第八十八話「楽しみな契約。」
〈異世界四十九日目〉
目が覚めたら昼だった。
くあー、と大きなあくびをして、のそのそ着替える。
昨日は色々あって疲れたので、よく眠れた。
隣のベッドは空だから、レグルーザはもう起きているんだろう。
『幻影卿』の予告状のせいか、いつもこうなのか、『傭兵ギルド』シャンダル支部の宿はほぼ満室状態だったので、二人部屋をひとつ借りて使ったのだ。
何度か二人で野宿していることもあって、そのへんあんまり抵抗感はない。
昨夜はとくに、そんなことを気にする余裕もなく、二人とも一瞬で寝てたし。
とりあえずごはんを食べようと、白魔女衣装で一階の食堂へ行こうとしたら、途中で呼ばれた。
「ああ、『銀鈴の魔女』さま。おはようございます。」
寝起きの一撃というのは、油断しきっているだけにけっこうくる。
あたしは階段を踏み外しそうになり、あやういところで手すりにつかまって難を逃れた。
声をかけてきたのは、昨日食堂で給仕をしていたおねーさんだ。
「お、おはようござい」
「今起こしに行こうとしていたところだったので、ちょうど良かった! どうぞこちらへ。『神槍』さまが先にお会いになられていますよ。」
挨拶は途中でさえぎられ、なんだかうきうきと浮かれた様子で、さあ早くと急きたてられる。
あたしは何がなんだかさっぱりわからなかったけど、寝起きにくらった一撃にふらふらしながらついて行った。
そうして案内された先は、応接室。
先客は赤毛の美女とレグルーザだ。
テーブルをはさんだ二つの長椅子に、向かい合って座っている。
「今起きたのか?」
「うん。おはよー。お腹すいた。」
言うと、レグルーザは案内してくれたおねーさんに食事を運ぶよう頼んでくれた。
その向かいに座った女の人が、にっこりと華やかな笑顔で言う。
「シャンダルのおすすめ料理はたくさんありますが、中でも海鮮スープがとくに美味しいですよ。獲れたての新鮮な魚介類を料理人達が吟味して、様々なスパイスで煮込むんです。その日、その時しか出会えない味になります。
こちらの料理人も腕の良い方ですから、きっととても美味しいでしょう。」
聞いてるだけでお腹が鳴った。
おねーさんはちょっと笑って「はい、海鮮スープもお持ちします」と答えて部屋を出ていく。
で、この美人さんはどなたでしょーか?
首を傾げていると、シンプルでいて豪華な真紅のドレスをまとった愛嬌のある美人さんは、長椅子から立ちあがって一礼した。
歳は二十代後半か三十代くらいだろうか。
顔立ちは綺麗というより可愛らしく、お化粧の仕方とかアクセサリーの選び方、服の着こなしが上手い人という印象。
「初めまして、『銀鈴の魔女』さま。
わたくしは水上都市シャンダルを統べるダグラス・シェリンガム大議長の妻、エステルと申します。」
どうぞよろしく、と笑いかけられるのに、思わず口元が引きつった。
なんでそんなお偉いさんの奥さんが。
そしてその二つ名は、もう固定されてるんですか・・・
「こちらこそ、よろしくお願いします。」
とりあえず挨拶を返してレグルーザを見ると、彼はまぁ座れとあたしを呼んだ。
その声や顔つきで、なんか来ちゃいけなかったっぽいな、と感じたけど、事情がよくわからないので、のこのこ歩いていってレグルーザの隣に座る。
そしてお腹すいたなぁ、と思いつつ二人の話を聞いていると、どうも大議長の奥さんはあたしを雇いに来たらしいとわかった。
昨日『幻影卿』に挑戦した時の魔法を見て、ぜひシャンダルで働いてほしい、と思ったんだそうな。
「シャンダルは交易都市であり、観光都市です。人々が品物やお金を取り交わす場を守るのと同時に、より多くの楽しみを提供することを重視しております。
ですから、すべての大道芸人はシャンダルの観光局との契約によって保護され、大きな催し物を行う時には総出で盛りあげます。もちろん、シャンダルからの依頼で働いた時には報酬も支払われます。」
ふむふむ、とうなずきつつ、頭のなかは「はやくごはん来ないかなぁ」の一色。
あたしがてきとうにうなずくばかりで返事をしないので、レグルーザが熱弁をふるうエステルに言った。
「先にも説明したが、俺の依頼人には一カ所に留まりたいという意志はない。彼女が食事を済ませた後は、すぐに発つ予定でいる。」
「それは確かにお聞きしましたが、昨夜の幻影の魔法がすばらしくて、このまま何もしないで見送るのはあまりにも惜しいのです。『神槍』さま、わたくしどもシェリンガム家は『水月』さまと懇意にさせていただきました。公平に、お互いの利益になる契約を重視する方針はよくご存知のはず。『水月』さまにもお求めになる品を、いついかなる時にもお届けし、あるいは必要と思われる品を各種とりそろえてご用意してまいりました。
決して、あなたの大切な依頼人に損害を与えるようなことはいたしません。『神槍』さまからも、どうかお口添えいただけませんか。」
エステルの長い話の間にレグルーザが、「ここは商人の国。彼女はその商人たちの総元締めという家に生まれた生粋の商人で、母親はシャンダルの裏の支配者だ」とこっそり教えてくれた。
そして大議長のダグラス・シェリンガムは婿養子で、次の裏頭領はエステルに決定済みだそうで。
お師匠さまの『水月』がシェリンガム家と何やら取り引きしていた関係で、レグルーザはエステルのことを含めてシャンダルのことをよく知っているらしい。
あたしはふぅんとそれを聞き、昨夜の今日でいきなりスカウトに単騎突撃してくるなんて、なんというフットワークの軽い次期裏頭領だろう、と思った。
愛嬌たっぷりの見た目からは、裏頭領なんて話、まるで思い浮かばないんだけど。
「悪いが、あまりのんびりしているつもりはない。シェリンガム家と師とのことは知っているが、彼女には関わりのないことだ。」
話が途切れたところでレグルーザがすぱっと断ると、エステルは今度は直接、あたしの方に向きなおった。
そして立て板に水のごとく、まぁよくそれだけ喋れるなーと感心するほどシャンダルの良いところを語ってくれる。
彼女の言葉をそっくりそのまま信じるなら、ここはこの世の楽園だ。
あたしは話の途中で運ばれてきた料理を遠慮なく食べながら聞いていたが、とりあえず今一番大事なのは元の世界へ帰る方法を探すことなので、シャンダルで遊ぶつもりはない。
海鮮スープはカニやら魚やら具だくさんで、すごくおいしーけど。
「やらないといけないことがあるから、ここに留まることはできないんです」と断った。
でも海鮮スープはまたコッソリ食べに来るかも。
お魚ジューシー、ちょっとピリ辛でうまうま。
そしてしばらく喋って何度も断られ、最終的にあきらめたエステルは、「そうですか」と肩を落として言った。
「とても残念です。もうすぐ行われるシャンダル建国記念の祝祭と、噂に聞いたイグゼクス王国の勇者さま御一行がこちらに訪れられる時の歓迎は、ぜひ『銀鈴の魔女』さまの幻影で彩っていただきたかったのですが。」
ふーむ・・・・・・
あたしはまぐまぐとカニの身を食べながら、レグルーザを見た。
レグルーザは魚の串焼きを頭からかじりながら、あきらめ顔で横を向いた。
好きにしろってことでよろしいでしょうか。
「えーと、シェリンガムさん?」
「どうぞエステルとお呼びください。」
獲物がエサに食いついたことを察知した商人は、華やかな笑顔で答えた。
しばらく後、大きな催し物の時にのみ、エステルが早めに新聞へ個人広告を載せて知らせ、あたしがそれに返答できた時だけシャンダルで働くことを約束した。
勇者来訪の時は必ず呼ぶ、というのを条件に。
おねーちゃん張りきって勇者さまを歓迎するよ!
と、今から楽しみでわくわくしている。
その前に帰還方法が見つかったら、速攻で帰しちゃうだろうけど。
ちなみにシェリンガム家はすべての国の新聞を、発行から数日以内で手に入れられるとのことで、返答はどの新聞にのせてもいいという。
あたし達がその時どこにいるか不明なので、エステルからの呼びかけの個人広告は全紙に載せてもらうことになるのだが、その程度の負担は許容範囲内だそうだ。
そろそろこっちの文字を覚えないといけなくなってきたなー、と思いつつ、呼びかけと応答の言葉が決められたので、忘れないよう紙に書いてもらった。
あと報酬については最初、けっこーな金額を提示されたけど、『銀鈴の魔女』の名を出さないよう頼むとだいぶ引かれて、そこそこの額になった。
名前を出さないことを契約に入れるよう言ったのは、レグルーザだ。
なんだかお師匠さまがその点で、けっこう大変な目にあったらしい。
「そのぶん、『水月』さまにもご納得いただけるだけの利益があったとお聞きしております。」
と、エステルは断言したが、レグルーザがとにかく名前を使う許可は出すなというので、契約書は彼の助言に従う形で作ってもらった。
そうして食事と契約を終えると、エステルとは応接室で別れ、あたし達は荷物をまとめて『傭兵ギルド』シャンダル支部を出る。
見送りに出てきてくれた給仕のおねーさんが、一口サイズの魚と野菜のフライを紙袋につめたものをおやつにくれた。
「ぜひまたいらしてくださいね。」
「うん。また来れたら来ます。ありがとー。」
『神槍』と『銀鈴の魔女』の出発を聞きつけ、けっこうな人が集まってきて歩きにくそうだったので、来た時と同じくレグルーザに抱えられてばいばいと手を振った。
大トラは人波をかきわけてサーレルオード公国側の船着き場へ向かう。
が。
「なんか、すごい混雑してるねー。」
「お前と同じ船に乗りたがっている者が多いんだ。俺達が選んだ船に乗ろうとしている。・・・途中で沈まなければいいが。」
「おー。レグルーザ、泳げる?」
大トラはとても不機嫌そうな顔をして答えなかった。
ネコは水嫌いだけど、トラも水ダメなのかなー。
そんな話をしながら乗れそうな船を探していると、レグルーザは誰かに声をかけられて、軽くうなずくように答えた。
「レグルーザ、お久しぶりね。元気そうな顔を見れて嬉しいわ」
「ラムレイ夫人。お久しぶりです。あなたこそ、お元気そうでなによりです」
人波の中からゆったりとした足取りで現れた妖艶な貴婦人が、二人の屈強な護衛を従えて微笑んだ。
「ああ、なつかしいひとに、こんなところで会えるなんて思わなかった。もし良かったら、すこしお話がしたいわ。こちら側にいるということは、あなた方もサーレルオードへ行くのでしょう。一緒に渡らない?」
なじみの人が一隻貸し切りにしてくれたのよ、と誘うその人に、レグルーザはほっとした様子で頼んだ。
「ありがとうございます、ラムレイ夫人。邪魔でなければお願いしたい。」
「邪魔だなんて、とんでもないわ。短い間だけれど、そちらのお嬢さんも、どうぞゆっくりくつろいで乗っていってくださいね。」
色気たっぷりの女性なのに、不思議なほど嫌味のない、鳥のさえずりのような澄んだ声で言う。
なんだかとても良い人そう、だけど。
「ありがとうございます。」
あたしは答えて言いながら、彼女の肩にとまって時おりひらひらと動く、姿隠しの魔法がかけられた魔道具を。
凝った作りのステンドグラスみたいな翅を持つ蝶を、ちらりと見た。