九十話「公国の風景と兄の悩み。」
〈異世界五十日目〉
朝食をとってから、ホワイト・ドラゴンに乗って空の旅。
サーレルオード公国は優秀な魔法使いが多く、へたに姿隠しの魔法を使っていると不審物として攻撃を受けるおそれがあるそうなので、今日から普通に飛ぶことになった。
首都に近づくにつれて警戒が厳しくなるので、隠れていると逆に危ないらしい。
「岩山やら砂丘やらが多いねー。」
南西に進むホワイト・ドラゴンの背から見るサーレルオード公国の景色は、岩と砂でできていた。
植物は岩山の影にすこし見える程度で、それも乾燥している感じがする。
「この国は一年を通して暑く、生きものが住むのに適した地が少ない。」
ドラゴンの手綱をとり、ゴーグル越しに地形を見て進路を確認しながら、レグルーザが答えた。
「それゆえに人々は厳格な掟に従って己を律し、お互いに支え合っていかなければ生きていくことができない。」
「なるほどー。ちなみによそから来た人たちにも厳しい?」
「いや、彼らの法を侵せば容赦なく裁かれるが、そうでなければ歓迎されるぞ。地方ならば、という条件付きだが。」
「んー? 首都じゃなければよそ者でも歓迎、ってこと?」
火でできたような大きい鳥、レッドバードが襲いかかってきた。
ホワイト・ドラゴンはひらりとかわし、後ろ足でドガッと蹴飛ばした。
その強烈な一撃に耐えきれず、あわれな声をあげながら落ちていくレッドバード。
あたしは「さようならー」とそれを見送り、平然と話を続けているレグルーザの声に注意を戻した。
「首都は最も厳しく法の遵守を求められるところだ。わずかな失敗で牢に放り込まれる者もいれば、罪人を密告することで報奨金を手に入れる者もいる。
だから人々は身の回りのことにじゅうぶん気を配らなければならないし、近くに密告者がいないかどうかについても注意しなければならない。
そんなところでよそ者が歓迎されないのは、わかるだろう?」
うん、とうなずくと、さらに話が続く。
「しかも昔から騒ぎを起こしていた『聖大公教団』が、最近とくに暗躍しているという。シャンダルでお前も聞いていたかもしれんが、大公家のもめ事というのも気になる。
統治者の問題は、領土の治安に関わってくることが多いからな。」
聞けば聞くほど面倒くさそうだ、とため息をついたあたしに気づいて、レグルーザは良いところも教えてくれた。
「厳しい取り締まりがされている分、首都は治安良く、美しい。
【光の湖】から流れる川のそばにあるのを利用して、都市の中に水を引き込み、水路を多くすることで日中でも比較的涼しく過ごしやすいようになっている。
魔法街にはおもしろい店が多いし、祭りとなると普段の禁欲ぶりが幻のように、皆おおいに浮かれ騒ぐ。
それに、先も言ったが首都以外のところでは流れ者でも歓迎してくれる者が多い。娯楽が少ないせいで、珍しい物を取り引きしたり、遠く離れた地の話を聞くことをとても喜ぶんだ。」
草地を求めて家畜を連れながら移動する、遊牧民的な人たちも多いらしい。
ちなみに彼らは家畜を狙ってくる魔獣や魔物を狩り、その素材を採取しながら旅をするので、みんなかなり強いのだそうだ。
何度か休憩をはさみながらそんな話をして、砂が風に舞うのを見ていたら、あたしの頭の中でサーレルオード公国のイメージは『千夜一夜物語』になった。
首都は『魔法院』の本拠地で、おもしろい店がたくさんある魔法街まであるというのだから、魔法のランプや空飛ぶ絨毯もあったりするかもしれない。
目的の人物である『教授』アンセムの家は魔法街の中にあるそうなので、どんなところなんだろう、と楽しみになってきた。
うん。
面倒くさそうなのはスルーして、楽しいことを探そう。
夜。
野宿の準備をして夕食をとり、ジャックの毛並みの手入れをしていたら、イールから連絡が入った。
しっぽをふりふりして「おとうさんだー」と喜ぶケルベロスとは対照的に、なんだかとても疲れた声で訊いてくる。
「今、会いに行ってもいいか?」
レグルーザが「かまわない」とうなずいたので、「いいよー」と返事をしてブラシを片づけ、三人分のお茶を用意した。
間もなくジャックの額の[竜血珠]が輝き、たき火がごうっと激しく燃えあがって、その中から真紅の美しい衣装をまとった『紅皇子』が現れる。
「久しぶりだな、リオ、『神槍』。」
あたしとレグルーザの姿を確認してほっとした様子でうなずいたイールは、しっぽをぶんぶん振りまわして歓迎しているジャックを見ると、にっこり笑った。
「元気だったか? ジャック。」
イールが「おいで」と手をひろげるのを見ると、ジャックは飛びあがるように立っておおはしゃぎでじゃれついた。
そこにはみんなの悪役、魔王の配下とかいうケルベロスの威厳なんてかけらもなく、「おとうさん」にかまってもらって大喜びしている三ツ首のイヌがいるだけだ。
あたしは眉間にしわを寄せて、「んーむ」とうなる。
「納得いかない。あたしの方がいつもそばにいてお手入れもしてるのに、なんで時々話しかけてるだけのイールに、そんなになついてるんだろう?」
ジャックと遊びながら、楽しそうなイールが答えた。
「時々しか会えない父だからこそ、喜んでいるのだろう。」
その父母設定、まだ続ける気なのか。
といっても、ジャックの頭の中はもう「イール」=「おとうさん」で定着してそうだから、いまさら「違うよ」って言ったところでどうしようもなさそうだけど。
げんなりしつつ「えらいぞジャック、よく母を守っているな」と褒めまくって甘やかしているイールが座るのを待って、お茶のカップを渡した。
「それで、妹ちゃんはどうなったの?」
そばにぴったりとくっついているジャックの毛並みを撫でてやりながら、イールはひとくちお茶を飲むと、深いため息をついて答える。
「それを相談しに来たんだ。リオ、お前なら妹が無茶なことをしでかそうとした時、どうやって止める?」
「天音を止める方法?」
あたしは首をかしげた。
思いがけない質問だが、とりあえず過去を振り返って考えてみる。
「一度何かをしようと決めた天音を止めるのは、あたしじゃムリだね。だからもしそうなったら、コッソリ元凶を闇討ちするか、裏から問題そのものをひねり潰して関係者の口封じをするか、おかーさんに相談する。」
「父親には相談しないのか?」
「しないねー。相談するまでもなく、なぜか知ってるし。あたしが闇討ちしに行った先で勝手に乱入参戦してきて、「うちの娘に手を出すヤツはみんな血祭りだ」とか言うひとなんだよ。
それに、おとーさんは問題を片づけるより、裏で糸を引いて状態悪化させて大問題に発展させてから、力技で蹴っ飛ばすのが好きなひとだから。大騒ぎになるのがマズい時は、むしろいかにおとーさんの目をかいくぐって片づけるか、っていうので頭痛くなる。」
ちなみに見た目はわりとのんびりした普通の人に見えるので、内面を知った人からは「お前、外見サギ」と言われたりする。
「リオは父親に似てしまったのか・・・」
「なるほどな。」
レグルーザとイールがそろって深々とうなずく。
あたしが「それはどういう意味?」と笑顔で訊くと、レグルーザは視線をそらし、イールがさらっと話を進めた。
「その三つの方法が使えない時はどうする?」
「うーん? うちのおかーさんは最終兵器的なひとだから、相談したところで主導権が移って、後は解決されちゃうだけなんだけど。
何か事情があって、どうしてもそれができない場合は、やりすぎないようそばで見守る、かな。
天音は自分の身の安全とかあんまり気にしてくれないんだけど、あたしが一緒にいると、あたしの安全についてはすごく気をつけてくれるから。そうなれば、自然と天音の身も守られる。」
「そうか・・・。ふむ。」
イールはジャックの毛並みを撫でる手を止めて、難しい顔で考えこんだ。
あたしとレグルーザは目を合わせ、しばらくは放っておこうとうなずいて、お茶を飲む。
たき火の中でぱちぱちと木が爆ぜ、時おり吹く風が岩山のすき間をとおって口笛のような音を響かせるなかに、夜の静けさを感じた。
しばらくして、再びイールが口を開く。
「ネルレイシアの目的は、三代目勇者の旅に同行することだった。」
あたしもレグルーザも、いきなり言われたことにきょとんとした。
何それ?
どういうこと?
「今日の昼、ようやく追いついて、話をした。
初代勇者の旅は古竜が助け、二代目勇者の旅には竜人が同行した。ならば三代目勇者の旅にも竜人が同行し、唐突に異なる世界の問題に巻き込まれた者を助けるべきだ。
我々に元の世界へ帰すすべがない以上、それがせめてもの義務だと、ネルレイシアは考えている。
だが他の兄弟には、それぞれの守るべき地がすでに定められている。彼らにはそこから離れる意志はなく、そもそも勇者召喚の話にも関心が無い。竜人の男は基本的に目の前にあるものか血族のことにしか、興味を向けないからな。
ネルレイシアが今後の国家間の関係にも影響することだと言ったとしても、国に関わることならば“初源の火”を持つ竜人が引き受けるべき役目だと考えているし、それは正しい。
要するに、そんな者を引きずり出しても反発されるだけだということだ。無理やり送り出しても三代目勇者を助けるどころか、かえって迷惑をかけるだけになる。
常ならばネルレイシアは、兄であるわたしに頼んだだろう。他の兄弟と違って、“初源の火”を持つわたしは守るべき地を定められていない自由の身だ。
しかし今のわたしは、第三皇女の捜索を優先しなければならない。『黒の塔』の動向や、ヴァンローレンの行方も気にかかる。この状況で三代目勇者の保護に向かえというのは、現実的な話ではない。
だから『皇女の鳥』による情報収集の指揮をアマルテに任せ、自分が三代目勇者のもとへ行くと言うんだ。」
なんというマジメちゃんだ。
その勇者に好意的な考えと、実際に外へ飛び出しちゃった実行力には素直に感動するし、感謝もしたい、が。
「でも、それで自分の命を危険にさらすなんて、おかしくない? 天音を助けてくれるにしても、もっと別のやり方もあるでしょ。」
「そこなんだ。わたしもそこを訊いた。だがネルはこう言う。」
―――――― これが最後のお願いですから。どうか、お兄様。わたくしを行かせてください。
答えになってない。
しかもそんなこと言われたら、あたしが兄ならよけいに行かせられませんが。
さりとて強引に止めることもできず、話し合いを一度止めて決着は明日に持ち越し、イールは相談と気晴らしを兼ねてこっちに来た、ということらしい。
カップのお茶を飲みほして、また深いため息をつき、片手で髪をかきあげて疲れたように頬づえをつく。
妹をどうすればいいのかと悩む兄の困りきった顔に、なんともいえない共感を覚えて気の毒になった。
たぶん天音が種族間の問題に首をつっこんだと聞いた時、あたしも同じ顔をしていただろうから。
でも、とくに解決の妙案があるわけでもないので、彼の状況を考えて言う。
「あっちこっちで同時にいろいろ動いて、後手後手に回ってるね。こういう時って、こっちはただ心配してるだけなのに、いつの間にか味方が“望みを叶えるのを邪魔するもの”になる。」
「まったく、気に食わん状況だ。ネルがそこまで願うなら叶えてやりたいとは思うが、命がけで行くというのを、止めないわけにもいかん。」
「でも、意志が固くて実行力があるとなると、止めるのはむずかしいんじゃないの。」
「ああ。【竜骸宮】の者達は止めきれずに総出で見送りをした。力ずくでネルを戻したとしても、わたしが離れたとたん、また彼らに見送られて飛び出すだろう。」
カップを置いて、イールはよりそって座るジャックの毛並みに、埋もれるようにしてもたれた。
気持ちいいでしょ、と言うと、笑みをふくんだ声で答える。
「・・・いい毛並みだ。」
ジャックはぴこっと耳を立て、得意げに胸をはる。
元が良いのもあるけど、毎晩のブラッシングの成果もあるよ!
相談をするひとというのは、たいてい誰かに話をしている時点で自分なりの判断を下していることが多いが、イールもそうだったらしい。
しばらくジャックと遊び、もう一杯お茶を飲むと、来た時よりだいぶさっぱりした顔で言った。
「ネルレイシアには護衛に竜騎士をつけ、しばらくは旅を続けさせるが、第三皇女とヴァンローレンの件が片付きしだい【竜骸宮】へ戻す。」
あたしは「うん」と答え、レグルーザが言った。
「俺の方でも何か情報がないか、探っておこう。」
「よろしく頼む。」
イールはうなずき、「そろそろ戻る」と立ちあがった。
名残惜しそうにジャックの三つの頭をそれぞれ撫でて、「わたしがいない間、母をしっかり守るのだぞ」と言い聞かせる。
それにしっぽをふりふり、「おかあさん、まもるー」と答えるジャック。
かわいいけど、かわいいんだけど・・・・・・
はー。
もういいや。
再び炎の中へ消えるイールを「またねー」と見送り、あたしのところへ戻ってきたジャックにもたれて、夜空の星をあおいだ。
ふと、思う。
あたしが死んで『空間の神』サーレルが目をさませば。
あの黒ネコが今すぐ、天音を帰すことも世界の歪みを癒すことも竜人の娘達の寿命についても、すべてを解決してくれるんじゃないかと。
でも、そんなふうに思ったところですぐには死ねない。
そんなに簡単に、あきらめることなどできない。
「もう寝るか?」
レグルーザの声に「うん」とうなずいて、毛布にくるまった。
考えてもどうにもならないことは、考えない方がいい。
「おやすみ、レグルーザ。」
イールに遊んでもらって満足そうなジャックにもたれ、レグルーザが「おやすみ、リオ」と答えるのを聞きながら、まぶたを閉じた。