第八十話「豊穣なる秩序。」
〈異世界四十四日目〉
なんか良い匂いがするなー、と思って目を覚ましたら、もう昼だった。
近くで火に鍋をかけてごはんを作っていたレグルーザが、もそもそと起きあがったあたしに気づいて訊く。
「リオ。起きて大丈夫なのか?」
答えようと口を開く前に、お腹が「ぐるるる」と鳴いて勝手に返事した。
レグルーザはうなずき、「とりあえず食え」と皿を出してくれたので、ありがたくいただいた。
そういえば、街から離れて野宿するようになって初めて知ったんだけど、レグルーザは料理がうまい。
野外料理だからたいてい焼くか煮るかの二択で、メインは常に彼が狩ってきた獲物の肉。
しかも肉の切り方も味付けもすごくおおざっぱな、「細けぇことは気にすんな!」的な男の人の料理。
なんだけど、鼻がきくせいか肉を焦がさずこんがり焼くのがうまいし、臭みを消したり肉をやわらかくしたりする香草類、それに塩の使い方に熟練していて、いつも豪快でおいしいシンプル料理ができあがるのだ。
今日のスープも炙り肉のかたまりや日持ちするイモがゴロゴロ入っていて、食べごたえがある上に塩味が良い加減でとてもおいしい。
「レグルーザのごはんは、いつ食べてもおいしいねー。」
「お前の“おいしい”の幅が広いだけだろう。」
「それでもホントにおいしーよ。作り方とか、誰かに教わったの?」
「作り方か。教えてくれたのは師匠だ。どうせ食うなら美味い物がいいと言って、香草の使い方にこだわっていた。」
そして旅の間、弟子のレグルーザが料理担当をさせられたので、当たり前のようにそのこだわりごと仕込まれたのだという。
「お前も香草の使い方くらい覚えたほうがいいぞ」と言われるのに「うん」とうなずきながら、あたしは心から感謝した。
ありがとう、見知らぬお師匠さま。
あなたのおかげで、今日もレグルーザのごはんはおいしいです。
「そんなことより、リオ。昨日は何があったんだ?」
話ができるのならそれを話せ、と言われるのに、もぐもぐと肉のかたまりを噛みながら【風の谷】で起きたことを思い出し、ごくんと飲み込んでから口を開く。
「[白の護符]についてた[風の精霊石]の中の子に【風の谷】らしきところへ引っぱりこまれて、大量発生してた魔物を魔法で片づけた。
そうしたら[風の精霊石]が割れて、“もうひとりの風の大精霊”とかいう子が出てきて、何か背中にくっつけられた。
あ。わざとじゃないんだけど、[白の護符]壊れちゃったみたいで、ごめんね?」
「・・・ふむ。[白の護符]のことは気にしなくていい。俺は使わんからな。
それより何があったのか、いまひとつよくわからんのだが。精霊に何かされたのか? 背中にくっつけられたというのは、何なんだ?」
イモを食べながら“闇”と同調して自分の背中を見ると、肩甲骨と肩甲骨の間、背骨の上に、親指の先ほどのおおきさの真珠みたいなものが埋まっていた。
しかも強い風の魔力を帯びたその珠の周りには、鳥の翼を思わせる白い模様がある。
知らないうちにタトゥーが増えた・・・
「リオ? どうした?」
「・・・ん。ごめん。あたしにもよくわからないんだけど、背中に白い珠が埋まってて。でも、悪いモノじゃなさそう。シェリースはあたしのこと、母さんて呼んでたし。」
そういえば、ジャックからも「おかあさん」と呼ばれている。
産んでないのに、よく子どもができる世界だ。
魔獣とか精霊にとって、魔力っていうのはそんなに影響の大きいものなんだろうか。
恋人がいたこともないんだけどなぁ、と複雑な気分になっていたら、レグルーザから「お前を母と呼んだ? 誰が?」と訊かれた。
「自称“もうひとりの風の大精霊”の、シェリース。」
答えた瞬間、やわらかな風が吹いて空中で白い渦を巻き、半透明な白銀の少年の姿になった。
《 母さん、呼んだ? 》
・・・・・・いやはや。
あっさり現れてくれるね、自称「風の大精霊」くん。
《 シェリースだよ。それに“自称”はいらない。ぼくは本当に風の大精霊だから。 》
さいですか、とため息まじりにうなずいた。
マイペースな子だな。
「レグルーザ、この子が今言ってたシェリースくん。」
《 「くん」もいらない。シェリースって呼んで。それと、ぼくの名前は母さんにしか聞きとれないから、言っても伝わらないよ。 》
あたしにしか聞こえない名前?
すぐには意味が理解できず首をかしげていると、レグルーザが「確かに、名のところだけ聞きとれなくなる」とうなずいた。
《 大精霊の名前は、大精霊が捧げた相手にしか得られない誓約の印だからね。 》
「誓約? そんなのしたっけ?」
《 ぼくの名前はシェリースだよって言ったら、母さんはシェリースって呼んでくれたでしょ。 》
「・・・ええ? まさか、それが誓約なの? 普通に自己紹介だと思って、何も考えずに呼んじゃっただけなんだけど。」
《 ふーん? 母さん、何も知らないんだね。まあいいや。[風の宝珠]はもう母さんの体になじんだみたいだし、気にしなくていいよ。 》
「いやいやいや、ちょっと待って。コレ気にせず流せる話じゃないし。
その[風の宝珠]って何? あたしの背中に埋まってるヤツ?」
《 そう。ぼくの力のかけら。この世界の風は母さんの味方だよっていう、印。 》
「世界の風が味方になるって、なんかエライ話だね。でも、何でまたあたしに?」
《 ずっと繭のなかで眠ってたぼくに闇の力を与えて、風の聖域まで連れてってくれたのが母さんだから。
母さんがいなかったら、ぼくは時が満ちても普通の上位精霊として孵化するだけだったし、聖域へ行けなかったら、大精霊として孵化することもできなかった。
でも、母さんのおかげで闇の風として生まれることができたから、光の風の対として、風の聖域を維持する力になれる。 》
ありがとう、と笑顔で言われても、わけがわからない。
ちょっと落ち着こうと皿のスープを飲みほして、また訊いた。
「そもそも“もうひとりの大精霊”ってのがよくわからないんだけど、前からいた風の大精霊はどうなってるの?」
《 光の風は聖域にとけて、場を維持してる。魔物に侵入されて荒らされても、今まではひとりで何とかしなきゃならなかったから、疲れてるんだ。これからはぼくが手伝うから、だいぶ楽になるはずだよ。 》
その後もシェリースに質問して話を聞いたところ、ようやくすこし状況が理解できた。
まずシェリースの言う「光の風」というのは、『光の女神』に力を与えられて大精霊となった風の精霊のこと。
「闇の風」というのが、あたしから闇の力を得て、昨日大精霊として孵化したシェリースのこと。
これまで『光の女神』が力を与えたひとりしかいなかったのが、彼が孵化したことで、今は光と闇、対極にある二つの力を宿した、ふたりの風の大精霊がいるようになったらしい。
ちなみに精霊石というのは、精霊が力をたくわえるために宿る繭。
精霊は世界に生じてからある程度の時を経ると、自分に適した石に宿って力をたくわえ、じゅうぶんに力を得るとより上位の存在として石から孵化するものなのだそうだ。
そして昨日孵化したばかりのシェリースがこれだけのことを説明できるのは、数千年存在している「光の風」と知識を共有しているため。
意識や感情は別々だけど、「光の風」が知っていることは「闇の風」も知っており、またその逆もしかり、という隠しごと不可能なふうになっているという。
「風の大精霊がふたりか。【風の谷】を守るものが増えた、と思えばいい?」
《 そうだね、それでいいよ。光の風が力を取り戻してぼくたちが調和すれば、もう魔物に侵入されることもなくなるし。 》
「魔物が侵入しなくなる? ・・・ん? そういえば、この世界のものには誰も入れないっていう聖域に、どうして魔物が侵入できたの?」
《 魔物は生きものじゃない。世界を蝕み、壊していく病なんだよ。だから光の風だけでは侵入を止められなかった。 》
「でも、シェリースがいれば侵入を阻止できる?」
《 重要なのはぼくの存在じゃない。光の風と闇の風、そのふたつが揃うということ。
光と闇の調和がもたらす秩序。それだけが魔物という病を退けられるから。 》
シェリースは歌うような口調で語った。
《 光と闇は四大精霊より上位の存在であり、世界の根幹を成す神々につながる絶大な力。
それぞれに単独でも強大な影響力を持つが、その真価は対極にあるものと調和した時、初めて発揮される。
それは世界の表と裏にある大きな力が、均衡を保ちながら共に在る時にだけ生み出される、豊穣なる秩序。 》
光と闇の調和がもたらす、豊穣なる秩序。
それだけが、世界を蝕む魔物という病を退ける。
ふと、『夜狩り』騒動の時に、精霊使いたちが「黒い色を持って生まれるものがいるのは、世界がそれを必要としているからだ」と説いた、という話を思い出した。
光だけでは足りない。
闇だけでもダメ。
対極にあるものが揃って調和することで、世界はようやく平安を得る。
みんなに歓迎される光の、対極にある“闇”という存在を、初めて真正面から必要とされた気がしてじんときた。
のどの奥で何かがつまって、言葉がでてこない。
シェリースはそんなあたしにまるでかまわず、マイペースに言った。
《 話はこれくらいでいいかな。
母さん、ぼくそろそろ帰るよ。魔物は母さんがだいたい消し飛ばしてくれたけど、【風の谷】はまだちょっと不安定で、あんまり長く留守にしておけないんだ。
またいつでも呼んでね。気が向いたら来るよ。 》
じゃあね、とひらひら手を振り、シェリースは現れた時と同じようにあっさり消えた。
しばらくの沈黙の後、レグルーザが言った。
「よく似た息子ができたものだな。」
いや、産んでないから息子じゃないけど。
似てる?
「ふらりと現れ、またふらりと消える。とぼけた顔をして笑いながら、外見からは想像もつかない力を持っている。」
とぼけた顔・・・
「そしてどちらも、この世界にとって重要な存在らしい。」
俺にはよくわからんが、と言いながら、レグルーザはスープの入った鍋をかき混ぜる。
鍋のなかでくるくるまわる炙り肉とイモをぼんやり見ながら、低い声を聞いた。
「この調子だと、他の聖域でもお前を母と呼ぶものが生まれそうだな。」
・・・・・・否定できないのが怖いんだけど、レグルーザ。
あたしもふらりと消えたくなってきたよ?
「どこへでも行けばいい。だがその時は俺も連れて行くんだぞ。」
お前は一人でふらついていると勝手に厄介事に巻き込まれるし、また探すのは面倒だ。
それに何より、俺がお前の案内役なんだろう?
青い目から無言のうちに響いてくる言葉に、思わずへらりと笑みがこぼれた。
「・・・うん。今度ふらっと消える時は、レグルーザも道連れにする。」
道連れか、と苦笑ぎみにつぶやくレグルーザのしっぽが、照れたようにぶらりと揺れた。