第八十九話「魔法研究所への切符。」
レグルーザの知り合い、ラムレイ夫人と一緒に乗り込んだのは、貴族や豪商たちのために造られた小さくて綺麗な船だった。
座り心地の良いソファに三人が落ち着くと、それぞれにお茶のカップが配られて、静かに船が動きだす。
「そうえいば、ご挨拶がまだでしたね。
はじめまして、『銀鈴の魔女』さま。わたくしはクリステル・ラムレイ。バスクトルヴ連邦の首都に本店を置く、『ラムレイ商会』の会長をしております。どうぞお見知りおきくださいませ。」
つややかに微笑んで言われ、よくわからないまま「はい。よろしくお願いします」と返事をすると(本日二度目だ)、レグルーザが教えてくれた。
「『ラムレイ商会』は魔道具を手広く扱っている、数少ない『魔法院』認可の店のひとつだ。おそらく展開している地域は一番広いだろう。物も確かで、価格も適正だ。」
「あなたにそう言っていただけると、本当に嬉しいわ、レグルーザ。おかげで『神槍』さまお墨付きの店と胸をはれるもの。」
「そんなことをするまでもなく、『ラムレイ商会』の名は有名だろう。」
「歴史のあるお店だから、たしかに有名ね。でもそのことと、今活躍している、実力のある傭兵に認められてるってこととは、すこし違うの。とても気分がいいんだから。」
いたずらっぽく笑い、ラムレイ夫人はお茶を飲んで言葉を続けた。
「先日もね、あなたの活躍は噂でよく聞くけれど、今頃はどうしているのかと主人と話していたのよ。『水月』さまがお亡くなりになられてから、主人はあなたと一度も会えていないから、気にしているの。」
「ああ、そういえば、最近は会っていなかった。彼はどうです?」
「相変わらずよ。晴れればまぶしいと文句を言い、雨が降れば古傷が痛むと顔をしかめ、曇りの日は起きる気にならんとごねてベッドですごす。」
「そしてなぜだか雪の日だけは上機嫌、か。」
「そうそう。いくらか積もった日のことなんてね、もう思い出すだけで笑ってしまう。あのひとったら、うきうき庭へ出て行って、使用人の子ども達と一緒に雪合戦をしてるのよ。もう七十一にもなるのに。」
「本当に相変わらずらしいな。」
綺麗に結いあげられた雪白の長い髪と、あわい桃色の瞳をした艶やかなこの美人さんはどう見ても二十代だけど、旦那さまは七十一歳らしい。
相手がどの種族かはわからないけど、彼について語る口調は愛情たっぷりなので、彼女的にはかまわないんだろう。
とりあえずあたしは昨日、一匹お持ち帰りして分解してみたいなーと思っていたので、彼女の肩でひらひらしている蝶を捕まえたくて手がわきわきしている。
しかし、レグルーザと親しげに話している人を相手にいきなり飛びかかるわけにもいかず、真っ向から「あなたは『幻影卿』の関係者ですか?」と訊くにもきけず。
蝶をつかまえに行きたいのを我慢してお茶を飲む。
ラムレイ夫人、『幻影卿』と髪が同じ色で、ほどいたら同じくらいの長さになるんじゃないかなー、と思いつつ。
でも、目の前にいる立派な胸ときれいにくびれた腰をしたこの人は、どう見ても女性だよなー、と思いつつ。
うーむ。
なんとなく似てるだけで、魔法や魔道具で容姿のどこかを変えているふうもないしなぁ。
『幻影卿』については、幻影の魔法やそれを補助する道具の方にしか興味なかったから、彼自身のことはあんまりしっかり見てなかったし。
考えながら黙ってお茶を飲み、時々ちらっと蝶を見るあたしと、なごやかに話をするレグルーザ、ラムレイ夫人を乗せた豪華な船は、しばらくしてサーレルオード公国側の船着き場へ到着。
降りようと立ちあがったところで、ラムレイ夫人がふとあたしに訊いた。
「そういえば、今朝発行されたシャンダル通信の号外は、ご覧になられました?」
今日は起きてすぐ、いきなり現れた大議長夫人の演説を聞きながらの朝ごはんで、その後は寄り道なしでこの船に乗りこんだ。
いいえ、と答えると、ラムレイ夫人はにこやかに一枚の紙を渡してくれる。
「では、こちらをどうぞ。一面を飾った当人が何も知らないのでは、記者や絵師たちがきっとがっかりしますわ。」
ものすごく嫌な予感がするそれを見れば、なにやら見覚えのある美女がその紙のなかでにっこりとほほ笑み、ひらりと差し出す手のひらの上に、人形みたいにデフォルメされた仮面の人物をのせている。
おぉう・・・・・・
心底からため息をつき、人型になった月の精霊と、その手のひらにのせられている白魔女衣装の自分らしき絵を見おろした。
親切なラムレイ夫人は、その絵とともに書かれている見出しは「『幻影卿』に勝利! その名は『銀鈴の魔女』!」だと教えてくれる。
ずるりと傾いて、その場でまるまりかけたあたしをひょいと片腕に抱きあげ、「そろそろ行く」とレグルーザが話を打ち切った。
ありがとう、ありがとうレグルーザ・・・
「あ、もうひとつ。」
笑顔でひきとめるラムレイ夫人。
何を思ったか、ぐったりしているあたしにまた渡そうとしてくるそれは。
姿隠しの魔法を解除された、蝶の形の魔道具。
「『銀鈴の魔女』さま。魔法研究における最高峰、『魔法研究所』へ行くことをお望みの時は、『ラムレイ商会』へどうぞ。」
その時はこの蝶を店の者に渡してください、と言われ、ずっと気になっていた物だったこともあって、つい受け取ってしまった。
『魔法院』だけじゃなく、そっちにもつながりがあるのか。
それでこれは、『魔法研究所』への切符ということかな。
「ではまた。お二人とも、どうぞお元気で。」
なんでこんなものをくれるの? という疑問の視線には答えず、ラムレイ夫人はつややかに笑んで船から降りる。
その後からレグルーザも桟橋に降り、あたし達は船着き場の街から出た。
街から離れると、ホワイト・ドラゴンを呼ぶ。
サーレルオード公国では、騎獣には所有印をつけなければならないという規定があるそうで、レグルーザはドラゴンの足首に『傭兵ギルド』の紋章が刻印された銀の輪をはめた。
そして姿隠しの魔法を使い、しばらく移動して今日は野宿。
あたしは白魔女衣装からようやく男物の服に着替えられて、ほっとひと息ついた。
料理と食事の合間に、「本人の前では話せなかったが」と言いおいて、レグルーザがシャンダルのことを教えてくれた。
「シャンダルの基礎を築いたのは盗賊だと言われている。盗賊のなかでも盗品を売買する者達が、物や金を取り引きするのにあの島を使い、それが後のシャンダルになったのだという話だ。
そのせいかどうかは知らないが、あの都市を治める幹部級の商人達は、少々危うい連中に通じている。もちろん、全員が確実にそうだという証拠はないし、今は皆、まっとうに商売をしているはずだが。」
つまり、シャンダルはけっこー危ないトコロかもしれないという話で、それを長年に渡って実質的に統治しているシェリンガム家については、おして知るべし。
だからレグルーザは、今朝いきなり来たエステルとあたしを会わせるつもりはなかったらしいのだが、彼女を追い返す前にシェリンガム家に好意的な『傭兵ギルド』の人たちが部屋に連れてきて、そのまま入れてしまったと。
「師が言っていた。シャンダルで楽しむのはいい。だが、シェリンガムの女にだけは気をつけろ、と。」
お師匠さま、いったい何をされたんだ。
契約を交わしてしまった今現在、遠い目をして言うレグルーザに、なんだかこわくて聞けないんですが。
あたしは大きなイベントの時、ひょいとお邪魔してこづかい稼ぎさせてもらうだけの契約だし、名前出さないって書いてもらってあるからたぶん大丈夫、な、はず。
あの契約書は失くさないようにしろよ、と言われるのに「気をつける」と深くうなずき、ちょっとひんやりした背筋をあたためるべく話題を変えた。
「そいえば、ラムレイ夫人の方は?」
食後のお茶を飲んでいた大トラの耳が、ぴこっと動いてひらりとそよいだ。
常と変らない低音の声が答える。
「会った時に紹介しただろう。魔道具をあつかう老舗、『ラムレイ商会』の会長だ。
俺が初めて会った時は、まだ彼女の夫が会長だったが。それなりに古い付き合いだからな、旅先で会うと今日のように話をする。」
それだけだ、とあっさり言われたものの、なんとなくひっかかる。
彼女にもらった魔道具の蝶を取り出して、美しい工芸品のようなそれを眺めながら、なにげなく話を続けてみた。
「そうえいばヘンな新聞記事にされちゃったけど、『幻影卿』って、そんなに有名なのかなー。」
「義賊として有名な賞金首だな。女性に人気で、本人も女性に甘い。だからお前に勝ちを譲ったんだろう。」
「あきらかに向こうの勝ちだったから、譲られても嬉しくないんだけどねー。レグルーザは『幻影卿』見るのって、初めて?」
「いや、何度かあったはずだ。毎回酒を飲みながら見物しているせいか、よく覚えてはいないが。」
「自分で捕まえようと思ったことはないの?」
「俺の獲物は街の外にいるものたちだ。街の中でまで、働きたいとは思わんな。」
必要なら動くけど、休憩時間は休みたい、と。
答えながら、たまにひらりと動く耳がかわいい。
たぶんあたしが何を聞こうとしているのか、わかってるんだろう。
答えてはくれないだろうと思いつつ、ちょっと突っ込んでみた。
「今回みたいに、『幻影卿』の出た街でラムレイ夫人と会ったりした?」
「さて、どうだったか。細かいことは忘れた。」
レグルーザはさらりと流した。
残念だけど予想通り、この疑問は疑問のまま放置されることになりそうだ。
まあ、いいや。
縁があれば、そのうちまた会うだろう。
『幻影卿』かラムレイ夫人か、あるいはその両方に。
あたしはしばらく何の魔法も仕掛けられていない、空っぽの蝶の翅が焚火の光にきらきら輝くのを眺めてから、ジャックの毛並みのお手入れをすることにした。