第七十九話「風の谷。」
〈異世界四十三日目〉
快調に飛ぶホワイト・ドラゴンのおかげで、夕暮れ前に【試練の森】らしき広大な緑が見えた。
しかし、その森の向こうにあるはずの【風の谷】は、景色がぼんやりとかすんでいて何もわからない。
「聖域には魔物が侵入してるって話だったけど、外からじゃわかんないね。」
「ああ。目立つ異変は起きていないようだな。・・・しかし、魔獣の姿が少ない。風の力が最も強い土地なら、風属性の魔獣がもっといてもいいはずだが。」
魔物侵入の影響かな? と話しながら、様子見にホワイト・ドラゴンで【試練の森】上空へ入った。
瞬間。
服の下に入れていた[白の護符]が目のくらむような白い光を放ち、強い風を巻き起こしてあたしの体を空中へ放り出した。
ジェットコースターの頂上部から落ちる間際みたいな浮遊感。
ぐるりと回る視界。
そのなかで、レグルーザが真珠色のドラゴンの背にいるのを見て、彼は大丈夫だとほっとして。
「リオ!」
名を叫ぶ声は一瞬で遠くなり、視界からドラゴンと青い空が消え、あたしは白い光に包まれて吹き荒れる風のなかへ落ちていく。
それは一瞬の出来事で、抵抗するヒマもない強制落下だったけど、不思議と怖くはなかった。
ふわりと浮きあがって服の下から出てきた光り輝くネックレス、[白の護符]。
それにはめこまれた[風の精霊石]の中で眠っていた精霊が、今やはっきりと目覚め、落ちていくあたしの体を風に包んで守っていてくれるから。
白い光に包まれて落ちていきながら、いつの間にか一変している周囲を見渡した。
そこは灰色の霧が漂う、瘴気に満ちた荒涼たる白い谷。
連なる山々の頂を四つ足の魔物たちが我が物顔で走りまわり、ごつごつした白い岩の転がる谷間には濁った水のようなスライムがうごめいている。
魔物たちに好き放題荒らされたその場は、灰色の霧の向こうに垣間見える純白の岩肌や、折れて転がる水晶柱など、元は美しかっただろう風景の名残りがあるせいで、よけい無惨に見えた。
こうなった理由はわからないけど、【試練の森】の上空で風の精霊に引っぱりこまれたんだから、たぶんここが【風の谷】なんだろう。
思いがけないところに案内役がいてくれたのは幸運だったが、眼下にひろがる光景と風に乗ってくる腐臭はどうにもヒドい。
[風の精霊石]の放つ白い光に包まれてふよふよと上空を浮遊しながら、顔をしかめて様子を見ていると、間もなく四方八方から空を飛べる魔物が攻撃してきた。
瘴気におかされて魔物と化した風属性の魔獣、ゴールドイーグルやワイバーンやグリフォンだ。
「〈旋風〉」
呪語を唱えて突風を吹かせ、接近してきた魔物を遠ざける。
軽い魔物はあっさり吹き飛ばされてくれるが、ワイバーンやグリフォンなどの重量級は受け流してとどまったので、〈竜巻〉を連発して弾き飛ばした。
その騒ぎで周辺にいた魔物たちがあたしに気づき、攻撃態勢に入る。
さて、どうしようか。
思って、ふと、考える必要はないと気づいた。
ここは誰も踏み込めない聖域で、近くに大精霊がいそうな様子もない(どっかに隠れてるのか?)。
そしてあたしの目的は、魔物の一掃。
知らず、微笑みが浮かぶ。
耳障りな魔物たちの咆哮を聞きながら、あたしはちいさくつぶやいた。
「無制限だ。」
頭の中に刻み込まれた魔法のなかから風属性のものを一つ選び、呪文を構築。
すい、と右手を伸ばして、その発動を命じた。
「〈大渦嵐〉」
唱えた古語は強烈な風を起こし、無差別に魔物たちを巻き込みながら七つの巨大な竜巻となって【風の谷】に嵐をもたらす。
その渦の下では山々が削られ、砕かれた岩とともに空へと飲み込まれた魔物は烈風に切り裂かれて白い骨と化し、ばらばらと地上へ散った。
風のうなりは獣の咆哮に似て猛々しく、山を砕き谷を埋めながら魔物を屠る。
空を飛ぶものも地を走るものも、ただそこにいるというだけで等しく烈風の渦に喰われていく。
一個の抵抗など鼻先で嗤うような、圧倒的破壊。
テレビや映画館のスクリーンでしか見たことのない大破壊が目前で繰り広げられ、その轟音が肌を震わせ骨まで響いてくるのにたまらなく魅了された。
素手での殴り合いや普通の戦いではありえない、魔法だけに特有の、一方的な暴力という後ろ暗い快感に溺れそうなほど心惹かれた。
もしこんなふうに、イグゼクス王国を壊せたら・・・?
いつの間にかそんなことを考えているのに気づき、思わずため息がこぼれた。
イグゼクス王国に対する怒りはあるけど、こんなふうに容赦なく叩き壊したいわけじゃないし、今はそんなことを考えている場合でもない。
意識を切り替え、七つの竜巻を起こす魔法の維持に集中する。
範囲攻撃というよりマップ破壊な〈大渦嵐〉は、数分かけて【風の谷】からほとんどの魔物を排除し、ついでにその地形をいくらか変えて、ふっと消えた。
ゆるやかに吹く名残りの風に乗り、ぱらぱらと、砂とともに白い骨のかけらが降る。
数分間の轟音を浴び続けた後で、魔物の消えた【風の谷】の静寂は耳に痛かった。
灰色の霧が晴れた純白の谷に転がる無数の骨を見おろし、良いことをしたのか悪いことをしたのか、自分では判断のつかないことをしたなと思った。
しかしまあ、あたしの感傷なんぞどうでもいい。
そんなことより風の大精霊を探して、無事を確かめておかなければ。
でも、いったいどこにいるんだ?
手がかりはないかと、上空からきょろきょろ見まわしていると、パキパキ、と何かが割れかけているような音が近くから聞こえてきた。
気になるその音に顔をあげてみると、[白の護符]にはめこまれた[風の精霊石]にヒビが入っている。
中の精霊が出てくるのかなと思って見守っていると、大粒の真珠みたいな[風の精霊石]の表面はどんどんヒビ割れていき、数秒とかからずにパリン! と壊れた。
爆発するように白い光があふれ、強い風が吹きつける。
思わず目を閉じて顔をそむけ、数秒後、チカチカする視界を戻そうと何度かまばたきしながら、視線を戻して。
「・・・・・・こんにちは?」
思わず疑問形になったあいさつの相手は、白銀の髪と瞳をした半透明の少年。
ふわふわと空中に浮かぶ、可愛らしい顔立ちをした彼は、にっこり笑って言った。
《 ようやく会えたね、母さん。 》
かあさん。
「・・・て、母さん? いやいやいや。産んでないからお母さんじゃないよ?」
《 母さんは母さんだよ。ぼくの名前はシェリース。 》
「シェリースくん?」
《 そう。それがぼくの名前。呼んでいいのはこの世界でただひとり、母さんだけ。 》
上機嫌な笑顔のまま少年がそう言った瞬間、不思議な風があたしの体の内側を吹き抜けた。
肌を撫でるのではなく、全身の細胞をすすぐように吹き抜けていく風はおそろしいほど心地よく、数秒で通り過ぎて背中に奇妙な熱を残した。
それはゆっくりと体温にとけ、あたしの体になじんでいきながら、強烈な眠気をもたらす。
これは何だろう?
まるい、熱・・・
《 ぼくは母さんに闇の力を与えられて孵化した、もうひとりの風の大精霊。 》
歌うように語るシェリースの声は、まるで子守唄。
やわらかく、響く。
《 ぼくは闇の風。光の風の対となる、夜に吹く静寂。 》
眠たい。
なんでかわからないけど、すごく、眠たい。
《 母さんの夜に優しい風が吹くように、ぼくはいつも見守ってる。さあ、外の仲間のところへ送るよ。 》
待って。
まだ、聞きたいことがある。
そう思うのに、まぶたが重たくて目が開かず、体からは力が抜けて。
《 おやすみ、母さん。 》
白い風に包まれてふんわり浮いたと思ったら、すとんと落ちて誰かに受け止められた。
「リオ! 今どこから出てきたんだ? 大丈夫か?」
頭の上から聞こえてくるのは低い声。
頬に感じるのはちょっと硬いけどさわり心地の良い毛並み。
レグルーザだ。
彼だとわかったらなんだかとても安心して、さらに眠くなった。
ああ、ごめん。
「ね」
「ね?」
「ねむ、い・・・」
つぶやくようにそれだけ言って、あたしは深い眠りに落ちた。