第八十六話「幻影の宴。」
「七杯目いったー!」
「おおぉー!」
酔っぱらい傭兵たちがにぎやかに実況する中で、白金に輝く美女はやすやすと酒杯を空にした。
ルナは精霊が人型になっているものだからか、アルコール度数の高い酒を七杯飲んでも、なめらかな頬に赤みがさすことはない。
ただ、まとう空気が満足げにゆるんできて、その様子がなんとも艶めかしいので、周囲の男たちの顔がひじょうに情けないものになっている。
一方、対戦相手のレグルーザは、だいぶ酔っぱらってきているらしい。
白と黒の毛並みで覆われたその顔色はわからないが、目がとろんとして、杯を持つ手がちょっとふわふわした感じになっている。
しかし、これはルナの勝利に賭けた魚のフライ一個、追加注文しても良さそうだな、と思いながらのんびり見物していたあたしの予想は、いきなり食堂に飛び込んできた男の声で外された。
「『幻影卿』が現れたぞー!!」
その待望の報せで、レグルーザとルナの飲み比べは自動的に打ち切りとなり、傭兵たちはいっせいに武器や酒ビンや料理を持って立ちあがる。
「とうとう来たか! ぶちのめしてやる!」
「おっしゃー! 祭りじゃー!」
「長いこと待たせやがったんだ、そのぶん楽しませてもらうぜ!」
そんな大騒動のなか、レグルーザはあたしを見て「ふぅ」と諦めたようなため息をついた。
なんだろう。
何も言われてないのに、今すごく「それ違う」と主張したい気分になったんだけど。
あたし達が一泊しに来たタイミングで『幻影卿』が出たのは、完全なる偶然!
・・・・・・と、いうことにしておこうよ(遠い目)。
どうでもいいところでちょっと落ち込みつつ、片手に魚の串揚げ、もう片方にはお茶のカップを持って、あたしもみんなと一緒に表へ出た。
有名な魔法使いだという『幻影卿』がどんな幻影を作り出すのか、ご飯を食べながら見物させてもらおうと思ったのだ。
『幻影卿』はまだ現れたばかりのようで、あたし達が外へ出た時、彼はちょうど高い塔の上からあいさつを始めるところだった。
「紳士淑女に良い子悪い子、その他偶然お集まりの皆様、ご機嫌よう!
わたくしは『幻影卿』と呼ばれております、しがない魔法使いでございます。」
夜風にゆれる長い白髪、顔全体を覆い隠す黄金の仮面、手にはきらびやかな黄金の杖。
白いスーツに裏地が赤の白マントをまとったその男は、自称“しがない魔法使い”にしては、ずいぶんと派手だった。
ちなみに高い塔の上にいる彼の言葉が問題なく聞き取れるのは、風属性の魔法を音声拡張機のように使って、広範囲に自分の声を届かせているからみたいで、なかなかおもしろい。
「今宵は皆様の周りを少々お騒がせしましたお詫びに、ささやかではありますが座興を用意いたしました。
気が向かれた方はどうぞ一時、月下に舞う夢幻の世界をお楽しみください。」
待ってました! と歓喜する街の人々へ優雅に一礼すると、『幻影卿』は黄金の杖をふわりと空へ放った。
そして空いた両手をパンッと一回、打ち鳴らして呼ぶ。
「ラビット・カルテット!」
黄金の杖が空中で四つに分かれ、ふわふわと空を飛ぶその光から四羽のウサギ(翼付きのぬいぐるみ)が登場。
主の『幻影卿』とよく似た衣装をまとったぬいぐるみのウサギたちは、白い翼で自由自在に飛びながら手にした弦楽器をかまえる。
「〈幻影展開〉」
続く呪文に呼応して、通りのあちこちからいっせいに舞いあがったのは、姿隠しの魔法をかけられた蝶たちだ。
ステンドグラスのようにきれいな翅をひらひら動かして飛びながら、『幻影卿』が仕込んだ幻影の魔法を街中に展開させる。
蝶は姿隠しの魔法がまだ有効になっているようなので、人々には何もないところから幻影が現れたように見えただろう。
それと同時にウサギの弦楽四重奏が演奏を始め、しろい月明かりの下で幻影の宴が幕を開けた。
街の人々が見あげる空中へ、はじめに現れたのは一人の美しい娘と、たくさんの愛らしい子どもたち。
四羽のウサギの演奏に合わせて、たおやかに楽しげに舞い踊る。
そこへ訪れる、白馬に乗った黄金の鎧の輝ける騎士。
彼は美しい娘に一目惚れして、彼女のそばへ行こうとする。
こまったように微笑み、ひらひらと舞いながら逃げる娘と、追いかける騎士。
そのまわりでころころと笑いながら踊る子ども達。
しかし、騎士が娘へ伸ばした手がようやく届こうかというその瞬間、激変する音楽。
唐突に現れたのは灰色の魔物、三頭犬。
美しい娘は巨大なケルベロスにさらわれ、時計塔の上に現れた檻のなかへ囚われてしまう。
嘆き悲しむ子ども達をなぐさめ、騎士は白馬の上で剣を抜くと、娘をさらった魔物に戦いを挑んだ。
人々の頭上で騎士とケルベロスの決闘が繰り広げられ、ぬいぐるみウサギたちの奏でる音楽が華やかにそれを盛りあげる。
一方、現実では屋根の上をひらひら跳び渡る『幻影卿』と、彼を捕まえようとする人々(シャンダルの警備兵の他に、『傭兵ギルド』の酔っぱらい連中も入ってる)が追いかけっこの真っ最中。
見物する人々はケルベロスと戦う騎士を応援したり、追いまわされる『幻影卿』に「捕まらないで!」と声援を送ったりで、もう大騒ぎだ。
あたしはそのへんにあった樽に座って魚の串揚げを食べつつ、個人的に「ケルベロスを悪役にするのはやめてくれ」と言いたいと思う。
うちの愛犬もケルベロスなので、どれだけみごとな幻影だろうと、悪役にされてるのが気に入らない。
むー、と不機嫌にうなっているあたしに気づくと、右隣で酒ビン片手に見物しているレグルーザが「気にするな」と声をかけた。
ちなみに左隣に座ったルナは、若い傭兵の一人に酒をついでもらいながら、のんびりと飲んでいる。
「ケルベロスは魔王の配下として有名だ。歌劇に登場することもよくある」
「うーん。悪い意味で有名なんだねー」
レグルーザの言葉に、どうしようもなくため息がこぼれた。
ジャックが繭の中にいる時、もっと世間一般の皆さまに愛される動物の姿を思い浮かべておくんだった、という後悔がよみがえる。
申し訳なく思いながら“闇”の中へ意識を向けると、夜になって目を覚ましたジャックが、あたしの視線に気づいて「ん?」と首を傾げた。
なんでもないよ、と“闇”の手でふわふわした毛並みを優しく撫でてやると、気持ち良さそうにごろんと寝転がる、うちのかわいいケルベロス。
そうしてジャックが地上を見ないよう遊んでやりながら、お茶を飲みほしたコップに空串を放り込んで隣へ置き、いよいよクライマックスを迎える幻影劇を見あげた。
なんとかケルベロスの首を二つ斬り落とした騎士。
巨大な魔物をあと一歩で倒せる、というところまで追いつめる。
しかし残るひとつの頭はしぶとく抵抗し、わずかな隙をついて騎士の剣を鋭い牙で噛み砕いてしまった。
武器を失い、なすすべもなく逃げまどう騎士を、檻のなかから悲痛な顔をしてハラハラと見守る娘。
追う者と追われる者が一転し、ケルベロスは猛攻に出る。
そして街中を駆けまわって逃げる騎士は、間もなくその牙に追いつめられて死を覚悟した。
そんなギリギリのところで、なんと『幻影卿』がみずからの幻影劇の中へ乱入。
魔法の楯でケルベロスの攻撃から騎士を守り、新たなる剣を与えて彼を助け起こす。
起きあがった騎士は魔法の剣を手に、とうとうケルベロスを退治した。
四羽のウサギが高らかに勝利を奏で、檻から解放された娘は命がけで助けてくれた騎士に抱きつく。
そして子ども達が喜びに踊る輪の中で、騎士の頬に感謝のキスをした。
ハッピーエンドを迎えた幻影劇に、街中からわき上がるような拍手と歓声が巻き起こるなか、あたしはひとり別の意味で涙目だ。
「レグルーザ、ケルベロスが退治されちゃったよ・・・!」
「他にどんな結末があると思っていたんだ」
つれない返事にムカッときて、べしべし背中を叩いたが、鍛えあげられたトラの獣人は頑丈でびくともせず、叩いた手が痛くなっただけだった。
くぅ。
今だけレグルーザ並みの腕力が欲しい。
とか、痛くなった手をさすりながら思っていたら、急にふわりと体が浮いた。
・・・う?
見れば軽々とあたしを抱きあげたルナが、とん、と跳んで向かいの家の屋根へ上がる。
そして何を思ったか、塔の上で人々からの歓声に手を振る『幻影卿』へ言った。
《 『幻影卿』。我が主が、これよりそなたに幻影の術比べを挑む。 》
風属性の腕輪の力で声を広く響かせて、問う。
《 受けるや、否や? 》
どよめく人々と一緒に、というか、たぶんあたしが一番驚いた。
何がどうして術比べ?
まだ杖で魔法使ったことすらないんですが。
「いやいやいや、ルナさん。ムリだと思うよ、術比べとかいきなり言われても。」
風の魔法に干渉して周囲に声がもれないよう遮断してから抗議すると、あたしを抱っこしたままルナが言った。
《 これまで主となった者達は、よろこび勇んで我を手にし、魔法の鍛錬にはげんだ。
しかし、そなたはいっこうに我を手に取ろうとせぬ。
我が身は精霊なれど、ライザーとの契約により、今は人の為の道具として在る。だが求められず、使われぬ道具に何の意味があろう。 》
つまり、せっかく契約したのにいつまでたっても使われないのが気に入らないので、『幻影卿』にケンカ売って強制的に自分を使わせることにしたわけか。
君はあたしの手元にあるだけで『傭兵ギルド』との橋渡し役になってくれてるから、のんびりしてていいんだよー。
あと、もうちょっと穏便にすねてくれるなら、いくらでも人のいない場所で魔法の練習するよー。
・・・とか、今言っても意味ないよね。
さて、どうしよう。
返す言葉は見つからず、じりじりと追いつめられていくのを感じながらも、街中から視線を向けられている状況で逃げるに逃げられず。
うう、とうなるあたしに、ルナは容赦なく流し目つきで問いかけた。
《 この先を、道具たる我に言わせるのか? 》
どうも、所有者としての甲斐性が足りなかったあたしが悪いらしい。
ここまで言われたらやるしかないか、と半分腹をくくりつつ最後の抵抗に、旅の助言者がこの無茶を止めてくれはしないかと視線を転じれば、いつの間にか『傭兵ギルド』の屋根に上がってどっかりと座っている大トラ。
見物に最適な一等席を確保してぐびぐびと酒を飲み、あたしの視線に気づくと「うむ」とうなずいて、「やるからには勝て」と声援を送ってくれる酔っぱらい大トラ。
ああ、ムリだ。
酔っぱらいに期待はできない・・・
いつもはあたしもそっち側にいるのになぁ、とため息をついて、ルナに呼ばれるのに意識を切り替える。
《 主よ。 》
うん。
まあ、こうなっちゃったものはしかたがない。
相手はケルベロス悪役にしてくれた人だし。
ストレス発散に、ちょっと遊んでもらおうか。
ルナの腕からおろしてもらい、自分で屋根の上に立って[風の宝珠]経由で風の精霊の力を借りると、口を開いた。
「『幻影卿』。改めて『銀の魔女』より、幻影の術による勝負を挑みます!」
風の精霊の力で街中に響き渡った声に、『幻影卿』が答える。
「おや。噂の『銀の魔女』どのからの挑戦とあっては、断れませんね。
その勝負、お受けしましょう!」
ノリのいい街の人々は、何かおもしろいことになったようだと歓声をあげる。
そして、よく言うた、それでこそ我が主、と隣で喜ぶ[幻月の杖]の精霊の声を聞いて、あたしはふと気がついた。
ルナねーさん、酔っぱらってる。